12 鑑定

(二〇〇六年一月号)

 二〇〇四年二月の判決公判の際には、麻原は確かに自力で歩いていた。被告席に座りながらの挙動はとても異様だったけれど、でも少なくとも歩行には何の問題もなかったはずだ。
 松井が初めて麻原に会ったのは二〇〇四年七月。つまりたった五カ月で、五十歳という壮年期の男が、普通の歩行から車椅子生活となっていたということになる。しかもこの間に事故に遭ったわけでもないし、怪我をしたわけでもない。
 仮にそんなハプニングがあったとして弁護人に知らされていないのなら、それはそれで大問題だ。だからこそ松井にとって、車椅子に座る依頼人の姿は、強い衝撃だったようだ。
「車椅子に座りながら、麻原はどんな様子でした?」
「……ずっと足をさすっていました。それとやっぱり、目が気になるのか、目をこすったり、頭を搔いたり、で、時おり、『ン、ン』っていう例の声というか音というか、そんな呻きを洩らします」
「松井さんに何か言いましたか」
「何も。『ン、ン』だけ」
「たまにニヤッて笑うでしょ?」
「そう、笑うというか……」
 言いかけて松井は口ごもる。その理由は僕にもわかる。たぶん僕だって口ごもる。なぜなら、時おり麻原が浮かべるあの表情を形容する言葉が、どうしても見つからない。少なくとも何らかの刺激に反応しての表情ではないし、脈絡もまったくない。表情は僕らの「笑い」に確かに似ているけれど、内実が僕らの「笑い」とはまったく違う。……いや、彼のこの表情には、そもそも「内実」がない。
「だからね、『足はどうしたんですか』とか、『食事はどうですか』とか、『麻原さんって呼んでいいですか。それとも松本さんですか』とか、そんなことから質問を始めたのだけど、反応はまったくない。相変わらず足をさすったり、頭を搔いたり。でもやっと会えたのだから、『控訴審を始めるためには、控訴趣意書が必要なんです』って説明した。『それを書くためには、麻原さんの判決への意向や不服などを、自分は聞かなければいけないんだ』って。でもやっぱり反応はない。下を向いたり足をさすったり、それから突然、『シシシッ』というか、そんな息づかいを発して笑っているような表情になって、また足をさすって頭を搔いて、……接見が始まったのは午前十一時少し前ですね。午後零時十分頃に休憩して、それから午後は、一時半前から、二時五十分までやった。だからこの日は二時間以上、控訴趣意書が必要なんだって説明し続けました」
「それが一回目の接見ですね」
「そうです。それからこれまで(九月三日時点)で接見した回数は、……えーと何回かな百十回は超えていますね。手帳を見れば正確にわかるけれど……」
「そのあいだ、ずっと状態は変わりませんか」
「変わらない。ずっと同じ。反応はまったくない。裁判所にすれば弁護団のやり方が稚拙だってことになるんでしょうけれど。ただね、須田(裁判長)さんは一回だけ拘置所に行って、それで『ウン、ウン』ってうなずくのを見たから、こちらの言っていることはわかっていると判断したと説明していますよね。ならばね、百十回とは言わないけれど、せめて一週間でいいから通いなさいって僕は言いたい。一回の『ウン、ウン』で、いったい何がわかるんですか」
「そもそもどうして二審弁護団は二人しかいないんですか」
 僕のこの質問に、激昂しかけていた松井は、少しだけしょんぼりと肩を落とす。たった二人の弁護団。しかも主任弁護人である松下明夫は仙台在住。接見も含めて実質的に奔走しているのは、ほとんど松井一人なのだ。
「松下は私の司法修習生時代の同期なんです。こいつしかいないだろうなって感じで、手伝ってくれないかと頼んだんです」
「仙台の方にわざわざお願いしなきゃならないほど、人材がいないということですか」
「もちろん優秀な弁護士はたくさんいますよ。ただ私、森さんも知っているように、人付き合いがあまり良くないので、……しかも事件が事件ですからね。声をかけても、考えさせてくれと答える方が多かったです」
「で、結局は断られる」
「……まあ、そういうことですね」
 言いながら松井は肩を落とす。「人付き合いがあまり良くないので」との松井の言葉に、僕は初めて松井と会ったときのことを思い出していた。
 松井には悪いけれど、少なくとも謙遜の言葉ではないと僕も思う。確かにそのとおりだ。松井は人付き合いが悪い。そう断言できるだけの根拠が僕にはある。

『A2』の撮影が終盤を迎えていた二〇〇〇年一月、茨城県旭村に居住していた麻原の長男が自宅から拉致されたとの事件が大きく報道されたことは、この連載の第三回で書いた。このときに容疑者として指名手配されて出頭した次女と三女の弁護人(家裁送致後は付添人)が松井武だった。事件についての説明を求めた僕に、「この事件は警察とメディアによって捏造されたものであること」と、「取り調べの際に二人が非人道的な扱いを受けていること」を、松井は強い口調で説明した。そのときの僕の印象を直截に書けば、「正しいが剛直すぎる弁護士」だった。
 次に松井に会ったのは、編集を終えた『A2』を公開する直前だった。被写体となった麻原家族の代理人として現れた松井と僕は、彼らの肖像権をめぐって激しくやり合った。そのときの松井の印象は僕にとって、まさしく「人権原理主義者」だった。
 原理主義だから融通は利かない。妥協や譲歩も一切ない。僕自身は性格的にはきわめて弱くてだらしないが、それなのにというか、だからこそというか、作品については一点の妥協もしたくない。肖像権を尊重するばかりではドキュメンタリーなど作れない。つまり原理主義対原理主義。だからこのときは、互いにいつも喧嘩腰になっていた。
 ただし(僕はともかく松井について言えば)誰かの権利を代行する立場なのだから、妥協のなさはある意味で当然だ。原理主義でなければ困る。そのための弁護人だ。でも松井のこの「剛直な正しさ」が、現実や周囲との摩擦を常に引き起こしているであろうことは推察できる。
 もちろん麻原の弁護団がたった二人しかいない理由は、松井が剛直で正し過ぎるからだけではない。他にも理由と背景がある。むしろこちらのほうが本線だ。
 つい先日、都内某所で開催されたシンポジウムに、僕はパネラーの一人として呼ばれた。ジャーナリストの田原総一朗も一緒だった。「最近のあなたは思想的に転向したのではないか」と会場から質問されて、田原はやや気色ばみながら、「僕は変わっていない。でも確かに周囲は変わった。自分の周りだけでも、多くのリベラルだったはずの人が、なぜか九五年から九六年にかけて次々に保守派になった」と発言した。
 田原がどこまで意識的だったかは確認していないが、「九五年から九六年にかけて」なるフレーズは、分節点がオウムであることを示している。地下鉄サリン事件を契機として高揚した危機管理意識と被害者意識は、この社会の集団化と管理統制されることへの希求を促進し、結果としては疑似右傾化と保守化に結びついた。
 逮捕された直後の麻原は、自らの弁護人としてまずは遠藤誠の名を挙げた。しかし遠藤は、麻原のこの依頼を断った。この数年後に遠藤とラジオ番組で話したとき、「なぜ断ったのか」との僕の質問に遠藤は、「麻原が無罪であると確信できなかった」と返答した。説明するまでもないけれど、弁護人の仕事は被告人の人権を守ることであり、無罪を獲得することではない。人権派弁護士の象徴的存在として、永山則夫や平沢貞通、さらには奥崎謙三や山口組などの弁護も引き受けてきた遠藤ですら、そうやって自己正当化しなければならなくなるほどに、麻原の存在は異例だったということだろう(遠藤は仏教徒だったから、オウム関連の弁護を引き受けなかったとの説もある。ただし遠藤は僕にはそう説明はしなかった)。
 結局は国選として起用された一審における十二人の弁護団は、裁判をいたずらに長引かせているとしてメディアや社会から激しいバッシングを受けた。これについては前述したけれど、これだけの罪状と起訴件数で一審判決まで八年は、長いどころか異例なくらいに短い。ところが批判は期間に対してだけにとどまらず、そもそもあんな極悪人をなぜ弁護するのかとまで高揚し、遂には主任弁護人である安田好弘が逮捕されるという異例の展開となった。
 ……異例だらけ。他の語彙がほしい。でも浮かばない。いずれにせよ、十二人でスタートした麻原法廷の弁護団は、二審ではたった二人だけになった。もちろん数が多ければいいというものでもない。でも十三にも及ぶ事件(しかもそのほとんどは殺人事件だ)を裁くこの法廷で弁護人二人だけの体制は、やはり相当に無理があるはずだ。
「次女と三女も父親に面会していますよね。松井さんはそのとき同席したんですか」
 僕は訊いた。松井は静かに首を横に振る。
「いや、同席しませんでした」
「なぜですか」
「考えたんです。もしかしたら彼も、目の前にいるのが自分の娘だけならば、これまでとは違う反応をするかもしれないって。最後の期待です。もしも本当に彼が精神障害を装っているのなら、これまでとは違う反応をするかもしれない。だから二人だけで面会してもらいました。でもダメでした」
「そのときの麻原はどんな様子だったのですか」
「面会を終えた次女と三女は、『目の前にいる自分たちの存在をお父さんは認識していない』と言っていました」
「見えないから?」
「何度話しかけても反応はない。相変わらず『ン、ン』だったようです」
 そこまで言ってから松井は顔を上げる。
「……被告人が今、オムツをしていることを、森さんは知っていますよね」
「噂では何度も聞いています。一審の際にも午前と午後の法廷でズボンが頻繁に替わっていたとかは、複数の司法記者から聞きました」
「噂じゃなくて事実です。拘置所が検察庁に送った文書には、被告人にオムツを着用させていることが、しっかりと明記されています。ジャージの股間はいつも不自然に膨らんでいるし、ときどきゴムの下にオムツの端が見えますよ」
「拘置所が検察に送ったその文書に、オムツ着用の理由は書かれているのかな。もちろん着用の理由ではなく、彼がそうなってしまった理由です」
「それが書かれていない。当たり前のようにオムツ着用とだけ書かれている。でもね森さん、彼は僕よりひとつ下、松下とは同じ歳です」
「僕よりはひとつ上です」
「まさしく壮年です。それがいきなり車椅子で、しかもオムツをしていて、その理由はわからないって、これは普通のことですか。これを異常と感じないならば、いったい何が異常なんですか」
 言いながら自分の言葉に刺激されたかのように、松井は少しだけ声が大きくなって早口になる。つまり激昂する。以前の彼ならば、この高揚をしばらくは持続させるはずだ。でも今の松井はこの激昂が続かない。「これを異常と感じないならば、いったい何が異常なんですか」と強い調子で言い放ってから数秒後には、椅子に腰を下ろしたまま、松井はしょんぼりと肩を落としていた。そんな様子を眺めながら、まるでどこかに微小な穴が開いた風船のようだと僕は思う。
 精神鑑定を実施しようとしない裁判所に業を煮やした弁護団(松井と松下)は、北里大学医学部精神科助教授(当時)の中島節夫に、麻原との面会を依頼した。三十分の面会後に中島は、「脳の前頭葉から側頭葉にかけての領域が萎縮して、アルツハイマーの末期と同様の症状に陥るピック病も含めて、器質性脳疾患の疑いが強い」との所見を表明した。
 さらに今年六月二十七日、弁護団はもう一人の精神科医に麻原への面会を依頼した。中島助教授と同様に「被告には訴訟能力がない」との所見を公表しながら、「器質性脳疾患の可能性は低いが、重度の拘禁反応によって昏迷状態にある」と診断した二人目の精神科医は、「早急に適切な場所で精神医学的治療が加えられるべきである」と結論づけた。
 ただしこれらは正式な鑑定ではない。三十分間という制限で、しかも透明なアクリル板越しだ。でも二人目のこの医師は、今すぐ治療を行えば、少なくとも弁護人と意思疎通ができる程度には回復する可能性があると主張した。

 公判手続停止申立書と控訴趣意書提出期限延期(取消し)申立書を作成した弁護団は、治療によって状態が改善する可能性があるとの診断結果を添付した意見書と併せて、裁判所に提出した。しかし裁判所からの回答はない。
 ところが八月十九日、事態が一転する。意見書に対しての回答をしないまま裁判所は、刑事訴訟法に基づいた正式な鑑定をするといきなり発表した。
「今後の手続き進行について」とのタイトルが冠されたその書式で裁判所は、被告には訴訟能力がないと主張する弁護人に対して、「当裁判所は、あらためて事実を取り調べて検討した結果、被告人が訴訟能力を有するとの判断は揺るがないので、公判手続き停止の職権は発動しない」と述べながら、「本件が一審で死刑を言い渡された重大案件であることにも思いを致し、慎重を期して、近く事実取り調べの規定(刑事訴訟法四三条3項)に基づき、鑑定の形式により精神医学の専門家から被告人の訴訟能力の有無について意見を徴することを考えている」と結んでいる。
 要するに、「被告人が訴訟能力を有するとの判断は揺るがない」としながらも、念には念を入れて鑑定だけはして、その意見を聞くとの内容だ。ところが高裁は、鑑定の際に弁護団が立ち会うことを許さない。松井が嘆息する。
「裁判所は、被告人が訴訟能力を有するとの判断は揺るがないと言いきっています。でも鑑定はやると言う。判断が揺るがないのなら鑑定する理由はない。まったく一貫していない。訴訟能力を有するとの判断は揺るがないと言ってから鑑定を依頼するのだから、鑑定する精神科医に対して明らかにバイアスをかけている。ならば今後の展開は明らかだと僕は思う。御用学者を使った形だけの鑑定です」
「……普通ならこんな場合、弁護人は鑑定に立ち会いますよね」
「当たり前です。弁護人なのだから」
 立ち会わせないとの裁判所のこの決定に対して危機感を抱いた松井は、鑑定の結果がどうであれ、鑑定人を法廷に呼んでの鑑定人尋問を要求した。つまりどんな観点で鑑定を進め、どんな結果が出たのかの詳細を、きちんと公表してほしいとの要求だ。しかしこれについても、裁判所からの回答はいまだにない。おそらくこれからもないだろう。要するに、どんな形で、どんな鑑定を進めたか、それら一切について裁判所は、公開する意思はないということになる。
 これらの経緯を受けて、弁護団は結局、定められた期日までに控訴趣意書を提出しなかった。これについて松井は僕に、「裁判の当事者である麻原さんと意思の疎通ができないのに趣意書など作れるわけがない」と説明した。これに対し東京高裁は、「弁護人の基本的な責務を放棄するもの」として激しく批判した。
「裁判所が回答すら出してこないこの状況で控訴趣意書を提出したら、裁判所は検察庁に対して答弁書を要求し、次に第一回公判期日はいつにするかとか、とにかく手続きが進みます。ところが私たちは被告と一切の意思の疎通ができない。つまり私たちは彼を、丸裸で法廷に出すことになる」
「でも、確かに手続きは進むだろうけれど、同時に鑑定もすると裁判所は言っているわけですよね。もしも鑑定人が御用学者でなければ、いくらなんでも訴訟能力はないと診断するはずです。ならばその手続きが止まることも、想定できなくはないと思いますが」
「裁判所は『鑑定』とは言ってないんですよ。鑑定人の意見を徴すると書いてある」
「……つまり鑑定人が仮に訴訟能力がないと言っても、公判停止にはならないということですか」
「これは(訴訟能力がないとの鑑定が出たときのための)保険かもしれないですね。まあでも、僕らには今のところ、そこまではわからない。裁判所があとは勝手に判断する。だからこのままでは、どっちにせよ審理は進む。ところが我々は被告と意思疎通ができない。つまり弁護人の機能を果たせない。被告も自分で自分を防御できない。それは法治国家の裁判ですか。法廷で裁判長が、『じゃあ被告人は何も言うことはないんですね』とか、『これが最後の機会ですよ』って言ったとしても、彼はおそらく『ン、ン』ですよ。そこで裁判は終わり。で、判決期日は来年の二月とか三月だから、期間はちょうど二年前後。須田裁判長が判決の目標としていた時期とぴったりです。弁護人は何もできない。死刑になるのを見守るだけです。治療によって回復するという可能性を医者が言っているのだから、治してからでも遅くないだろうと私たちは主張しているわけです。彼が少しでも意思疎通ができるようになったら、あらためて控訴趣意書を作成し、それから裁判を始めましょうと。先の話じゃない。医者の見立てでは、数カ月で劇的に回復する可能性があるわけですから。でもこんな当たり前のことが受け入れてもらえない」
 少し間が空いた。一審の弁護団も裁判の後半では、被告との意思の疎通はまったくできなくなっていた。その結果、法廷は死刑というあらかじめ決められたゴールに進むためのセレモニーに成り下がった。その轍は踏みたくないと松井が必死に格闘していることは僕にもわかる。
「……やっぱり不思議です。裁判所はなぜこれほどに、目の前の現実から目を背けるのか。法廷は真実を探すためにあるのではないかなどと青臭いことを言うつもりはないけれど……」
「裁判員制度とか迅速化とか、現在法務省と最高裁が進めようとしている司法改革に、この裁判は大きな影響を与えます。これだけ大きな事件の二審がもしも二年以内に終わったなら、迅速化の大きな前例となりますよね。逆に言えば、この裁判が長引けば、法務省や最高裁にとっては、せっかく裁判迅速化法を成立させたのに、都合の悪い前例になるわけです。つまり裁判員制度導入のための地均しです。これからの刑事司法は否認なんかできないですよ。無罪推定原則も消えますね。日程は裁判所と検察の主導で決められる。弁護人がこれに抵抗して辞任すれば、さっさと国選(弁護人)が入る。国民も迅速化を望んでいますから、メディアもこの流れに異を唱えない。……この国の刑事司法は、これを機会に大きく変わります」
 言ってから松井は吐息をつく。
「弁護団は三人目の鑑定をこれから依頼するつもりです。一度ね、AFP通信に取材されて、彼はもう別の世界に行ってしまっているって言ったら、それが文字どおり、アナザーワールドって書かれてしまって。そういうオカルト的な意味で言ったわけじゃないのだけど、……でも時おり、接見しながらそう思いますよ。『ン、ン』のうなずきもね、全然とんでもない方向にしているんです。まるでそこに誰かいるみたいなね。でも『別の世界に行ってしまっている』という言い方は日本のプレスに対してもよくしてしまうけれど、そもそも彼らは絶対に書かないね。彼らの質問も、彼が正常だとの前提からの質問ばかりです。だからプレスにも今の彼の状態を見せるために、接見禁止を全面解除するように裁判所に言ったら、検察は『組織的な犯罪だからダメだ』とか何とかって。意味がわかんないよね。だって明らかな憲法違反なのに。せめてメディアにだけでも面会を許可してほしい。見せたいんですよ、私、見てほしいんですよ、今の彼の状態を」
「……でも松井さん、メディアは少なくとも、法廷における彼の挙動は、ずっと目撃していますよ」
 僕の言葉に松井は黙り込んだ。少なくとも僕の知る司法担当記者の多くは、「もう完全に壊れていますね」などと今の麻原についての感想を述べた。
 でも必ず囁くような小声だ。
 ある意味で仕方がない。それは印象なのだから。だからこそ鑑定をする意味がある。もちろん「あれは死刑逃れの詐病だ」的な断定をしている人も少なくない。そのほとんどは、ジャーナリストや識者など声の大きい人たちだ。彼らからすれば「森は自分の目を疑うべきだ」ということになるのだろう。
 松井に会ったのはこの九月三日。その九日後の十二日、麻原彰晃の精神鑑定は始まった。共同通信の配信記事を引用する。

精神科医の尋問を実施
松本被告の精神鑑定で高裁

 オウム真理教松本智津夫被告(50)=教祖名麻原彰晃、1審死刑=の控訴審開始前に行われる精神鑑定について、東京高裁(須田賢裁判長)は12日、既に内諾を得ていた精神科医の鑑定人尋問を先週中に実施したと発表した。(中略)一連の精神鑑定の結果が出るまで約2カ月かかる見通し。高裁は鑑定結果を受け、松本被告の訴訟能力の有無を判断する。通常の公判では、鑑定人尋問には弁護人も立ち会い、尋問することができる。しかし、高裁は8月19日、刑事訴訟法の手続きに基づき職権により精神鑑定を実施すると弁護団に通知したため、鑑定尋問の際、弁護団は立ち会うことができなかった。

 そして十月三日、弁護団は三人目の精神科医が麻原と面会したことを発表した。以下は時事通信の配信記事だ。

弁護側依頼の医師が面会
接見で失禁も――オウム松本被告

 オウム真理教元代表松本智津夫(麻原彰晃)被告(50)の控訴審手続きで、弁護側が新たに依頼した精神科医が3日までに、同被告と面会した。(中略)弁護側は11月10日までに医師の意見書を東京高裁(須田賢裁判長)に提出するとしている。また、松本被告は9月26日、弁護人1人が接見した際、失禁したという。弁護人が接見中の失禁に気付いたのは初めてという。

 拘置所にいる麻原について、僕は「あること」を知っている。多くの拘置所関係者も知っている。でも面会時に彼が頻繁に行うというその「あること」が何であるかは、今はこの誌面には書けない。書けない理由も書けない。
 読者に対して、こんな書き方はとても非礼で非常識であることは承知している。でも「知っている」としか今は書けない。もう少し時が経てば書けるかもしれない。
 だから須田賢裁判長に訊きたい。あなたはこの連載を読んでいるのだろうか。読んでいるのなら、たぶん「あのことか」と察しがつくはずだ。あなたはこれを知ってなお、麻原被告には訴訟能力があると断定するつもりなのだろうか。ならば僕は断言する。あなたのほうが普通じゃない。
 いずれにせよ、この号が店頭に並ぶ頃に前後して、鑑定の結果は明らかになっているはずだ。

A3 目次

『A3』無料公開にあたって
プロローグ
1 傍聴
2 封印
3 面会
4 弁明
5 弁護
6 故郷
7 真宗
8 記憶
9 拒否
10 手紙
11 暴走
12 鑑定
13 信仰
14 鏡像
15 集会
16 父親
17 詐病
18 棄却
19 姉妹
20 船橋
21 刑事
22 迷路
23 孤立
24 死刑
25 視力
26 抗議
27 試練
28 生殺
29 統制
30 独房
31 受容
32 特異
エピローグ
文庫のための新章 残像
参考文献・年譜・オウム真理教組織図
解説

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森達也(映画監督・作家)

‘98年にドキュメンタリー映画『A』を公開。ベルリン国際映画祭などに正式招待される。2001年、『A2』が山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。2011年に『A3』が講談社ノンフィクション賞を受賞。2016年、映画『Fake』を発表。

『A3』

2012年に集英社文庫から出版された『A3』(上・下)を全文公開します。
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