迷人伝 その10

 暖かい春の空気が東からやってきた頃、一人の奇態な青年が西から大都会にやってきた。

 東京にはじめて降り立った紀昌は、あまりものビルの多さに面食らった。紀昌の目には実際よりも一〇倍以上高くそびえ立っているように見える。ビル酔いというものがあるのかどうか知らないが、まさに紀昌は巨大なビル群に囲まれて、吐きそうなくらいの目眩に襲われたのだ。

 なんとか下宿先に到着した紀昌だったが、早くも東京に来たことを後悔していた。ホームシックというわけではない。ただ雑踏とした空気感が、自分の身体には合わないと瞬時に悟ったのである。

 紀昌は東京大学の入学式には出なかった。それだけでなく、その後の授業にも一切出席しなかった。そもそも紀昌は大学というものに興味がなかったのだが、たとえ授業に出たとしても、講義内容がチンプンカンプンだと自分でもよくわかっていたのである。

「俺は勉強なんて、まったくできやしない」

 そう自己分析していた紀昌ではあったが、だからと言ってヘソを曲げているわけではない。逆に、自分だけの能力を持っていることを誇らしくすら思っていた。皆が一生懸命に勉強に励んでいたのと同じように、紀昌は五年近くも修業に身を捧げてきた。それが間違っていなかったことを紀昌は確信していた。

 修業のお陰で、学歴というものを手に入れることができた。この能力を持ってすれば、卒業することも容易いだろう。たとえ卒業しなくても、東京大学中退という肩書きは、立派な学歴と言ってもいい。また、理科Ⅲ類の学生の大半は医師の国家試験を受けるが、これも余裕でクリアできそうだ。問題は実技と研修であるが、小を見て大の如く見える能力は、外科手術にもってこいのように思われた。

 つまり、紀昌はもはや学歴も地位も手に入れられる立場にあったのだ。医師にならなくても、この能力があれば簡単にお金儲けができそうに思える。それこそアーチェリーの選手になってオリンピックで金メダルを獲得するのもいいし、特殊な能力を持った超人としてお茶の間を賑わすこともできる。具体的なイメージはできなかったが、何かしらのビジネスにも利用できそうだ。さらに言えば、悪事に応用することもできる。銀行のATMでは、他人の暗証番号を盗み放題なのだから、その情報を売ることもできるし、自分で活用することもできる。単純にお金を得るだけであれば、パチスロをすればいい。紀昌にとって目押しなんてものは造作もないことだろう。何を選択するにしても、紀昌の人生は前途有望なのであった。

 しかし、紀昌はそれらのことにまったく興味がなかった。紀昌の頭にあったのは、さらなる修業の道だけである。『名人伝』の紀昌(きしょう)は、山に籠って修業をし、ついには弓も矢も持たずして鳶を撃ち落としたという。どういう原理でそんなことが可能なのかは、師匠である国語の教科書にも書かれていなかったが、挑戦してみる価値はありそうだ。

 その修業の場として、この雑踏とした東京は相応しくないように思えた。もっと世間から隔離された場所でこそ、この修業の意味がありそうだと確信していたのだ。

 紀昌は大学生活を放り出して、さっそく旅立つことにした。天下第一を目指すのであれば、天下第一の山に昇らなければいけない。そんな脈略のない妄想に取り憑かれていた紀昌は、自分の両親に何も告げずに、そして行きの飛行機代くらいしか持たずに、ネパール経由でヒマラヤを目指したのである。

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