番外編2 宇宙人は、愚痴をグチグチ言わなかった

「ねぇ、タカシ! タカシはなんで文句ばっかり言ってるわけ?」

 サラは珍しく声を荒げていた。少し上から目線のサラであっても、僕はこれまで怒っている姿を見たことがなかった。いや、怒っているというほどではなさそうだが、ちょっとイライラしている様子に、僕はドキリとした。

 今日は土曜日、会社は休みだ。取引先が販売店だから、いつも土日が休みとは限らない。逆に、土日がどちらも休みになるほうが珍しい。今日は休みだが、明日の日曜日は出勤しなければならない。久しぶりの土曜日の休日、僕は朝からサラと話をしていた。

 サラに聞きたいことがたくさんあるはずなのに、なぜか僕ばかりが話をしていた。そう、会社や上司の愚痴だけでなく、取引先の愚痴、しまいには社会や環境の愚痴まで言っていたのだ。

「せっかく技術はあるのに、どうして食器洗浄機しかつくらないのか」「部長は売上のことばかり考えていて、部下を育てようと思っていない」「他社よりも、うちの会社はないがしろにされている」「そもそも、日本が不景気だから悪いんだ」「もっと僕が活躍できる場所があるはず」などなど。

 不満や不平は、言い出したらキリがない。もちろん自分にも至らない部分があるのは重々承知しているけれど、自分一人ではどうしようもないこともあると思う。環境が人を育てるとはよく言ったものだ。悪い環境に身を置いているのなら、そこから脱出することも大切なことではないだろうか。

 サラは、そんな僕の話を最初は「あらそう」と言いながらも、真剣に聞いていた。それもサラによる調査の一環のようだ。何かしらメモらしきものを取っていたから。

 ところが、徐々にサラの様子が変わってきた。次第にあいづちの回数は減っていき、聞いているのが苦痛と言わんばかりに押し黙るようになったのだ。

 ついに、サラのイライラが一気に爆発した。

「もういいわ、タカシ! なんで文句ばっかり言うわけ?」

 サラの爆発に驚いた僕は、自分を取り繕うように言い訳をする。

「文句ってほどのことでもないんだけど……。ちょっと愚痴を言いたかっただけだよ」

「グ、グチ?」

「そうだよ、愚痴!」

「そのグチって何なの?」

「え? 愚痴を知らないの?」

「食べ物ではないよね?」

 サラはいろんな日本語を知っていた。だから、僕とサラは普通に話すことができる。勉強熱心なサラは、独自で日本語をマスターしていたのだろう。そんなサラにも知らない言葉があるようだ。僕は、ちょっと優劣感を覚えた。

「愚痴も知らないの?」

「知らないものは知らないわ! どういう漢字?」

「え〜と、愚痴の“ぐ”は……、愚痴の“ぐ”じゃなくて、“おろか”って漢字かな。“ち”は、え〜と、ボケちゃった人のこと言う痴呆の“ち”?」

「……、よくわからないから、辞書で調べてみるわ」

 サラはそう言って、僕のノートパソコンを勝手に起動させる。

 慣れた手つきでマウスを動かすサラの姿を見ると、いつも勝手に使っているのではないかと疑ってしまう。

「愚痴というのは……、言っても仕方がないことを言って嘆くこと……。ふ〜ん、そういうニュアンスなのね。クラリス語には、そういう意味の言葉はないわねぇ……」

「そ、そうなんだ?」

「いや、ちょっと待って……」

 サラはそう言って、まるで自分の頭の中に埋め込まれたコンピュータで何かを検索しているみたいな顔つきのまま押し黙った。ほんの数秒の沈黙の後、サラは笑顔を取り戻し、何事もなかったように話し続けた。

「昔はそういうニュアンスの言葉があったようね。※?△〓∇U⊥★*&って言うみたい」

「え? 何って?」

「だから、※?△〓∇U⊥★*&」

 僕にはサラが何を言っているのかわからなかったが、何度聞いてもわかりそうになかったので、気にせず話の続きを聞くことにした。

「もう5000年以上も大昔の言葉だそうよ。完全に死語ね。おそらく進化の過程で不必要な行為だったため、自然と使われなくなったんじゃないかしら。今のクラリス人には、この愚痴みたいなこと、言う人がいないから」

「え? そうなの?」

「めちゃ当然よ。この辞書にも書いてあるけど、言っても仕方がないことは言わないわ!」

「へ〜、でも言いたくならないの? 文句とか?」

「もちろん文句は言うわよ。でもね、愚痴って言っても仕方ないことよね。それは、無駄でしかないってことよね。ワレワレは、改善策があったり、その人のためになるようなことしか言わないわ。それは、愚痴とは言わないんじゃないかしら?」

「……」

「いい、タカシ! 自分ではどうしようもないことを言っても、何も始まらないのよ。わかる?」

「わ、わかるよ! わかるけど、どうしようもないことだから、誰かに愚痴をこぼしたくなるんじゃないか! 誰かのせいや会社のせいにもしたいし、社会や環境のせいにもしたくなるでしょ! それが人間ってもんでしょ?」

「あら、それが人間ってものなのね。ちょっとした発見よ!」

 サラはそう言って、またメモらしきものを取り始めた。サラの服はあまりにも身体にフィットしているため、服の中から紙らしきものとペンらしきものが出てくると、少なからず驚く。科学技術が発達しているはずなのに、手書きというのも不思議だった。何をどう突っ込んでいいのかわからず、普通の会社員のようにメモを取っている宇宙人の姿を、僕はただポカーンと眺めているしかできなかった。

 紙らしきものとペンらしきものを再び服の中に閉まったサラは、新しい発見に心が踊っているのか、トーンを一つ高くした声で言った。

「でもねぇ、ホントに地球人って不思議ねぇ〜。こんなにも恵まれた環境なのに、愚痴ばかりこぼしちゃうんだから!」

「え? 恵まれている?」

「めちゃ当然よ! こんなに恵まれた惑星に暮らしているんだから、地球人はとっても贅沢よ! まぁ、クラリス星も恵まれているけどね」

 クラリス星のことはわからないが、地球が恵まれているかどうかについて、僕は今まで考えたこともなかった。確かに、地球は太陽の光が適度に降り注ぎ、海には大量の水が存在する。金星や火星は地球に似た惑星ではあるけれど、地球ほど恵まれているとは言いがたい。もっとも人間から見てということだが……。

「ホントにタカシは何も知らないのね。地球よりも、もっともっと過酷な環境で生活している方々も大勢いらっしゃるのよ。その中には高度な知能を持った方々もいるんだから!」

「た、例えば?」

「星の光、地球で言えば太陽の光がまったくない惑星だってあるわ」

 僕は太陽のない世界を想像してみた。朝日が昇らない世界、四六時中真夜中の世界……。きっと植物も育たないだろう。とても寒いに違いない。僕には、そんな世界で生命が誕生するとは到底思えなかった。地球上のすべての生命は、何かしら太陽の恩恵を受けているに違いない。

「そんな惑星で、どうやって生きていくの?」

「まぁ、いろいろよ。巨大惑星の潮汐力による火山活動によってエネルギーを得ている方々もいるし、惑星が誕生したときの内部エネルギーを利用している方々もいる。惑星も永遠に存在するものじゃないから、最初は恵まれた惑星に住んでいたけど、途中で別の惑星に移り住んだ方々もいるし、何らかの理由で太陽がなくなってしまい、知恵と工夫でそのまま住み続けている方々もいらっしゃるわ。地球人もいつかそんな日が来るかもしれないわよ。他の惑星に移り住む日が来るかもしれないわよぉ〜」

 アメリカのNASAだったか、宇宙関連の民間企業だったかは思い出せないが、火星に移住する計画を本気で検討しているニュースを僕は聞いたことがあった。そのときは、「そんなの無理に決まっている」と、半ばバカにしていたが、サラの話を聞いていて、「そういうことも真剣に考えなきゃいけないんだ」と思い直した。

 サラの話は続く。

「そういった環境の生命でも、進化し続けているわ。逆に言えば、厳しい環境だからこそ、知恵を振り絞ったのかもね。ワタシが知っているだけでも、惑星内部のエネルギーを循環させて効率的に利用している宇宙人もいるわ。珍しいケースでは、地球の月のような衛星で人工的に核融合を起こさせて、エネルギーを生み出している高度な宇宙人もいるんだから。あれにはさすがのワレワレも驚いちゃったわよ!」

「す、すごいね。そういうのを聞くと、人間はまだまだ……」

「太陽という恵まれたエネルギーでさえ、有効に利用していないんだもん。ワタシに言わせれば、地球人は原始人みたいなものよ!」

 原始人と言われて、僕はむっとした。そんな僕のことを気遣ってか、サラは「まぁ、だからこそ、これからが楽しみなんだけどね」なんてフォローをする。

 確かに夢のある将来を考えるのは楽しい。前に進んでいくこと、前に進もうという気構えが、技術の進化になるのだろうし、人の精神性も高めるのだろう。

 僕は愚痴ばかり言っていたことを反省した。僕の愚痴は、前を向いていない。気持ち的には後ろに進んでいるようなものだからだ。

「僕も、今いる環境に感謝して頑張るよ」

「当然のことよ。だって、それぞれの環境で前向きに努力してきたから、宇宙には様々な姿形をした生物がいるんだもん!」

「そ、そうなの?」

「めちゃ当然よ! だって惑星によって環境が違うわけでしょ? その環境に適応するように進化するんじゃない? 地球の言葉で言えば、自然淘汰ってやつじゃない?」

 僕の頭にはダーウィンの進化論が思い浮かんだ。詳しくはわからないけれど、確か環境に適応するように生物は進化してきたと、学校で習ったような記憶がある。厳しい環境の中で、繁栄するために必要なものだけが選択されてきたことくらいは、僕でも知っている。

「それは、思考においても同じなんじゃない?」

「生き残るために必要な思考と、自然に淘汰されるような無駄な思考があるってこと?」

「そうよ。だからワレワレの先祖は※?△〓∇U⊥★*&という言葉を、その考え方と共に捨てたんだと思うわ」

 その言葉は、やっぱり聞き取れなかったけど、サラの言いたいことは腑に落ちた。

「もしもよ、宇宙のすべての知的生命体が同じだったら、きっと高度な進化を遂げられなかったんじゃないかしら。それを“生物多様性の法則”って言うんだけど、それぞれの惑星の環境でそれぞれの生物が適応したからこそ、長い間繁栄することができたと言われているわ。だからタカシは、もっと地球に感謝しなきゃ!」

「そして、不必要な思考も捨てなきゃいけないんだね」

「めちゃめちゃ当然よ!」

 僕はサラの言葉を噛み締めていた。遠く離れた惑星に住む宇宙人に対して、いまいちリアリティを感じられなかったが、どんなに過酷な環境であっても、みな懸命に生きている。厳しい環境だからこそ、本当に必要なものを大事にしていることは間違いないような気がした。

 自分には、もっと他にいい環境があるのではないかとずっと思っていた。しかし、それはないものねだりなのかもしれない。今の環境で本当に大事な何かを見つけようとしたことも、そんなふうに考えてみたことも一度もなかった。今の仕事を見つめ直し、そこで前向きに努力してみよう。そうすれば、大切な何かが見つかるかもしれない。

 そう新たに決意した僕に、サラは言葉を付け加えた。

「タカシにも個性が生まれるかもねぇ〜」

「僕の個性?」

「そうよ。独自の環境で努力した結果、宇宙には多様な生物がいるわけよね。それってタカシ個人にも当てはまるんじゃないの?」

「そうか! 小さく見れば、一人ひとりで環境が違うってことだね!」

「めちゃ当然よ!」

 僕はこれまで自分に個性がないことを嘆いていた。それは生まれ持って備わっているものだと諦めていた自分もいる。サラの言うとおり、個性とはそれぞれの環境の中で努力した結果、自然と身につく類のものかもしれない。

 濃い霧が晴れるような心情だった。心の奥底から「やってやろう!」というエネルギーが、沸々と沸き起こってくるのを感じた。「自分にできることから行動するか」と軽く拳を握りしめている僕に、サラは気が抜けたような声で水を差す。

「やる気になっているのは結構だけど、とりあえず何か食べない?」

 そう言えば、今日は朝から何も食べていなかった。もう昼の一時を回っている。サラのお腹は限界を迎えているようで、小さく「ぐぅ〜」と警笛を鳴らした。いくらやる気があっても、空腹には勝てないのは、サラも同じようだった。いくらいろんな生物がいるといっても、そこは普遍の真理なのかもしれない。

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