イチロー、引退

イチローが好きすぎて、東京ドームでオリックスvs日本ハム戦があるときは、必ずバイトで入って、その雄姿をみていた大学時代。
日米野球で、アメリカに渡ったばかりの野茂と、超新星イチローの対決は、今でも心に残っています。

メジャーに行って、さらに輝きを増した彼を見るために4度もシアトルまで行き、その美しい佇まいと、シアトルのファンからのリスペクトを見て、何の関係もないにもかかわらず、日本人として誇りに思ったものです。

であるが故に、連続200安打が途切れ、ニューヨークに渡り、そしてマイアミに渡った彼を見るのは辛いものがありました。

ときどき、全盛期の輝きをみせるものの、その頻度は日に日に落ちていく。このころから、試合を通してみることはなく、輝きをみせたその時だけを切り取ったMLB.comの動画だけを見るようになっていました。

引退するまでに、マイアミに行こう。
と、思っていたのですが、行きたくない気持ちの方が大きかったのです。

そして、シアトルに帰った後、ストライクゾーンに来た球は、4割以上の打率でヒットにしていた彼が、130km/hのストレートに差し込まれている姿を見ることになります。

それは、153km/hのストレートと、ストライクゾーンの端から端まで曲がるスライダーを投げていた伊藤智仁が、引退試合で90km/hのナックルボールを投げていたのと同じくらいの衝撃。

あらゆる物事には、終わりがあるということをハッキリと見せつけてくれました。

外野スタンドからでも、彼がどこにいるのか一瞬でわかるその存在感。
それは、姿勢の良さから、走り、投げ、打つフォームの美しさからくるものです。

毎日毎日5本安打を放ち、ついにはメジャー記録を更新した2004年。
凄まじい期待を背負いながら結果が出ず、でも最後に決勝安打を放ったWBC。

海外で活躍することの格好良さと、世界の舞台で期待を背負って闘うことの厳しさを教えてくれた彼の活躍は、「国境関係なしに好きなところで生きていこう」という、私のポリシーの原点です。

私のスーパースターは、現役最後の会見で、なにを語ってくれるのでしょうか?

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