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関東お城跡巡りから大河ドラマの家康へ。

関東を中心にお城跡はそこそ巡ってますが、何故か抜けてた有名所2ヶ所を本日見て来ました。

埼玉にある鉢形城と菅谷館です。結論として〝デカイ〝と言う感想が一番です。

どちらも非常に良く整備されており、観光資源として活用して行こうとの思惑を感じますが、その割に説明板などがあまり無く、少し不満に思いました。なんせ広いので此処は何処?の状態が多く発生するのです。

寄居町(鉢形城)と嵐山町(菅谷館)にあり、どちらも交通の要所であり、上州や信州からの侵攻を防ぐべく大きな規模になったようです。


鉢形城 この向こうは荒川で絶壁です。

歴史資料館を訪れて勉強しましたが、何百年も上杉と後北条が戦って来た場所との印象です。
北条が身内を各地に配置して、更に養子縁組などしてるので、誰が誰と戦ってるのかを正確に理解するのは難しいです。

現代では北関東の一部として、上野や下野は見られてますが、やはり真ん中にある特に上州は戦いに明け暮れてたのだと感じました。

もしかして、だから気性が荒いのかなんて考えてしまいました。

そもそも秩父氏が武蔵や武州を発展させて来た場所です。そして時代が下って後北条が統治して、武田や上杉と戦って来た地域です。ある意味派手な場所ですね。過去においては決して〝ダサイ〝などとは言われなかった所だと思います。

秩父から都内に流れて来てます。


東国(関東)で戦国時代が始まり、そして終わらせたのも東国でした。強者どもの陰に居たであろう家族や、仲間などにも想いを馳せて何やら切なくなります。

そして改めて東国から全国に散らばって行った武将達が、日本を作って行った事を知りました。昔司馬遼太郎さんが、日本の歴史は東国が作って来た等の旨を言われてたのを読んだ時、ピンときませんでした。しかし東国のお城跡巡りをしていると、この地のお殿様の次男坊などが各地に飛ばされてる事実を知りました。

実は先日もお城跡では無いのですが、毛利氏の発祥の地と言われてる所(厚木)に行って来てたのです。


厚木 三島神社

本日訪ねた菅谷館には、昨年の大河ドラマの13人の中に居た畠山重忠が居住してたそうです。


畠山重忠

また、近所(馬込)のお城跡も訪ねたらやはり13人の一人の梶原景時がこの地を治めてた事を知りました。

以前訪ねてる茂木城はやはり13人の内の八田氏が出生です。


梶原景時の墓

なんか大河ドラマに踊らされてる様にも思いますね。

さて、先週から「どうする家康」が始まりましたが、最近見たお城跡などは全て家康に取って代わられてます。頼朝時代から家康までを関連付けながら見ていくと、より楽しめる様に思います。

ただ、第一回目を見て少し違和感を感じてしまいました。主演がアイドルだからその毛嫌いかもしれません。

関東のお城跡巡りをしていると、多くが秀吉の小田原攻めでその歴史を終わらせてます。

そして、その後は家康配下の者が入り何やら官僚的に統治してるイメージです。

その辺含めどんな家康像が描かれるかは楽しみなので、観て行こうとは思います。


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