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ツイッター地域社会

ツイッターとは地域のひとつだ。今は怒りを広げる地域になっている。不満や悲しみを発散させるために怒る。誰かの不満や悲しみに共感して怒る。罰してもよい人間を見つけては怒りをぶつけて感情的な人間関係が作られている。怒りを中心にした人間関係が不満や悲しみを癒やすことはない。

共感というのは定型発達の特徴だ。自分と相手は同じ感情をもっていると想定して行動する。しかし自分と相手は本来別なので感情がわかることなどはありえない。共感は情報を効率よく交換するためのバーチャルな条件づけにすぎない。そして怒りは共感されやすく、情報交換に使いやすい。

共感には本来シンパシーとエンパシーの2種類がある。怒りを広げていくのは同質なもの同士の共感であるシンパシーだ。異質なものの立場に共感しようとするのはエンパシーだ。性質上エンパシーはシンパシーのように広がっていかないが、異質なものがともに生きるための手だてにはなる。

ツイッターという地域では感情的ではない人間関係も作りやすい。趣味や共通点がほとんどなくても隣人のようにつきあえる。自分とは趣味や思想が違う異質な人とも付かず離れずの距離をつきあっていられる。無意味な独白を一方的に送信して、独白はときに不満や悲しみの支えになる。

ツイッターで集まりとして使われるクラスターはもともと果実の房をあらわす。

転じて自動詞として「房になる」「群がる」という意味になる。コンピュータ・クラスターとはコンピュータをたくさんつないでぶどうの房のようなシステムにすることだが、人間はクラスターを作っても大きなシステムになる必要はない。人間は農家の収穫を待っているわけではないからだ。

ただ自分が自分であることでゆるやかにつながっていられる。つながることに大義はなく大きな怒りや喜びを持ち寄る必要もない。そんなつかず離れずの距離、地域社会(コミュニティ)のつながりをわたしはそれなりに信用していて、現実の地域社会を補えるのではないかと期待もしている。

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