1 傍聴

(二〇〇五年二月号)

 二〇〇四年二月二十七日、元オウム真理教の教祖である麻原彰晃被告に、東京地裁一〇四号法廷で死刑判決が下された。
 被告席に座る麻原は、時おり発作のように浮かぶ満面の笑みらしき表情も含めて同じ動作の反復を、最初から最後まで続けていた。頭を搔き、唇を尖らせ、何かをもごもごとつぶやいてから口のあたりに手をやり、それからくしゃりと顔全体を歪めるのだ。その瞬間の表情は笑顔のようにも見えるし苦悶のようにも見える。順番や間隔は必ずしも規則的ではないし、頭ではなく顎や耳の後ろを搔く場合もあるけれど、基本的にはこれらの動作を、ずっと反復し続けている。
 傍聴席の前から三列目の椅子に座りながら、僕は声を発することができずにいた。もちろん不用意に声など発したら、即座に退廷を命じられるだろう。でもそれだけが理由ではない。仮にこれが法廷ではなく路上だったとしても、僕はやっぱり彼を凝視したまま、その場で動けなくなっていたはずだ。
 昼の休廷時、地裁二階の記者クラブのブースで、傍聴券を用意してくれた共同通信社の記者から幕の内弁当を手渡されたが、どうにも箸は進まない。胸の中に大きな塊がつかえているような感覚だ。ほとんど手つかずの弁当を包装紙で包み直して部屋から出ると、旧知の司法担当記者と通路で擦れ違った。これまでに何十回も麻原法廷を傍聴している彼は、初めて傍聴する僕に、「午前と午後とでズボンが替わっていることなんてしょっちゅうですよ」と教えてくれた。
「失禁してるということ?」
「他に理由がありますか」
 喫煙室に行けば、知っている顔が何人かいた。部屋の隅に置かれたテレビ画面は、この地裁の正面玄関前からのライブ映像だ。マイクを手にしたレポーターが何事かを興奮気味にしゃべっているが、ボリュームが小さくて言葉の内容まではわからない。喫煙室でタバコを口の端にくわえる男たちは一様に物憂げな表情を浮かべながら、その画面をぼんやりと眺めている。誰もボリュームを上げようとはしないし、チャンネルを変えようともしない。それはそうだ。聞くべきことなど何もないことを彼らは知っている。それにおそらくはほとんどの局が、角度や向きを少しだけ変えながらも、ほぼ同じような画面のはずだ。
 数時間後に裁判長は判決を読みあげる。その内容は誰もがすでに知っている。死刑以外はありえない。でもテレビは特番態勢だし、夕刻には街で号外が配られる。明日の朝刊は間違いなく一面大見出しだ。何か変だよな。おそらく誰もがそう思っている。でも抗えない。濁流の真ん中で小さな木切れにしがみつきながらずっと流されてきた人のように、喫煙室でタバコの煙をくゆらせる男たちの表情には、消耗した諦観が澱のように浮かんでいる。
「傍聴ですか」
 声に顔を上げれば、知り合いの社会部記者だ。
「ここで森さんに会うのは初めてですね」
 言われてみれば確かにそうだ。これまで傍聴の機会がまったくなかったわけじゃないけれど、映像をメインの仕事にしていたから、カメラを持ち込めない法廷は自分のテリトリーじゃないと考えていた。だから傍聴の依頼もすべて断っていた。でもならば自分は、なぜ今日この場にいるのだろう。なぜ依頼を受けたのだろう。考えながら僕は言った。
「だって、これを逃せば、もしかしたら生身の麻原にはもう会えなくなるかもしれないし……」
 控訴審では被告の出廷は義務づけられていない。ならばずっと沈黙を守る麻原が、今後は出廷しなくなる可能性は充分にある。一度くらいは見ておきたい。その思いは今回傍聴することを決めた大きな理由のひとつだけれど、でも「ナマミのアサハラ」と言葉にした瞬間、隠していた自分の卑しさが、口の端から滴となって洩れ落ちたような気分になった。数秒の間を置いてから、記者はタバコの先を灰皿に押しつけた。
「で、どうですか。初めての傍聴の感想は?」
「……どう見ても正常な状態とは思えないのだけど」
 曖昧にうなずきながら、記者は少しだけ遠い目になった。二本目のタバコに火をつけながら、「もうダメでしょうね」とつぶやいた。僕は訊いた。
「詐病の可能性は?」
「英語や訳のわからないことをしゃべりだしたときは、その可能性を言う人も確かにいたけれど……あれはもう詐病のレベルじゃないですね」
 かつてテレビ・ディレクターだった頃、精神病院を取材したことが何度かある。同じ動作を反復する常同行動は、重度の統合失調症や自閉症などに頻繁に現れる症状のひとつだ。
 もちろん必ずではない。他の精神障害でこの症状が現れる場合もあるし、統合失調症でもこの症状が現れない場合もある。何よりも被告席の麻原は「壊れていた」ように僕には見えたけれど、「壊れている」との一〇〇%の断定は、たとえ精神鑑定の専門家であってもできない。なぜなら人の意識の内側は覗けない。測定などできない。だから臆測で語るしかない。つまり麻原が「罪を逃れるため」精神の混濁を装っているとの可能性を全否定することは、今のところはできない。
 その意味では、ここまでの文章は相当にリスクが大きい。近い将来において、「そろそろ気が違ったふりはやめにする」と彼が雄弁に語りだす可能性は、(きわめて低いとは思うが)残されている。
 でも少なくとも法廷における麻原の挙動は、刑事司法においては精神鑑定の対象となって当たり前の意識状態を表している。今の彼に、訴訟の当事者になれる能力があるとは、とてもじゃないが思えない。ところが彼が逮捕されてから現在(二〇〇四年二月二十七日)まで、精神鑑定はただの一度も為されていない。
 僕の記憶では、一度だけ弁護団が仄めかしたことがある。でもいつのまにか消えた。その理由はわからない。詐病の可能性は確かに否定できない。でも弁護士や家族を含めて一切の接見や面会を、麻原は一九九七年から拒絶している。ここ数年は家族とは面会しているようだが、会話は一切交わしていない。つまり二〇〇四年であるこの時点まで七年間、彼は誰とも口をきいていないのだ。もしもこれが演技でできるのなら、その精神力の強靱さは並ではない。まさしく怪物としか思えない。
 午後の法廷も状況は変わらなかった。判決理由の朗読は四時間あまり続いた。主文言い渡しの前に、小川正持裁判長は麻原に起立を命じた。しかし麻原は動かない。まったく反応しない。八人の刑務官が麻原を囲み、両腕を取って引き起こし、証言台の前に引き立てた。
 麻原はゆらゆらと揺れている。刑務官たちがそっと手を離す。まるでバランスの悪い積み木細工のようだ。その瞬間、裁判長が主文を読みあげた。
 すべては予定どおり。死刑以外の判決などありえない。でも裁判長が「被告人を死刑に処する」と言い終えると同時に、傍聴席に座っていた記者たちは、脱兎のごとく廊下へと駆け出した。たぶん裁判所前の仮設テントではそれぞれのテレビ局の記者が、「死刑です死刑です。今、死刑判決が出ました!」とカメラに向かって絶叫しているのだろうと考えながら、僕は傍聴席に座っていた。
 何から何まで破格の裁判だった。
 この日の傍聴希望者四六五八人(傍聴席は九十六席)は、日本の裁判の歴史において(この時点で)、三番目に多い人数だ。裁判所周囲には四百人もの警察官が配備され、拘置所から麻原を護送する早朝には(混乱を回避するために)ダミーの護送バスが使われた。ちなみに日本の裁判史上で、最も傍聴希望者が多かったのは、麻原の初公判で記録された一万二二九二人だ。そして第二位は初公判翌日の麻原第二回公判(五八五六人)。つまりベスト3すべてを、麻原裁判が独占した。
 海外でも多くのメディアがこの判決を報じている。ロイター通信は「地下鉄サリン事件を指揮した日本のカルト教団元教祖に死刑が言い渡された」と報道した。新華社通信は「邪教オウム真理教指導者の麻原彰晃に死刑判決」と至急電で伝えた。イタリアのANSA通信は、東京地裁開廷直後の午前十時七分に「死刑判決」と報道し、八分後にニュースを取り消した。かつて教団が活動していたオーストラリアでは、公共放送であるABCが夜のニュースでトップの次に大きく報道した。英BBCのニュース専門局も、麻原死刑判決を主要ニュースとしてくりかえし伝え、ドイツの民間ニューステレビ局NTVは、朝八時のトップニュースで地下鉄サリン事件などの映像とともに報道した。
 ここに挙げたのはほんの一部。とにかくほぼ世界中のメディアが、麻原の死刑判決を大きく報道した。ならば国内ではどうか。判決翌日の朝日新聞と産経新聞の記事を引用する。

オウム松本被告に死刑判決 犯行指示認定 弁護団は控訴
 地下鉄・松本両サリンや坂本堤弁護士一家殺害など13事件で計27人を死なせたとして、殺人などの罪に問われたオウム真理教元代表・松本智津夫(麻原彰晃)被告(48)の判決が27日、東京地裁であった。小川正持裁判長は、一連の犯行について松本被告の指示だったと認定。「不特定多数への無差別テロにまで及んだ一連の犯罪は、救済の名の下に日本国を支配しようと考えたもので、極限ともいうべき非難に値する」と述べ、検察側の求刑通り被告に死刑を言い渡した。松本被告の国選弁護団は判決を不服として即日控訴した。
 判決は、13事件すべてを有罪と認定した上で量刑の理由を説明。「動機・目的はあさましく愚かしい限り」「弟子たちにことごとく責任を転嫁し、刑事責任を免れようとする態度に終始した」「被害者・遺族に対する一片の謝罪の言葉も聞けない」などと厳しい言葉で指摘し、死刑で臨む以外にないと結論づけた。(中略) 午後に入って、95年3月に東京の営団地下鉄3路線5車両でサリンがまかれ、12人が死亡、5500人以上が負傷した地下鉄サリン事件について言及した。事件2日前、松本被告と弟子たちが乗ったリムジンの車中で、間近に迫った強制捜査への対応を協議。村井元幹部が「サリンをまけばいい」と提案すると、松本被告は「それはパニックになるかもしれないなあ」と同意し、村井元幹部に総指揮を命じた。遠藤誠一被告にサリン製造を、井上嘉浩被告にも現場指揮を指示し、この時点で共謀が成立したと認めた。
 一審判決まで7年10カ月、公判期日257回という長期裁判だった。これで一連のオウム公判で起訴された189人の一審判決が出そろった。死刑判決を受けたのは12人目となった。
朝日新聞
オウム・麻原被告に死刑判決 「愚か」断罪も薄笑い
 
逮捕から八年十カ月、初公判から七年十カ月。男は何も変わっていなかった。二十七日、東京地裁でオウム真理教の麻原彰晃被告(四八)に死刑判決が下った。宗教の仮面をまとった野望がとうとう断罪された。「残虐非道の首謀者」「あさましく愚かしい」……。法廷には裁判長の激しい非難の言葉が響いたが、「教祖」は最後の最後まで沈黙の殻にこもり続けた。
「死刑に処する」。法廷に響く裁判長の声に麻原被告はみけんにしわを寄せた。この日も刑務官に引きずられるように入廷したり、時折笑顔を見せたりと、ふがいない姿をさらし続けた。
 午後の法廷では頭をかいたり、身を乗り出したり。「ウヘヘ」「イヒヒヒ」。眠るように体の力を抜いたと思うと、時折奇妙な声を出して笑った。(中略)
 裁判長が判決理由を朗読する間、被告は何かをぶつぶつつぶやいていた。捜査のプロは被告の動揺を見逃さなかった。
「『主文を言い渡す』といわれた瞬間、一見、いやいやと首を振るような様子が見てとれた。『被告』という言葉には、何度もビクッとしていた。反省や後悔はしている表情ではなかったが、自分の罪については、認識している」(後略)
産経新聞

 補足するが、引用した産経新聞社会面の記事で、「いやいやと首を振るような様子が見てとれた」「何度もビクッとしていた」「自分の罪については、認識している」とコメントした「捜査のプロ」は、元警視庁幹部で麻原逮捕の際の現場指揮官だった山田正治だ。
 判決のこの日、僕と山田は同じ傍聴席にいた。同じ光景を見ていた。でもこれほどに印象が違う。ある意味で当たり前だ。人は主観からは絶対に逃れられない。見方によってどうにでも解釈できる。ただひとつだけ書いておきたいが、「ウヘヘ」とか「イヒヒヒ」などの声は出していない。そんな「奇妙な声」は、前から三列目に座る僕にはまったく聞こえなかった。だからこれについては、この記事を書いた記者に確認したい。あなたは本当にそんな笑い声を聞いたのですか、と。

 主文を言い渡す直前に小川裁判長は、「被告は、かつて弟子として自分に傾倒した配下の者らにことごとくその責任を転嫁し、自分の刑事責任を免れようとする態度に終始しているのであり、今ではその現実からも目を背け、閉じこもって隠れているのである。被告からは、被害者や遺族らに対する一片の謝罪の言葉も聞くことができない」と厳しく麻原を𠮟責した。
「閉じこもって隠れている」との奇妙なフレーズは、法廷における麻原の態度を形容している。確かに当初は「閉じこもろう」とした可能性はある。でも仮にそうだとしても今の麻原には、「閉じこもって隠れていよう」との意識はない。傍聴席に座りながら僕はそう感じた。そもそも最初に「閉じこもろう」としたときも、その言動は相当に奇妙だった。
 初公判からちょうど一年後の一九九七年四月二十四日、麻原は初めての意見陳述を行った。不規則な言動はこの時点ですでに始まっていたが、とにかくも被告が初めて事件について自ら語るということで、この日の法廷は大いに注目された。起訴状朗読のあと、裁判官に促されての麻原の意見陳述の冒頭を、『オウム法廷4 松本智津夫の意見陳述』(朝日文庫)から引用する。

松本被告 まず地下鉄サリン事件についてお話ししたいと思います。地下鉄サリン事件は弟子たちが起こしたものであるとしても、あくまでも、一袋二百グラムの中の十グラムぐらいのものが、十キロに散布されたものであり、本質的には傷害であるということがポイントであると言えます。そして、私自身の共同共謀につきましては、(九五年三月)十八日の夜、村井秀夫君を呼びまして、とにかくストップを命令し、それが駄目で、十九日にもう一度、これは井上嘉浩君が正しく話していれば、同じようにストップを命令し、そして、結局、彼らに負けた形になり、結果的には、まあ、じゃあ逮捕されるんだろうな、ということで終わっております。で、これは、ディプロマット、検察庁では、これは無罪として認定しています。そして、裁判長も無罪として認定しています。従って、これは本質的に傷害事件が基本となっていますから、弟子たちの求刑そのものが大変減軽されていることは間違いないはずです。
 第二番目、落田耕太郎事件です。落田耕太郎事件は、英語で述べるのでしょうか。いや、英語でもどちらでもいいです。英語だったら英語でいきますが。アイ キャン スピーク イングリッシュ ア リトル。
裁判長 日本語で言いなさい。
被告 日本語ですか。落田耕太郎事件につきましては、もともと保田英明君の、サブウェイ オケージョン イズ……。
裁判長 日本語で言いなさい。落ち着いてね。
被告 オッケー、オッケー。日本語で言いましょう。じゃあ、まず一番初めに、地下鉄サリン事件について、英語で説明します。
裁判長 いや、いいから、日本語で言いなさい、落田事件について言うならね。
被告 サブウェイ オケージョン イズ オンリー テン グラムズ サリン スプレッド メイビー マイ ディサイプル……。
裁判長 日本語で言いなさい。
被告 アンド テン キロメーター アンド ファイブ メーター エアリア……。

 書き写しながらつくづく思うけれど、ほとんどコントか漫才だ。特に「日本語で言いなさい。落ち着いてね」を受けて、「オッケー、オッケー」から「英語で説明します」までの展開は、まるで吉本興業の芸人たちの掛け合いを聞いているかのように絶妙だ。でもこんなやりとりがずっと続けられたのは、なんばグランド花月でもないし新宿末広亭でもない。東京地裁の法廷だ。
 麻原の法廷における言動については、ここで引用した『オウム法廷~』全巻以外にも、『オウム「教祖」法廷全記録』(現代書館)など、数々の書籍が刊行されている。この四月二十四日の意見陳述における圧巻は、十七事件についての説明が終わってからの、麻原と裁判長、弁護人とのやりとりだ。しかしこの部分については(あまりにも意味不明なゆえか)、『オウム法廷~』も含めて僕の手許の書籍では、すべてが部分的に要約されている。以下の引用はインターネットで見つけた。不正確で出典も明らかではないネットを引用に使うことは極力避けるべきだが、他の資料や文献と照合しても齟齬はほとんどなく、また当日実際に傍聴していたメディア関係者に読んでもらったところ、記憶に残る麻原の言葉とほとんど一致するとの言明を得たので、その一部を引用する。

麻原 ……これに関して、検察庁は2カ月であるとし、ハナゾノヨウイチ特別陪審員だけは無罪を主張しましたが、1996年12月23日に釈放を決め、釈放命令が出ています。これは高弟である吉岡君が受け取り、日本のマスコミはすでに報道していたはずなのですが、日本がなくなってしまって残念です。
 このような話を本日、エンタープライズのような原子力艦空母の上で行なうのは、うれしいというか悲しいというか、複雑な気分であります。今、裁判長であられる方、質問があれば受け付けます。どうぞ。2カ月であれ、1年であれ、釈放されているのです。刑事勾留は算入されることになっていますから、半年から1年オーバーしているわけです。ティローパの声が聞こえたが、ティローパは殺人はしていないんだよ。ティローパ正悟師も判決は2年ですから、釈放になっているはずです。
 釈放であるというのは……。
裁判長 ちょっと、聞きなさい。11事件について、あなた先ほど何度かナガハマ、ナガハマって言ってましたけど、これは浜口事件の間違いですよね。他のと見比べても該当するのは、浜口しかない……。
麻原 ん? 浜口。浜口? いえ、これはナガハマ事件だと記憶しています。長浜だと思ってるんですが。ナガハマラーメンなどというのは聞いていません。長浜だと私は記憶しています。
弁護人 ちょっと聞きたいんですが、今の話では、もうすでに検察は無罪、裁判所も無罪を出している、そしてある裁判では間違った、と?
麻原 私が言っているのは無罪ということではなく、傷害事件の1年は、裁判所は1年の刑事勾留はすでに過ぎており、1996年12月23日に釈放と言っているのです。ハナゾノヨウイチ裁判長が――Youichi Hanazono... That time after...
弁護人 じゃあ、あなたの裁判はいったいどうなったんですかっ!
麻原 もう第3次世界大戦は終わってますから、第3次世界大戦はすでに始まっており、日本はもうありませんから、自由であり、本当は子供たちと一緒に生活できるんだよ。ですから、昨日も坂本堤さんのお母さんと、都子さんのお母さんと話しまして、「もう日本はなくなっていて住むことができないから、ここで生活しないといけない」ということを話したわけです。
弁護人 釈放されているのなら、この法廷は何なの?
麻原 遊びだよ。遊び。
弁護人 あなたは先ほどから、1996年12月23日ばかり言っていますが、いったい今日は何月何日だと思っているのですか。
麻原 今日は1997年1月5日か6日であると考えているわけです、私は。みなさん、どうですか、オウム真理教の麻原彰晃が言っているわけですが。
弁護人 そうじゃないでしょう。違いますよ。今日は1997年4月24日ですよ。
麻原 みなさん、違いませんよね。4月24日というのは、なぜそういうかと言うと、それまでに彼らが殺害しようとしているから、殺害計画にはめられているんだよ。
弁護人 先ほどあなたはエンタープライズにいるって言いましたがここは法廷ですよ。
麻原 だから、エンタープライズの「ようなもの」って言ったでしょ。〝Like Enter-prise.〟
弁護人 あなたはなぜ釈放されたのか。
麻原 1年と2カ月は逮捕されて、あなた方と離れてから経ってるよね。つまり、
0・7か0・8かけで計算するわけだよ。……0・6かけとか0・7かけするんだよ。つまり、算入されているんだよ。マハー・カッサパもその計算で釈放されたはずだ。17の事件のうち、16事件は、有罪ではなく無罪なんだよ。
(後略)

 この掛け合いはまだまだ続く。麻原にとっての今の世界を要約すれば、第三次世界大戦はすでに終わり、日本という国家は消滅しているということになるようだ。彼自身はエンタープライズのような原子力空母の上で、自分が無罪判決となったその理由を、世界に向けて演説している。だからこそ、英語と日本語の双方で語らなければならないのだろう。つまり日本語はすでに滅びた言語なのだ。特別陪審員と裁判長の二つの肩書を持つハナゾノヨウイチなる人物は実在していない。そもそも日本の裁判に陪審員はいない。その名前の由来もわからない。
『オウム法廷~』のあとがきで、著者である降幡賢一は、

「もう一度その内容を読んでみると、それは『意味不明』と読み捨てるべきものでは決してなく、むしろ、被告がこの裁判や、問われている犯罪事実に対してどのような姿勢をとっているか、この社会をどのように理解してきたか、そして実際に教団でどのように振る舞ってきたか、などの点について、非常に示唆に富んだものだったことが、あらためて分かるように思えるのである」

 と記したうえで、

「被告の関心は、事件の被害者や、犯罪に巻き込んでしまった弟子たちのことより、まず、自分の無罪釈放だけに集中していたのだ。(中略)このように人々の発想を大きく超えた意表を突く発言をして、自分を誇大に見せるのが、教団の中にあっての松本被告のやり方だったのだろう。教団に引き寄せられた弟子たちは、『教祖』のそうしたやり方に、何か自分たちでは計り知ることが出来ないような、深遠な意味がある、と錯覚して、その前にひれ伏していたのだ」

 と断じている。
 示唆に富んでいるとは僕も思う。「尊師は意表を突く」というフレーズは、確かにこれまで、複数の信者から何度も聞いている。でも「意表を突くことで自分を誇大に見せるという手法を法廷でも使おうとした」との論理展開について率直に書けば、「本気ですか」と言いたくなる。麻原にではない。著者である降幡にだ。
 この意味不明の陳述や弁護人とのやりとりを、「自分を誇大に見せる」ためと普通は解釈するだろうか。法廷を煙に巻くつもりなのだと仮定したとしても、その領域をあまりにも逸脱している。
『オウム法廷~』からほぼ一年後に刊行された『オウム裁判と日本人』(平凡社新書)において降幡は、「ひところ流行語のように言われていた『マインドコントロール』という言葉を、私は(この本においては=引用者註)極力使わなかった」と述べてから、「彼らの『マインドコントロール』とは、決して他人に操作されたのではなく、そのようにして自分を『教祖』に付き従う『修行者』として位置づけ、そのイメージに合うように、自分の意思で自分の心と行動を束縛していたことを言うのだ」
 と記述している。降幡のこの指摘は、オウムが犯した一連の事件を考察するうえで、とても重要な視座を提供している。でもそんなパースペクティブを体得しているはずの降幡ですら、単体の麻原を見るときには、(まるで光が巨大な質量によって曲がるかのように)視野が狭窄したのではないかと思いたくなる。
 二十代の頃、僕は芝居をやっていた時期があるが、もしもこの法廷での麻原の役をアドリブで演じようとしても、まず不可能だ。絶対にテンションを維持できない。間違いなく言葉に詰まる。実際の法廷では数時間にわたってこのコントまがいの意見陳述が続いていた。断言するがロバート・デ・ニーロやロビン・ウィリアムスにだって、アドリブでこの演技は難しい。
 降幡だけではない。『オウム裁判傍笑記』(新潮社)の著者である青沼陽一郎はこの陳述を総括して、「架空の裁判を作り上げ、その結果がそうなっていることだから、と言い訳しながら無罪を主張している。実に稚拙な間接的言い回しで、同時に責任を転嫁した弟子たちからの批難もかわそうとしているずるさも感じられる」
 と記している。確かに弁明や責任転嫁のニュアンスは発言のそこかしこに滲む。でも「稚拙」や「ずるさ」などの語彙だけで切り捨てられるレベルだろうか。その領域を明らかに逸脱している。
 たった一回しか傍聴していない僕が、ずっと傍聴してきた彼らに対して理を諭すのもどうかとは思う。どうかとは思うけれど、この意味不明な言動を目撃したならば、その卑劣さや無神経さを糾弾する前に、いくら何でもこれは普通ではないと指摘することが道理ではないだろうか。
 いずれにせよ、麻原の精神状態は七年前のこの時点で、すでに大きく傾いていた。もっと直截に書けば壊れかけていた。しかしこれを指摘する人はほとんどいなかった。この傾きを少しでも修復させてから裁判を再開しようとの声も、マスメディアのレベルにおいてはまったくあがらなかった。
 正常な意識状態を持たない男を被告席に座らせる裁判など、何も期待できなくて当たり前だ。でも現実にはそうなった。地下鉄に無差別にサリンを撒くことを指示した動機も含めて、事件の本質はいまだに解明されていない。例えば地下鉄サリン事件だけを例に挙げても、いったい誰がこの計画の詳細を決めたのか、実はいまだによくわかっていないのだ。動機すら明らかにされていない。ただし判決において裁判所は、彼らが地下鉄にサリンを散布したその理由を、間近に迫った強制捜査を回避するためと説明した。判決要旨から引用する。

 上九一色村に向かうリムジン車内で、被告人が村井らに、間近に迫っている強制捜査にどのように対応すればいいかについて意見を求めると、村井が、阪神大震災が起きたから強制捜査が来なかったと以前被告人が話していたことに言及し、これに相当する事件を引き起こす必要があることを示唆した。被告人が、井上に何かないのかと聞いたところ、井上は、ボツリヌス菌ではなくてサリンであれば失敗しなかったということなんでしょうかという趣旨の意見を述べ、村井もこれに呼応して地下鉄にサリンをまけばいいんじゃないかと発言。被告人は、首都の地下を走る密閉空間である電車内にサリンを散布するという無差別テロを実行すれば阪神大震災に匹敵する大惨事となり、間近に迫った教団に対する強制捜査もなくなるであろうと考え「それはパニックになるかもしれないなあ」と言ってその提案をいれ、村井に、総指揮を執るよう命じた。続いて、村井が、被告人に、地下鉄電車内にサリンを散布する実行役として、近く正悟師になる林泰男、広瀬、横山及び豊田を使うことを提案すると、被告人は、これを了承し、林郁夫も実行役に加えるよう指示した。さらに、被告人が遠藤に対し、「サリン作れるか」と聞くと、遠藤は「条件が整えば作れると思います」と答え、サリンの生成に携わることを承諾した。

 地下鉄におけるサリン散布を実質的に決定したといわれるこのリムジン謀議は、麻原の側近中の側近といわれた井上嘉浩の証言で成り立っている。地下鉄サリン事件が起きる二日前である一九九五年三月十八日の深夜、阿佐谷にあった教団経営の食堂「識華」で正悟師昇格の弟子たちを祝う食事会が行われた。会が終わってから上九一色村のサティアンに戻るリムジンに、麻原と村井秀夫、遠藤誠一、井上嘉浩、青山吉伸、石川公一ら六人の幹部が乗り込んだ。このリムジン車中で、強制捜査を回避するためにサリンを散布しようとの謀議が麻原主導で行われたとする内容だ。一九九六年九月二十日の公判で、井上は以下のように証言している。

 松本智津夫氏の面前で、村井秀夫さんが「地下鉄にサリンをまけばいいんじゃないか」と提案した。私は「硫酸をまけばいい」と発言したが、松本氏は「サリンじゃないと駄目だ」と話し、村井さんに「おまえが総指揮でやれ」と指示した。さらに遠藤誠一さんに「サリンを作れるか」と聞き、遠藤さんは「条件が整えば作れるのではないでしょうか」と答えた。

 確かにこの証言を全面的に信用すれば、麻原の共謀共同正犯は揺るがない。でもこのときにリムジンに同乗していた弟子たちの多くは、井上が主張したこれらの会話のほとんどについて、「(自分は)聞いていない」と証言している。最初にサリン散布を主張したとされる村井は、サリン事件からほぼ一カ月後の四月二十三日に刺され、翌二十四日に死亡している。遠藤は「サリンを作れるか」と訊かれたことは認めたが、他の会話については否定している。石川もこんな会話はなかったと証言している。さらに謀議についての検察側の構図を唯一裏づける井上の証言は、その後の法廷では「リムジン車中では決まらなかった。上九到着前、(麻原)被告人に『瞑想して考えろ』と言われた」とか「教団の中で日常的にくりかえされている冗談話に過ぎず、何も決まっていなかった」などと二転三転し、第一五回公判では「常識からみると、空想的、絵空事の話はオウムではよくあった。(中略)リムジンの中ではサリンを撒く話は現実問題になっていない。指示がなかったから」と証言している。つまり車中で具体的にサリン散布計画が決まったとの自らの証言を、そのあとに自分で何度も否定している。
 リムジンに乗り込んだ理由について井上は、妻や子供たちとリムジンに乗り込もうとしていた麻原に「お話があるんですが」と話しかけたところ、「じゃあ、おまえも乗ったら」と言われたからと述べている。こうして、いったんは乗車していた家族たちを降ろし、村井、遠藤、青山、石川と井上がリムジンに乗り込んだ。このとき麻原に「お話があるんですが」と話しかけた理由を井上は、
「食事会で(麻原から)強制捜査の話を聞かされて、これは当時騒がれていた仮谷(清志氏監禁致死)事件で指紋を残した松本剛の指紋を消しておかなければならないと私なりに決意し、麻原から松本の指紋削除について許可をもらいたいと考えた」
 と述べている。しかし食事会に同席していた遠藤と石川は、会の最中に強制捜査の話などまったく出なかったと証言している。また指紋を削除された松本、および中川智正、さらに指紋削除の手術を担当した林郁夫らは、リムジン謀議前日である三月十七日夕方の時点で井上から林に指紋削除の手術の依頼があったことを証言している。つまり十八日に指紋削除を思いついたとの井上の証言は、虚偽である可能性がきわめて高い。
 他の多くの信者から矛盾だらけであることを指摘された井上証言について、さすがに検察論告は、「本件(地下鉄サリン事件)当時の井上の地位、本件前後の井上の行動などからすると不自然で、すでに死亡した村井に責任転嫁して、本件において村井に次ぐ現場指揮者という重要な立場にあった事実を隠蔽、または歪曲化しようとしている」と、虚偽である可能性が高いことを認めている。ところが「事実を隠蔽、または歪曲化しようとしている」ことを認めながら、「被告人(麻原)との共謀に関する証言部分については、十分な信用性が認められる」としている。「信用性が認められる」とするその根拠はまったく示されていない。趣旨が破綻している。しかし一審判決はこの検察論告をほぼそのまま採用して、麻原の共謀共同正犯を認定している。
 資料を読みながら訳がわからなくなる。まるで不思議の国で行われた裁判だ。被告人はハートのジャック。裁判官はハートのキングとクイーン。陪審員はグリフォンやトカゲ。証人は三月ウサギと帽子屋、そしてアリス。
 法廷ではジャックがタルトを盗んだ確かな証拠として、ジャックが書いた(意味不明の)詩を白ウサギが朗読する。聞き終えたキングは、「かくも重要なる証拠物件は前代未聞じゃ」と言ってから陪審員に評決を求めるが、思わずアリスが声をあげる。

「もしだれか、これを説明できるひとがいたら」と、アリスは言いました。(この数分でとても大きくなっていたので、王さまの話のじゃまをするくらい、こわくもなんともなかったのです。)「そのひとに六ペンスあげるわ。あたしは、そんなものに意味なんかひとっかけもないと思うけど。」
 陪審員たちはみんな石板にむかって、「彼女は、そんなものに意味なんかひとっかけもないと思う」と書きつけましたが、詩の説明をやってみようとする者はただの一ぴきもいませんでした。
「もしそれに何の意味もないのであれば」と、王さまが言いました。「おおいに手間がはぶけてけっこうではないか。あれこれ意味を探さんでもすむのじゃからな。しかし、まだわからんぞ。」王さまはそう言いながら、ひざの上に詩をひろげ、片目でじっと見つめました。「どうやら、いくらか意味が見えてきたようじゃ。『わたしが泳げないことをしゃべってしまった』とある。そちは泳げなんだな?」王さまはジャックのほうをむいて、そう言いました。
 ジャックは悲しそうに首をふりました。そして「泳げそうに見えるでしょうか?」と言いました。(もちろん見えっこありません。すっかり紙でできていたのですから。)
(中略)「では、陪審員は評決を答申せよ」と、王さまは言いましたが、そう言うのは、もう二十回めくらいでした。
「だめ、だめ!」と、女王さまが言いました。「宣告がさき――評決はあと。」
「そんなの、めちゃくちゃよ!」と、アリスが大声で言いました。「宣告をさきにやるなんて!」
「だまれ!」女王さまは、顔を真っ赤にしてそう言いました。
「いやよ!」と、アリスは言いました。
「こやつの首をはねろ!」女王さまは、声をかぎりにそうさけびましたが、誰も動こうとはしませんでした。
『不思議の国のアリス』ルイス・キャロル 脇明子訳(岩波少年文庫)

 リムジン謀議の矛盾と虚偽性は、他の観点からも指摘できる。同乗した側近も含めて多くの幹部信者たちが、サリンを撒いたところで強制捜査がなくなることなどありえないし、むしろ早まる可能性があると考えていたと証言しているのだ。確かに普通は、この判断のほうがまっとうだと僕も思う。
 一九九八年九月十七日の麻原法廷第九〇回において弁護団は、「検察側の冒頭陳述と立証との間に生じた食い違いが深刻化している」として、冒頭陳述の修正を求める意見陳述を行った。さらに鑑定書や実況見分調書などの検察側請求証拠二十五点については、「刑事訴訟法の要件を満たしていない」として、その採用に異議を唱えるという異常な事態になった。
 特に弁護団が強調したのは、一九九六年に逮捕された林泰男が法廷で述べた「地下鉄サリン事件は、その五日前に仕掛けられた霞ケ関駅アタッシェケース事件(霞ケ関駅の構内にボツリヌス菌散布を目的にして三個のアタッシェケース型噴霧器を置いた事件。ただし中には水が入っていたとされている)の焼き直しとして急遽考えられたものと自分は解釈している」と、「地下鉄サリン事件後の九五年四月十二日頃から、今度はダイオキシンを撒くという話が出て、日比谷公園・築地・東京証券取引所などの下見をしたり、同月二十六日頃には、新宿で青酸ガスを撒くことが具体的に決まったが失敗し、その青酸ガス事件の後、新宿都庁爆破事件を起こした」との証言だ。
 もしも地下鉄サリン事件がリムジン謀議の帰結ではなく「霞ケ関駅アタッシェケース事件」の焼き直しとして行われたのなら、謀議の内容と明らかな矛盾が生じるし、麻原の役割も大きく変わる可能性がある。また教団に対する強制捜査終了後に青酸ガスを使ったさらなるテロ計画の発案があったということは、強制捜査をなくすために行われたとする地下鉄サリン事件の位置づけを、根本的に見直さねばならない可能性を示唆している。
 ただしこの二つは、あくまでも可能性のレベルだ。僕がもっと重要だと感じたのは、九五年三月十八日未明に「東京の地下鉄で三月二十日朝サリンを撒く」と村井から聞いたとき、「そんなに早くサリンを作れるわけがないと思った」との林泰男の証言だ。他の多くの幹部信者も、同様のことを法廷で証言している。
 彼らが「サリンを作れるわけがない」と思った理由は、九五年一月一日付の読売新聞に「サリンを生成した際の残留物質である有機リン系化合物が上九一色村一帯の土壌から検出された」との記事が掲載されたことに動揺した麻原が、村井を介してサリン生成を担当していた土谷正実や中川智正に、残存サリンや原料のすべてを処分するようにと命じているからだ。
 だからリムジンで謀議が行われたとされる三月十八日の時点において、三月十九日夜までにサリンの精製などできるはずがないと、ほとんどの幹部信者たちは思っていた。ところが検察は、「その際、サリンの中間生成物であるジフロ約一・四キログラムが処分されず、中川智正が(第六サティアンに)隠して保管していた」として、これがサリン精製に使用されたとした。
 いずれにせよ検察の冒頭陳述には、「麻原は強制捜査から教団を守るために残存サリンすべての処分を命じた」と、「リムジン謀議で強制捜査をなくすためにサリンを撒くことを決定した」という二つの矛盾する事実が共存している。たった二日でサリンを一から精製することなど不可能であることは、当時の教団幹部ならほとんどが知っていた(もちろん麻原も)。
 一審判決は、麻原の指示に背いてジフロが隠されていたことを認めながら、
「そのような教団の存続に関わる重大な事柄について、被告人の弟子である村井や井上らが、グルである被告人に無断で事を進めることは考えられない」
 と断定している。弟子たちが麻原に無断で事を進めることが考えられないのならば、麻原が処分を命じたはずの残存ジフロは消える(つまりサリン事件は起こりえない)。そしてジフロが残存していたことを認定するならば、絶対的な支配者として麻原が一連の事件すべてを主導したとの判決論旨が崩壊する。そもそもこの判決でジフロを隠していたとされた中川智正は、麻原法廷第二四回に証人として呼ばれたとき、自分がジフロを隠していたとする井上の主張を(明確ではないが)否定している。
 つまりこの前提では、何をどうやっても二重三重に綻びが出る。
 この矛盾について法廷で林泰男は、「麻原がサリンを作るという意向を完全に放棄していたのなら(弟子たちの行為は)重大な違反になるが、完全に放棄していないとしたらそれほど重大な違反ではないと考えられる」と証言した。要するに、教祖の指示に形としては違反することになっても、教祖の内心を忖度してその意向に沿うのであれば、命令違反も許されるという考え方だ。でもこの場合は、「教祖は意向を完全に放棄したのかしていないのか」を弟子が判断しなくてはならない。つまり絶対的な服従とは言えなくなる。いずれにせよ三月十八日の段階でジフロは残されていた。だからこそ地下鉄サリン事件は起きた。ところがジフロが残されていた理由や背景が、現状ではほとんど解明されていない。
 麻原一審判決における矛盾として、リムジン謀議と残存ジフロの問題をとりあえず挙げた。他にもある。それも微細な要素ではない。戦後最凶にして最大の事件と言われる地下鉄サリン事件の全体像を構築するうえで、決して看過できないほどの矛盾や謎ばかりだ。本来なら判決が下せるような状況ではないはずだ。でも判決は下された。まるで当然のように。だからもう一回、不思議の国で行われた裁判のこの描写を引用したくなる。

「では、陪審員は評決を答申せよ」と、王さまは言いましたが、そう言うのは、もう二十回めくらいでした。
「だめ、だめ!」と、女王さまが言いました。「宣告がさき――評決はあと。」

 もしも麻原が法廷で普通にしゃべることができるならば、これらの矛盾や謎が解明されていた可能性は高い。でも彼の口は閉ざされた。彼が自ら閉ざしたのではない。矛盾や謎を解明すべき裁判所によって閉ざされたのだ。被告席に座りながら脈絡のない(それでいて規則的な)動きをくりかえす麻原を眺めながら、僕はそう確信した。
 その結果としてオウムによる一連の事件は、多くの未解明の謎と副作用ばかりをこの社会に残しながら、急激に風化しつつある。
 中世から近代にかけてのヨーロッパやアメリカで行われていた魔女狩りは、四万人(一説には十万人)もの女性や男性を、裁判で魔女と認定して処刑した。かつてはカトリック教会が主導して行っていたとされていたが、近年の研究(『魔女狩りの社会史―ヨーロッパの内なる悪霊』ノーマン・コーン)などによって、一般民衆が抱く異端者や少数派への憎悪や不安が、大量殺戮における最大の駆動力だったことが明らかになってきた。
 魔女であると断定するためには、魔法を使えることを証明する必要はない。普通と違うだけでよい。理由や根拠はいくらでも後づけできる。教会に行きたがらない女は魔女の疑いがあるとされ、熱心に教会に通う女は偽装した魔女の可能性があるとされた。拷問によって魔女であるとの自白を彼女たちは強要され、それでも自白しないときには自白しないという事実が悪魔の保護下にあることを証明しているとして、やはり魔女と断定された。魔女狩り将軍として有名だったマシュー・ホプキンスは、魔女は水に浮くという言い伝えを根拠にして、両手両脚を縛った容疑者を水に入れた。浮けば魔女として処刑するし、沈めば疑いは晴れるがそのまま溺れ死ぬ。
 これらの裁判は決して密室で行われたわけではない。ほとんどが公開法廷だ。つまり多くの村人や隣人たちがこの判決を追認し、場合によっては強い支持を表明した。
 魔女狩りに限ったことではない。集団となった民意にはそんな残虐な側面がある。近代以前のどの時代にも、あるいは世界中のどの地域にでも、アンフェアで取り返しのつかない裁判はいくらでもあった。多くの孤立した罪なき人が、集団によって正義の名のもとに処刑された。だからこそ近代司法は、「あらゆる被告や容疑者は裁判で有罪が決定するまでは無罪を推定される存在として扱われるべきである」とする無罪推定原則を、デュープロセス(適正手続き)や罪刑法定主義と並べながら、最重要なテーゼと定めている。

刑事訴訟法第三一四条 
1.被告人が心神喪失の状態に在るときは、検察官及び弁護人の意見を聴き、決定で、その状態の続いている間公判手続を停止しなければならない。但し、無罪、免訴、刑の免除又は公訴棄却の裁判をすべきことが明らかな場合には、被告人の出頭を待たないで、直ちにその裁判をすることができる。
2.被告人が病気のため出頭することができないときは、検察官及び弁護人の意見を聴き、決定で、出頭することができるまで公判手続を停止しなければならない。(後略)

 念のために書くが、麻原に対しての刑の免除や減刑をすべきと主張するつもりはない。ただし治療すべきとは主張する。近年の精神医療の進展はめざましい。症状がこれほどに急激に進行したということは、適切な治療さえ行えば劇的に回復する可能性が大いにあるということを示している。ならば治療してある程度は回復してから、裁判を再開すればよい。きわめて当然のことだと思う。ところが精神鑑定が為されない以上は、一切の治療が望めない。病状は進行するばかりだ。
 だからやっぱり不思議だ。なぜ精神鑑定の動議すらできないのか。なぜ検察も弁護団も裁判所も沈黙してきたのか。なぜこれまで裁判を傍聴してきたメディアや識者やジャーナリストたちは、麻原の様子がどうも普通ではないとアナウンスしてこなかったのか。
 判決公判の日のテレビや翌日の新聞のほとんどが、法廷で僕が目撃した麻原の発作としか思えない挙動を、「薄笑い」とか「ウヒヒ」とか「遺族を嘲笑い」とか「醜い現実逃避」などの語彙を使いながら、罪の意識の欠片もない極悪人の証左として声高に報道したことについては、まさしく全身から力が抜けるほどにあきれながら嘆息したけれど、時間の経過とともにこれらの衝撃や怒りは、少しずつではあるが揮発しつつある。
 でもひとつだけ、どうしても消えない異物感がある。咽喉のもう少し奥。まるで魚の小骨のように、あの日以来、どうしても気になって仕方がない。しかも少しずつ大きくなっている。法廷の昼休みに昼食を食べながら気づいたその異物感の正体が何であるかは、今は何となくわかっている。

 麻原彰晃という質量だ。

 巨大な質量は巨大な引力で自らを封じ込め、内側に限りなく陥没することでさらに質量を増大させ、遂には時空までも捩じ曲げて、あらゆる情報を貪欲に吸収しながら自己収束し、やがて質量や重力が無限大ですべての情報が(光さえも)脱出できない暗黒の特異点となる。
 ブラックホール生成のこのメカニズムをメタファー(暗喩)と考えれば、法廷における麻原の内面が崩壊する過程と、かなりの領域で重なることは確かだ。でも大前提である巨大な質量を、人間的にも宗教者としても彼が保持していたとは思えない。精神が崩壊した最終解脱者など明らかに論理矛盾だし、悪ふざけも甚だしい。
 きっと仮想の質量なのだ。ならば本質はどこにあるのだろう。必ずどこかにあるはずだ。

 地下鉄サリン事件が起きた一九九五年から一九九六年前半にかけて、日本国内の警察とマスメディアは躍起になって、日本中のオウム的な要素をガサ入れし続けた。
 つまりオウムとオウム的なものは徹底的に捜査され、抽出され、消費し尽くされた。でもマスメディアは、現在進行形のオウムとオウム的なものしか、標的にはしなかった。つまり「オウム的でないもの」や「過去に取材されたもの」については、ほとんど手を出さなかった。マスメディアの属性としては(ある意味で)仕方がない。でも実はそこにこそ、オウム的な要素が濃密に充塡されていた。だからこそ僕は『A』と『A2』を撮ることができた。
 その同じ手法を、今度は映像ではなく文字という媒体を使いながら、僕はこの連載で試してみようと思う。
 事態は現在進行形で動いている。連載初回であるこの原稿をいったんは書き終えた直後の二〇〇四年十一月二十九日、これから始まる控訴審における弁護団が、「(麻原)被告には裁判を継続する能力がない」として公判停止を申し立てた。率直な感想としては遅すぎる。でも今からでも精神鑑定や治療ができるのなら、決して無意味なことではない。
 この申し立てに高裁がどんな判断を示すのか、連載と同時並行で注目してゆきたい。

A3 目次

『A3』無料公開にあたって
プロローグ
1 傍聴
2 封印
3 面会
4 弁明
5 弁護
6 故郷
7 真宗
8 記憶
9 拒否
10 手紙
11 暴走
12 鑑定
13 信仰
14 鏡像
15 集会
16 父親
17 詐病
18 棄却
19 姉妹
20 船橋
21 刑事
22 迷路
23 孤立
24 死刑
25 視力
26 抗議
27 試練
28 生殺
29 統制
30 独房
31 受容
32 特異
エピローグ
文庫のための新章 残像
参考文献・年譜・オウム真理教組織図
解説

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森達也(映画監督・作家)

‘98年にドキュメンタリー映画『A』を公開。ベルリン国際映画祭などに正式招待される。2001年、『A2』が山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。2011年に『A3』が講談社ノンフィクション賞を受賞。2016年、映画『Fake』を発表。

『A3』

2012年に集英社文庫から出版された『A3』(上・下)を全文公開します。
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