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男女の自由・平等が格差を広げる

話は変わるけど逗子市はふるさと納税の流出額が1億2000万円と流入額の7000万円に比べて5000万円ほど高いということを知って色々納得した。海沿いに別荘をもち自然の豊かさを享受しているような高所得者層の税金は財政にほとんど反映されず自然や地域の維持には使われないのだ。逗子はいま高齢化による住民税の減少で慢性的な財政難だ。恒例の花火大会さえ開催できないかも〜と案内されている。子育て支援施設や公立校を含む経済成長期に作られた施設は老朽化が進んでいるが修繕費が足りず放置されているところが多い。少子高齢化に加えて国が進める高所得者優遇政策は地域の現役世代を追いつめて都心一極化をうながしているのかもしれない。

本題に戻って家族の話。ワンオペ育児で突発性難聴になってから「共働き育児無理では?」という考えが基調になり、いろいろモヤモヤと考えた。

家事育児介護を自分たちで担うのは無理で外注しないと成立しないのではないか。だが外注というのは結局下男下女のようなもので移民や低所得者層を搾取することになるのではないか。そもそも核家族とか家庭というのは経済成長と性別役割分業が作ったイメージで女性を家庭に閉じこめないと成り立たない無茶な世界なのではないか。そんな世界観をいま無理やり継承する必要は本当にあるのだろうか。家事育児をタスクと呼んだり設備投資をして作業時間を短縮したり財政を含めた家庭全体の効率的なマネジメントをしたりして仕事以上のストレスとリスクを抱えることに子どもを巻き込む必要はあるのだろうか。歴史がくりかえしているとするならば共働き社会にふさわしい家庭像は人類史上すでにあったのではないか。社会学などの分野でそういう話を研究している人はいないのだろうか──

そういった感じにモヤモヤした気持ちをグーグルで検索してたまたまアマゾンで見かけて読んだのが社会学者筒井淳也さんの「結婚と家族のこれから」という本だ。モヤモヤしていた部分がきれいにまとめられていて非常にすっきりした。理想的な家庭像はないというのが結論なのだが現状をざっくり知るにはいい本だった。

とくに面白かったのはワークライフバランスが格差拡大に寄与するという示唆だ。男女共同参画は社会の要請にほかならない。共働き家庭が理想の家庭像かというと決してそんなことはない。むしろ政府や企業がワークライフバランスを重視して共働き家庭を増やすにつれて収入が近い男女が世帯をもつことが増え、世帯年収の格差をさらに広げる可能性もあるという。

例:
●性別分業社会
夫800万円 妻0万円 世帯800万円
夫400万円 妻0万円 世帯400万円

●共働き社会
夫800万円 妻800万円 世帯1600万円
夫400万円 妻400万円 世帯800万円

▲夫婦で年収が同じ世帯が増えることで世帯間格差が広がる可能性がある

世帯年収が高ければ家事育児介護を外注して働き続けられる。逆に世帯年収が低ければ家事育児介護を負担する関係で仕事を休みがちになる。長時間働けばいいというものではないが突然の休みが多い社員は管理者からすれば使いづらい。結果人事や評価に響いて負の循環になることもありそうだ。なら世帯年収が平均的になるよう収入差のあるカップルが増えればいいのかなとも思うが、年収1000万円の人がマッチングサイトで年収300万円の相手を探すことが増えるとは思えず、まったく異なる文化を持つもの同士の結婚が多数派になるとも思えない。功利主義的な自由だけ考えると共働き社会は今後も格差を広げていく可能性がある。政府は自由恋愛に口を出せないので税金による富の再分配でカバーするしかないのだが税制にできることは限界がある。結論からすれば「うまくいきませんねえ」なのだが、少なくとも「男女平等の共働き社会」を無邪気にほめたたえる気は失せた。

また育児介護の外注は弱いものへしわ寄せをする負の側面があるということについては深刻な例が紹介されていた。日本の出稼ぎ労働者を例にすれば、アジアから出稼ぎに来た親が日本の子どもの面倒を見て、祖国にいる自分の子どもはまた別の誰かが面倒を見る。こうして子守の子守をつないでいくと、最終的には誰にも面倒を見てもらえない貧しい子どもにつながる負のチェーンが生まれてしまう。社会学ではグローバル・ケア・チェーンと呼ぶらしい。グローバル社会が基本的にそうした格差利用の原理原則で成り立っているとはわかっていても、海の向こうの見知らぬ子どもを不幸にすることが理想的な解決法とは思えない。民間雇用がダメなら北欧福祉国家のように公的雇用を増やすのはどうかというと、政府雇用のケア・ワーカーのほとんどが女性で民間企業の男性比率を高める結果になっているのだそうだ。ようするに女性たちがよそで育児介護をやることになっただけで、「女性に家庭の負担を押しつける」構造はむしろ政策によって強化されてしまったらしい。

家族はこれからどう変わっていくのか。歴史的に見ればこれだけたくさんの人が結婚して家族をもっていた時代はとても例外的だ。一方で現在のように男女がともに財産をもっている社会は家制度が成立しておらず地域のコミュニティ単位で暮らしていた古代社会に近いという。そうなると公共と民間の中間的存在であるNPOが地域のつながりの中で「新しい公共」(コミュニティ)として家族の代わりに市民を支えるセーフティネットの役割をはたせるのではないかと期待してしまうところがある。ただしそもそも助けてほしい人と助けたい人のバランスが悪い場合「助け合い」の原則が成り立たなくなるのは市場原理と同じなので、あくまで公的サービスの補助として「新しい公共」が機能していたらどうなのだろうという想定だ。ここは本でサラッとしかふれられないのでこれはこれでまた検索してみたい。

久しぶりのnoteだった。今日のごはんは5時起きで作った肉じゃがです。

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