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【#ゲームとことば 2022】牛乳を買いに行き眠るまでのゲームで、人生に明かりが灯る

こちらは ゲームとことば Advent Calendar 2022 12月11日分の記事です。
お題は「ゲームと人生」とのことで、わたしの人生を変えたゲームは
Milk inside a bag of milk inside a bag of milk (通称Milk1) と
Milk outside a bag of milk outside a bag of milk (通称Milk2) です。

この記事には、当該2作品に関するネタバレやスクリーンショットが多数含まれております。閲覧の際にはご注意ください。


どんなゲーム?

平たく言えば、「少女の脳内に響く声となって 少女と対話し 誘導していこう」というゲームです。
Milk inside~では 少女が家を出て牛乳を買いにいく様子、
Milk outside~では そこから帰宅して以降の様子を追っていくことができます。

後に、insideは2022年7月18日にMohiMojitoさんによって
outsideは同年7月19日にRina Watanabeさんと高橋 温さんによって
日本語訳が施され、実装されました。

こちらはinsideの日本語訳を担当したMohiMojitoさんのnoteになります。
このゲームの翻訳をするということがいかに大変なことか、プレイを通じて、この記事を通じて、恐れながら深く感じ入ったところであります。

それでは、これ以降は、このゲームに対する個人的なお話をしていこうと思います。
あくまでいちプレイヤーの私見による拙文ではございますが、
どうぞよろしくお願いいたします。


出会ったきっかけ

Milkシリーズは、もともと気になっていたゲームのひとつだった。
私はserial experiments lainやドキドキ文芸部、LANAシリーズ(楽曲)のような世界観が大好きで、このゲームもすごく楽しそうだと感じていた。
しかし気になりだした頃には、まだ日本語に対応していなかった。
そうしてうっすらとした記憶にこのタイトルが残っているなかで、
半年か1年ほどが過ぎた頃。今年の夏のことだった。

その時のわたしは悩んでおり、もともと愛した居場所から逃げ出していた。
逃げ出した先で最近出会ったばかりの人が、偶然そのゲームをやっているというアクティビティを目にしたのである。
「あれ、あのゲーム、日本語対応してたっけ?」
気になったから、何の気なしに、その人にメッセージを送った。
するとその人は、そのゲームが「最近日本語化されたのだ」と教えてくれた。
調べてみると、本当だった。つい数日前に、日本語化されたばかりだった。

とてもタイムリーで、嬉しくなって。すぐそのゲームをインストールした。


「あれは私だ」

まずはそれぞれ、一周ずつプレイしてみる。
その後一番最初に持った感想が、上述のことばだった。
ルート分岐型のADVを何周も続けることができない自分が、
はじめて全ルートを自分の目で見たいと思えるゲームだった。

全ルートを攻略後、他のプレイヤーの方々の考察記事を漁りはじめる。
するとこちらの考察記事がヒットし、拝見し、感動した。
より多くを重層的に解釈することができ、本当に嬉しかった。

上述の考察記事の筆者も言っていたように、このゲームで語られることばたちは、割とワードサラダ寸前なところがあると思う。
しかし自分は、このゲームをやった時、どうしても他人事に思えなかった。

彼女の一言一言が、しんしんと胸の奥に鳴り響いた。
彼女のなかにしかない風景と、それを誰にも共有できない在り様が感じられて、あるいは日々言葉を取り落として 今もこうしてワードサラダ状態になっている、自分のなかの"自分への無力感"と共鳴したのかもしれない。

「自分にとってのこのプレイヤーのような存在はいつか現れるだろうか」
そんなことを考えた。そして慌てて、
「自分にとってのこのプレイヤーのような存在をいつか自分に作り出せるだろうか」
と修正した。
すっかり現実と虚構の区別がついていない有様だ。
それくらいこのゲームは、胸に突き刺さり、思うところを強く残した。


対等ではない関係性の中で閲覧を許された記述たち

この主人公が語ることばたちは、ある意味"(プレイヤーと主人公が)対等ではない関係性であるからこそ見ることのできたことばたち"であると感じる。
というのも、たとえば主人公である彼女とわたし(=プレイヤー)が同じテーブルを相対して座っていたのでは、語られることのなかったことばであると思ったからだ。
彼女のことばたちのワードサラダ寸前の様相は、(追い詰められた末のものとはいえ)客観的/社会的な視点、つまりある意味、相手にわかりやすく伝えようという視点の欠落であるとも感じているからだ。
なのでこれは彼女のなかでは、この場合のプレイヤーの存在は"縋りたいほどのシステム"であるか、あるいは"他人でも自分でもないなにか"なのではないか、という感覚があった。
もう少し言えばこれは、話しかけずにはいられないほどに縋りたい、自分とは違った物質でできたシステムであるのか、あるいは他人でも自分でもない何か、飲み込むと内側にひろがる何かに対して、それが"何か"であると分かっていながら冷めた目線で展開される、誰にも見せない独り言であるのか。
そんな風に見えて、頭の中を離れない。


対話のようで対話に見えない対話たち

そしてこのゲームをしていると、本当にこの声(=プレイヤー)は彼女を誘導しているのか?という気分になることがある。たとえば彼女の弱音に対してただ罵声を浴びせるような選択肢があったりと、どこか一方通行な会話に見えることがあるからだ。
そんな、ある種自分の領域から出ていないような、小さな揺らぎのような一言によって、彼女は簡単に崩れていく。
それでいながら、終始「崩れていませんよ」みたいな顔をしているような気もしてくる。最初から徹底して、どこかが崩れているから?とても不思議な感覚になる。


このゲームがそばにあることで

私はこのゲームがそばにあることで、どことなく戦友を得たような気分になったのかもしれない。
人に頼るのはとてもとても忍びない。人に見せるにはとてもとても言葉が見つからない。自分の社会的にひらいた場所を常に意識していて、なればこそ内側に部屋を作り篭っている。
そんな私の内側の部屋を照らしてくれる、明かりのようなゲームだった。
私はこの出会いをとても嬉しく思う。


おわりに

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
今回、わたしはこのゲームに共感し、とりつかれ、魅力的に感じてやまない、というお話をさせていただきました。
共感なんて、むやみに言っていいものか……という気はしますが、少なくともこのゲームに、自分の人生や価値観のいくつかの要素を思い起こさせるものがあった、と感じています。
そしてその事実自体が、自分に希望を与えてくれている、とも思います。

そして、今回のアドベントカレンダーに参加されている皆様の記事を拝見したこともふまえて、こんな素敵なゲームと縁をつないでくださったのは、日本語ということばであるとも感じました。"日本語で楽しめる"ということが、このゲームのプレイへと一歩足を踏み出させてくれたのだと。
なので重ねてになってしまいますが、このゲームを翻訳した方々のことを本当に尊敬します。

結びに、このゲームに出会えて、本当に良かったです。
そして今回、勇気を出して筆を執らせていただいて、本当に良かったです。
ありがとうございました。

この度は目に留めていただきありがとうございます! フォローはお返ししておりますので、是非相互になりましょう! もしサポートもいただけることがありましたら、とっても幸せです。