汚部屋脱却思考1
とにかく部屋がきっったない。
現実を直視する気にもならず毎夜毎夜ベッドまで掻い潜って眠っていた。
部屋は8畳。所狭しと色々な紙やゴミが散らばっていた。日々使っているのは実質4畳程。
ベッドと、PCを置いているローデスクのみ。
他はゴミまみれだった。
どうして片付けられないのか考えた。
・面倒だから
・汚すぎて触りたく無いから
・嫌だから
こうした考えは、部屋は綺麗であるべきという「べきべき恐怖(命名わたし)」にとらわれているからに思えた。
人間は恐怖と対峙すると、戦いか逃走かどちらかの行動を取る。
理想=綺麗な部屋 現実=ゴミまみれな部屋
この乖離を受け止めることができず、「こんなの見たくない!!」と恐怖と覚え、逃走し、恐怖が膨れていくのと並行して部屋もどんどんと汚くなっていった。
わたしはこの「べきべき恐怖」がわたしの生活を大きく苦しめていることに最近気がついたのだ。
・もう出社の準備をすべきなのに動き出すことができない
・もうお風呂に入るべき時間なのに、こたつから出られない
・もうベッドで寝るべき時間なのに、YouTubeショートを観ることがやめられない
・筋トレをすべきなのに、スマホがやめられない
面倒なことに、べきべき恐怖は日常生活に支障をきたしているにも関わらず、最終的には間に合ったりなんとかなったりしていた。
しかし、アラサーにもなってそろそろ命を削ってべきべき恐怖から逃走するのはやめよう、そう思った。
べきべき恐怖に対処するにはどうすればいいか。
それは恐怖ととらえないこと、それしかない。
先程挙げたべきべき恐怖は、〇〇すべきと言いながらしなくても死なないことばかりだ。
出社しなければ死ぬのか?まあ、死なない。
風呂に入らなければ死ぬのか?1ヶ月くらいは大丈夫
つまり、自ら選び取った行動のはずなのに勝手に高すぎる理想を抱いては逃避しているのだ。
全部自分のやりたいことだ。
「わたしは部屋を片付けたい!」
そう言い聞かせているうちに、やるべき事ではなくやりたい事になる。
バカみたいだが、現実逃避をしている罪悪感から脱却できる。
よし、片付けるぞ!
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