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いち一般人が考える、コロナウイルスの"収束"に関する解釈

私には本当になんにも分からないので、一般人として、今ひそかに待ち望んでいる「収束」ってどこにあるのかな、ということを、個人的に考えていこうと思います。何度でも言いますが、本当に浅学で何も分からない一般人が「そういうものかもしれないな~」ってなんとなく考えたことを述べるだけなので、ゆるくそんな感じで読んでいただけるとありがたいです。


考えるに至ったきっかけ

きっかけは「コロナウイルスの収束はきっとないのだから ただの風邪くらいに考えていていいのではないか」と言っているフォロワーさんを見かけたからでした。その方はどちらかというと、マスクをつけるのが苦手だったり、移動に制限が生まれたり、何よりそれらに伴う他者からの攻撃が怖いしうんざりだという思いから、そのように発言をしている様子でした。

確かに、そう思いたいくらいには 途方もなく長い道のりになりそうだとも思うし、そんなに長い期間「感染を怖がる他者からの攻撃」をしのぐことになると思うと、それはそれでとっても怖いと感じます。

ただ、その気持ちにはゆるく共感するうえで「風邪くらいに思う」というには少し違うのではないかというのが、私の考えでもありました。何故なら、今コロナウイルスには「薬がない」からです。


薬に対する自分の向き合い方

昔主治医から「痛み止めの乱用は避けるように」と指導を受けたことがありました。いまいち要領を得なかったので、「どのような基準で使っていけばよいでしょうか?」と質問をしたことがあります。その際に「たとえば"痛みが強すぎて安静にできない"時に使うこと。無理をするために使うのは避けるように。」という助言をいただきました。このお話でなるほど腑に落ちて、今も薬を使う際の参考にさせていただいています。

私は個人的には、お薬を使って処置をしないと悪化したり最悪死んでしまったりする病気も沢山あると思っています。加えて私には知識がありません。知識がないまま扱うのを怖がったとしても、その恐怖が正当なものなのかは分からないこともあるのではないかと考えています。なので過度に怖がるでもなく、選択肢の一つとして考えています


「対処法」が出来ることが収束に繋がるのかもしれない

自分の中で、今までどことなく「感染者がいなくなること」が収束なのかなと思っていたところがあったのですが、この出来事をきっかけに もしかすると「対処法ができること」が収束に繋がっていくのかな?と思い始めました。

有効なワクチンや処方薬ができて、安定供給されるようになっていって。それでやっと「収束」という言葉がみえ始めるのかもしれない。インフルエンザにかかった時のように、「ああ~こりゃコロナだね……じゃあこのお薬出しておくから、飲んで休んでてね~」ができるようになることで、やっと怖さが薄くなっていくのかもしれない。そしてその対処法は今はコロナウイルスには存在せず、風邪やインフルエンザには存在する。そこが明確に違うのではないかと。なんとなく、そう思った次第です。

そしてその上で、今色んな研究職の方やお薬の開発をしたり、医療職の方がかかった方の治療をしたりと、とっても頑張ってくださっている。

自分といういち一般人としては、知識がないままに読み解くべきではない情報があるとも思うし。センセーショナルにすることしか考えていない情報にうんざりすることもあって。うんざりだと思っていても飛び交う強い言葉につらくなることもある。ただ対処法が少ないから「気を付けてね」という意図をもって情報が飛び交うこともあって、研究され始めだからみんなで情報共有をしたくてやり取りが盛んにおこなわれることもある。そんな側面もあるのかなと思ったりして。しかし短絡的で扇動的な情報は怖い。

だから私はいち一般人として、取り扱いが危ない情報はできる範囲で見えなくしたりする。そうすることで、できる人や頑張ってくださっている人の頑張りを邪魔をしないように、自分の心身のケアを自分で頑張ってみたりする。収束を願いながら、今自分ができることは、そういうことなのかもしれない。なんとなく、そう思った次第です。


あとがき

徒然とオチもなく、ただひたすらに思ったことを書き述べさせていただきました。本当に何度も言いますが、自分といういち一般人が突然なんとなく「そういうものかもしれない」と思って書いている次第ですので、違うことや間違っていることもいっぱいあるかもしれません。申し訳ないです。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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