ここに来てノートに戻ってきました。

僕のnoteは100%サポート目的です。
たけど今回サポート目的以外の目的として書いていきます。感謝を込めて。



東京移籍。

大きな決断したのにその軌跡を何にも残してないので時系列を追いながらNoteに残していこうかと思ってます。

赤裸々に言える範囲の事は言っていくつもりです。が、これは自分に損しそうなことはうまく隠しながらいきましょう。

実際マネージャーさんに「行きたい」と伝えたのは2020年11月25日以降である。

そう、11月25日はR-1が芸歴制限が発表された日です。Xデーですね。その1週間前に小田さんから電話をもらい「東京では芸歴制限になるって噂があるけど大阪でも聞いてる?おいでやす〜」といった内容。

「もう、そんな噂、毎年出てるじゃないですか?いちいちそんなんに振り回されるのもうやめましょうよ。いきなりそんな制限する訳ないですやんもうええですって」と返すと「いや、これほんまっぽいねん。吉本の芸人は誰も知らんけど他事務の芸人では確定やって言うてるねん。おいでやす〜」

あ〜、笑っちゃう。

笑っちゃうよ。

そんな訳ない。

笑っちゃう。

笑っとこ。

ヒィッヒッヒッヒッヒッ〜〜〜。

ヒィッヒッヒッヒッヒッ〜〜〜。

「そういうことやからお互い情報があれば知らせ合おう。じゃあ。おいでやす〜」ガチャ。

その1週間後、R-1開催記者会見で芸歴制限が発表され出れなくなった人代表として小田さんが叫び倒して場を盛り上げていた。

まじやったんか!?と衝撃を受けたと同時に小田さん教えてくれてへんがなっ!

だか、一瞬で小田さんの不義理は忘れ芸歴制限の事で頭がいっぱいになった。

「あ〜、俺もう売れへん。。」

当時の感想はこれだけだった。

そしてすぐマネージャーさんに「東京に行きたいです。」と伝えた。これが決断の流れでした。

なぜすぐ決断したか。

そんな腰の軽い人間じゃない。いつもいつも初動はぐちゃ遅の猿顔すきっ歯薄らハゲデブ人間。

実はそこに至るまでこのまま大阪でやってって良いのかと思うような事があったからである。

芸歴制限はその最後の一押しという感覚。

R-1の記者会見よりも前の話。

まず、家−1グランプリというAbemaTVであった番組。合格して打ち合わせをした時、僕のことを知ってる人として対応してくれた事。

細かすぎてのオーディションに行くと守谷日和さんのこのネタ好きなんですよー、と相手側から言うて来てくれた事。

それまでは大阪の関係者の方には名前は知ってもらえるようになってきてたがさらに東京の関係者の人にも知ってもらえるようになっていた事。

それまでは本当に知られてないんだなってのが分かるそっけない対応だけだった。ネタを見せて終わり。だが去年からはちょっとした会話が出来るようになっていた。

すごくこれは大きかった。ネタを見せるときに怪奇的に見られていたのが理解しようとしてくれてるのが分かった。

嬉しかった。合格するかしないとは別にまずちゃんと見てもらえるという喜び。

そうなると内容がちゃんと良ければ正当に評価してもらえるという喜び。

おはようと言えばおはようとちゃんと返してくれる状態。はなっから相手にされてないという感じじゃなくなってるという喜び。

東京の関係者に誰にも知られてないという訳じゃないんだなと思えれた。

これがプラスの部分。

そして逆にこのまま大阪でやってって良いのかなと考えさせられた話。

ある大阪のテレビ関係者とご飯。
僕のことを思って言ってくれた話。
色々話した中胸に刺さった言葉。
「全国で知名度を上げてくれないといくら会議で名前出しても採用されない。守谷さんとにかく知名度上げてください」

オールザッツとかR-1とかで昔より大阪ではマシになってきてたけど全国的には無名。今の時代Tverなどで全国で見れるようになってきた。すると大阪ローカルでも全国的に知名度がある方を優先する時代なんだそうです。

そんな話を聞きながらR-1絶対優勝してやると熱い気持ちになった。チャンスがないわけじゃないんだとより前向きになれた。

そしてこれは2020年の10月くらい。
僕は学祭に行ったことがない。この芸歴でこの成績で学祭に行ったことない芸人はいない。そして営業の社員さんに「学祭行ったことなくて良かったら入れてください」と。意外とこんな事でポンッと入ったりするものだ。返ってきたのがこの言葉。

「あ〜、ごめん、君がどんなことやってるから知らんねんな」

だった。

え〜!うそ〜?
大阪の社員が!?

「君の芸風やと営業に合うか分からんから入れられへんねん」

やったら分かるけどどんなことやってるかも知らんの!?

しんどっ!!

学祭は呼びたい芸人の指定もあるから指定されてない自分が悪いんやけど全組が指定されてる訳じゃない。誰を行かすかのリストにも入ってなかったんや。。。M-1で準々決勝行くくらいの芸人には回ってきてる仕事なのに。。。漫才しか興味ないんや。。。

大阪は漫才の文化。漫才してたらすごく良い街だと思う。だけどほんまに漫才してるかしてないかしかないんや。と。薄々そうやろうなとは思ってたけど決定打すぎる。

ずっとずっと自分のせいやと思ってました。ずっと自分が悪いと思って生きてきました。ずっと自分が面白くないからやと思い込んで頑張ってました。自分の問題なだけやと思ってました。

その言葉で緊張の糸が切れたというか。あれ、これ、もしかして、システムの問題ちゃうんかこれ。ピン芸人は無理なシステムなだけちゃうんかこれ。と。

大阪で売れてるピン芸人おったかな??

ん??ん〜〜?ん?

いてないやん!!

いてない!!!

ゆりやんでさえ大阪のテレビでは見てないぞ。

あらま。あららら。そういや1公演にピン芸人は1人しか出れないとかいうシステムあるぞ。なんやこれ。

ふと東京の劇場の香盤表を調べた。

めっちゃ出てる!!

1公演にピン芸人めっちゃ出てる日全然ある!

チャンスの数全然ちゃうやん。

とかとかとかとかとかとかとかとかモヤモヤモヤモヤモヤモヤモヤモヤモヤモヤしてるタイミングでの

芸歴制限!!!

知名度を上げる為に大阪のテレビで使ってもらう為にNGKに出してもらう為にたくさん舞台に立つ為に大阪じゃ漫才劇場と森ノ宮の劇場だけで最近は見に来る人ほとんど知ってくれてる方々ばかりでその人の前やと成長が止まると思ってしまったんです。

NGKで漫談でウケる人になりたくて東京に行く事にしました。テレビもめっちゃ出たいし、えげつないお芝居にも出たいし、色んな事がしたくてこの決断になりました。

そして東京行きが決まりました。

これが決断の流れ。
甘いと言う人もいるでしょう。ピン芸人だからなんて理由ないやろとか思う人もいるでしょう。そう言う人はピン芸人じゃない人ばかり。どれが合ってるとかじゃなく自分が感じた事。人のせいにしてるとも思われるでしょう。どうしてもお笑い続けたくてピン芸人になって11年、自分でやりたくてやってるんやから我慢しろと思う人もいるでしょう。そう思ってましたよ。だけどそう思えなくなってしまったんです。

これが大まかな理由です。


冒頭僕のnoteは100%サポート目的と書きました。
サポート目的です。
なのでサポートしてくれるとめっちゃ嬉しいです。
でも、読んでくれてそして好きになってくれたら嬉しいです。この1ヶ月半は応援って本当にありがたいと思えた日々でした。それについてはまた書きます。



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