自分が思い描いた他人が求めるであろう自分


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35歳。洋服が好きで色々な洋服で自分を着飾ってきた。奇抜な服装や髪型で街を歩き、人から指をさされて笑われたこともある。その度に「俺はこういうのが好きでやっている、お前らのことなど気にしていない!」と心の中で唱えつつ、滅茶苦茶気にしながら生きてきた。いや、生きている。

好きでやってることがたまに辛く感じることもある私は今日、意識的に街に溶け込む服装で出掛けている。心なしか街が、人が自分に優しく見える。

人とは違った服装をしていると言う自意識が、他人にそういう目線で見られている、と決めつけ攻撃的なマインドを使っていたようだ。 


物事はつねに相対的にある。


奇抜な髪型も、個性的な服装も、高級なコース料理も、広すぎる家も、それを飾る言葉はおおまかな平均値からの距離の長さや位置関係の違いを表している。周りとの距離を測ることのできない絶対的な個性など存在しない。髪を赤く染め上げてモヒカンスタイルにしても皆んながそうであればそれはよく見かける景色となり誰も注目をしないのだ。

着る物、食べる物、その他なんでもいいんだけど、自分が興味のあるモノゴトに人は時間やお金を積極的に使う。時にはそれに対して発言をしてみたりして自分のキャラクターが出来上がっていく。そしてそれが確立してくると、俺はこうあるべきだと、と思うようになる。

自分の思い描いた他人が求めるであろう自分の誕生だ。

人は他人の理想を生きている、とは良く言ったものだ。

そういったリアルに気付く気付かぬは人それぞれだけど、確実に存在はしていて、自らが作り出した使命感らしき物に縛られながら人は生きている。

2020年、個人の時代、とかいう言葉を良く聞くようになった。SNS状では皆自分作りに一生懸命だ。

フォローしているInstagramアカウントで固定の世界観を演じ、ポジティブな言葉を連ねる投稿者を見て疑問を感じた。この人に悩みは無いのだろうか。無いはずはないよね。

ただそういうポジティブな世界観を提示してしまった以上、中々本当の気持ちは言い出せないのだろう。

拘りを、得意なことを、生活スタイルを外に向けて発信すればするほどに作られたイメージは拡散し、フォロワーから厳しい視線を向けられる。

着込まれてヨレヨレになったユニクロのスウェット上下はお洒落なインスタグラムアカウントには登場しない。インスタグラムとはそういうものだからいいのだけど… でも誰かに見られているかも、と深夜にコンビニに向かう服装としてもヨレクロを避けはじめたら話が変わってくる。

何か話が脱線してきた。終わりが見えないので無理やりまとめる。

世の中は、好きな物を身に着けたから最高、みたいな単純なものではなく、もっと複雑な要素が絡み合い成り立っている。

たまには自分らしくない物をわざと選んで、自分が作りあげたような気でいる他人が作りあげたイメージを裏切ってみても良いと思う。

ちなみに、世の中を俯瞰して見れてますよ、的な私の湿ったキャラクターの成分表には、これを読んでいるあなたが私に求める物、が1gぐらい入っている気がする。

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