31 受容

(二〇〇七年九月号)

 この連載を始めてから二年半が過ぎた。当初はこれほどに長く続くことになるとは思っていなかった。そもそもは二〇〇四年二月の麻原法廷一審の判決を傍聴して、被告席に座った麻原彰晃の精神の状態に強い衝撃と疑問を持ったことが、この連載のきっかけだ。
 ただし僕が衝撃を受けたのは、被告席で同じ動作を反復し続ける麻原の姿に対してだけではない。そんな彼の様子を長く目のあたりにしながら、それまでに一度も精神鑑定の実施を発想すらしなかった司法と、この経過を傍聴席で観察しながら、「見苦しい」とか「反省の色なし」などの語彙しか使ってこなかったほとんどのメディアに対しても、同様の衝撃を感じていた。

 午後3時14分。裁判長が死刑を宣告した瞬間、松本智津夫被告は反応を見せず、うつむいて立ちすくんだままだった。
 松本智津夫被告は27日午前10時前、刑務官2人に前後を挟まれて、東京地裁で一番大きな104号法廷に入った。自ら歩くというより、ひきずられるようだった。
 黒い上着に黒いズボン姿。目をつむったまま、弁護人の前に座った。
「まず理由の要旨を告げますから、被告人はその席で聞いていてください」と小川
正持裁判長。
 松本被告は腕を組んだまま、時折ニヤニヤと笑みを浮かべ、顔をそむけたり、フンフンと鼻を鳴らしたりする場面もあった。(以下略)
朝日新聞(ウェブ版・二〇〇四年二月二十七日)

 サリン事件以降、狂暴で邪悪な存在への不安と恐怖に煽られた日本社会は、セキュリティ意識と応報感情を急激に高揚させた。
 つまり罪と罰の座標軸が変わった。
 その帰結として警察や検察などの捜査権力は背中を押され、司法は厳罰化の傾向を加速させ、市場原理に埋没したメディアは、さらに不安と恐怖を煽り続けた。
 つまり公の場で少しずつ精神が瓦解する過程を放置した主体の本質は、司法やメディアではなく、僕も含めてのこの日本社会そのものの中に存在する。だからこそ二〇〇六年九月、高裁や最高裁の審理を経ることなく麻原の死刑判決が確定するという異常な事態に対しても、この国の民意は当然のこととして強い支持を表明した。
 ほとんどの信者たちは、サリン製造や数々の殺人事件については知らなかった。なぜなら彼らには、自分たちのメディアとなる側近がいなかったからだ。そしてサリン製造や数々の事件について知っているはずの一部の信者や側近たちのほとんども、(前回の連載で引用した中村昇の証言が示すように)ハルマゲドンをはじめとする一連の麻原の予言については、決してリアリティを持ってはいなかった。
 今僕の手元には、何冊もの分厚いファイルがある。東京拘置所に収監されている幹部信者から宅配便で送られてきたこのファイルは、複数の信者たちの上申書や供述書、証言調書などの裁判資料、あるいは事件について拘置所内で彼らが互いにやり取りした書簡や手紙などを、幹部信者がまとめた資料集だ。

 なぜあんな事件が起こったのか。その理由と背景を今最も考えているのは(これほどに皮肉なこともないけれど)、この事件の実行犯であり、今は拘置所にいて死刑判決を受けている元信者たちだ。この世界を救済するつもりで家族や仕事を捨て、結果として不特定多数の人を殺め、拘束され、死刑を含めての重大な刑罰を受けようとしている彼らは、日本社会のマジョリティがあの事件への興味や関心を失った今も、この命題を必死に考え続けている。
 送られてきた公判資料から一部を引用する。弁護人の質問に答える証人は、目黒公証人役場事務長拉致監禁致死事件など三つの事件に関与したとして逮捕され、懲役六年の刑を受けて服役し、今は出所した元古参信者だ(基本的には速記録だから、多少の誤字脱字がある。幾つかは僕の判断で修正した)。

――あなたは、井上、中川の指示で、亡くなっている仮谷さんの首を絞めたということなんですが、それは麻原の指示だということも言えるわけですか。
 それは言っていました。
――誰が言っていましたか。
 井上が言っていたと思います。
――それは本当に麻原の指示かどうかわかるわけですか。
 いや、それはちょっとわからないですね。
(中略)
――逆に、麻原に対して井上君が正確に客観的な事実を上げないで自分の意思を通すための報告をするということもあったようですか。
 そうですね。失敗したことは、彼はおそらく伝えないでしょうね。いいことだけを伝えるというか、事実じゃないことを伝えていたと思います。

 上九の施設にいた村井が、たまたま上空を飛ぶヘリコプターを目撃したときに、あわてて麻原に「米軍のヘリコプターがサリンを撒きに来ています」と報告したことは、前々回の連載で書いた。目の見えない麻原は、新聞やテレビなどのメディアに直接触れることができないから、側近から伝えられた情報の虚偽の判定が自分ではできない。人の心を見抜き、森羅万象に対しての予知能力もあるということになっているのだから、報告や情報の虚偽の判定を誰かに委ねることなどあってはならない。
 つまり、「そうかそうか」とか「わかっていたよ」とか言いながらうなずくしかない。こうして側近たちというメディアを媒介にしながら、危機意識は際限なく肥大する。何しろ出口がないのだ。破裂するまで膨張し続けるしかない。やがて麻原のこの危機意識は、教団外部だけではなく内部にも向けられた。つまりスパイの疑いだ。
 一九九四年七月十日、第六サティアンで一人の女性信者が意識不明となった。潜入したスパイによるイペリットガス工作の疑いがあるとの報告を受けた麻原は、元信者の冨田俊男のスパイチェックを林郁夫に命じ、林はポリグラフで陽性反応が出た(つまりスパイであった)と報告する。
 さらに麻原は新実に冨田を拷問して自白させろと命じ、新実は中村昇や杉本繁郎らに拷問を命じ、遂に殺害してしまう。
 極限まで膨張した危機意識は、出口を探して錯綜する。さらに同年十二月十二日、今度は公安のスパイと誤認した会社員濱口忠仁を、オウムはVXガスで殺害する。この時期のオウム内部の指示系統の乱れについて、早坂武禮は以下のように記述している。

 特に井上の場合、最も教祖の指示に忠実である評価を得ながら、その実、他人まで巻き込む形で独断で突っ走ることが多いのは身近な誰もが知ることだったからである。個人的にもその依頼に振り回された挙句、「お前のグルは誰なんだ。アーナンダ(井上=引用者註)の言うことはきくな。もし何か言われたらその指示が本当に正しいかどうか全部私に確認しろ!」と教祖からひどく𠮟られた経験さえある。(中略)それにしても、当時の井上の動きは、あらためて振り返ってもやはり不可解である。「フリーメイソン」という秘密結社が世界の政治・経済を操っているという話が書かれた本を何冊も買い込んで熱心に読み、道場に集めた信徒を前にそれをネタにして日本の危機を煽ったりという具合である。
『オウムはなぜ暴走したか。』

 グルの威を借りながら独断で動く井上に、このときは麻原が切れた。でもそんなケースばかりではない。麻原から出家を許諾されたはずの信徒が、その後に井上から出家を拒絶されたことがあった。その信徒からどうすればよいのかと相談された早坂は、グルの意向に背くなどとんでもないと考え、麻原に事態を報告した。しかし麻原は、「そうか。たぶんアーナンダに考えがあるようだから、好きにやらせてやってくれ。今回はアーナンダにすべて任せてあるからその指示に従ってくれ」と言ったという。そんなエピソードを記述しながら早坂は、「一部の弟子が教団の活動に強い影響力を持つような状況が、私の中の危機感を煽らないわけがなかった」と嘆息している。
 ここで補足せねばならないが、井上だけが突出してこんな動きをしていたわけではない。林泰男が言ったように、多くの側近が同じような動きをしていた。井上だけが無責任だったわけでもない。地下鉄サリン事件後にオウムから脱会して『オウムからの帰還』(草思社)を書いた高橋英利に事件直後に会ったとき(このときは中沢新一が同席していた)、麻原や村井などを徹底的に批判しながら高橋は、井上の純粋さをしきりに称揚したことを記憶している。これから数年後、村上春樹の質問に対して高橋は、やはり同様のことを口にしている。

 でも井上嘉浩君という人は、心が動かされることがあるんです。彼は非常に真剣な宗教的使命感を感じていました。その彼が苦悶している状況を見てしまったら、僕は彼のために一肌脱いでしまいたくなっていたと思います。(中略)僕はその信仰を、発端である井上嘉浩との出会いにかけていました。それが僕を教団につなぎ止めていたほとんど唯一のものだったと言っていいと思います。
『約束された場所で』「高橋英利のインタビュー」

 結果的に弟子の暴走が容認された背景には、弟子たちから報告された情報で麻原の危機意識が刺激されていたからだ。真島照之の事故死によって萌芽した危機意識に、弟子たちによってたっぷりと水や養分が与えられたとの見方もできる。もしも情報のフレームアップが村井幹部一人によってなされていたならば、麻原にももう少し冷静な判定ができたはずだ。しかし村井だけではなかった。多くの幹部信者たちが競いながら、危機意識を煽るような報告を麻原に伝えていた。その多くは虚偽であり、不確かであり、被害妄想的な情報だった。
 拘置所の幹部信者から宅配便で送られてきたファイルには、拘置所で彼と他の信者たちが交換し合った数々の書簡も収められている。互いに気が置けないことなどが作用するのか、弁護士や検事の質問に答える法廷とは違う位相で、事件への推測や心情が綴られている。

 ロシアンツアーのときに早川さんが「マンジュシュリー正悟師がライフルを作れると言うとるらしいが、そんなもん怖くて使いたくないよなあ」と言って、「暴発するのがオチや」とか何とか、ほとんど冗談で言っていたのを憶えています。誰も村井さんたちが何か作れると信じていなかったので、単なるバカ話のひとつとして(中略)揶揄くらいにしか聞いていなかった僕もバカでしたが……。
 井上さんを始めとした側近たちが焚きつけて煽り立てなければ、麻原もあそこまで妄想がふくらまなかっただろうと思うのです。

 実現不可能な世迷いごとに思えても、あるいは現世の法を犯す指示ではあっても、これはマハームドラーなのだと整合化してしまう弟子たちの心理メカニズム(これは洗脳とは違う)。そして最終解脱者であると宣言したがゆえに、弟子たちから報告された情報の判断や確認ができなくなるという自己呪縛。錯綜するこれらの要素を背景にしながら、麻原の内面を慮る側近たちの「過剰な忖度」が発動する。こうして麻原が喜びそうな報告を無自覚に捏造してしまうという意識状態に、多くの側近たちがいつのまにか嵌っていった。
 つまり麻原はレセプターだ。一つひとつのニューロンは、このレセプターが好む情報(神経伝達物質)を選択しながら運んでくる。そこに競争原理が加わり、過剰な忖度も加わり、側近たちはやがて、麻原が好む情報を無自覚に捏造するようになる。でも麻原にはその真偽の判定はできない。そうかそうかとうなずくだけだ。こうしてレセプターは肥え太る。与えられたカロリーのほとんどは、米軍やフリーメイソンや創価学会や警察権力などから自分たちは攻撃されているとの危機意識だ。実際に法廷の場でも、そんな証言が多くの信者の口から飛び出している。再び中村昇の公判調書から、弁護人とのやりとりの一部を要約しながら引用する。

――尊師が被害妄想になっているのではないかというふうに、あなたのほうで感じたことはないですか。
 毒ガス攻撃を受けているということで逃走しているホテルの中で、そういった印象を持ったことがありました。(中略)尊師は目が見えないので、自分で何らかの情報を取り入れることはないんですね。だから、弟子が情報を上げなければ判断はできないわけです。テレビも見ないし、新聞も見ないし、だから必ず井上君が持ってきた『夕刊フジ』とか『日刊ゲンダイ』だとか『(月刊)現代』だとか、そういったことの、例えば創価学会批判だとか、小沢一郎何とかかんとかとか、そういうことを意識的に入れているわけですね。早川さんが、例えば『国賊池田大作「創価学会」を斬る』という太田龍(思想家で反ユダヤ主義者=引用者註)なんかの情報を入れたりとか、そういう情報自体本当なのかなと思うわけですが、それを尊師は聞いて、利用するわけですね。だから、そういった情報の上げ方によって判断は変わってくると思うんで、そういった面があったんじゃないかというふうに僕は思います。
――情報によって尊師がこういうことを調べろというふうに言う場合がありますね。
 はい。
――その調べる担当の人たちが今度調べてきて上げる場合に、それもやっぱり同じように自分に都合のいいような調査結果を上げているということがあるんですか。
 脚色して上げているというのは目にしたことがありますね。
――逆に言えば、下から尊師を操縦しているという面ですね。操作してると。
 まあ、尊師の反応をある程度予測した上で意見を述べたり、情報を入れたりしている部分はあると思います。
――尊師の反応をある程度予測するという、この予測は可能なんですか。
 外れるときももちろんありますが、そういった(麻原の)反応をきちんと読み取れない人は、逆に言えば外されたりするんですね。だから、側近と言われていた人たちは、そういった機を見るのがうまかった人たちというふうには言えると思います。(中略)弟子自体も、尊師だとかいろんなものに対して幻想を持っているわけですね。ある幻想を押し付けている部分もあるわけです。
――弟子が尊師に抱いている幻想を尊師に押し付けるということですか。
 押し付けるというか、弟子がはじめから悪意の意図によって誘導しているというよりも、尊師はすべてを御存知だからきちっとした判断をしてくれるだろうとか、他心通とかいろんな神通力があるから、こういうことをやってもこうだろうという一つの思い込み的な幻想があって、それを背景として脚色したり、尊師が喜ぶような情報を上げているという面があるので、最初からポアを目的として上げるとかというわけじゃないという部分もあるから。確かに相互的な関係によってそういった事件が生じてるんですが、その弟子の上げ方が悪かったのも事実だけど、だから彼らはそう意図していたんだとは言えない部分もあるんです。
(中略)
――その間違った情報を上げてくる、正確じゃない情報を上げてくる人たちというのは、間違っていることは知っていて上げているんですか。
 いや、多分彼らの中では、彼らの思い込みがあったと思うんですが。
――思い込み。
 はい。意識的に自分にたくさん仕事をもらうために上げる上げ方もあったし、自分が正しいと思い込んでいる場合も当然あったでしょうし、いろんなパターンがあったんじゃないかと思うんですけど。
(中略)
――そうすると、尊師が出した指示と幹部が出した指示、ここにずれがあることが相当に多いということですか。
 例えば、ある程度のお布施を集めなさいと尊師が指示した場合、そのお布施を集めるという指示は、最初は尊師の指示なんですが、そこから個人的にこの人に対してどうするとか、あの人に対してどうするということは違ってきますね。それに関する意見も、尊師が言ったような形のグルの意思になってくるわけです。(中略)例えば、自衛隊の戦力と米軍戦力の話をしたときに、兵器だとか手榴弾だとか、こういったものを用意したら何人くらいの自衛隊と戦えるかだとかいうことを言っているときに、現状では一対一が精一杯なのに、一〇〇人いけるとか一〇〇〇人いけるとかという感じの、そう言ったら尊師が喜ぶような大袈裟な反応を、状況として伝えているというのはありましたね。

 地下鉄サリン事件が起きる二日前の深夜、村井の部屋に(他の実行犯とともに)呼ばれた林郁夫は、「これはマハームドラーの修行である」とサリン散布を命じられたとき、「これは……だからね」とも言われたと証言している。そして「……」のときに村井は、視線を階上に送るかのような仕草をした。これを見た林は、この指示は麻原からのワークであることを認識したという。ただしこの状況については、林と一緒に村井の部屋に呼ばれたとする広瀬健一、豊田亨(二〇〇九年に死刑が確定)、横山真人(二〇〇七年に死刑が確定)などの証言とは微妙にニュアンスが異なる。村井が目で合図をしたと証言しているのは林郁夫だけだ。もちろん一瞬の動きなのだから、林以外は見逃したという可能性もある。でも状況を想定すれば、四人中三人が村井の顔から視線を外していたとは考えづらい。そもそも麻原の部屋は一階であり、三階にあった村井の部屋の階上ではない。そうなると「……」の意味は何だろう。いずれにせよ全員に共通していることは、村井からサリン散布を指示されたということだ。

 地下鉄サリン事件だけではなく松本サリン事件においても、村井は常に主導的に動いている。多くの信者から「麻原から最も信頼されている信者」と見なされていたし、また実際に麻原も村井を重用した。一九九四年八月十日の説法で麻原は、「マンジュシュリー・ミトラは、わたしが何かをオーダーしたとき、決してそれを否定することがない。(中略)これはまさにボーディサットヴァの智慧の経験の産物なのである」と賞賛している。施設内で廃棄物を処理するためにミニブラックホールを作れないかと麻原が言い出したときも、村井はそのプロジェクトを具体化しようとした。海中に都市を作れないかと麻原が言い出したときは、その手始めとして村井は一人乗りの潜水艇を作ったが、進水と同時に沈没した。プラズマ兵器や地震兵器などの開発にも、村井は大真面目に取り組んでいた。
 指示や命令を全肯定する。これはまさに、ナチスにおけるアドルフ・アイヒマンの役割だ。
 一九三六年二月二十六日、陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが一四八三名の兵とともに岡田啓介総理大臣や鈴木貫太郎侍従長など政府要人暗殺を目論んでクーデターを起こし、斎藤実内大臣や高橋是清蔵相などを殺害した。世に言う二・二六事件だ。
「昭和維新断行」と「尊皇討奸」を掲げながら決起した青年将校たちは、高度な国防体制を合法的に作り上げて国家総動員体制実現を目指した統制派と対立すると同時に、忠実に天皇に仕えることだけではなく、天皇の思い(大御心)を察知して行動し、天皇親政を早急に実現せねばならないと考えていた。
 つまり過剰な忖度だ。日本近現代史研究者で作家の保阪正康は、日本が軍事国家へと大きく舵を取る契機となったこのテロについて、以下のように記述している。

 昭和十年前後、天皇親政を唱える軍人たちの間で使われた言葉があった。「大善」、「小善」という二つの言葉である。
 天皇に忠を尽くす際には、「大善」と「小善」、二種類の行動の取り方があるというのだ。「小善」は、軍人勅諭に書かれてある通り天皇に忠実に仕えること。そして、「大善」とは、「陛下の大御心」に沿って、〝一歩前に出て〟お仕えすること」。彼らにとっては、もちろん「大善」の方が優位であると考えられていた。しかし、それは裏を返せば、自分たちで勝手に天皇の心情を察して、天皇のためになることなら何をしてもいいという解釈になる。たとえ、天皇の大権に叛くことでも、大きな意味で「大御心に沿っている」のなら、それも許されるとした。(中略)
「二・二六」での青年将校達の決起は、彼らにしてみれば、まさに「大善」となる行動であった。皇道派は、陸軍士官学校を卒業したばかりの、原隊付き勤務にあった青年将校、二十代半ばから三十代の血気盛んな若者が多かった。「今の腐敗した日本は天皇の意に沿う国家ではない」と、理想的な国家を作るためには非合法活動も辞さない、「大善」を信奉する者たちであった。
『あの戦争は何だったのか』(新潮社)

 最悪の事態はこうして起きる。何度も書いてきたように、かつての日本だけではない。ヒトラーのナチスドイツにしても毛沢東の文革にしてもスターリンの大粛清にしてもポル・ポトのクメール・ルージュにしても、幹部や側近がトップの意向を過剰に忖度しながら暴走するという組織共同体の負のダイナミズムは、まったく珍しいことではない。
 オウムの場合はこの構造に死と生とを転換する宗教の負のダイナミズムが加わり、さらにはトップの位置にあった麻原がほとんど盲目で、おまけに最終解脱者を自称していたとの要素が相乗する。だからこそ側近たちは張りきった。危機を訴えれば訴えるほど麻原に重用されるのだ。要するにオウム以降の社会におけるメディアと民意との関係だ。危機を訴えれば訴えるほど、視聴率や部数は上昇する。
 麻原の地下鉄サリン事件における共同正犯の根拠となったリムジン謀議についても、送られてきたファイルの中に挟まれていた幹部信者同士のやりとりに、以下のような記述があった。

(前略)麻原が何か新しいことを言い始めたりやり始めたりするとき、その直前に誰かが必ず何かを麻原に口走っているのです。麻原は自分で何かを創造するということがまったくできない人(たぶん目があまり見えないことが関係していると思われる)だと思いますが、何らかのヒントを聞いて自分の意識の中に妄想をふくらませることについては、信じられないほどの想像力を有していると思います。(中略)一月下旬の段階でサリンを製造するという発想そのものが、麻原の意識の中から消え去っていました(麻原との会話で私はそう認識しました)。

 この記述の後に、リムジン謀議の際にサリンを散布するという計画のイニシアチブをとったのは、麻原ではなく側近の信者たちだったはずだとこの幹部信者は推測している。実際にリムジン謀議の際に麻原は、この二カ月前に処理を命じたジフロ(サリン精製段階の生成物)が残っていたことを知らなかった。これは一審ですでに明らかにされている。つまりこの段階で麻原は、サリン散布など発想すらしていなかったことになる。
 一九九九年八月二十三日、林泰男の公判に証人として出廷した中川智正は、教団が毒ガス攻撃を受けているとの麻原の認識は、「ガス検知器で毒ガスの反応を検出した」と自分が報告したことが発端で、これによって麻原の「被害妄想を助長してしまった」と証言している。また井上や早川がフリーメイソンの謀略本などを読んで報告したことを、麻原はそのまま信じ込んでいたとも発言している。
 一九九八年十一月二十六日、早川公判に証人として出廷した大内利裕は、九〇年の総選挙で大敗したとき、麻原に「どうしようか」と相談されたと証言している。

「トップ当選すると予言していたのに最下位に終わり、どう取り繕うか、難しい問題だった。そのときには上祐もいたし私もいましたが、(相談に応じているうちに)いつのまにか票の入れ替え、それもフリーメイソンが自動的に票を書き換える機械を使って票の書き換えをしたことになっていた。(中略)予言が外れたとは言わない。ただ(認めなければいけない)結果があるので、そのときに一言、『どうしようか』とだけ言う。予言が外れると、われわれが自分の心でグルをかばってしまう」

 もう一度書く。麻原と側近たちは互いにレセプターであり、互いにニューロンだ。危機意識という神経伝達物質のやりとりを続けながら、互いに互いを刺激し続けてきた。そして同時に麻原は、側近たちにとっては唯一のマーケットであり、側近たちは麻原にとってかけがえのないメディアだった。

A3 目次

『A3』無料公開にあたって
プロローグ
1 傍聴
2 封印
3 面会
4 弁明
5 弁護
6 故郷
7 真宗
8 記憶
9 拒否
10 手紙
11 暴走
12 鑑定
13 信仰
14 鏡像
15 集会
16 父親
17 詐病
18 棄却
19 姉妹
20 船橋
21 刑事
22 迷路
23 孤立
24 死刑
25 視力
26 抗議
27 試練
28 生殺
29 統制
30 独房
31 受容
32 特異
エピローグ
文庫のための新章 残像
参考文献・年譜・オウム真理教組織図
解説

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森達也(映画監督・作家)

‘98年にドキュメンタリー映画『A』を公開。ベルリン国際映画祭などに正式招待される。2001年、『A2』が山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。2011年に『A3』が講談社ノンフィクション賞を受賞。2016年、映画『Fake』を発表。

『A3』

2012年に集英社文庫から出版された『A3』(上・下)を全文公開します。
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