私が 面倒なことをやるとき、何が重要なのか
面倒なものを面倒なまま、「できないお前が悪いんだ」と自分に言い聞かせ、自分にムチを打つようにやることの、自らに与える悪影響は、とても大きかった。
でも、納得できる理由をつけて、少し工夫してやると、その悪影響は明らかに減っていった。
その差があまりに大きすぎたので、私は気づいた。
もしかして自分は、何かをするときに「自分をどうプラスに納得させられる」かどうかが、ものすごい大事なんじゃないか……?
「やらないといけないから」じゃない。
現実的に見てどれほどの正当性があるかじゃない。
これをやると、自分にどうプラスかを考えるのだ。
例えば面倒なことをやらなきゃいけない時、それをできない自分について、
「後回しにしがち」で「段取りよく計画が立てられない」という障害特性を持っているからで、怠けているわけではない と
動けない/行動できない理由を、ネガティブな要素を潰すイメージで分析する。
その後、「これができたら褒めてもらえる」とか、「これができたらおいしいご飯が食べられる」とか、「これができたらもやもやがなくなる」とか、
今ここでその「面倒」ができると自分にどんなメリットがあるのかを考えていく。
で、メリットを考え思い起こして、「あ~~~いいな~~~~それいいな~~~」って思っているうちに、
ひとまず座ってるとこから立ってみるとか、移動してみるとかして動いてみて、そのまま面倒なこともやってしまう。
あるいは、「しゃーない、そんなにメリットがあるなら頑張るかー」って区切りをつけて頑張るもよし。
例えば、体調不良でもないのに、仕事にどうしてもずるずると行けない時。
「生活がかかってるんだから」とか、「金がなくなったら困るに決まってるだろ」とか、そんな現実的なことじゃなく、
「給料が入ったらあれを買おう」とか、「今日の仕事帰りにあそこに寄ろう」とか、「今日の昼休みはあれを食べよう」とか、
自分の好きなものや場所を理由にし、くっつけてやる。そんな感じ。
子供じみているかもしれないし、現実的な理由で動けないなんてガキかよって思われるかもしれないけれど、
でもやっぱり自分で自分に振りかざした無形のもので、勝手に悪くなって、自分にも周囲に悪影響が及ぶよりかは、よほどいいのではないかなって思うんだ。
ここまで書いて、ふとなんだか、「自分という子供を育てているみたいだな」と思った。
それでいいのかもしれない、とも思った。
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