10 手紙

(二〇〇五年十一月号)

「お口に合いましたか」
 透明なアクリル板越しに頭を下げる早川に僕は言った。顔を上げた早川はにこにこと微笑みながら、何度か小さくうなずいた。
「甘いものには眼がないんですわ」
 ……書けるのはここまでだ。会話の内容を他言してはいけないとするその理由は不明だし、まったく納得していないけれど、面会は今後も続けたいので仕方がない。だからこの日に早川から聞いたエピソードを、要約しながら以下に記す。実のところ、これもぎりぎりではあるけれど。
 施設建設のための土地取得をワークとして命じられていた早川は、土地や不動産を探すために、泊まり込みの出張をする機会が多かった。
 そのときも地方都市への出張だった。不動産屋との契約も順調に終わり、帰りがけに駅前の蕎麦屋に入った早川は、天ぷら蕎麦を注文した。本来なら破戒とされる行為だ。ワークが首尾よくいったことと一人で遠出していることなどで、精神的に多少の高揚と弛緩があったのだろう。
 蕎麦を食べ終えてから早川は、麻原に報告するために電話をかけた(携帯電話が普及する前だから公衆電話だ)。受話器を手にした麻原は、「ティローパ(早川のホーリーネーム)、今、蕎麦を食べただろ」といきなり言った。
 早川が苦笑交じりに話してくれたこのエピソードについて、額面どおりに受け取るつもりはもちろんない。早川が蕎麦好きであることを知っていた麻原が、そろそろ気が緩む頃だろうなどと推理して、試しに「蕎麦を食べただろ」と口にしたとの解釈が、いちばん無理はない。外れる可能性は高いけれど、そのときには「冗談だよ、そうか、食べてないか」などと一笑すれば済む話だ。そんな記憶はすぐに薄れるが、もしも的中したのなら、それはまた麻原の神話を強化する有効な材料となる。
 ……そんな推測を書きながら、僕は自分に往生際の悪さも感じている。なぜならどうにも説明できない現象を、僕自身はかつて(そして今も)何度も目撃しているからだ。だから水準よりはこの領域に免疫はあるつもりだけれど、でもやはり、どうしても腰が落ち着かない。肯定派になれない。
『A』を発表した一九九八年の翌年、テレビに一時だけ復帰した僕は、三人の超能力者を被写体にしたドキュメンタリー『職業欄はエスパー』をフジテレビで発表し、そのメイキングとでも言うべきノンフィクションも上梓した(『職業欄はエスパー』角川文庫)。スプーン曲げやダウジング、予知や透視など、三人の超能力者は、それぞれ得意とするジャンルが微妙に違う。撮り始めたときのドキュメンタリーのテーマはその真贋を暴くことではなく、超能力を持っている(もしくは持っていると思い込んでいる)彼らの、日常の悲喜劇を描くことにあった。
 撮り始める前の僕は、彼らの能力については、どちらかといえば懐疑的なスタンスだったと思う。そして実際に彼らを撮影しながら、どうにも胡散臭いとしかいえない体験もしたが、これは説明がつかないという体験もほぼ同量にあった。
 説明がつかないその理由は、いわゆる古典物理学に反するからだ。ただしマクロを記述する相対論やミクロを記述する量子論など現代物理学の分野では、すでに古典物理学が失効していることは自明だ。時間の進み方が絶対ではなく観測者によって決まる特殊相対性理論や、重力とは時空の歪みであることを証明した一般相対性理論は、ニュートン力学的な世界観を一変させた。さらに二十世紀の科学史における最重要人物の一人である数学者ジョン・フォン・ノイマンは、量子力学における波動関数の収縮が、観測という人間の行為によって引き起こされると主張した。
 もちろん量子力学は、素粒子の運動というきわめてミクロな世界を記述するために生まれた理論だが、「シュレーディンガーの猫」のパラドックスが示すように、ミクロで証明されることが現実世界で絶対に起きないとは断言できない。むしろ起きて不思議はないと考えるべきであることをコペンハーゲン解釈は示している。つまり量子力学的な解釈を思いきり演繹すれば、意識が物理的作用をもたらすことに非合理性はほとんどない。
 念のため補足するが、すべてを肯定するつもりはない。超常現象や超能力として喧伝されることのほとんどはトリックや錯覚、あるいはプラシーボ(偽薬効果=思い込み)の類と考えて間違いはない。
 でもほとんどがトリックや思い込みであるということと、すべてはトリックや思い込みでしかないということは同義じゃない。
 スプーンを曲げたり折ったりすることについては、トリックはいくらでもある。きりがないほどに。『職業欄はエスパー』撮影後も、被写体の一人である清田益章のスプーン折りや捩じりは何度も目撃した。まるで火に炙られたイカのように捩じれてゆくスプーンの片端を持っていたこともある。時間にすれば三十秒ほどで、スプーンはほぼ九十度捩じれる。つまり肉眼でその動きがわかる。超能力はすべてトリックであると公言するマジシャンと一緒にこの瞬間を見たこともある。感想を訊けば、「トリックではできない。やばいもの見ちゃったなあ」との答えが返ってきた。
 明治時代、千里眼(透視)能力があるとして評判となっていた御船千鶴子は、東京帝国大学の教授たちの前でこれを実証したが、後にメディアからトリックの可能性があるなどと批判され、二十四歳の若さで自殺した(メディアからの批判と自殺との因果関係は不明)。同時期に念写の公開実験に挑んだ長尾郁子は、密閉した箱に乾板を入れ忘れるという立ち会い人の信じがたい不手際のために実験が中止となり、「私を試そうとしたのですか」とその場で号泣したが、後日にメディアからトリックが暴かれたと正反対の報道をされて、一カ月後に急死する。

 御船と長尾を見出した東京帝国大学の福来友吉博士が最も期待した超能力者は、三人目の高橋貞子だった。しかし彼女の場合は、その公開実験に東大の教授たちが申し合わせたようにすべて欠席し、その直後に福来は東大を追われている。
 中世ヨーロッパの魔女狩りや、数々の奇跡を示すイエスへの迫害なども含めて、映画『リング』のストーリーのベースとなった千里眼騒動の経緯は、不可思議な現象や不条理な能力に対して多くの人が、強い嫌悪や憎悪のような感情を滾らせる場合があることを示している。そしてその感覚は、おそらく僕にもある。特に(早川が教えてくれたエピソードも含めて)信者が語る麻原については。ただし例外もある。
『A』には二つのヴァリエーションが存在する。オリジナルの『A』に加えて、海外向けに再編集した『A~インターナショナル・ヴァージョン』だ。この二つは微妙に編集が違う。その再編集版を公開した一九九八年、劇場となった東京のBOX東中野(現在はポレポレ東中野)で、上映後にトークショーが開催された。このときのゲストは新右翼の一水会代表(現在は最高顧問)の鈴木邦男と、劇作家の山崎哲だ。会場との質疑応答の時間になったとき、客席に座る一人の若い女性が、おずおずと手を挙げた。
「私はオウム信者ではありません。でも、ある体験を経て、この数年、ずっと悩み続けていることがあります。今日はちょうどいい機会なので、思いきって質問します」
 そう口火を切ってからの彼女の話を要約する。オウムが大量の候補者を擁立した一九九〇年の衆院選当時、彼女は杉並区の阿佐谷で、母親と二人で暮らしていた。
 ある日の朝、妙に元気がない母親に彼女は「具合でも悪いのか」と声をかけ、これに対して母親は、「具合は悪くないけれど、あの麻原彰晃が夢に出てきた」と顔をしかめながら答えたという。この頃のオウムは阿佐ケ谷駅前で、毎日のように選挙運動を繰り広げていた。そして彼女の母親はとにかくオウムが大嫌いで、気持ちが悪い人たちだといつも言っていたという。
 その日の午後、母親は駅前の東急ストアに一人で買い物に出かけたが、二十分もしないうちに戻ってきた。その顔色は真っ青で、まるで何かに怯えているかのようだった。何かあったのかと訊ねる彼女には何も答えず、母親は寝室で布団を被り寝込んでしまった。
 何が起きたかを母親が語ったのは、翌日になってからだった。母親が東急ストアに行ったとき、駅前にはいつものようにオウムの街宣車がとまっており、麻原彰晃本人が街頭演説をやっていた。その脇を早足で通り過ぎようとしたときにちょうど演説が終わり、母親と擦れ違う瞬間に麻原は、彼女の耳元に小声で囁いた。
「おや、昨夜、夢で会いましたね」

 会場はざわついた。半分近くは参ったなあというように失笑している。横を見れば鈴木と山崎も、腕を組んで困惑しながら複雑な表情だ。
「このときに強いショックを受けた母親は、それからしばらくは寝たり起きたりで、今も体調は完璧じゃありません。これはいったいどういうことなのでしょう」
 これは僕らには答えられないよと鈴木と山崎からマイクを手渡されたが、もちろん僕にも答えられるはずがない。たまたま会場に来ていたオウム信者がマイクを手にしたが、「時々やってしまうんです。ご迷惑をおかけして申し訳ない」などと言ったものだから、会場はいよいよ収拾がつかなくなった。
 トークショーが終わってから、僕は彼女を呼び止めて少しだけ話をした。オウムのサクラじゃないかと言う人がいたからだ。話した印象から言えば、彼女の話に虚偽や誇張はない。そもそもオウム信者全般の傾向だが、彼らはとにかくウソが下手だ。サクラをつかうなどといった戦略性も希薄だ。これは確信として言える。彼女は間違いなく一般人だ。
 ならば彼女の母親が遭遇したこの体験は、どう説明がつくのだろう。想定できるのは三つ。

 1 人と擦れ違うときに麻原は頻繁に、「昨夜、夢で会いましたね」を口にする。もちろんそのほとんどは外れるが、たまたま直前に彼の夢を見ていた人は驚嘆する。
 2 麻原彰晃の洩らした意味不明のつぶやきを、彼女が「昨夜、夢で会いましたね」と聞き違えた。
 3 既成の科学では説明できず、また常人には理解できない能力が、麻原彰晃には確かにあった。

 3はとりあえず除外する。1は現実的に考えれば、適当なことばかり言っているとの評判が広まるというリスクに対して、たまたま当たるリターンの確率があまりに小さい。彼女の母親が納得するかどうかは別にして、やはり2と考えるのが妥当だろう。
 でもならば、3の可能性はまったくないのだろうか。絵空事として除外すべきことなのだろうか。
 元オウムの広報局長で自治省次官だった早坂武禮は、その著書『オウムはなぜ暴走したか。』(ぶんか社)で、十人の信徒が一斉に決意表明を麻原の前で述べたとき、「右から二番目でぶつぶつ言っていた者、教学システムの目標は一課ではなく、せめて二課はクリアしなさい」といきなり言われ、「どうせ聞こえるわけがない」と口の中で適当なことを言っていたその信者は真っ青になって立ち尽くしていたというエピソードを記述している。
 こうした事例は数多い。サリン事件直後、大泉実成が現役の女性信者に、「麻原彰晃をどう考えるか」と訊いたとき、女性信者はこう答えたという。

「あるイニシエーションでパンを五つ食べるように言われたんです。ところがあまりにマズイので三つしか食べなかったんです。それは五百人くらいがいる会場で行なわれたんですが、尊師は私のところに来て『まんじゅうちゃんと食えよ』とおっしゃったんです。どうしてわかったのか、と驚きました」
「オウムという悪夢」『別冊宝島二二九号』

『A』に登場する一人の信者は、麻原が湖畔で説法を始めたとき、鳥や湖の魚たちが大量に寄ってきて麻原を取り囲む場面を目撃したと僕に語った。でもこのとき僕は、「パンでも投げていたんじゃないですか」と返答した。実際にそう思ったし、それは今も変わらない。信仰を持つ人たちには教祖の奇跡は過大に見える。だからこそイエスは水をワインに変え、ブッダは湖面の水位を上昇させた。「まんじゅうちゃんと食えよ」と麻原が言ったというこの話も、それほどに不味いのなら、彼女だけではなくほとんどの信者が食べ残していたと推測できる(だいたいパン五つは多すぎる)。

 説法会が終わって人がまばらになったころ、麻原が遠くからじっとわたしを見つめていると思ったそのとき、麻原を起点として発された光のエネルギーが、一〇メートルほど離れたわたしの頭頂へと流れ込み、それと同時に身体が温かくなり、気の流れが通る感覚が起こったと感じ、涙が流れ、即座に「グルと弟子は離れていてもつながっている」と思い、つながっていることに安心感を覚えるというものでした。
『二十歳からの20年間』宗形真紀子(三五館)

 麻原の呪縛から脱したことを公表し、現在は「ひかりの輪」に所属する宗形は、かつての自分のこの体験を、「強く『麻原に救われたい』と願っていたからこそ、弱視のためにつねに定まらない麻原の視線が自分のほうに向けられていると思い込んでしまったのだろう」と分析している。
『さよなら、サイレント・ネイビー』(集英社)を書いた伊東乾も、失明状態の麻原の視線は信者たちにとっても不可視であるということに着眼し、だからこそ信者たちの過剰な思いがより強く促進されたのではと推測している。
 麻原のこうした能力をめぐる逸話は他にも多い。だからもう一度書く。トリックや思い込みはいくらでもある。ほとんどかもしれない。でもだからといって、すべてがトリックや思い込みであるとの断言はできない。合理的な説明ができない現象は確かにある。ただし空中浮揚などはありえない(と僕は思う)。仮にあるとしても、もっと控えめで微弱な能力だ。
 二十世紀初頭のヨーロッパでは、タリウム元素を発見したウィリアム・クルックス、コナン・ドイルやジークムント・フロイトなど、多くの知識人や科学者たちがオカルトや超能力に興味を持ち、降霊術なども頻繁に行われていた。これらのトリックを精力的に暴き続けたのは、奇術師ハリー・フーディーニだった。ところが自称霊媒師たちのトリックを次々に暴きながらフーディーニは、亡き母親との交信を望み続け、さらには霊界から交信を試みるとの遺言を妻に残して死んでいる。
 でもその死後、遂に一度たりとも、妻に霊界からの交信はなかったという。
 もう一度書く。すべてを否定するつもりはない。何らかの能力が麻原にはあったのかもしれない。でもそれは大したことではない。何らかの(第六感的な)感覚を保持する人はいくらでもいる。本質はここにはない。でもひとつの要素ではある。

 面会を終えて数日後、僕は早川に手紙を書いた。麻原について、一連の事件が起きた経緯について、中心の駆動力(つまり麻原だ)が希薄だったからこそ周囲(これは側近たち)が分厚くなったのではとの僕の仮説について、早川の感想を訊いた。
 決して珍しい構造ではない。組織の不祥事などと言われる事件には、この「負のメカニズム」が働いていた場合が多い。その究極が戦争だ。領土や資源などの獲得は、実のところ後づけの理由である場合が多い。ほとんどの戦争は(特に二十世紀以降)、「やらねばやられる」との自衛意識から始まる。だからこそ戦争が終わった後に、人は焼け野原で空を仰ぐ。なぜこんな悲惨でバカげたことになってしまったのかと自問するが、答えられる人など誰もいない。かつてのこの国の戦争も例外ではない。視点によっては自衛戦争であり、そして侵略戦争でもある。どちらかひとつではない。そしてこんな場合には、得てして側近が頑張る。中心の意向を過剰に忖度する。組織の一員として一人称主語を失っているから、摩擦が働かない。つまり暴走する。

 僕のこの問いかけに対する早川の返事について触れる予定で、ここまで原稿を書き進めてきたのだが、今回はその紙幅がない。正確に書けば、今月号にどうしても書かねばならないことが、もうひとつ増えてしまった。
 この連載は、毎月二十日が締め切りだ。もちろん多少の前後はあるが、毎月僕は二十日に向けて、取材やインタビューをこなし、誌面の構成を考える。ところがなぜか麻原彰晃の周辺では、この二十日前後を狙いすましたように、頻繁に大きな出来事が起きる。
 八月十九日、東京高裁はそれまでの姿勢を一転し、麻原彰晃の精神鑑定を実施することを決定した。面会した精神科医にメディアで発言させるという弁護団の作戦が、おそらく功を奏したのだろう。しかし弁護団が求めていた公判手続きの停止と八月末に迫っている控訴趣意書の提出期限の再延長については、裁判所は却下した。
 ならば鑑定の結果によって、二つの事態が予測されることになる。
 鑑定によって被告に「訴訟能力なし」と判断されれば、当然ながら公判は停止する。これはひとつ目の事態。
 そしてもしも被告に「訴訟能力あり」との結果が出た場合には、弁護側から控訴趣意書が提出されていないことを理由に、高裁は控訴を棄却することができる。つまり一審の死刑判決が、この瞬間に確定する。これが二つ目の事態だ。
 局面はいきなりピークを迎えようとしている。言動に異常があるなどのレベルではなく、正常な外界認知や意識活動すらない可能性がある被告に対して、通常ならば鑑定の結果は「訴訟能力なし」以外にはありえない。しかしあらゆる例外や異例が当たり前のように凝縮する麻原法廷に、そんな常識が果たして通用するのだろうか。これまでの東京高裁の言動を振り返れば、ありえない結論を出す可能性はきわめて高い。
 ただし、もしも訴訟能力があると裁判所が判断した場合においても、弁護側が趣意書を独自に(被告人の意思を確認しないまま)作成しさえすれば、一審判決確定という最悪の事態は免れることになる。司法における適正手続きからは明らかに逸脱するが、一審だけで判決が確定するという事態に比べればまだマシだ。
 ……書きながら吐息が洩れる。なぜこんな事態になってしまったのだろう。なぜこんなばかばかしいレベルになってしまったのだろう。

 文庫本『A』の感想については、撮影の過程で、契約会社の上司とぶつかるあたりなどは、思わず「ガンバレ」とエールを送りたくなりました。それにしても放送関連会社の森さんへの対応を知れば知るほど、今の日本ではもはや、会社ベースでは優秀な作品を作り得なくなっているようで、とても残念に思われます。映画『A』における「オウムをとりまく世間もまたオウム同様に思考停止している」との森さんの視点は、文庫本『A』においても、オウムをドキュメントの対象とすることへの世間や放送関連会社の反応などに、とても明確に表れているような気がします。

 僕の手紙への早川の返信は、こんな書き出しで始まった。書き写すのが照れくさくなるような賞賛だけれど、これ以降の文章で、僕と彼とのあいだに大きな乖離があることが明らかになる。

A3 目次

『A3』無料公開にあたって
プロローグ
1 傍聴
2 封印
3 面会
4 弁明
5 弁護
6 故郷
7 真宗
8 記憶
9 拒否
10 手紙
11 暴走
12 鑑定
13 信仰
14 鏡像
15 集会
16 父親
17 詐病
18 棄却
19 姉妹
20 船橋
21 刑事
22 迷路
23 孤立
24 死刑
25 視力
26 抗議
27 試練
28 生殺
29 統制
30 独房
31 受容
32 特異
エピローグ
文庫のための新章 残像
参考文献・年譜・オウム真理教組織図
解説

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森達也(映画監督・作家)

‘98年にドキュメンタリー映画『A』を公開。ベルリン国際映画祭などに正式招待される。2001年、『A2』が山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。2011年に『A3』が講談社ノンフィクション賞を受賞。2016年、映画『Fake』を発表。

『A3』

2012年に集英社文庫から出版された『A3』(上・下)を全文公開します。
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