森 信太郎

訳書『ほんと、めちゃくちゃなんだけど』発売中http://www.amazon.co.…

森 信太郎

訳書『ほんと、めちゃくちゃなんだけど』発売中http://www.amazon.co.jp/dp/4484181061 /東京で塾の英語講師をしています / 1987年三重生まれ / 文藝賞を受賞して小説家デビューするのがいまの目標です

マガジン

  • 日日是平日

    毎週土曜日更新。1000字以上2000字未満の文章です。

  • 怪談プレイリスト

    おすすめのYoutube怪談を毎週ご紹介します。なるべくアップロードが新しいものを選びます。便宜上数字を割り振っていますが、ランキングではありません。

  • よりぬき 日日是平日

    雑文マガジン「日日是好日」より、とくに評判のよかったものを10本抜粋しました。上位5%、ととらえてください。中身はたまに入れ替わります。

  • 穴に落ちる

    第57回文藝賞応募作の全文です。(1)から(22)に分かれています。

最近の記事

第58回文藝賞落選作「盛夏服」(313枚)

    • Perfume、副詞、所詮人間

      およそ七年前、よくPerfumeのライブに行っていた。代々木競技場、日本武道館、東京ドーム。大学の後輩や知人の知人などを誘って、東京中の大会場をめぐり、ライブを堪能し、「のっちはやっぱ変わってるよね〜」などと言いながら飲食店で飲酒をしていた。ビールで熱を鎮めながら、わたしの頭に浮かんでいたのはいつも、照明や舞台装置やプロジェクションマッピングではなく生身の三人の姿だった。 この一ヶ月間、まったく文章を書かなかった。原因を端的に言うと疲労で、もっと真実に近いのは憂鬱だ。書くと

      • パン屋で落ち込んだ話

        いろいろとあって疲弊している。手書きなら「弊」の字をあきらめるほどの疲弊だ。とにかくなんのやる気もなく、健康を保つだけで精一杯で、すこしでも暮らしを彩ろうと必要かどうかわからないほんのすこし高価なものを通販生活でうっかり買ってしまって、後悔して落ち込みたくないから積極的にそれを使用し、結局便利に使っている。 三ヶ月ほど旅に出たいが、まだ一回目の接種すらできていない。 とかく心がくしゃくしゃで、戻す前の高野豆腐のようにひなびているから、傷つかなくてもいいことに傷つく。つい最

        • とんかつ三田 日吉店の話

          揚げ物の妖精に呼ばれたのだと思っている。この世のどこかにいるはずの揚げ物の妖精が、ちゃんとキャベツを最初に食べるから意外にスリムな妖精が、あの日あの時わたしを呼んだとしか思えないのだ。 わたしは高校の終わりまで三重にいて、大学で東京、というか横浜に越してきた。慶應義塾大学のキャンパスは三田(東京都港区)や湘南藤沢(神奈川県藤沢市)など首都圏各地に点在しているが、わたしがギリギリ表から入学した経済学部の1,2年は、主に日吉キャンパス(神奈川県横浜市)に通うことになっていた。「

        第58回文藝賞落選作「盛夏服」(313枚)

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        • 日日是平日
          218本
        • 怪談プレイリスト
          9本
        • よりぬき 日日是平日
          10本
        • 穴に落ちる
          22本
          ¥300

        記事

          あのとき桜を見に行っていたらの話

          歴史に「もしも」はない、とよく聞く。意味はよくわからない。「なるようにしかならなかった」とほぼ同義だと思われるが、これを言うだけでほんのり賢さをまとうことができる、たいへん便利な言葉である。 でも歴史にはなくても、わたしにはある。日々蓄積されていく「もしも」を抱えていて、それはわたし本体よりも大きい。そして先日なにかのきっかけで (たぶん一瞬嗅いだ梅の香りか何かで)、わたしの奥に埋もれていた、十一年前の「もしも」が出てきた。 K大学の四年生だったわたしは、M田線のH山駅が

          あのとき桜を見に行っていたらの話

          天使じゃないと気づいた話

          たとえば、カレー屋に入る。家が繁華街に近く、飲食店の選択肢は多い。だが日曜日の夕方、一人で入って一人で食べようとすると、なんとなく店の方向性は限定される。かといって松屋やかつやは「平日」が過ぎるから、こじんまりした個人経営の、それでいてこだわりすぎないカレー屋が最高の選択肢と言える。わたしにはだから、日曜の夕方に行く用のカレー屋がある。 その店はいつも空いている。12席ほどのカウンターは、多くても2席ほどしか埋まっていない。わたしが入っても3だ。しかも多くの場合、わたしが入

          天使じゃないと気づいた話

          物語を読むことと地図を描くことの話

          毎日毎日小説を直している。出版される見込みがうすいのに、だ。文藝賞のこれまでの応募総数を考えれば、倍率は約2,000倍。つまり2,000分の1で成功する確率の試みに一年弱の時間を費やしてきたのだから、これはもう「道楽」や「酔狂」と表現したほうが正確だ。まちがっても「苦節」ではない。そんなに高尚なものではない。 だから当然、物語とはなにか、ということをよく考える。「脳科学から考える名脚本」的な本も読んだ。集団で生き延びることを決めた人類は、常に物語を必要とする。それはわかった

          物語を読むことと地図を描くことの話

          休載のお知らせ

          体力限界千代の富士のため、今週の更新はありません。 次回更新は3月6日(土曜)です。

          休載のお知らせ

          「粗大ごみを出したい」の話

          他者の他者こそがじぶんである、という考え方がある。おそらくわたしの目には、鷲田清一の著書を通して入ってきている。蛮勇とも呼べる勇気をもって演繹するなら、外の外こそが家である、と言える。いまは外がない。だから当然、家もない。 外出はしづらいが給料は減っていない。一年前ならライブや飲み会に使われていた金が、イケアや無印やロフトに変わる。床の塵は減り、壁面の収納は増える。コーヒーを淹れるのがうまくなり、柔軟剤にも凝るようになった。だがそれが、なんだというのだろう。 在宅勤務の主

          「粗大ごみを出したい」の話

          子どもによくガン見される話

          子どもが好きだ、と公言する人が信用できない。子どもにもいろいろいるからだ。好きな子どもも嫌いな子どももいて当然なのに、それを一緒くたにするところが大変うさんくさい。だが一方で、ヤングコーンが好きだ、と公言する人は信用できる。ヤングコーンはどれもだいたい同じ味だからだ。そしてわたしはヤングコーンが好きだし、子どもによくガン見される。 帽子のせいじゃないですか、と指摘されたこともある。確かに一理ある。ワークキャップ、ニットキャップ、トラッパーハットなど様々な帽子を普段被っている

          子どもによくガン見される話

          人気者になってしまった話

          人気者になりたいと思ったことがないが、なったことがある。自慢に聞こえたら謝る。誤解を招いたことやご迷惑をかけたことを謝罪していろいろして発言を撤回して、結局そのまま居座りたい。だがやはり、それは事実なのだ。 名前はひとつの呪いである、と言いたい。例えば、「珠緒」と名付けられた子はほぼ確実に「たまちゃん」と呼ばれ、次第に「たまちゃん」らしい子に、もしくは「たまちゃん」と正反対の子に育つ。わたしの下の名はどうも立派すぎるようで、小学校のときにはもう「森さん」と呼ばれていた。だか

          人気者になってしまった話

          毎日憂鬱でしかたない話

          憂鬱だ。毎日憂鬱でしかたない。8時にセットしたアラームを断ったあと10時まで寝て、だんだんと春めく陽光がカーテンから漏れ、デパ地下で奮発して買ったパン(ふたつ!)が台所で待っていようとも、なんだかもう、起きたところでどうなるんだ、という気になってしまう。 起きたところでどうなるんだ。ペーパーでコーヒーをいれ、パンを食べ、SNSをデトるために加入した東京新聞のiPadアプリで朝刊を読み、どの面を眺めても以前の社会ではなくて、コーヒーもパンもおいしいが、それがどうしたというんだ

          毎日憂鬱でしかたない話

          毎朝コーヒーをいれる話 (1,307字)

          dポイントの引き換えでもらった真っ赤な電気ケトルに、滝のように水をいれる。「0.5L」の白線をすこし超えたあたりで水道をとめ、同色の真っ赤な台にセットした流れのまま、イケアのジップロックからフィルターを取り出してホルダーにセットし、デパ地下で買ったコーヒーをガラス瓶から一杯、二杯と落とす。寝起きでうっかり落とさないよう、ホルダーの取っ手をしっかりと持ちながら右腕の振動で地崩れを起こし、粉を平らにする。何度見ても土のようだ。土にしか見えない。ダンゴムシが這い出るのではなく、豆の

          毎朝コーヒーをいれる話 (1,307字)

          死ぬなよおじさんの話

          わたしの通っていた小学校には、「死ぬなよおじさん」がいた。なんとなく志村けんの「いいよなおじさん」と語感が似ているが、システム的に似た妖怪だと思ってくれて差し支えない。ただ、これを言わないと差し支えるので義務的に言及するならば、「死ぬなよおじさん」は教頭だった。バリバリの、現役の、現職の教頭だったのだ。 あなたはゲゲゲの鬼太郎をご存知だろうか。大抵の方は肯定する。ただ、アニメ「ゲゲゲの鬼太郎」の初回放送を観たことがあるかと問われれば、その割合は急落するだろう。それと同じくわ

          死ぬなよおじさんの話

          深夜の高校に車で向かう話

          どこまでも行けるはずがなかった。そもそも他人の車だ。自分の行く先をヘッドライトが照らすが、わたしが行くから光るのか、光るから行くのか、いまいち判別ができない。行きたいところはない。目的地は副詞にすぎない。わたしはやはり、シートをもっと低くすべきだったと後悔する。 思いつきには理由がある。むしろ、理路整然とした行動より思いつきのそれのほうが、理由がより深層にあり容易には霧散しない。だから高校以来時が止まっている部屋でくつろいでいるわたしに、親の車でドライブをしたいと思わせた見

          深夜の高校に車で向かう話

          最高だった2020年の話

          2020年は最高の一年だったと言える。異論は認める。認める余裕があるほどに心が凪いでおり、こんなに凪げているということはつまり、今年が最高の一年だったということだ。だから今日はこんなに最高な一年を、noteという最高に便利でおしゃれで人権意識の高いプラットフォームで共有したいのだ。 まず最高だったのは、無事に誕生日を迎えられたということだ。4月14日、なぜかこの時期放送されていた志村けん特番の録画をまだ消化できていないさなか、わたしは33歳になった。ひとつ歳をとるということ

          最高だった2020年の話