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2021シーズン統括


2021年シーズンの自分自身の振り返りも含めて
書いていきたいと思います。

チーム成績

群馬ダイヤモンドペガサス
試合数64 39勝19敗6引き分け 勝率.672
チーム防御率3.86(12球団中3位)
チーム打率.297(12球団同率2位)
BCL中地区優勝
BCLチャンピオン

チームとしてシーズン勝率.672という
かなりの強さで優勝🏆
そしてそのあとBCLの3地区からなる
BCLのチャンピオンシップも優勝して
BCLのチャンピオンとなりました!!!
チーム防御率も打率も非常に優秀な成績で
優勝しても不思議ではないメンバーでした!
個人としては
↓↓↓

のように3連覇を達成でき
チームとしては100点満点の年でした🙆‍♂️
なにより元NPB選手や外国人選手がいない
という状況での優勝でした!!!
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次は、、、


自分自身の成績

31試合登板 32回2/3 1勝2敗9H7S 
防御率4.41 被安打35 奪三振42(奪三振率11.12)
四球11(与四球率3.31)WHIP1.41

ざっとこんな感じになっています。

正直知っている人は知っていると思うが
7月一度だけ先発した時に1/3で10失点という
自分の野球人生でも一番打たれた
大炎上があったのだ。
それのせいでだいぶ悪い成績になってしまった。
それを除いた場合の成績は↓

30試合登板 32回1/3 1勝1敗9H7S
防御率1.67 被安打25 奪三振41(奪三振率11.41)
四球10(与四球率2.78) WHIP1.08

っとなります。
だいぶ見れる成績になってよかった笑

それを踏まえた上で下の成績で話しを進めて
いきたいと思います。

まず防御率1.67は正直納得のいく成績ではない。
中継ぎで独立リーグでやるならば1点台は
切りたいと思っていただけだけに少し残念。
そこはやはり被安打25という部分が良くない。
被安打率が.214と非常に悪いと思う。
せめて.150程度におさえたかったところである。
WHIPも1.00は切りたかった。

っとまあ100点中70点ぐらいといったところが
自己評価の点数といえるでしょう。
だが8/9の神奈川戦を最後にCSの最後まで
2ヶ月程度自責点0というのは
チームが優勝に向けた大事な時期を0というのは
誇ってもいいとこだろうと思う。
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話しは少し変わるが2021の統括という事で
話しをしとこうと思うのが
「唯一の先発となった日のことと理由とその後だ」

まずなぜ先発することになったのか
その理由は
1、「先発投手に故障が相次いだ」
2、「先発してまた違うなにかを得る」
っという理由があって先発をすることないなった

一番大きな要因はやはり
先ほども述べた通り「先発投手の故障」だ。
この時期謎に故障が相次いで先発の駒が
足りなくなってしまったのだ。
この頃終盤先発として回っていた井口、吉岡は
ローテーションにはいなくて
リリーフ陣には僕や田代他にもたくさんおり
ブルペン陣は十分に人がいた。
この時点で僕自身抑えとして7Sあげていた。

そのような状況で回ってきたのが僕だった。
四国IL在籍時代も先発もしており
もちろん監督の牧野さんの下でも先発をしていた
2020シーズンも先発をしていた。
知らない人も多いと思うが大学時代は
「先発完投型」の投手だった。
そのような事も含めて先発の話しがまわってきた

それともう一つは
「先発でまたなにかを得るため」だった。
監督と話しをしていく上で自分自身でも
そうだったがなにか自分の投球に物足りなさを
感じていた時でもあった。
正直なにかを得るといっても先発したから
なにか得れるとはわからない。
それでも「先発の故障」と相まって
先発をすることになったのである。

そして先発した中野で行われた対信濃戦は
1/3で10失点という悲惨すぎる結果で終わった。
正直調子も良かったし
そこまで打たれた理由は今でもわからない。
この先発するまでに雨で中止などで
中16日空いたのがよくなかったのかもしれないし
中野はボールが飛ぶってのがよくなかったのか
マウンドがあわなかったのか
俺が悪いことでもしたのか
ほんとに謎に包まれてる大炎上だった笑
BCLほんとにあった怖い話しの一つとなった笑

そして一番の問題はその後だ、、、
数日後
キャッチボールしてもうまく力が入らない。
前鋸筋や脇腹、広背筋らへんに
痛みがでてピッチングしようと
思っても投げれない、、、
でもめちゃくちゃ痛いというほどでもなく
トレーナーや自分の感覚からして
1週間くらいあければ良くなる!と思っていた。

約1週間後くらい復活するが
球速はでて142、3km\hくらいで
まあ投げていけば戻ってくるだろうと
思っていたが逆に調子は落ちていって痛みも
なかなか消えないという状況が
そこから2ヶ月ほど続いて途中からは
肘を下げてしか投げれないまでになった。

1枚目が怪我する前で
2枚目が怪我してさらに1ヶ月半後くらい。
一目瞭然ですね。
でもその中でも変化球をうまく使いながら
抑えられていたのは経験もあってからか?

怪我して1ヶ月後くらいから投げた後
帰って家なりバス中で寝れないくらいの
痛みが肋骨から腹斜筋にでるようになってきた。
それで病院で診てもらうことになったが、、
結果は「異常なし」だった。
はっきりいって異常がない痛みじゃなかったから
は?って感じだったがそれで吹っ切れたのか
徐々に調子は戻って9月中旬からCSにかけては
80〜90%くらいまで状態は戻った。
(まあ投げた後は痛みがでるのは変わらなかったが)
シーズンの終わりが見えてきたのと
優勝争いの真っ只中という事もあって
とりあえず痛みを忘れながら投げれたのがよかったのかもしれない。
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まあという2021年シーズンを過ごした。
怪我でここまで悪くなるのは初めてで
自分の弱さをあらためて気付かされた。
怪我はやはり怖い。
普段からのケアの大事さ食事
独立リーグといえどプロ野球選手。
そこをもっと大事にしなきゃいけないなって
気付かされるシーズンでした。

でもその中でもBCLチャンピオンになれたし
自分の中で新しい引き出しなども増えて
学ぶことも多いシーズンあったことにはかわりない。

だが、、、
今年はNPBからの調査書は一枚もきていない。
25歳という歳、実力上にいくには
相当高い壁があり今年も越えるのはかなり困難に
なりそうだ。

今後については今のところ未定。
独立リーグから同級生が今年も沢山やめてる。
武蔵の大堀や金城や信濃の新井や山本など
素晴らしい選手がやめていくのは
他チームだが悲しい気持ちになる。
俺も引退した方がいいのかとも思わされる。

また今後については考えて答えをだします。
最後まで読んでくださりありがとうございます🙇‍♂️

次は「独立リーグ」についてでも
書ければと思います。

ほんとの最後の最後に
2021年も応援してくれた方ファン、スポンサー、
家族、友人、首脳陣
そしてチームメイト
ほんとにありがとうございました!!!

3150👊

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