30 独房

(二〇〇七年八月号)

 まずは目が見えないということ、さらに自分の体を他人に触れさせないことや、お金のこと(常に多額の現金を持ち歩いているという意味)などから、麻原が外出するときにはいつも必ず、車の運転手など数人の付き添いが必要でした。

 この記述の後に林は、だから麻原は単独ではほとんど行動できなかったと記している。つまりロシアや北朝鮮の工作員との単独の密会など、まずはありえないということだ。もちろん側近たちが同行してなら可能性はある。しかしこの側近たちは、(林の見立てによれば)どうにも秘密を守れそうにない男たちばかりだった。早川や自身の噂については否定しながら、もうひとつの噂である「村井が闇組織とのパイプ役になっていた」との説についても、林はあっさりと否定した。

 村井がロシアや朝鮮など外部の組織の窓口になっていたのではとの憶測も一部にあるようですが、それはほとんど考えられません。なぜなら村井はそういう交渉能力が特別に欠落した人間であり、そのことは麻原もよく理解していました。

 他にも具体的ないくつかの例を挙げながら林は、「だから巨大な闇組織と通じているとか、他国の諜報機関と秘密のパイプがあったとか、そのレベルの噂は信用しないほうがいいと思います。これはほとんどの弟子たちの実感と思ってもらっていいです」と断言した。ただしそのあとに、こんな記述が続いていた。

 私のいちばんの謎は、村井殺害です。

 地下鉄サリン事件からほぼ一カ月が過ぎた一九九五年四月二十三日午後八時三十五分、上九一色村のサティアンから青山総本部に移動してきた村井秀夫は、本部前の路上で刺殺された。犯人は自称右翼団体構成員の徐裕行(当時三十五歳)だ。この時期は早朝から深夜までオウムがらみのニュースや特番がテレビで流されていた時期で、当然ながら本部前には多くのマスメディアが集結していた。つまり村井刺殺のその瞬間は、施設を包囲していた複数のテレビカメラによって至近距離から撮影され、その日の夜から数日にわたり、何度もくりかえし放送された(翌日の新聞一面は当然ながら大見出しでこれを伝えた)。
 その場で現行犯逮捕された徐は、当初は「テレビを見ていてオウムを許せないという気持ちが強くなった。幹部なら誰でもよかった」と供述したが、現場にいた複数のテレビカメラに昼前から本部周辺をうろうろする徐が映り込んでいたことと、当日の青山総本部には上祐史浩や青山吉伸など何人かの幹部が出入りしていたが徐は彼らには目もくれなかったことなどが明らかになり、村井を狙った計画的な犯行との見方が強くなった。刺された直後の村井が「ユダ(ヤ)にやられた」と言い残して絶命したとの情報も(関西弁のギャグはともかくとして)、ユダヤ陰謀論やフリーメイソン犯行説などの謀略史観を想起させた。
 また、この時期の教団幹部はメディアを避けるために青山総本部ビルの地下駐車場の通用門から出入りしていたが、村井が青山本部に到着したときにはなぜか地下の通用門は施錠されていたため、やむなく一階の玄関に向かったことも明らかになった。
 さらに在日朝鮮人二世である徐が以前に住んでいた借家の大家が、北朝鮮の拉致工作員の中心的人物と言われる辛光洙とかつて内縁関係にあった女性の姉であるらしいことや、事件の数日前にテレビに出演した村井が「オウムには豊富な資金がある」とか「地下鉄に撒かれたガスはサリンではない」などとコメントしていたことと併せて、口の軽い村井から秘密が洩れることを恐れた北朝鮮が事件の背景にあるとの推測も、この時期にはメディアに流通した(前述の『朝鮮半島 最後の陰謀』もこの延長にある)。
 現行犯逮捕された徐は、やがて取り調べで山口組系暴力団羽根組の構成員から犯行を指示されたと供述を一転し、警視庁は五月十一日にこの構成員を共謀共同正犯の容疑で逮捕する。しかし構成員は関わりを否定し続けて、結局は一審、二審ともに、徐の供述には信用できない要素が多すぎるとして構成員に無罪を言い渡した(一審で懲役十二年を言い渡された徐は控訴せず、刑は確定した)。

 だから村井さんに思い切って尋ねてみたんです。「どうも教団には闇の部分があるように僕には思えるんですけれど、どうなんですか?」って。(中略)その闇の部分の中心にいて鍵を握っているのは、村井さんであるように思えました。だから彼に直接訊いてみようと思ったんです。でも目の前では切り出せないから、電話で話しました。村井さんはしばらく沈黙してから、「君は期待はずれだった」といいました。
『約束された場所で』村上春樹「高橋英利へのインタビュー」

 村井幹部の側近として長く傍にいた佐野庄一郎は、麻原法廷第二四一回公判で、村井と麻原の関係について、次のように証言している。

 村井はちょっと常識から外れている人で、イメージの世界でいろんなものをどんどん構築できてしまうイメージ人間であって、それを現実の世界で次から次へとやるというのが快感だったんじゃないかという感じがする。(中略)被告人(麻原)の指示がなくても、村井が独断で行動することは、九三年ごろ、岡村鉄工のころからあり、いろんな機械をばかばか買い出し、清流精舎に置いたり、野ざらしにしたり、清流精舎でも必要なのかなと思うようなものがたくさんあったりで、ちゃんと物をまともに使っていない感じであった。九三年に清流精舎だったと思うが、被告人が村井に、自分の欲しいものばっかり必要だと言って買って、結局無駄遣いしてしまうみたいな感じで、半分怒って半分あきれかえるような形で、みんなの前で言ったことがある。そのときの村井に対する被告人の言葉としては、「マンジュシュリー(村井のホーリーネーム=引用者註)は必要だと言って買って、結局むさぼり、無駄遣いして、これ、おまえ、むさぼりじゃないか」って言い方だったと思う。(中略)そういう村井のむさぼりを被告人が事前にチェックすることは、目が見えないので第三者が報告しないと理解できないし、目で見ればすぐわかることでも、第三者が入れる情報で想像するしかなかったために、非常につかみづらかったと思う。リチウム電池の話など、被告人に十分な情報が届いていなかったということはあった。九一年とか九二年とかにも、被告人が、すでに起きてしまったことや、師以上の人たちが無断で勝手に動いてしまったことで、「私は報告を受けていないぞ」と怒ったり、𠮟責したりしたということはあった。村井のほうから被告人に、「こういうのもできる、ああいうのもできる」とか、「こうしたらいいんじゃないか」とか意見することもあり、被告人から「それはまだいいから」と、どんどん却下されるという体験談を、村井が八八年ごろの教団の雑誌「マハーヤーナ」に書いていた。

 村井刺殺事件だけではない。地下鉄サリン事件の十日後に起きた警察庁長官狙撃事件を筆頭に、オウム周辺で起きた事件については、いまだに謎や矛盾が数多く残されている。
 二〇一〇年二月二十二日、サリン事件被害者遺族である高橋シズエとのあいだで行われた対談で、サリン事件直後に何ものかに狙撃された國松孝次警察庁長官(当時)が、「三月二十二日に山梨県の教団本部に強制捜査が入ることを予期したオウム真理教側が、何らかの捜査攪乱作戦に出るのではないかという情報はあった」と語ったことが報道された。記事を読めば、思わず口走ってしまったという雰囲気が濃厚だ。國松元長官のこの発言を受けて共同通信は、

「事件が起きた1995年3月20日の数日前に、警察当局が『強制捜査を予期したオウム真理教が、何らかの捜査かく乱作戦に出る』との情報を得ていたことが21日分かった。(中略)事件は今年3月で15年を迎えるが、当時の捜査があらためて問われそうだ」

 との記事を配信している。「分かった」や「あらためて」などの語彙を使うことでこの記事は、警察が情報を事前に得ていたことが初めて明かされたかのようなニュアンスを強調しているが、それは事実ではない。

 地下鉄サリン事件が発生する三日前の三月十七日には警察当局は陸上自衛隊の大宮駐屯地に防毒マスクなどを準備して集結した。警察は地下鉄サリン事件の数日前には東京都内にサリンが散布されるとの情報を事前に得ていたのだ。なぜ事件を防げなかったのか。
弁護側冒頭陳述から

 麻原一審弁護団のこの主張は、結局のところマスメディアからは看過された。つまりほぼスルー。だから知る人は少ない。なぜスルーされたのかはわからない。弁護団の主張など聞くに値しないとの世相が形成されていたことで、メディアが正面から取り上げなかったという可能性はある。しかし弁護団のこの主張は、決して事実無根ではない。日本中が大騒ぎとなったサリン事件翌日の三月二十一日、朝日新聞経済面に掲載されていた小さな記事を引用する。

前日の100倍に当たる大量の取引 先週末の防毒マスク会社株
 工業用の防塵、防毒マスクメーカーで店頭株式市場に登録されている重松製作所(本社・東京)の株式が先週末の16、17日に前日の100倍に当たる大量の取引があったことが明らかになった。この時はいずれも株価は下がり、関連は薄いとみられるが、20日に地下鉄でサリン事件があっただけに会社側も不審に思い、証券会社を通して調べている。(中略)
 同社は「特に両日はきわめて不自然な動きだった。このため取引のある証券会社2社に調査を頼んだが、わからないとの返事だった」(森秀男社長室長)と話している。

 警察はサリンを使った事件が起きることを予期していた。だからこそ弁護側が冒頭陳述で明かしたように、陸上自衛隊と協調しながら大規模な対毒ガス訓練を行っていた。共同通信からその情報源について訊かれた國松元長官は、「教団内部も外部もある」として明言を避けている。内部ということはスパイということだろう。公安がサリン散布の実行犯たちを尾行していたとの説もあった。もしそれが事実なら、事件発生を警察は、結果として見過ごしたということになる。

 不明な要素は他にも多い。松本サリン事件後に一審弁護団が実施した現場周辺住民へのアンケート調査によれば、サリンで発生したと思われる症状を感じた人たちは、六月二十七日午後八時から九時までのあいだに五人、同九時から十時までに八人いる。さらに翌二十八日午前六時から十一時にかけても多数の人が、サリン中毒と思われる突然の体調の悪化を訴えている。ところが検察の公訴事実によれば、村井たち実行犯が松本市に到着してサリン散布を始めたのは二十七日午後十時四十分前後から十五分間ということになっている。つまり二十七日の午後八時から十時にかけて症状が現れた十三人はサリン散布の前に、そして散布から七時間以上が過ぎてからも、多くの人が突然の体調の悪化を訴えているということになる。きわめて揮発性が高いサリンが、これほど長く現場に滞留することはありえない。もちろん逆プラシーボ的な現象を起こした人はいるかもしれない。でもすべてをそう説明するには人数が多すぎる。
 これらの事実も結局は精査されないまま、実行犯たちが到着する数時間前に現場をうろつく防護服姿の集団がいたなどの目撃証言と合わせ、実は別働隊がいたとか、散布されたものはサリンガスではないなどの噂が大きく広まった。
 だからあらためて思う。確かにオウムの事件の周辺には、未解明な謎があまりに多い。北朝鮮やロシアなどの国家的暗躍が陰で関係していたなどと想像したくなることは確かだ。でも強調しておきたいことは、そんな謎や矛盾、未解明な要素が多いからこそ、オウムに対しての不気味で危険なイメージは、必要以上に肥大したということだ。さらにこれほど未解明な要素が残されているにもかかわらず、麻原法廷が如実に物語るように、その解明や検証を、検察や裁判所は、ほとんど放棄しているということだ。
 警察や検察、そして司法には、事件の真相を解明したいとする組織的な本能がある。でもオウム事件の際には、この本能が駆動する方向に対しての強い摩擦が働いた。なぜなら事件の構造や真相を解明することよりも、一刻も早くオウムを消滅させることを、この社会が強く望んだからだ。
 これを一言にすれば、「何でもいいから早く吊るせ」ということになる。

 そのとき僕は浪人中で郷里の実家に住んでいました。夜、テレビのニュースでホームレスの特集が放送されていて、それを観ていた父親が画面に向かって、「あいつらは人間失格だ」と言ったんです。僕は思わず、なんで会ったことも話したこともない人たちに対して人間失格なんて断言できるんだって父親に食ってかかりました。この時期は父親と衝突ばかりしていましたけれど、でもこのときは本気で頭にきました。そもそも人が人に対して「人間失格」などと言うべきじゃない。教師失格とか政治家失格とかはあるかもしれないけれど、人間失格だなんて言葉の使い方を間違えている。
 そう言う僕に対して父親は、
「じゃあおまえは、麻原も人間失格じゃないって言えるのか」
 と言い返しました。そのときに自分が何と答えたかはよく覚えていないのですが、でも一瞬だけ口ごもってしまったことは確かです。

 引用したのは、知り合いの編集者から送られてきたメールの一部だ。地下鉄サリン事件が起きてから数年後のエピソードだという。彼の父親が特別なのではない。ポスト地下鉄サリン事件(直後だけではなく数年後にいたるまで。あるいはおそらく現在までも)における、この国の人々の平均的な感覚だ。
 まさしく麻原は、純度一〇〇%の悪を体現した。それほどの悪が概念ではなく現実に存在するのだと、この国の多くの人は実感した。
 だからこそサリン事件以降、以前とは異なる善悪の座標軸を据えられたこの社会は、激しく軌道を変え続けている。オウムが座標軸を変えたのではなく、オウムによって危機意識を喚起されたこの社会が、自ら座標軸を変えたのだ。でもその座標内にとどまるかぎり、位置の変化には気づけない。
「私のいちばんの謎は、村井殺害です」と手紙に書いた林は、そのあとに続く記述で、以下のようなエピソードと自分の思いを書いている。

 平田信くんか杉本繁郎くん(二〇〇九年に無期懲役が確定)のどちらかに聞いた話ですが、地下鉄サリン事件の当日かその翌日に、上九の施設内にサリンの原材料である薬品がまだ大量に残っていることを報告で聞いたとき、麻原が苦笑しながらこんなことを言ったそうです。
「まいったなあ。マンジュシュリーにマハームドラーをかけられたなあ」
 私はこの話を聞いたとき、「そんなヤバイものがまだ処理できていないのか。本来なら責任者である村井が事件を起こす前に処分しているべきなのに、自分が村井に代わって処理しなくてはならないのか」という意味で、麻原は「まいったなあ」と言ったのだろうと解釈していました。でも今になってみると、もっといろいろな解釈が可能ですよね。それに普通なら麻原はその報告に対して、「そんなことはマンジュに相談しろ」と言うはずです。
 例えば地下鉄サリン事件そのものが、ある意味で村井からのマハームドラーだったと考えることも、できなくはないんです……かなり穿った見方ですけれど。まあまったく無理というわけじゃない。
 つまりそうなると考えようによっては、地下鉄サリン事件は麻原の意思で起こされたものではなくて、村井の意思によって起こされたもの、「村井が麻原に仕掛けたマハームドラー」的事件だったと、麻原がアピールしているというようにも解釈できるのです。
 麻原としては(死者を出さない)形ばかりの事件を考えていたのに、その意思に反して(形だけではなく)村井の意思で死者が出てしまったので、結果的には村井から麻原に対するマハームドラーになってしまったということです。
 なぜなら「マハームドラー」というからには、かなり「苦境に立たされている」ことを示しています。それも自己の本質に関わるくらいに。あの麻原が薬品の処理くらいのことで、弟子の前でこの言葉を使うだろうか? その背景にはやはり、事件の本質があったのかもしれません。

 こう書きながら林は、「そう考えたほうが森さんの求めることと一致するかもしれませんね。私としては納得ができかねますが」と小さな字で補足している。
 確かにとても興味あるエピソードだ。麻原と側近たちとの相互作用によって教団内部の危機意識が高揚し、その回路に世界を救済するという正義や大義が流れ込み、それまで概念でしかなかったポアやヴァジラヤーナの思想が生と死を転換する宗教のメカニズムと激しく化学反応を起こしながらマハームドラーに昇華して、オウムによる一連の事件を引き起こしたと考える僕にとって、林のこの推測は大きな補強材科のひとつになる。
 まあでも、さすがに地下鉄サリン事件そのものが、村井単独の意思で遂行されたとは僕にも思えない。林も一応は僕の仮説を尊重してこんな推測を展開したが、いくらなんでもそこまでは……という思いは同様のようだ。
 だから手紙の最後で林は、こんな推測も展開している。

 このままでは自分の言ったことが外れたことになるから、村井に責任転嫁をするための布石として、(マハームドラーなどと)言ったとも推測可能です。麻原はそういう性格をしていました。いずれにしても、麻原が村井によって振り回されていたことは間違いないでしょうね。

 自らの公判(第七〇回)で林は、越智という村井の部下のサマナがいつも指示に逆らうので逆さ吊りの修行を村井に命じられ、結局はそれが理由で死んでしまったという実例を挙げながら、村井は「冷たい人」であり、「どこか狂っているんじゃないか」と思っていたと述べている。
 麻原一審弁護団は最終弁論で、「村井はその企画するすべてのプランに失敗を重ねるが、被告人(麻原)は、失敗を重ねてもひたすら目標に向かって努力を重ねる村井に修行者としてのあるべき姿を見出し、同人を寵愛するようになった」と述べながら、「(だからこそ村井は)被告人の説くハルマゲドン、世界最終戦争などの予言を信じ、これが起きたときに備え、教団が兵器を持たねばならないとの考えにとらわれるようになった」と断じ、教団武装化の背景にあったのは麻原よりもむしろ村井の意図であるとの説を展開している。

 麻原第五〇回公判で弁護側反対尋問の証人として呼ばれた端本は、坂本弁護士一家殺害の指示はグルから仕掛けられたマハームドラーの修行だったと考えたと述べている。犯行の動機づけだけではない。麻原第一二回公判に出廷した林郁夫は、逮捕されたあとに面会に来た青山吉伸が、「これはマハームドラーの修行なのだ」と言ったと述べている。
 松本サリン事件の際に実行犯となった信者たちは、サリンガスが猛毒であるとの認識をほとんど持っていなかった。だから躊躇なく撒くことができた。実行犯の一人である富田隆(二〇〇一年に懲役十七年が確定)は、犯行後に死者が出たことを新聞記事で知り、「パニックになってしまった」と証言している。同じく実行犯である端本悟も、検察官からサリンの危険性を知っていたのではないかと質問され、「知っていたらあんな装備じゃ怖い、人が死ぬとは思っていなかった」と答えている。麻原の第一一八回公判に証人として呼ばれた遠藤誠一は、弁護人から「(松本サリン事件の際には)死ぬというほどの結果発生は考えなかったのか」との問いに対し、「目の前が暗くなることはあると思っていた」と述べている。
 でも結果として松本サリン事件で死者が出た。つまりサリンがいかに危険であるかを(少なくとも)幹部信者たちは認識した。ならば次の段階である地下鉄サリン事件の際には、人を殺すかもしれないサリンを散布することについて信者たちは、どのように整合化したのだろうか。
 林郁夫は『オウムと私』で、やはり村井から地下鉄サリン事件に加担するように命じられたとき、「これはマハームドラーの修行だからね」と告げられたと書いている。
 中川智正の第七二回公判に証人として出廷した広瀬健一は、九五年三月十八日未明に村井から地下鉄サリン事件の実行犯となるように指示をされたとき、具体的な内容を明かされる前に、「どうだ、うれしいだろう」と言われたことを証言している。

――あなたは、その言葉をどういう意味に理解しましたか?
 ワークが与えられてうれしいだろう、というような意味にとらえました。

 平成十五(二〇〇三)年一月三十一日に行われた林泰男の第八回公判で証人として呼ばれた中村昇(二〇〇六年に無期懲役が確定)は、サリンプラントなどできるはずがないと考えながら建設作業に従事していた理由について、以下のように証言している。

――実際にそのプラントは完成するというふうに考えていましたか。
 その後に現場に行ったときには、もう、不備の固まりだったので、全くできるとは思っていませんでした。
――あなた以外の作業員も同じような考えを持っていましたか。これはできないだろうなという考えを持っていたんですか。
 ええ、全員がそうでしたね。
――そうすると、なぜそういう到底作ることは無理だろうなというような作業に従事させられるんだろうというふうに考えていましたか。
 マハームドラーの修行であるというふうに考えていました。

 こうしてマハームドラーは単独で動き始める。まるで自ら駆動力を獲得したかのように。実際に麻原から村井に対して、どのような指示があったのかはわからない。一人はもうこの世界にいないし、一人の意識はもうこの世界にない。

 裁判の証言なんかで、「尊師の命令には絶対服従だった」というようなことがよく言われますよね。でも僕の個人的なことを言いますと、こうしろと命じられたことで何か納得できなくて、「でも、これはこうじゃないですか」とおうかがいをたてて、それで「わかった。じゃあそうしようか」と変更になったことが何度もあったんです。
『約束された場所で』村上春樹「寺畑多聞のインタビュー」

 ゴールデンウィーク狭間の五月一日。僕は拘置所にいた。これまでオウム信者への面会はすべて六階だった。でもこの日、仮設玄関脇の受付で渡された面会整理票には、八階と記されていた。
 ロビーは混雑していた。長椅子に腰を下ろす。隣に並んで座っているのは、中学生くらいの女の子と小学生くらいの男の子。姉と弟だろうか。二人とも自分の足元に視線を落としたまま、身じろぎひとつしない。おそらくは父親か母親(あるいはその両方)への面会なのだろう。その前の長椅子には、低予算のヤクザ映画に登場するチンピラ役のような典型的なファッションの三人組。どうやら場馴れしていないらしく、しきりに周囲にガンを飛ばしている。同業者の密度は高いし親分クラスの大物がひっそりと座っていることもあるから、組関係者はこの場では大人しいことが普通なのに。
 電光掲示板の番号が点灯した。受付横の検査室に入り、荷物をロッカーに入れてから金属探知機をくぐる。警備の刑務官のボディチェックを受けてから八階へと向かう。エレベーターを降りるとすぐ横にガラス張りの受付があり、中には数人の刑務官が待機している。ガラス越しに面会整理票を見せると、スピーカーを通して面会の部屋の番号が伝えられる。
 後ろ手に扉を閉める。面会には馴れているつもりだけど、さすがに今日は少しだけ緊張している。パイプ椅子に腰かけて数分が過ぎた頃、アクリル板越しの部屋の扉についている小さな覗き窓の向こうから、二人の人影が近づいてくるのが見えた。一人は制帽を被った刑務官。そしてもう一人は坊主頭。
 扉が開く。刑務官に続いて新実智光が入室した。作務衣姿だ。視線が合うと同時に、両端の口角がきゅっと上がる。アクリル板越しに直立した新実は、軽く会釈してからパイプ椅子に腰かけた。立ち上がっていた僕も腰を下ろす。正面に彼の顔がある。その口許には、ニコニコと笑みが浮かんでいる。
 一九六四年に愛知県で生まれた新実は、愛知学院大学法学部を卒業後、いったんは食品会社へ就職するが、自動車事故などをきっかけに、半年で会社を退職して出家する。オウムが省庁制を採用したときに自治省の大臣に任命され、地下鉄サリン事件三日前に発令された尊師通達で正悟師に昇格し、逮捕後には正大師に昇格した。
 麻原の忠実な側近として、新実は数々の殺人事件に積極的に関わった。彼が関わった事件で死んだとされる被害者の数は二十六人。これは麻原が裁かれた十三の事件による被害者総数二十七人に次ぐ数字であり、信者の中では最も多い。
 法廷における新実は、事件の内容を詳細に供述する一方で、「一殺多生。(事件の被害者は)最大多数の幸福の為のやむを得ぬ犠牲である」「間違ったことをしたとは感じていない」「亡くなった人は真理と縁ができ、意義あることと思った」などと述べて、遺族や被害者の感情を逆撫でし続けてきた。事件の内容を詳細に供述する理由も、反省や悔悟に駆られてのことではなく、「間違ったことはしていない」と思っているからこそ、詳細に供述できたと考えたほうがいいだろう。
 残虐な実行犯たちの中でも極めつけに狂暴であるという新実のイメージは、テレビでくりかえし放送された映像で、観る側にさらに強く印象づけられた。それらの映像に現れる逮捕前の新実は、自分にレンズを向けるカメラを敵意溢れる表情で睨みつけたり、時にはカメラに近づいてレンズを鷲づかみにしたりするなど、とにかく挑発的で攻撃的だった。
 かつて早川は僕との面会時に、「ドーベルマンみたいなやつだよ」と苦笑しながら新実を形容したことがある。直情径行であると同時に麻原への強烈な忠誠心を保持している。だからこそ飼い主に危害を加えようとする存在に対しては牙を剝く。でも(あるいはだから)知ってほしい。メディアによるイメージ形成は、実はとても恣意的に行われているということを。例えば今回の原稿で、僕は面会室に入ってきた新実の表情をニコニコと描写した。このニコニコをニヤニヤに変えるだけで、受ける印象はまったく違う。
 表現とはそういうものだ。笑顔そのものには大きな違いはない。見たり聞いたりする側の感覚によって大きく変わる。もし僕が新実をとても狂暴で冷酷な男だと思っていたならば、あるいは強い応報感情を彼に対して持っていたのなら、ニコニコではなくニヤニヤと書くだろう。
 文章だけではない。取材する側の思いによって映像も変わる。ディレクターや映像編集者が新実をとても狂暴で冷酷な男だと見なしているのなら、撮った多くの笑顔からニヤニヤ度が強い映像を選択する。あるいは画の前後の繫ぎやナレーション、音楽などで、このニュアンスを強調する。麻原一審判決の翌日のほとんどの新聞各紙に掲載された法廷画家のイラストは、麻原がくしゃりと顔をしかめた例の表情だった。どの瞬間を使うかで印象はまったく変わる。この表情のイラストを使いながら、記事本文やキャプションに「薄ら笑い」とか「反省の色なし」と書いた新聞はとても多かった。
 念を押すが、メディアにおけるこの姿勢そのものを批判するつもりはまったくない。取材者は絶対にこの作為(主観)から逃れられない。僕が撮る映像や書く文章も同様だ。僕は僕の主観からは逃れられない。マスメディアに批判されるべき一点があるとすれば、視聴率や部数やわかりやすさなどの論理を、自分の現場感覚や生理や思いに対してあっさりと優先させるときがあることだ。その帰結として、不安や恐怖を煽情的に搔きたてるような報道が、どうしても多くなることだ。
 客観や中立である必要はない。何よりもそれは不可能だ。そのうえでもう一度書く。かつてテレビで見た新実の笑い顔は、僕にとってはニヤニヤだった。でも今、目の前にいる新実の笑顔はニコニコだ。
 裁判傍聴マニアとして最近はよくメディアで紹介される阿曽山大噴火は、自らが傍聴した新実の法廷について、以下のように描写している。

 1審から一貫して起訴事実を否認し続け、法廷では紫色の作務衣を着ています。裁判中声には出さないものの、口だけを動かしお経を唱え、自分の右手をアンテナのように頭の横に添えてお祈りをしています。時には、傍聴席の方をにらみつけながら見渡したりするさまは異様で、非常に不気味な被告人の1人だったりします。(中略)
 でも、新実智光被告人には聞こえているのかいないのか。目を閉じてブツブツ、マントラを唱えていました。もう人の心は持っていないのかもしれません。
『ウェブ版・日刊スポーツ』(二〇〇五年八月二十九日)

 二〇〇二年の六月二十六日、「もう人の心は持っていないのかもしれません」と阿曽山に書かれた新実は、一審で死刑判決を受けた。その日の毎日新聞の夕刊には、以下のように判決の際の様子が描写されている。

「被告人を死刑に処する」。東京地裁104号法廷。午後0時17分、中谷雄二郎裁判長が主文を告げると、新実被告は軽くうなずき、口元に笑みをうかべて傍聴席を振り返った。着席後、法廷を出る傍聴人に向かって、さらに数回、うなずいた。(中略)これまで新実被告は「尊師(松本被告)と一緒に断罪されたい」と、極刑を覚悟するかのような言動を取ってきた。だが、それは教祖への忠誠を誓うものであっても、事件の反省から出た言葉ではなかった。

 新実との初めての面会は、本来はこの二週間前のはずだった。でもその日、僕は風邪のために急に発熱した。ほとんど歩けないくらいの高熱だ。こんなときに電話かメールが使えればと思うのだけど、拘置所の職員が電話を死刑囚に取り次いでくれるはずはないし、パソコンの使用を許してくれるはずもない。だから結果としては、その日に予定を空けていた新実を連絡なしにすっぽかした形になってしまった。後日に非礼を詫びる手紙を書いた。新実からはすぐに返事が来た。

 インフルエンザの予防は手洗い、うがい、加湿器、マスクに加え、起床直後の歯磨きで発症を十分の一に減らせます。
 就寝中は、細菌やウイルスを殺菌する口内の唾液量が減ります。そのため、起床時は、一日の中で最も口内に細菌やウイルスが繁殖している時間帯で、そのまま食事をとると、細菌やウイルスごと体内に送り込んでしまうことになります。
 そこで、起床直後に歯磨きをすれば、口内の細菌やウイルスを一掃できるというわけです。
 起床直後の歯磨きを勧めます。もしくは、うがいを勧めます。

 チベットの裕福な家庭に生まれたミラレパは、父親の死後に家屋敷や財産を叔父夫婦に奪われた。彼らの使用人とされた母親は、十五歳になったミラレパを、呪術を学ばせるために旅に送り出す。修行を重ねてこれを会得したミラレパは、母の願いどおり呪術によって叔父一家を呪い殺す。
 やがて自らの悪業を悔いたミラレパは、家族を捨てて出家して、カギュ派の宗祖であるマルパに師事することを決意する。しかし過去に大きな悪業を積んだミラレパは、巨大なカルマを抱えていた。これを浄化させるためにマルパは、石造りの家を造っては壊すという作業を何度も反復することを命じる。グルに対する絶対的な帰依を背景に、ミラレパはこの修行をくりかえす。
 そのミラレパの名前を麻原から与えられた新実は、透明なアクリル板越しにじっと僕を見つめながら、パイプ椅子に腰を下ろした。僕も椅子に座ってから、互いにもう一度、初めましてと頭を下げた。その後の会話は書けない。だからこの面会から数日後に届いた彼からの手紙を、以下に引用する。

親愛なる森達也さんへ
 つつがなく、ご健康で、軽快で、力強く、安穏ですか?
 PB(PLAYBOYの略=引用者註)6月号差し入れありがとうございました。
 (中略)
 尊師とはどういう人なのか……。自分自身についてすら知らないのに況や……、が率直な意見です。無知の知ですね。
 グル、シヴァ大神、すべての真理勝者方、すべての到達真智運命魂に帰依し奉ります。
 三宝のご加護あれ
 5月13日 愛と祈りを込めて 新実智光

A3 目次

『A3』無料公開にあたって
プロローグ
1 傍聴
2 封印
3 面会
4 弁明
5 弁護
6 故郷
7 真宗
8 記憶
9 拒否
10 手紙
11 暴走
12 鑑定
13 信仰
14 鏡像
15 集会
16 父親
17 詐病
18 棄却
19 姉妹
20 船橋
21 刑事
22 迷路
23 孤立
24 死刑
25 視力
26 抗議
27 試練
28 生殺
29 統制
30 独房
31 受容
32 特異
エピローグ
文庫のための新章 残像
参考文献・年譜・オウム真理教組織図
解説

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森達也(映画監督・作家)

‘98年にドキュメンタリー映画『A』を公開。ベルリン国際映画祭などに正式招待される。2001年、『A2』が山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。2011年に『A3』が講談社ノンフィクション賞を受賞。2016年、映画『Fake』を発表。

『A3』

2012年に集英社文庫から出版された『A3』(上・下)を全文公開します。
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