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Reflection Journal 2019年2月12日 朝

昨日は、建国記念日で祝日であった。美容院に行ったり、娘の勉強を見たり、買い物したり、料理を作ったり、平穏な1日であった。
新幹線で名古屋に向かっている最中に昨日のJournalを書いている。

①反応の減少
街で人にぶつかったり、カバンにぶつかったりするときに、以前は体に反応が走った。それが弱まったと、昨日ふと感じた。弱まったのであるが、ほんのり残っている。
危険を回避する可能は、昔から強いと思っていた。周囲に関しての「危険感」は余り体験がないので、前世から引きずっているものなのだろうか?
両親に関しては、余り色々言わなかった。1歳ぐらいから、かなり独立していたのだと思う。親の膝に座るようなことはなく、おもちゃ(ブロックなど)・機械いじりに没頭していた。もともと、研究家タイプなのかもしれない。

②反応に気づいた
メールを開く瞬間に「妄想」が走る。「嫌なメールだったら」「自分を否定するようなメールだったら」のような、反応が走る。 パソコンのメールではそれほどもないが、スマホのメールの反応度は5~10倍ぐらい高まる。スマホのメールは読み違いも多いので、この防御的な反応がそうさせているのだろう。発達段階2.5の反応だと思う。
スマホでメールはなるべく見ないようにしよう。

③ビジョンについて書いてみたくなった(自分の整理のために)
人は、使命を持って生まれ、天国に戻るとする仮定すると…

天国は、「死がない」「病気がない」「悲しみがない」「苦しみがない」「自由にモノが手に入る」「自由に動ける」とすると、天国はある意味でつまらないのだと思います。

その中で、肉体を持つ問うことは、「体験する」「感情を味わう」「死を味わう」「悲しみを味わう」「苦しみを味わう」「不自由さを味わう」「自由に動けない感を味わう」とすると、全ての体験・感情こそが人間が味わうべきものだと思う。egoも仕組まれたものと考えると、それを体験することも大切でしょう。

全ての体験を見に受けて、味わうとすると、何のビジョンも恐れも必要なくなるはずである。そのまま受ける・そのまま味わうことが大切だと思う。

味わうためには、言葉にして2度味わう。対話を通して3度味わうことが最高の喜びのように思える。

来るべきことを、そのまま味わうような経営 ができたら良いな。


【振り返って感じたこと】

メールの反応はなくなった。理由は2つある。
1つ目は、反応そのものが薄くなったこと。
2つ目は、相手を否定するようなメールを打たなくなったので、自分にもそのようなメールがこなくなった。
ブーメラン効果とでも呼ぼうか。

本当に最高の経営だと思う。方針も必要ない。計画も必要ない。将来の憂いも必要ない。ただただ、最適な機会が押し寄せてくるだけ(このあたりの言葉の表現は上手にしたい)。


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もりお

組織・人事コンサルティング会社の経営をしています。数年前から成人発達理論を学び、理論の理解と変容の実践について経験を積んでいます。ここでは、加藤洋平氏の指導のもと始めたリフレクション・ジャーナルを共有することを目的に開設したものです。どうぞ、よろしくお願いいたします。
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