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石神井城址を訪ねて。

都内にも沢山のお城跡があります。館を含めると数十カ所ありました。全て訪ねるのは難しいと思いますが、まず手始めに石神井城址に行って来ました。

現代で言う所の城北城東地区を治めてた豊島氏が居たお城跡の様です。石神井公園の中にありました。得意の由来を調べたら、豊島区との直接的ないわれはない様ですが、その家臣達の名前が、板橋、練馬などがありやはりなんらかの繋がりはあるのかなと思います。

江戸(東京)は葛西氏や江戸氏と豊島氏が力を持っていたようです。その名前が現代まで続いているのは何やら歴史の面白さを感じます。

さて、石神井城址ですが、今からおよそ600年くらい前に作られた物のようです。豊島氏が最後の城主ですが、太田道灌に滅ぼされて廃城となってます。

三宝寺池と言う泉が湧き出る所に建てたお城で、その痕跡が僅かな土塁に残ってます。

本丸などの遺構は残ってなかったのですが、石碑がありました。

ここも又太田道灌が関わってます。

考えてみたら昨年末から太田道灌が行く先々で出てきます。

川崎を車で走っている時にふと、〝夢が崎公園〝入り口の標識をみて、興味を持ち調べた事から始まってます。

前々回の小机城や茅ヶ崎城も道灌さんが関わってたお城ですし、今回の石神井城も道灌さんが落としたお城でした。事前の情報が無く訪ねた所でことごとく出くわすので、不思議な縁を感じてきてます。

有能で優れた人だったのでしょうね。
しかし、最後はその有能さを妬んだ殿様(上司)に暗殺されてしまうと言う、なんとも不条理な終わり方をした人です。

江戸城(最初の)を始め多くのお城を建てた事でも有名ですので、今後も訪ねる所でまたまた出会う様に思います。

もう少しその人となりを調べてみたいと興味が湧いてきました。

今回の石神井城址は1400年代の遺構です。
この時代がギリギリなのかもしれません。

土塁や堀など、基本土で出来てますから、風化してしまいますね。それでも数百年前の空間を、感じれるのですから凄い事だと思います。そんな場所が都内にも沢山あります。色々調べて訪ねて行きたいと思います。

つぎのお城(跡)は何処にしようかな。
基本的には何かしらの遺構などがある所に限定したいと思います。

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