26 抗議

(二〇〇七年三月号)

 一九九八年の五月に『A』は公開された。公開前には当然ながら、マスコミ向けの試写を何度か行った。試写会の最大の目的はメディアによるパブリシティだが、関係者へのお披露目の意味もあるから、マスコミだけでなく被写体となった人たちもできるかぎり招待した。亀戸本部退去のシーンで写り込んでいる「オウム真理教被害者の会」代表である永岡弘行にも、試写の案内状は送っていた。
 試写当日、永岡は眼鏡をかけた小柄な男性と二人でやって来た。弁護士の滝本太郎だ。「彼もいいですか」と訊ねる永岡に、僕とプロデューサーの安岡卓治は、「もちろんです」と試写室に二人を案内した。
 上映が終わったあと、僕と安岡は試写室のロビーで永岡を迎えた。感想を聞きたかったのだ。滝本も同席した。椅子に座るなり、滝本は僕と安岡にこう言った。
「この映画の費用はオウム側から提供されたのですか」
 まさしく開口一番だ。感想も挨拶も何もない。だから僕は沈黙した。
 批判は覚悟していた。監督はオウムのシンパだとかこの作品はオウムのPR映画だなどと言う人は、きっと少なからず現れるだろうと思っていた。
 でもいきなりのこの質問はまったく予期していなかった。礼節や儀礼を云々するつもりはない。僕も相当に行儀が悪い。人のことをとやかくは言えない。その意味では、この質問そのものへの怒りや腹立ちを持ったわけではない。苦笑しながら「違いますよ」と答えればよいだけの話だ。
 ただ、映画を観終えた直後に制作した当人である監督に向かって、いきなり「この映画の費用はオウム側から提供されたのですか」との質問を口にする人の思考の形式が、僕にはわからなかった。理解できなかったし、少しだけ混乱もした。だから沈黙した。
 数秒の間を置いてから安岡が、「オウムから金銭の提供を受けたことなど、一切ありませんよ」と答えた。そもそもその必要はない。なぜなら『A』も『A2』も、制作費はきわめて低い。撮影時に実質的に発生する費用は、デジタルビデオのテープ代と、僕や安岡の交通費くらいだ。編集作業や公開前の宣伝活動にはそれなりの費用はかかるけれど、それにしたってスポンサーを探すほどではない。被写体であるオウムに資金援助してもらわねばならない必要性などまったくない。
 安岡の説明に納得できなかったのか、その後も滝本はいろいろな疑問を口にした。僕にとってはとても的外れで、そして不愉快な質問ばかりだった。だから一言も口をきかなかった。隣に座った安岡が懸命に対応した。何度も席を立とうかと思ったけれど、安岡をこの場に置いてはゆけないとも考えた。だから無言のまま座っていた。そして永岡弘行も、この席ではほとんど沈黙していた。

 やがて『A』の上映は始まった。動員は微妙だった。少なくはないが多くはない。そんなとき一通の内容証明が、九八年五月二十二日の日付で郵送されてきた。永岡弘行からだった。

 貴殿らが作成し、本年5月2日から一般公開している映画『A』の上映につき、次のとおり抗議し、その問題点を解決したうえでのみ上映するよう要請致します。
1 右映画では、1996年3月から1997年4月までの信者の肉声と、信者とくに広報副部長(以下「A君」という)からみた警察、マスメディア、そして社会を描こうとしたものだと聞き、またオウム真理教の分からないことは分からないとしてそのままに提示したということでもあります。
 その中では、一連のオウム真理教事件の悲惨さとこの集団のおぞましさは描かれていないことはもちろん、多くの同教団の信者の顔が出されており、同教団が撮影した児童が保護される映像が利用され、教祖の子どもらまで顔が出され、かつA君の祖母も映写されています。
2 いうまでもなく、オウム真理教においては、私どもの子どもらを含む者らが、数々の極悪非道の行為をし、多くの方を死なせ、苦しめてきたものであります。私どもは、1989年から、信者である本人も被害者から必ず加害者になるとしてさまざまな活動をしてきたのですが、力不足によりかかる事態となり、痛恨の極みであります。
 しかるに、右映画においては、坂本弁護士一家殺人事件、松本サリン事件、地下鉄サリン事件を初め多くの事件の重大性を鑑みていません。この悲惨な被害を見るにつけ、かかる映画が上映されているということは、被害者の心の痛みと傷に塩をすりこむものという外ありません。
3 オウム真理教の事件の背景には、すでに刑事裁判において多くの元信者が証言し、学者証人や鑑定人が述べているように、この破壊的カルト集団において、マインド・コントロールされた状態が認められ、しかも薬物LSDなどまで使われる実態がありました。
 しかるに、右映画では、マインド・コントロール問題の重要性は考慮していません。右上映により、顔を出された信者特に中心に据えられたA君については、将来どう教団から離れること、その後社会復帰をしていくことを著しく困難にしました。上映に当たっては、A君らの了解のみで済むものではなく、各関係任の承諾を得ようともしなかったというのは、これをまったく理解していないものとして問題があると言わざるを得ません。
(中略)
8 以上の通り、貴殿らにおいては、オウム真理教の一連の事件の被害者の痛みに対し、同教団信者と社会を描こうとする方として、また撮影される人々の立場と権利を守らねばならない立場として、著しく誠実さにかけるものであるという外ありません。「一生背負い込む責任」など、言うことはできても実際上でき得るものではなく、だからこそ映画の製作及び上映において十分な配慮が必要だと思います。
 ここに抗議し、指摘した諸点を解決した上でのみ上映されるよう強く要請します。
(以上原文ママ)

 読み終えてから安岡に連絡をとった。この文書で提示されている問題点のほとんどは、試写会後に滝本が口にしたこととほぼ同じだった。「一生背負い込む責任」というフレーズは、滝本の質問に対して安岡が口にした言葉だ。つまりこの文書を書いたのは永岡弘行ではなく、明らかに滝本太郎だった。すぐに返事を書くつもりでいた僕に、電話口で安岡は、「ちょっと待て」とつぶやいた。
 反論は確かに難しくはない。しかしこの映画は今公開したばかりだ。もしも騒ぎが大きくなれば、これに便乗する人がきっと現れる。それでなくても公開を苦々しく思っている人は少なくない。メディアもここぞとばかりに攻撃してくるかもしれない。この映画はある意味で今のこの社会に対して喧嘩を売ったのだから、公開直後のこの時期にトラブルはその可能性も含めて、できるだけ回避したい。だから慎重になろう。もう少し先方の出方を見たほうがいい。
 大意としてはそんなことを安岡は僕に言った。どちらかといえば情緒過多な僕に比べると、安岡は冷静で論理的だ。最終的に僕は彼のこの意見に同意した。理由は単純だ。彼の意見や分析はこれまでも常に、結果的には正しいことがほとんどだったからだ。それに返事を書こうにも、いったい誰にその返事を書けばよいのだろうとの思いもあった。
 こうして結果的に僕は、この内容証明を黙殺した。それからしばらくして滝本は自身のブログで、「森はこの内容証明に対して一言も反論できなかった」というような趣旨のことを書いた。そもそもが試写のときも、自分の質問に対してこの監督は一言も答えられなかったというようなことも記述していた。少しだけ違う。いやまったく違う。答えられなかったのではなく、答えたくなかったのだ。
 その後もずっと、滝本の僕への批判は続いている。この連載についても自身のブログで、「仰々しく長々と」意味のない文章を書いているというように批判している。ただし滝本が「実にまったくあきれている」と批判するその文章は、まったくの別人が書いたオウムについての記述だった。どうやら取り違えているようだ。
 連載時にはブログのその文章を引用しながら反論を試みた。でも書籍からは(不要だと判断して)割愛する。ただし永岡とのこれまでの経緯であることに加え、オウムを取り巻く当時のひとつの視点ではあると思うので、内容証明を受け取ったことについては残す。
 ちなみにインタビューの際には僕も永岡も、この内容証明のことをすっかり忘れていた。

「水槽に麻原さんが入るとか、そういう話があったとき、ヨーイドンで私も一緒に入ろうと、そこまで申し入れをしたんです。私は趣味が素潜りだから、自信があったんです。麻原さんのあの身体つきを見て、絶対にやらないだろうと思っていました。私は風呂の中だったら四分潜れますからね。でも結局、それはボツになりまして、そのときの彼の言い訳は、阿含宗の桐山に邪魔をされてできなかったんだっていうから、それで超能力かとあきれました」
 息子が入信したことを知ってから、永岡とオウムとの関係は始まった。坂本堤弁護士などの助力も得て、やはり子供が入信した家族たちと連絡を取り合いながら、八九年に永岡は「オウム真理教被害者の会」を結成する。初めて麻原彰晃に会ったのはその少し前だ。
「世田谷の赤堤の道場で会ったんです。他にも信者の親御さんが来ていました。このときに彼は、自分は親に目が不自由なふりをしろと命じられたって話をしましたね。……何て言うかな、親の保護で学校に行けて食べたいものが好きに食べられる世の中の人たちに対しての恨みのようなものを、この人は抱えているのかなとそのときには思いましたね」
 最終的に永岡の息子は脱会した。数々の事件にも関与はしていない。職に就いて伴侶も得て、永岡にとっては孫もできた。しかし永岡はオウムへの関わりを継続した。サリン事件後に「オウム真理教被害者の会」は「オウム真理教家族の会」と名称を変えたが、永岡は会長の位置にとどまりながら、連日のように法廷に通い続けている。
「昨日の裁判ね、被告席の信者に向かって検事が、『教団がサリンを撒いたことをあなたはわからなかったのか』と質問するんです。一般の信者が情報から遮断されていたということは、もう明らかじゃないですか。でも何であなたはわからなかったんだというような調子で何度も責めるんですよ。何だか興奮して。だからね、私は思わず傍聴席から、その検事に大声で言っちゃったんです。『あなたは彼に死刑を求刑して、もしそれで死刑判決が出たら、喜んで祝杯をあげるのか』って」
 地下鉄サリン事件以降、息子が教団に入信した父親として、そして自らは被害者として、永岡は多くの信者に会い、やがて拘置所通いを始める。幹部信者たちに面会するためだ。自分を殺害しようとした新実智光にも、永岡は何度も面会を重ねている。
「世間の認識として新実被告は、とても残忍で狂信的な男との見方があるのだけど、実際のところはどんな人ですか」
 僕は訊いた。計十一の事件で起訴された新実が関与した事件の被害者数は二十六人。これは麻原の二十七人に次ぐ死者数だ。
「全然違いますね。とても礼儀正しい男です。純粋だし……。あまりこういう言い方をすると、純粋被害者の方に申し訳ないのだけど」
 インタビューのあいだ、永岡は「純粋被害者」との言葉を何度か口にした。意味としては、サリン事件などで亡くなったり傷を受けたりした一般の人たちとその遺族だ。なぜわざわざ「純粋」という言葉をつけて区別するかといえば、サリン事件で被害を受けた人たちだけではなく、入信していた信者や拘置所にいる幹部信者(つまり実行犯)たちすべてが、結局はオウム真理教という教団の被害者であるとの認識を持つに至ったからだ。
 だからこそ永岡は、サリン事件実行犯への死刑判決について、今は強い異議を唱えている。彼ら実行犯となった信者たちもまた被害者であるとの視点に立てば、彼らへの処刑に賛同できないことは当然だ。
 ただし例外はいる。麻原彰晃だ。信者たちへの死刑判決に異議を唱え始めたときも、麻原彰晃への死刑判決についてだけは、永岡は明確な異議は唱えなかったと僕は記憶している。つまり彼についての思いだけは反転しない。座標軸の原点であり、絶対的な加害者なのだ。インタビューの前には、永岡のそんな論理展開を僕は予想していた。そしてこの日、その予想はあっさりと覆された。
「確かに何年か前までは、麻原ぶっ殺してやるって、頭の中はそればっかりでした。でも最近は、麻原さんだけを悪い奴にしてそれでよいのだろうかと思うようになってきて。例えば事件前の警察の動き、行政の対応、メディアの報道、これら全部ね、今は知らない顔をしているけれど、むしろそちらのほうに腹立たしさを感じるんです。私はもう今の段階では、麻原さんよりもっと罪深いのは行政だという思いがありますよ」
「いつも主人が言うのだけど、うちの子だってもしかしたら今、拘置所にいたかもわからない。それは一緒なんです。昨日も実は、中川くん(智正被告・この時点で一審死刑判決)のお母さんと(中川被告の法廷の)傍聴で一緒でしたけど……。しっかりと親御さんたちを支援してゆかないと、みんな潰れてしまいます。本当にこの国は、生きづらい国、優しくない国なんだということを、行政との交渉でつくづく実感しましたね」
 レコーダーを止める前に、僕はもう一度訊いた。今の麻原についてどう思うかと。永岡は即答した。
「親にもし目の不自由なふりをしろと本当に言われていたのだとしたら……かわいそうだなという思いはあります」
 うなずきながら僕は英子に視線を送る。数秒の間を置いてから、英子は囁くような声で言った。
「私は、……哀れ」
 また数秒の間が空いた。でも今度は僕がしゃべらなければならない。僕は英子の言葉をくりかえした。
「……哀れ、ですか」
「彼がお兄さんと一緒に盲学校にいたとき、休みの日に、他の子供たちは家族が迎えに来るんですね。でも彼には来ない。お兄さんと二人きりで手をつないで、他には誰もいなくなった校庭でじっと立ち尽くしているのを寮母さんが見ていたという話を聞いたとき……その映像が浮かんでしまって」
 そこまで語ってから英子は少しだけ泣いた。永岡は黙り込んだ。僕も黙り込んだ。テープだけが回っている。
「……でも、泣いてばかりもいられない」
 やがてハンカチで目許を押さえてから、英子は気を取り直すように大きな声で言った。
「麻原さんも哀れ。実行犯の信者たちも哀れ。家族も、もちろん私たちも哀れ。そう思います。私ね、オウムというものに出会って、それで初めて世の中のことを知ったという気がするんです。裁判ひとつ傍聴しても、この社会や行政のとても無慈悲な面がよくわかります。もしもオウムに触れなければ、私も主人もぼーっとして何も知らないまま、人生終わっていたでしょうね。だからそういう意味では、まさか良かったとは言えないけれども、でも知ったことは自分たちにとって、プラスになったとは思っています」

A3 目次

『A3』無料公開にあたって
プロローグ
1 傍聴
2 封印
3 面会
4 弁明
5 弁護
6 故郷
7 真宗
8 記憶
9 拒否
10 手紙
11 暴走
12 鑑定
13 信仰
14 鏡像
15 集会
16 父親
17 詐病
18 棄却
19 姉妹
20 船橋
21 刑事
22 迷路
23 孤立
24 死刑
25 視力
26 抗議
27 試練
28 生殺
29 統制
30 独房
31 受容
32 特異
エピローグ
文庫のための新章 残像
参考文献・年譜・オウム真理教組織図
解説

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

48

森達也(映画監督・作家)

‘98年にドキュメンタリー映画『A』を公開。ベルリン国際映画祭などに正式招待される。2001年、『A2』が山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。2011年に『A3』が講談社ノンフィクション賞を受賞。2016年、映画『Fake』を発表。

『A3』

2012年に集英社文庫から出版された『A3』(上・下)を全文公開します。
1つ のマガジンに含まれています
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。