27 試練

(二〇〇七年四月号)

 麻原彰晃に最も影響を与えたと言われる長兄はすでにこの世にいない。でも他の兄弟はまだ存命のはずだ。熊本に居住している五男の連絡先を調べ、自宅近くまで行って電話をかけたが、家族から激しく拒絶されたことは連載二回目に書いた。兄弟は他にもいる。いろいろツテを辿り、僕はもう一人の兄弟の住所を入手して手紙を書いた。返事はすぐに来た。数行だった。「もし家の周辺に現れるようなことがあれば法的措置に訴える」との趣旨だった。

 地下鉄サリン事件前年である一九九四年、松島小優希なる芸名の演歌歌手がデビューした。所属はキングレコード。デビュー・シングルのA面は「能登の宿」でB面は「未練花」。
 初回のプレスは三千枚。これで終わった。つまりまったくヒットしなかった。それでもスナック回りなどの営業を地道に続けた彼女は、地下鉄サリン事件が起きた九五年以降、複数の週刊誌などで大きく取り上げられ、テレビにも数回出演した。なぜなら彼女は、麻原の十三歳上の実姉だったからだ。
 でも今、怒濤のようなかつてのオウム報道に呑み込まれて消失してしまったかのように、彼女の存在を覚えている人はほとんどいない。だから連載開始前から、彼女は絶対に話を聞いてみたい筆頭の一人だった。彼女の記事やインタビューが掲載された女性誌などの雑誌を取り寄せて、次にはその編集部に連絡をとった。レコード会社にも電話をかけた。
 結論から書けば、彼女の現在の連絡先はわからなかった。女性誌の編集部からは「もう誰が取材したかもわからないし、調べようがない」と返答された。レコード会社からも同様の回答が返ってきた。オウムについて精力的に取材をしていた記者やジャーナリストたちに訊ねても、「そういえばそんな人がいたよなあ」とみな、首を傾げるばかりだった。
 結局のところ、僕は彼女への取材をあきらめた。歳が大きく離れていることに加え、小学校入学と同時に盲学校で寮生活を送り始めた弟との接点がほとんどなかったことを、彼女自身がインタビューで語っていたからだ。

 小さいころの麻原被告の印象は、どうですか?
「思い出の写真が一枚。どなたがお撮りになったのか、智津夫がちょうちょうを……こう腕を伸ばしてちょうちょうをつかまえるその瞬間を撮った写真、私には、これが麻原のすべてなんです」
『女性セブン』(一九九五年八月十日号)

 長々と言い訳めいたことを書いたけれど、要するに麻原の近親者への接触はとても難しい。なぜなら日本の戦後史において、最凶最悪な犯罪者と呼称される男であり、絶対的な公共敵でもある。近親者にしてみれば、できるだけ世間の目に触れないように生活することは当然だろう。取材を拒絶して当たり前だ。
 岡崎一明の死刑は二〇〇五年に確定した。だからもう彼には会えない。手紙の交換もできない。でも早川紀代秀、林泰男、広瀬健一らとは、時おり会ったり手紙が届いたりする。この連載についての感想も、時おり彼らは送ってくる。
 二〇〇六年十二月、林泰男から届いた手紙の一部を、以下に要約しながら引用する。

 私は上告してから丸三年が過ぎ……もう四年目です。そろそろ赤ランプが点滅し始めているのかもしれません。来年は確定となることを覚悟しないといけませんね。確定といえば『A3』で森さんが訴えていたのに、教祖の裁判はあっさりと(あるいはバッサリと)確定となってしまいました。死刑判決は当然のことですが、ああいう形で幕を閉じるとは予想していなかったもので、非常に残念です。……子供だなあ、というのが素直な感想です。最後まできちんと裁判を続けて欲しかったです。勿論、裁判を受けられる精神状態に回復することのほうが先決ですが。何を言ってみても今さらのことですよね。

 僕の記憶では、最初の面会の際に林泰男は、「麻原の精神状態は普通ではないと思う」との僕の意見に、決して同調はしなかった。詐病とまでは言わないまでも、そんな生易しい人じゃないですよ的な見方だった。ならばこの一年余りの期間で、何が彼の中で変わったのだろう。
 広瀬健一も最近の手紙で、『A3』で僕が記述した「タントラ・ヴァジラヤーナはオウム暴走のひとつの要素ではあるかもしれないが、これが事件の根源とは思えない」について、微妙な反論を送ってきた。その手紙の一部を引用する。

 森さんの指摘は、マハームドラーを「すべてを試練とする」と解釈した弟子がいたという意味では正しいと思います。しかし麻原の動機はあくまでも「タントラ・ヴァジラヤーナ」でした。この点を押さえないと、すべてを見誤ると思います。

 広瀬によれば、「宗教的経験によって麻原がヴァジラヤーナにリアリティを抱いていた」ことは確かだという。手紙にはこんな記述もあった。

 つまり、相手が苦しむ行為をすることで、相手の悪いカルマ(三悪趣に転生する原因)が自分に移り、相手が救済されるということです。また、直接武装化を指示した我々に対しては、「現代人は三悪趣に転生するから〝ポア〟して救済する」と麻原は明言しています。

 九六年四月二十四日。麻原初公判のこの日、僕は上九一色村の居住棟に起居する一人の男性信者の部屋にいた。彼の部屋には旧式のテレビが置かれていて、広報副部長である荒木浩が上九一色村の施設に滞在するときには、報道をチェックするためにこの部屋にいることが多かったからだ。
 この頃の僕は、自主制作映画『A』を撮り始めたばかりだった。もっともこの時期は、最終的に映画にしようと具体的に考えていたわけではない。この時点において僕はまだ、共同テレビジョンという業界大手の番組制作会社の契約社員という立場だった。当初はフジテレビの深夜に放送される予定で始まったこのドキュメンタリーの撮影は、上司である制作部長から制作中止を命じられ、さらにこの時期は(単独撮影を続けていたことで)契約解除を仄めかされてもいて、先行きがまったくわからない時期だった。
 男性信者の部屋には、多くの信者が入れ代わり立ち代わり出入りしていた。テレビでニュースを観るためだ。逮捕された麻原が初めて法廷に姿を現すこの日は、早朝から深夜まで、特別編成のオウム特番がずっと続いていた。

 信者たちはみな洗脳されており、施設内においては外界の情報は一切シャットアウトされていると多くのメディアが報道していたから、テレビを観ながら普通に笑ったり驚いたり困惑したりしている信者たちの様子は、とても不思議な光景だった。
「テレビ、観るんですね」
 カメラを回しながら、僕は部屋に来た女性信者に言った。不思議そうにうなずいてから、彼女は言った。
「観ますよ」
「教義では観てはいけないってされてますよね」
「俗世の情報はなるべく入れないようにとの教えはあります。でもこんなときですから、多くのサマナがテレビや新聞を観たり読んだりしていると思います」
「でもメディアでは、信者たちは一切テレビや新聞を観たり読んだりしていないと報道していますよ」
「そうですね」
「なぜでしょう」
「……メディアに訊いてもらえますか」
 この日、東京地裁第一四法廷で起立した麻原は、人定質問で「麻原彰晃」と名乗り、松本智津夫という本名については「その名前は捨てました」と述べた。そして意見陳述の際には、

 私は、逮捕される前から、そして逮捕された後も、一つの心の状態で生きてきました。
 それは、すべての魂に、絶対の真理によってのみ得ることのできる絶対の自由、絶対の幸福、絶対の歓喜を得ていただきたい、そのお手伝いをしたいと思う心の働き、そして、その言葉の働きかけと行動、つまりマイトリー、聖慈愛の実践。
 絶対の真理を知らない魂から生じる不自由、不幸、苦しみに対して、大きな悲しみを持ち、哀れみの心によって、それを絶対の真理により取り払ってあげようとする言葉と行動、つまりカルナ、聖哀れみの実践。
 絶対の真理を実践している人達に生じる絶対の自由、絶対の幸福、絶対の歓喜に対して、それをともに喜び賞賛する心、そしてその言葉の働きかけと行動、つまりムリター、聖賞賛の実践。
 そして、今の私の心境ですが、これら三つの実践によって、私の身の上に生じる如何なる不自由、不幸、苦しみに対して、一切頓着しない心、つまりウペクシャー、聖無頓着の意識。
 私が、今、お話しできることは、以上です。

 これだけをしゃべり終えると以後は口を噤んだ。事件については何も触れなかった。当然ながらこの意見陳述に対して、日本中の多くの人があきれ、そして怒り狂った。番組に出演している識者やコメンテーター、ジャーナリストのほとんどは、「まだ教祖気取りでいるのか」とか「狂暴なうえに卑劣だ」などと、激しい批判を口にした。
 二十四日夜は、施設のすぐわきの農道に停めた車の中で一泊した。明けて翌朝、上空を舞う複数のヘリコプターの爆音を聞きながらサティアンに向かい、警察の検問を受けてから男性信者の部屋を訪ねると、憔悴しきった表情の荒木浩が、昨夜からずっとスイッチが入ったままのテレビの前に座り込んでいた。特別番組体制はまだ続いていた。昨日の意見陳述の内容が話題になっていたらしく、司会者の横の席に座ったコメンテーターが、これ以上ないというほどに激昂している。そのときの台詞は今もはっきりと覚えている。
「法治国家をバカにしているよ。とにかくまともに相手をするような奴じゃないね」(書きながらふと思う。法治国家をバカにしていると怒り狂っていたこのコメンテーターは、その法治国家の原則を大きく踏み外した麻原裁判については、何と論評するのだろう)
 僕のカメラのレンズにふと視線を向けた荒木浩は、無言でチャンネルを変えてから、「評判悪いですね」と吐息をついた。
「評判は昔から最悪ですよ」
 ファインダーに右目を当てながら僕がそう言ったとき、椅子の上で蓮華座を組みながらテレビを眺めていた男性信者が、「弟子に対するマハームドラーですよ」とつぶやいた。
 このときの僕は、マハームドラーなるサンスクリット語の意味がわからなかった。それを察したのだろう。レンズに視線を向けた男性信者は、ゆっくりとした口調で説明してくれた。
「グルとはこういうものだとの弟子たちの思い込みが、こうしてがしゃがしゃに崩れ去りますよね。それでもまだ、グルについてゆけるのか、あるいは失望して去ってゆくのか、その試練のようなものです。観念崩しですね」
 そう説明した彼に、僕は「あなたは?」と訊ね、「私はこの程度では揺れません」と彼は答えた。
「私はもう、グルがどんな人間であろうとかまわないと思っていますから」
「仮に麻原被告が法廷で土下座して『私だけは助けてくれ』と泣き叫んだとの報道があっても?」
「ええ。揺れません」
「それはその報道を信じないから?」
「いえ、目の前で見たとしても、です」
 言いながら彼は、再びテレビ画面に視線を送る。逮捕時の麻原の様子の再現映像だ。麻原役の吹き替えの声優がとても大仰で、まるでアニメの『まんが日本昔ばなし』でも見ているようだ。僕はカメラのスイッチを切った。そろそろ昼になる。開け放たれた窓からは鳥の声が聞こえてきた。

 一九九七年六月二十四日、地下鉄サリン事件実行犯である端本悟の公判に証人として出廷した早川紀代秀は、「坂本弁護士事件が起きた頃、信者たちはマハームドラーをかけられるとよく言っていた」と証言した。さらにマハームドラーについては、「弟子のいちばん弱い、嫌なことをグルが要求する。親とか子とか恋人とかとの情を切るような苦しいことをさせる。それに耐えられるような修行をする」ことだと述べている。
 また端本も、同年九月十九日の麻原彰晃の法廷での弁護側反対尋問の際に、坂本弁護士の殺害計画は、「グルが弟子の修行を進めるために仕掛けている『マハームドラー』の修行だと考えていた」と証言している。
 宗教学者である島田裕巳は『オウム―なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』で、特に弟子たちの中では最も早く成就したとされる石井久子に対して麻原が行ったマハームドラーについて、「もはや修行ではない。それは精神的な拷問に近いものだった」と記述している。
 グルによる弟子たちへの試練。このマハームドラーについて考えるとき、僕はいつも、芥川龍之介の『杜子春』を思い出す。

 ある春の日暮れ、洛陽の西門の下に杜子春という若者が一人佇んでいた。金持ちの息子だった彼は、放蕩が過ぎて財産を使いきり、今は惨めな生活になっていた。
 たまたまその門の下を通りかかった不思議な仙術を使う老人に、杜子春は大金持ちにしてもらう。しかし浪費癖がおさまらない杜子春は、結局は三年後に財産を使い果たし、また西門の下で出会った老人に金持ちにしてもらう。再びその金を使い果たした杜子春は、三度目に老人に出会ったとき、もう金はいらないから自分も仙人にして欲しいと懇願する。この願いを承諾した仙人は、険しい山中に杜子春を連れてゆき、絶壁の下に座らせてこう告げる。
「私はこれから天上へ行って西王母(西域の果てに住むという女神)に会ってくる。おまえはその間、ここに座りながら帰りを待っていろ。ただし、どんなことが起きても、決して声を出してはならない」
 残された杜子春の眼前に、巨大な虎や白い蛇、雷鳴などが襲いかかるが、杜子春は師との約束を守って一言も声を発さない。最後には三叉の矛を持った神将が現れて杜子春の胸を突き刺すが、杜子春は声を発さないまま死んでゆく。
 地獄に落ちた杜子春の魂は、閻魔大王の前でも沈黙を通したために怒りにふれ、畜生道に落ちていた両親の魂が引き立てられ、二人は鬼たちに鞭打ちで責められる。一言声を発しさえすれば両親は助かるのだが、やはり杜子春は口をつぐんだままだ。そんな杜子春に、苦しみながら母親は声をかける。
「心配をおしでない。私たちはどうなっても、お前さえ幸せになれるのなら、それより結構なことはないのだからね。大王が何と仰っても、言いたくないことは黙っておいで」
 この言葉にたまりかねた杜子春は、ついに「お母さん」と叫んでしまう。

 物語では、叫んだ次の瞬間に杜子春は現実へと引き戻され、一部始終を観察していた老人は、もしもこれ以上黙り続けていたらおまえを殺すつもりだったと杜子春に告げる。
 芥川版『杜子春』は子供向けに書かれているため、最後には教育的な結末に落ち着くが、オリジナルである中国の『杜子春伝』には、自分の子供を殺す場面など、凄絶で過剰な暴力性と背徳性に満ちている。いずれにせよ、杜子春が与えられたこの試練は、まさしくマハームドラーだ。
 このマハームドラーの例として麻原が説法で頻繁に引用したのは、チベット密教カギュ派に伝わるティローパとナローパの物語であることを、島田裕巳は『オウム』で指摘している。一九八八年十月六日の説法で麻原は、こんなふうに話を切り出している。

 インドの成就者ティローパが、弟子のナローパに対して、「ああ、スープが飲みたい」と。「キノコのスープが飲みたいなあ」と。そうすると弟子のナローパは一生懸命、骸骨の器を持って、そのキノコのスープを、もらいにいくと。

 このあとの説法を要約する。その後もティローパはキノコのスープを飲みたいと何度もナローパに言い続け、ついにナローパはスープを師のために盗もうとして、結局は見つかって袋叩きに遭う。また二人で高い塔に登ったとき、「私の弟子はここから飛び降りるだろう」とのティローパのつぶやきを耳にしたナローパは、すかさず塔の天辺から飛び降りて瀕死の重傷を負う。
 これらはすべて、ナローパが過去に起こした殺生のカルマを切るためにティローパが仕掛けたマハームドラーだったのだと、麻原は解説する。そもそもナローパがティローパに初めて会ったとき、ティローパは魚を焼いて貪り食べていた。聖者にあるまじき行為だとあきれながら「何をしているのか」と訊ねたナローパに、「魚に生まれ変わってしまった魂をより高い次元に導いている」とティローパは答えたという。つまりポアだ。
 また九五年の説法で麻原は、聖者として著名になったナローパがある国の王に招かれたとき、王宮の敷地で毎日のように鹿狩りを行い、なぜ聖者が殺生をするのかと王を激怒させたという話を披露している。
 麻原はこの殺生の理由について、そもそも鹿は仏教の象徴的動物であるとしながら、王宮に住む鹿は動物の世界に没入しているので悪行を落とす機会もなく、ナローパは精神集中をしながらこれを一匹ずつ殺し、来世において自分の弟子として転生させる「ポア」の技法を使ったのだと説明した。

 何度も言うように、これらは聖者たちが「ポア」を行える高いステージにあるという前提で展開されたもので、聞く側も同様の実践が自分にできるなどという傲慢な考えなど持っていなかったはずである。無差別殺人を容認するにはそこを超えるさらなる原動力が必要だが、実は、それもまたこの説法会に求めることができる。
『オウムはなぜ暴走したか。』早坂武禮

 そう書いてからかつての側近だった早坂は、その原動力はやはりマハームドラーだったと記述する。ただしマハームドラーをオウム犯罪の方程式に代入したとしても、「地下鉄にサリンを撒く姿を想像しても、どうしても超えられない一線が出てくるのである」と悩んではいるが。
 いずれにせよ、「これは試練である」との回路にいったん嵌り込むと、論理的にはもう出口はない。なぜならそれが無理難題で自分の生理や感覚に反することであればあるほど、マハームドラーは強固なものになるからだ。
 それでなくとも日本の組織共同体は、上意下達の傾向が強い。この組織原理にマハームドラーを重ねれば、絶対服従の回路はさらに強靱に固定される。

 つまりさんざん苦しませて、死ぬ寸前というか極限までもっていって、最後に温かく「よく頑張ったね」って声をかけるんです。するとそれでみんな、「ああ、自分は与えられた試練を超えることができたんだ。グルよ、ありがとうございます!」って思うわけです。
『約束された場所で』村上春樹「増谷始のインタビューから」

 タントラ・ヴァジラヤーナについて一般の信者に訊ねても、「その教義は、もっとステージが上がらないと教えてもらえないんです。だから私にはよくわかりません」との返答がほとんどだった。十人以上になる地下鉄サリン事件の実行犯(運転手役も含む)のうち、幹部信者は半分もいない。その幹部信者にしても、タントラ・ヴァジラヤーナを実践できるようなレベルではない。
 地下鉄にサリンを撒いたり、ボツリヌス菌培養の作業に従事したり、幾つかの殺人事件に加担させられた弟子たちの視点に立てば、自らの違法行為を整合化できる教えは、やはりマハームドラーであってタントラ・ヴァジラヤーナではない。車の両輪との見方もできるが、どちらかといえばマハームドラーの車輪のほうに、駆動力はより密接に繫がっていたと思う。
 ただし弟子ではなく麻原彰晃の動機における大きな領域は、(広瀬が指摘するように)人の命を奪うことを救済と位置づける「タントラ・ヴァジラヤーナ」だったと考えるべきだろう。なぜなら試練であるマハームドラーを仕掛けるのはグルである麻原彰晃であり、彼が仕掛けられることは基本的にはありえない。
 ただし「基本的には」だ。例外がなかったわけじゃない。時には信者同士でマハームドラーをかけ合うということはあった。また面会時に早川紀代秀が、「神々がグル麻原にマハームドラーを仕掛けたということは考えられますね。もちろんこれは、グル麻原がそう思っていた、ということですけど」と言ったことがある。これについては後述するが、もしも麻原も神々からのマハームドラーだと考えていたのだとしたら、誰もが(ホロコーストに加担した理由を「命令されたからやった」と法廷で証言した)アイヒマン状態だったということになる。
 オウム裁判における検察の主張と連携するかのように公安調査庁も、一貫してタントラ・ヴァジラヤーナの危険性を訴え続けている。しかし唯一のグルである麻原が拘束されて精神が瓦解した可能性が高い現在、タントラ・ヴァジラヤーナが新たに発動する可能性は、論理的にはとても低いはずだ。でも麻原によって仕掛けられたマハームドラーの回路は、個々の信者の意識の内奥で、いまだその封印を解かれないまま燻り続けている可能性がある。仕掛けた当人の麻原が何も言わないまま処刑されれば、永劫の回路に閉ざされることになる。
 一九八九年十月五日の説法で麻原は、インドに流入したイスラム教徒によって無抵抗の仏教徒が激しい迫害を受けたとき、タントラ・ヨーガを信奉する一派が仏教徒を救い、その帰結としてインドにおける仏教はヒンドゥー教へと変わっていったと述べている。大筋においてこの歴史認識に誤りはない。十三世紀にインド北部から進出してきたイスラムの軍隊は、多数の寺院を破壊し、抵抗しない僧侶たちを殺戮した。このとき一部の仏教徒がこれを末法の時代と解釈し、イスラム教を調伏してインド仏教を再興する時輪タントラ(カーラ・チャクラ)が生まれている。このときに戦うことを決断したタントラ・ヨーガを信奉する一派に、麻原が自分たちを重ね合わせていた可能性はある。ただしそれは、自分たちは滅ぼされるとの危機が現実になって初めて正当性を付与される。
 島寿司の中島英夫が言ったように、「教祖様でハーレムみたいな感じで楽に生活できた」はずのこの時期に(実際にこの時期には教団内に愛人は多数いたようだ)、そんな地位と生活に充足できないほどの危機感を、麻原はいつ、どのように、抱き始めていたのだろう。

『A2』撮影時、ほとんどのオウム施設には、シヴァ神の巨大な絵が置かれていた。絵心がある信者が描いたと説明されたが、まるで少女マンガに出てくるキャラクターのようなタッチで、目にするたびにとても違和感があった。
 オウムの主神であるシヴァ神は、創造神であるブラフマー、維持神であるヴィシュヌと並び、ヒンドゥー教では破壊を司る最高神のひとつだ。この三神は一体であるとの教義もある。
 破壊を体現するシヴァ神を崇拝しているということも、オウムが狂暴な組織であるとのイメージを増幅させた。ただしシヴァ神は、破壊だけではなく創造の神でもあるという二面性を持つ。だからこそインドでは今も、シヴァの子供とされるガネーシャも含めて、最も人気のある神様として民間信仰の対象とされている。またシヴァの別名であるマハーカーラ(大いなる暗黒)を意訳して、日本では七福神のひとつである大黒として、シヴァは崇拝されている。
 現在のヒンドゥー教徒のおよそ二〇%と推測されるシヴァ派には、さらにパーシュパタ派という古い宗派がある。日本語訳では獣主派。なんだか剣呑な名前だ。この宗派の特徴は、多くの人々が忌避したり嫌悪したりする言動を、修行として自ら積極的に行うということだ。
『ヒンドゥー教の事典』(東京堂出版)によれば、パーシュパタ派の行者たちは、死体を焼いた灰を身体に塗りつけたり、頭蓋骨を食器の代わりに用いたり、公衆の面前で奇声を発したり意味のない笑いを発したりすることで、自らの修行を進めたという。つまり人々の侮蔑や嘲笑を浴びることを苦行とした。
 麻原は説法で、仏教における六波羅蜜には忍辱(他から与えられる苦しみや辱めに耐えること)の修行があることに何度か言及している。パーシュパタ派の行者たちが多くの人の前でわざと奇行に走る理由も、忍耐心を強化するためとされている。ただし六波羅蜜には、わざわざ軽蔑や嘲笑を浴びるような行いをせよなどの記述はない。そしてパーシュパタ派にしても、多くの人に危害を加えよなどとは決して言っていない。つまりこれらの奇天烈な教えは、暗喩として解釈すべきという余地はまだ残されている。

 一九八九年一月二十日の説法で麻原は、大乗とタントラ・ヴァジラヤーナにおける修行の違いを、目的地に向かって自らの足で走るか新幹線に乗って行くかの違いに喩えている。当然ながら新幹線のほうが圧倒的に早い。でも特急券を買わなくてはならない。つまり対価が必要となる。この少し前から、説法ではポアによる殺人について何度か言及はしているけれど、あくまでもまだ暗喩のままだ。ところがこの暗喩が直喩になった。
 富士山総本部道場を開設してすぐに、麻原にとって思いもかけないハプニングが起きる。信者の一人である真島照之が修行中に死亡したことだ。
 早川の記述によれば、(普段は生活をともにしていない)在家信者である真島が道場に来ていた理由は、薬物中毒を治すためだったという。だからこそ突然変調をきたした真島に対処する方法がわからず、駆けつけてきた新実や岡崎などの幹部信者も含めて、ただおろおろするばかりだった。
 このときの状況について早川は面会の際に、「麻原も相当に取り乱していたような記憶がある」と僕に言った。やっと総本部道場が竣工した。しかも法人認証手続きも進んでいる。でもこの事故死のことが公になれば、教団の成長にとって大きな阻害要因となる。つまり危機だ。ならば暗喩を直喩に転換するしかない。前述したように早川はこのとき、「これはヴァジラヤーナへ入れとのシヴァ神からの示唆だな」と麻原がつぶやいたことを、共著書『私にとってオウムとは何だったのか』で記している。
 結果的にはこの事故とその隠蔽が、出家信者である田口修二殺害事件へと連鎖する。こうして萌芽した危機意識は、その後に少しずつ肥大する。その意味では、あくまでもハプニングではあるけれど真島の事故死は、その後の麻原とオウムの変化を考えるうえで、きわめて重要なエポックだ。
 でも萌芽した危機意識は、水と養分を与えられなければ成長はしない。麻原の危機意識は明らかに肥大した。それも急激に。真島事故死の翌年である一九八九年には、初めての殺人である田口修二殺人事件と坂本弁護士一家殺害事件が起きている。ならば考えねばならない。この水と養分を、麻原はどこから得ていたのかを。

 早川紀代秀からの手紙は、今回も手描きのイラスト入りの便箋に書かれている。イラストは朝日が昇った直後のような田園風景だ。富士山がそびえ、その手前に二棟の大きな建物が描かれている。イラストの説明はないから推測するしかないけれど、これは上九一色村の旧サティアンか、富士宮の富士山総本部を表しているのだろう。
 その手紙の文面を読み進めながら、とても気になる記述に気がついた。

A3 目次

『A3』無料公開にあたって
プロローグ
1 傍聴
2 封印
3 面会
4 弁明
5 弁護
6 故郷
7 真宗
8 記憶
9 拒否
10 手紙
11 暴走
12 鑑定
13 信仰
14 鏡像
15 集会
16 父親
17 詐病
18 棄却
19 姉妹
20 船橋
21 刑事
22 迷路
23 孤立
24 死刑
25 視力
26 抗議
27 試練
28 生殺
29 統制
30 独房
31 受容
32 特異
エピローグ
文庫のための新章 残像
参考文献・年譜・オウム真理教組織図
解説

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森達也(映画監督・作家)

‘98年にドキュメンタリー映画『A』を公開。ベルリン国際映画祭などに正式招待される。2001年、『A2』が山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。2011年に『A3』が講談社ノンフィクション賞を受賞。2016年、映画『Fake』を発表。

『A3』

2012年に集英社文庫から出版された『A3』(上・下)を全文公開します。
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