13 信仰

(二〇〇六年二月号)

 西荻窪で電車を降りる。改札のすぐ脇で松尾信幸は、自転車に跨りながらにこにこと手を振っている。歩きながら僕は軽く手を挙げる。松尾のすぐ隣には、この連載の担当編集者である松政治仁と佐藤信夫が立っている。もちろん二人とも、自分の横にいる男がオウム信者であることには気づいていない。
「この人、オウム信者だよ」
 そう言って二人に松尾を紹介する。少しだけあわてた表情で松尾が自転車から降りて、三人はその場で、ぺこぺことお辞儀をしながら名刺を交換し始めた。傍から眺めているぶんには、実にのどかで日本的な光景だ。
 一九九九年九月二十九日、読売新聞夕刊一面に「オウム幹部ら二人逮捕」の大見出しが掲載された。次の小見出しは「女性信者監禁容疑 長野木曽福島 教団施設など捜索」
 本文を引用する。

 オウム真理教の幹部らが、長野県木曽福島町の教団施設に女性信者を監禁していたとして、警視庁と長野県警の合同捜査本部は二十九日朝、同町新開の教団施設「蓮華」など二か所を監禁容疑で家宅捜索するとともに、施設責任者の幹部と元幹部信者の二人を同容疑で逮捕した。さらに施設内の個室に閉じ込められていた八人を発見、そのうち三十歳代の男性信者一人を保護した。「蓮華」は教団信者らから「刑務所」と呼ばれており、同本部では、信者確保のために手段を選ばない教団の体質は変わっていないとして、違法行為の摘発を強める方針だ。(関連記事18・19面)

 記事はこの後も続いている。関連記事も含めて、まさしく大事件の扱いだ。ちなみにこの日の夕刊で読売の記事の見出しは「陰惨《オウムの刑務所》」「体質変わらぬオウム警戒」などと記されている。読売だけではない。朝日や毎日新聞もこの事件を大きく伝え、毎日の夕刊には「まるでサティアン 密室のリンチほうふつ」の見出しが掲載されている。その一部を引用する。

 逮捕されたのは同施設責任者の郡谷昌弘容疑者(30)と、元幹部の医師で同施設内にある医療相談室元責任者の霜鳥隆二容疑者(37)。調べでは、昨年3月下旬ころ、「ここから出してください」と訴えて鏡の破片で首を切ろうとするなどした女性信者に対し、「修行」と称し、両手両足を粘着テープで縛り、水を張った浴槽に上半身をあおむけにして入れて失神させ、4月3日まで施設の独房などに監禁した疑い。(中略)監禁されたため、同年12月に逃走。昨年1月には施設に戻ったが4月3日には再び逃走し、近所の住民に保護されていた。

 記事にあるように長野県警と警視庁は、家宅捜索の際に施設内で衰弱していた信者を発見して、これを保護したと発表した。この夜のテレビニュースでは、救急車に乗せられる信者の激しく震える足先が映しだされ、地下鉄サリン事件直後に行われた上九一色村施設への強制捜索を思い出しますねなどと発言したコメンテーターもいた。このときは同時に、「オウムが再びテロを計画していたことを示す重要書類が発見された」と一部のメディアが大きく報道したが、今に至るまでその続報はない。
 逮捕された二人の幹部信者は、その後に取り調べを受けて、結局は十月二十日に釈放されている。要するに不起訴だ。検挙できるほどの違法性や悪質性はなかったということだ。
 ところが例によって、逮捕は大きく報じられても不起訴の記事の扱いは小さい。場合によっては報道すらされない。今に始まったことではない。報道とは基本的にそういう属性を持っている。でもオウムの場合は、明らかにその振幅が突出して激しかった。
 記事をよく読めばわかることだが、逃走してはまた戻ることをくりかえしていた女性信者が、最後に逃亡して近くの住民に保護されたとされるのは、一九九八年の四月だ。つまりこの時点から一年半も前の出来事だ。
 なぜ一年半が過ぎてから家宅捜索が実施されたのか。あるいは事件から一年半が過ぎてから、事件化せねばならなかったのか。そしてなぜメディアは、その程度の疑問すら持たないのか。
 その後の経緯だけを書こう。事件を大きく報じた一般紙やスポーツ紙の紙面は、オウムに対しての「無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律」(団体規制法)成立を宿願とする公安調査庁によってコピーされ、最新の資料として裁判所に提出された。破防法の団体への適用を目論んだときと同じ手法だ。ただし今回は棄却されなかった。「オウムの暴力体質は変わっていない」とする公安調査庁の主張は、この事件を大きく伝える報道によって補強され、事件からほぼ二カ月後の十二月三日、団体規制法は成立した。

 この時期に『A2』を撮影していた僕は、事件から一カ月が過ぎる頃、カメラを手に木曽福島(現・木曽町)の施設を訪ねた。施設内を案内したのは、監禁容疑で逮捕されて不起訴で釈放された当人である郡谷昌弘と、松尾信幸と名乗るもう一人の男性信者だった。
 郡谷が女性信者に暴行を加えたとされる風呂場を撮影する僕の横で松尾はふと、「なぜメディアの人たちは、自分が見たままを記事に書かないのでしょうか」とつぶやいた。
「何かあったのですか」
 そう訊き返す僕に、しばらく口ごもってから松尾は、「私、警察に拉致されたことがあるのですが、それを保護されたとメディアに書かれたことがあります」と言った。
「いつの話ですか」
「ついこのあいだです。この施設への家宅捜索のとき」
 僕は横の松尾にカメラのレンズを向けた。空調の音がすぐ横で大きく響いていたけれど、この状況を逃したくはないと瞬時に考えた。
「ならば、衰弱しているところを警察に発見されて保護された信者というのは……」
「私です。衰弱なんてしていません。警察が訪ねてきたので扉を開けたら、いきなり毛布らしい布を頭から被せられて、さらに手足を拘束され、十人近い警察官から横抱きにされて救急車に放り込まれ、そのまま病院に運ばれたんです」
「でもニュース映像では、実際に担架の端から覗いた足先が震えていましたよ」
「いきなり拘束されたから、必死にもがいていたんです。でもニュースを見た人は、抵抗ではなくて苦しんでいると思ったようですね」
「つまり、衰弱していた信者が保護されたという報道はウソってこと?」
「まったくウソです」
「だって実際に病院に収容されたんですよね。ニュースはそう言っていましたよ」
 カメラを回しながらそう問う僕に、松尾は「救急車から降ろされた自分の目の前で、警官が病院関係者に、『メディアに衰弱して保護したと発表してしまったので何とか入院させてくれ』と頼んでいました」と、少しだけ苦笑しながら教えてくれた。
 二十九日の読売記事には、「捜索で保護された三十歳代の男性信者はこの日の午前、病院に収容された。言動におかしな点があり、捜査本部では『独房』での監禁状態が続いたためとみて調べている」との記述がある。「言動におかしな点があり」と発表した意図は明らかだ。松尾が万が一「自分は警察に拉致された」とメディアに言ったときのために、捜査本部としては布石を打ったのだろう。
 でもやっぱり不思議だ。家宅捜索のそのときも、メディアは現場で取材していたはずだ。少し混乱しながら僕は訊いた。
「でも松尾さんが警察から無理やりに拉致されるその現場に、メディアはたくさんいたはずですよね」
「たくさんいました」
「つまり松尾さんがいきなり毛布を被せられて拘束されるその瞬間を、記者やディレクターたちは至近距離から目撃しているわけですよね」
「……だと思います。玄関前ですから」
「じゃあなぜ?」
 カメラを向けてそう訊ねかけてから、この質問はそもそも、松尾から僕になされたものであることを思い出した。当然ながら松尾は答えない。答えようがない。じっと立ちつくしたまま、困ったように考え込んでいる。
 この撮影から数カ月後の二〇〇〇年二月、オウム真理教は宗教団体アレフとして再編された(三年後にアーレフに改称。二〇〇八年からはアレフ=Alephに再改称)。松尾は(二〇〇五年)現在、アーレフ広報部員だ。つまり『A』と『A2』を通してメインの被写体だった荒木浩と同じ部署にいる。荒木とはこの一年ほど連絡をとっていない。少し前に聞いたところによれば、心身のバランスを崩して病院で胃の手術までして、現在は教団内引きこもりの状態らしい。
「荒木ですか。このあいだ復帰しました」
 自転車を押しながら松尾が言う。その横では松政と佐藤が少しだけ緊張したような表情で、じっと前方を見つめながら歩いている。
「復帰?」
「ええ、また広報部長です。今日は所用で出ているけれど、森さんによろしくと言ってました」
 大通りを路地へと曲がる。数メートルの間隔を置いて、「アレフ撤退」などの文字が染め抜かれた幟が立っている。『A』や『A2』撮影の頃には何度も見かけた光景だ。一軒の民家の前で、松尾が足を止める。玄関のロックを解除して、自転車を中に入れる。
「どうぞ」
『A2』撮影を終えて以来、施設に入るのは久しぶりだ。松政と佐藤も後に続く。一階と二階は居住施設で、地下一階の二部屋は道場だ。行き来する複数の信者たちと視線が合う。初めて見る顔もいれば、確かにどこかで会ったような顔もいる。にこにこと微笑みかけてくる男性信者もいれば、こわばった表情のまま早足で通り過ぎる女性信者もいる。
 道場で待っていたのは三人の信者たち。いずれも年齢は四十歳前後の古参信者だ。松尾が畳の上に座り、三人の信者も一列に並んで蓮華座を組む。松尾の横には、『月刊PLAYBOY』のバックナンバーが数冊積み重ねられている。
「……何か、薄くないですか」
 バックナンバーを指で示しながら、松政が不思議そうに言う。確かによく見れば、明らかに厚みがない。中身が抜けた着ぐるみのようだ。微笑みながら松尾が一冊を手に取る。薄いわけだ。表と裏の表紙に挟まれているのは、目次と「A3」のページだけだ。
「他のページは切って抜いちゃったんですか」
「ええ、まあ、一応は宗教集団ですから」
「ヌードグラビアだけじゃなくて他の記事も?」
「俗世のあらゆる情報から、本当はできるだけ距離を置かなくてはいけないんです。この施設に居住しているのはサマナばかりですから」
 畳の上で蓮華座を組む三人の信者の名前は、利根と田邊、そして片山。利根と田邊はこの西荻窪の施設に暮らしていて、片山は世田谷区烏山の施設に居住しているという。利根と片山の現在のアーレフにおける序列は「師」。正悟師に次ぐ地位だから、ステージとしてはかなり高い。
「『A』か『A2』を観た方は?」
 僕のこの質問に、三人ともこっくりとうなずいた。俗世の映画を観たり音楽を聴いたりすることは、『月刊PLAYBOY』のヌードグラビアを眺める行為と同じく破戒行為ではあるけれど、実のところ彼らはこの点に関して、大丈夫なの? と念を押したくなるくらいにおおらかだ(もっと直截な言葉を使えばズボラだ)。
『A』や『A2』撮影時も、信者たちは当たり前のように、雑誌を読んだりテレビを見たりしていた。規律はあるが統率はない。破戒はあっても罰則がない。そもそも『A』のラストシーンである荒木浩の帰省も、出家者としては実のところ重大な破戒行為だ。サリン事件が起きる前は戒律違反に対して相当に厳しい統制や罰則があったとよく聞くが、少なくとも僕が撮影を始めてからの彼らには、そんな気配はほとんどない。よくいえば大学のサークルのように緩い。悪くいえば崩壊直前の組織のように求心力がない。
「ならば僕の自己紹介は省略します。今日のこの取材は、そこにある『月刊PLAYBOY』への掲載を前提に行われます。テーマは麻原彰晃です。もっと具体的に言えば、サブタイトルである『麻原彰晃への新しい視点』が示すように、彼のパーソナリティへの新しい視点を、この連載で提示したいと思っています。もちろん新しい視点があればの前提です。実際に彼が、メディアで伝えられているような俗物詐欺師であり、日本を征服して王になって君臨するという野心だけの男ならば、この連載は失敗です。特に今は、まだ何も明らかにされないまま、彼の死刑が一審だけで確定するかもしれないという状況です。だからこそ知りたい。彼がいったいどういう人物だったのか。手がかりを探したい。そう思いながら今日はここに来ました。まずは皆さんに、彼のどんな部分に惹かれたのか、どんな部分を信じたのか、そのあたりをお聞きしたい」
 三人は無言でうなずいた。しばらく間が空いた。横に座る佐藤がレコーダーを三人の前に置いてスイッチを入れた。数秒の間を置いてから左端に座る利根が、静かに口を開いた。
「……自分が麻原氏に対して惹かれた理由は、やっぱり教えですね。法則と、あとは救済理念というんですか、そんな考え方を本で読んで、それで論理的な部分と直感的な部分で、『ああ、これでいこう』と確信を持つことができて、入会したという感じです」
「その本のタイトルは?」
「『生死を超える』です」
「一番売れた本ですね」
「それともう一冊、『滅亡の日』。今はどっちも本屋にないですけど」
 僕はうなずいた。確かにオウム出版が発行した本のほとんどは、普通は入手できない。図書館にもない。当たり前だと言われれば、そうですかと言うしかないけれど、でも事件前後のオウムが何をどう考えていたのか、調べたくても一般の人は調べられないということになる。この少し前に江川紹子が自らのブログで、書店でたまたまオウム出版の本を見つけて驚きあきれ、すぐに店主に抗議して本をすべて店頭から撤去させたということを書いていた。まあ確かに、とは思う。それがまっとうなのだろうとも思う。でも何となく違和感がある。ここに反ナチ法を持ち出すことは筋違いかもしれないが、でも何かがバグを起こしているような感覚がある。
「……その本に出合う前は、どんな生活を送っていたんですか」
「学生でした。京都大学の二年生です。それまでは、宗教的な世界にはまったく関心がなくて、ある意味で唯物主義的な思想を持っていたわけなんですけど、でもいろんな本を読んだり話を聞いたりしているうちに、科学で証明されていることなど、この世界のほんの一部にしか過ぎないということがだんだんわかってきて。それで精神世界とか宗教の方面に、意識が向きだしたんです」
「大学の専門は?」
「農学部の農芸化学科。バイオテクノロジーです。それまでは受験勉強ばっかりだったので、社会のことなどほとんど知りませんでした。大学生活を送りながら、今の世界で起こっていること、戦争や飢餓、災害や環境問題、……とにかく大変な状況になっているということを知って、初めてというかあらためてというか、大きなショックを覚えたんです。日本という裕福な国に生まれた自分は、何かすることがあるのではないかという使命感みたいなものを持ったんです。ちょうどその頃、ある手かざしの宗教にちょっとだけ入りました。そこではある程度は神秘的な体験などもあったけれど、その理論というか教義というか、不思議な現象が起こる理由がどうしてもわからない。疑問をなげかけても明確な答えを示してくれない。でもオウムの書籍を読むことによって、すごく納得できたというのがあったんですね。具体的にはカルマの法則をもとにした論理展開です。エゴを消滅させることで得た自分の幸福は、他に対しても利益を与える。つまり自分の幸福と他の幸福は結局ひとつなんだという。その論理がこの宇宙の生成とか消滅をも説明していて、直感的にもすごくピンとくるものがあったんです。それを解き明かしているという意味で、素晴らしい方なんだな、偉大な方なんだなというのが、尊師に対する最初の印象だったんです」
 ここまでの彼の説明で、飛躍を感じる人は多いと思う。信者全般に共通しているが、この世界のあらゆる矛盾、戦争や差別などが絶えない理由、自分が生まれてきたことの意味、人はどこから来てどこへ行くのかという疑問、そんな哲学的で本源的な命題を抱えてさんざん悩んだ末に、彼らは文字どおり飛躍する。信仰という名の対岸へ。
 その飛躍の瞬間について、撮影しながら僕は彼らに幾度も訊ねてきた。「直感的に」とか「ピンとくる」とかではなく、もっと違う言葉での説明を求めてきた。でも結局はよくわからない。
 無言でカメラのスイッチを切る僕を眺めつつ、彼らもまた、困ったように黙り込んでいた。そんなことを何度もくりかえしてきた。隠すとかとぼけるとかのレベルではない。僕に伝えるだけの言葉を持たないことについて彼らがいらだちや焦躁を見せることもあったし、あきらめの表情を見せることもあった。その意味では同レベルだ。でも岸辺が違う。すぐ目の前にいるけれど対岸だ。

 ただし彼らのこの飛躍を、共通の語彙がないことを理由に、短絡という言葉にまとめるつもりはない。人の意識や営みは、当てはまる語彙だけで説明できるものじゃない。彼らは悩み、悶え、求め、そして飛躍した。そこには彼らなりの必然がある。別にオウムに限ったことではない。信仰と非信仰のあいだに境界線はない。境界線はないけれど境界のエリアはある。この領域を言語化することは難しい。逆にもし簡単に言語化できるのなら、使われているその言語を疑ったほうがいい。そんな浅いものではない。僕は利根に訊いた。
「実際に麻原に会ったのは?」
「信徒(在家信者)の時代には会っていません。出家したばかりの頃、富士山総本部で研修があったんです。そのときに道場で説法を聞いたのが初めてでした」
「直接言葉を交わしたとか、もっとパーソナルな体験は?」
「初めて尊師と会話をしたのは、選挙活動をやっていた八九年です。どこかのマンションの一室でした」
 このとき、ずっと横で黙って話を聞いていた松尾が、不意に顔を上げた。
「あの、……今回のこのインタビューで、彼をどう呼べばいいかという問題があって、……公式には旧団体代表なんですけれど、やっぱりそう呼ぶと、どうしても話しづらいというか、堅苦しくなってしまって、……今日はやっぱり『尊師』と呼ぼうということで、……森さんが来る前に、全員でそう決めたんです。森さんなら揚げ足を取るような書き方はしないだろうということで……」
「揚げ足って? 『尊師』でOKですよ。何か問題があるんですか」
 話し始めてすぐに、利根は麻原を「麻原氏」と呼んだ。でも松尾が顔を上げる直前には「尊師」と呼んだ。意識が定まっていないことはわかっていた。呼称は重要だ。無自覚な意識が表れる。だからこそ「何か問題があるんですか」と意地の悪い訊き方を僕はした。松尾の視線が一瞬だけ宙に浮く。カメラを手にしているのならズームしているところだ。
「……その、やっぱり、信者が『尊師』と呼んだということで、いろいろ波紋が広がるといいますか、いろいろ解釈されるというか……」
 他の三人の信者たちは、そろって俯きながら無言で、僕と松尾のやりとりを聞いている。宗教法人オウムから宗教団体(つまり法人格は失った)アーレフに変わったけれど、現在も団体規制法の観察処分は解けていない。つまり彼らは今もまだ、無差別大量殺人行為を起こす危険性を持つと公式に認定されている存在だ。公安調査庁はその最大の根拠として、「いまだに信者たちによる麻原への崇拝が続いている」ことを挙げている。ならば信者たちが今もなお麻原を「尊師」と呼んでいるという情報は、この認定をこれ以上ないほどに補強する材料になる。松尾が小声で言った。
「少なくとも今回は、……呼びやすい形で呼んだほうが、自然に話せると思いますので……」
 座談会への協力を僕から依頼された松尾は、スイッチが入ったレコーダーの前で信者たちに麻原をどう呼ばせるかを、今日までずっと悩み続けてきたのだろう。俗世とは縁を絶つことを決意して出家したのに、俗世と最も濃密な関係を持たざるをえない広報というポジションにいることの矛盾と苦悩が、その困惑したような表情に滲んでいる。かつての荒木浩もそうだった。僕が知るだけでも、『A』の撮影が始まって『A2』が終わるまでの五年間、広報副部長という自らの位置の矛盾に、彼もずっと悩み続けていた。
 少しだけ間を置いてから、初めて麻原と話したときの様子を、利根はぽつりぽつりと話しだした。
「初めてお会いしたそのときに、自分のある状態を、あっさりと言い当てられまして……」
「具体的に言ってもらえますか」
「それはちょっと……」
「みんなね、そこで押し黙る。言いたくないんですよね。わかります。でも今日は言ってほしい。具体的に彼に何を言われたのか。何をどう言い当てられたのか、今日はどうしても聞きたいんです」
「……ちょっと法則的な用語になってしまうんですけど、『タマスだな』という言葉でした」
「タマス?」
「その人の意識状態というか、エネルギー状態を表した言葉です。具体的には、愚鈍というか、曖昧さがあるというようなニュアンスです。その後も何度かお会いしました。選挙活動をしているときに、一軒ずつ家を訪ねながら、『麻原彰晃、麻原彰晃、麻原彰晃、よろしくお願いします』と言うようにと決められていたんです。でも名前を三回くりかえすということが、訪ねた家の方からも奇異に思われるような気がして言いづらくて、『名前を言うのは一回でいいでしょうか』と尊師に聞いたんです。即答でした。『それはおまえの心が弱いからだ!』って怒鳴られたんです」

A3 目次

『A3』無料公開にあたって
プロローグ
1 傍聴
2 封印
3 面会
4 弁明
5 弁護
6 故郷
7 真宗
8 記憶
9 拒否
10 手紙
11 暴走
12 鑑定
13 信仰
14 鏡像
15 集会
16 父親
17 詐病
18 棄却
19 姉妹
20 船橋
21 刑事
22 迷路
23 孤立
24 死刑
25 視力
26 抗議
27 試練
28 生殺
29 統制
30 独房
31 受容
32 特異
エピローグ
文庫のための新章 残像
参考文献・年譜・オウム真理教組織図
解説

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森達也(映画監督・作家)

‘98年にドキュメンタリー映画『A』を公開。ベルリン国際映画祭などに正式招待される。2001年、『A2』が山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。2011年に『A3』が講談社ノンフィクション賞を受賞。2016年、映画『Fake』を発表。

『A3』

2012年に集英社文庫から出版された『A3』(上・下)を全文公開します。
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