キャリアチェンジについて(会計人コースWeb掲載)

(以前、会計人コースWebに掲載していただいた文章です。会計人コースWebはどんどん新しい記事がUpされて流れて行ってしまうので、自分の記録もかねてこちらにも掲載します)

なぜ、銀行員を辞めて「公認会計士」を目指したのか?

皆様こんにちは、morningstarと申します。主にX(旧Twitter)とnoteで内部監査の話を中心に発信している独立会計士です。つい最近まで、長い間色々な組織で働いていましたが、大きなキャリアチェンジをする時にどんなことを考えていたかについて、2回に分けてお話しさせていただきます。私は特にビジネスの世界で成功者というわけではありませんが、何とか生き延びてきた軌跡も、スーパーマンの輝かしいストーリーとは別の需要もあるかと思い、筆を執らせていただきました。最初は、新卒で銀行に入った私が一年でそこを辞めて、会計士を目指したころのことです。

勇んで第一希望の会社に入ったけど

私が就職活動をして就職した1990年代の半ば頃、学生の就職先としては金融機関、特に銀行はとても人気がありました。1980年代末期のバブル期に時価総額などの指標で日本の金融機関は圧倒的な存在感がありましたし、銀行員は高賃金とも言われていたためでしょう。実は、90年代半ばには日本の銀行の財務状況は現在の会計基準に当てはめれば、不良債権でボロボロだったのですが、当時は会計基準が未成熟だったうえ、インターネットも黎明期で、大学生が入手している情報は極めて限られたものでした。そんな中で平凡な学生だった私も、高度成長期の銀行を描いた高杉良の著作などに影響されながら漫然と銀行を目指し人気の高い一行から内定をもらい、喜び勇んで就職しました。
ところが、配属された支店の窓口では、一般職採用が大幅に削減されていたこと、数年前の高金利商品の償還が毎月あったことなどで大変忙しく、また、支店としても事務の大きなミスなどのトラブルもあり、とてもこの会社に一生を託せるとは思えなくなりました。

目指した理由は消去法

とはいえ、現在のように転職の環境が整っているわけでもなく、キャリアチェンジするとしたら公務員試験を受けるか、司法試験か会計士試験くらいしか選択肢が思い浮かびませんでした。そんな中で、学生時代に読んだ本の中で、公認会計士の働き方がかなり自由だということが書かれていたことを思い出し、大学も経済学部だったこと、司法試験よりは易しそうといった様々な後ろ向きな理由から、退職して試験に専念することにしました。なお、銀行では簿記三級の受験を義務付けられていましたが、ろくに準備もせず受けに行って、8点しか取れずに不合格だったので、同期からは「よくそれで会計士目指すね?」と呆れられました。また、会計士がどんな仕事をしているかもほとんど理解しておらず、とにかくこの環境から逃れたい、ということが動機のほぼすべてという有様でした。X(旧Twitter)で、逃げの転職はダメだなどと言われますが、私の最初のキャリアチェンジは99%逃げです。後年「逃げるは恥だが役に立つ」というドラマのタイトルを見たときには、我が意を得たり、という気持ちになりました。

苦しかった受験生活

会社での仕事は大体朝8時から夜の9時、10時までで、昼休みもろくに取れず毎日13時間くらいは働いていたので、毎日10時間くらいは軽く勉強できるだろうと甘く考えていましたが、実際に始めてみるとそこまで自分を律することはできず、毎日8時間程度で週に二日程度は半日休みというスケジュールで週50時間程度の学習時間でした。現在とは試験制度が異なり、当時は試験は年1回で、受験者一万人のうち三千人が短答合格、その三千人のうち七百人くらいが最終合格という感じでした。一度目の試験は短答は辛くも合格したものの、論文はボロボロ、不合格だった10月から翌年の2月ごろまでは成績も伸びず、寒い冬の朝に予備校に向かいながら、とんでもない試験に手を出してしまったかもという後悔にも似た気持ちにさいなまれていました。
春先になりようやく色々な科目の全体像が分かってきて成績も伸び、2回目の試験で何とか合格することができました。当時の試験は、試験委員の色が出やすく、運の要素もかなりあると感じていたので、ある程度の学力がついて最初の年に合格できたのは幸運だったと今でも思います。

合格できなかったら

難関資格試験に挑む方にとって悩ましいのは、多くの時間とお金を投じながら、合格できなかったらどうしようか、ということだと思います。私は仮に2回目の受験で不合格でも、あと1回は受けて、試験が終わったらすぐに何でもよいから仕事を探そうと決めていました。そう決めることでダメだった場合のことを考えないようにしたわけです。
そのころから四半世紀ほどの年月が経ちましたが、社会人生活の中で公認会計士を過去に目指していたという方に出会ったことは何回もあります。その人たちの心のうちまでは分かりませんが、どの方も経理、財務などの分野で大きな組織で立派に働いている方ばかりでした。きっと、試験勉強で学んだことを活かしながら社会で成果を挙げ続けてきたのでしょう。試験に合格しなかったとしてもその努力が消えることもないし、それで人生が終わるわけでもないので、今、挑んでいる方はとにかく全力で頑張ることが結果にかかわらず、きっと後の人生に役立つということをお伝えしておきます。
なぜ、監査法人の次に「内部監査」の道を選んだのか?

監査法人時代

前回、銀行を辞めて会計士を目指したころのお話をしました。会計士試験に合格後は大手監査法人に勤務しましたが、所属していた部署が官庁系などの業務をメインに担うところであったこともあり、連結決算導入コンサルや独立行政法人の初度監査などを担当し、上場企業の監査業務がほとんどないという、かなり変わった経験を積みました。その後、海外派遣、官庁への出向を経て監査法人に帰任し、マネジャー時代に退職を決意します。そのころの心情はnoteの「監査法人を辞めたころのこと」
https://note.com/morningstar0212/n/n269700fbae65
に書きましたので、ここでは重複を避けます。

なぜ、内部監査を選んだのか?

銀行を辞めて監査法人に入ったときは、他の新人と同じ新卒採用(といっても当時、学生合格者は2割もいなかったと思うので大半は既卒ですが)だったので、これが初めての転職活動です。いくつかのエージェントに登録して最初のころは色々案件があると言われて、すぐにでも決まるかと楽観していましたが、当時は大手監査法人がリストラ真っ盛りだったこともあり、競争相手も多かったのか、そう簡単には決まりません。何社かお祈りされた後で外資系メーカーA社の内部監査の求人が来ました。それまで内部監査は全く志望先として想定していなかったのですが、Job Descriptionを見ると何だか面白そうです。要求事項には
l   監査を通じて会社に価値を与えるという熱意
l   事実に基づいて知識、直感、創造性を活用し、リスクと機会を評価し、事業部門が抱える問題に対する解決策を生み出す優れたビジネス感覚
といった内容が書かれており、非常に興味をそそられました。官庁出向時代には、国の予算の使われ方を検証し問題提起を行うような仕事をしていたこと、外資系で英語が必要なので海外経験が生きることなども考えると、この会社のこの仕事は自分の能力を活かせそうだと感じ、特に気合を入れて面接の準備をしました。その時の工夫についてはnoteの「面接する人、される人 転職・採用活動のヒント」
https://note.com/morningstar0212/n/n2e670200b9d6
に詳しく書きました。最終の、海外のAudit Managerとの電話面接は、音声も悪く相手の英語がイマイチ聴き取れなかったりで苦戦しましたが、なんとか内定をもらい、転職することになりました。

新しい仕事を始めて

監査法人時代に非監査業務もそれなりにやっていたとはいえ、内部監査は初めてです。監査法人からの転職の難しいところの一つは、事業会社への転職の場合、通常は未経験業種・職種になってしまうことです。しかも私の初仕事は、シンガポールにある工場の監査に監査メンバーとして加わることでした。メンバーは工場側も日本人なんかもちろん一人もいません。まだ会社の用語もろくにわからないまま、なんとか監査プログラムをもとに作業はしましたが、私が発見できた指摘事項はゼロという体たらく、シンガポール流の英語も耳慣れず、散々なデビュー戦でした。その後は日本法人の監査をメインに、2年目からは日本の責任者ポジションを任されて、営業、製造、管理部門とあらゆる領域の内部監査の経験を積んでいきました。幸い、コンプライアンス意識の高い会社であり、指摘事項に対して激しい拒否をされることもなく、日本法人の社長やCFOなどのマネジメントとも良好な関係を築き、気持ちよく仕事をすることができました。
特に印象深かったのは、業績が芳しくないある事業部の監査を行った際に、営業サイドで色々と苦し紛れに行われていた望ましくない事象を検出し、修正を依頼したときのことです。現場からはもちろん反発もありましたが、事業部長や役員から支援してもらいながら改善をお願いしました。すると、翌年以降、結果として当該事業部の業績がかなり回復しました。苦しいときに数字を作るために安易な値引やキャンペーンを打ったり、取引先のワガママを過剰に聞いたりすると、その瞬間の数字は作れても、翌期以降の首を絞めることになるわけですが、そこに監査の立場からストップをかけ、結果としてビジネスの回復に多少なりとも寄与できたことは大きな自信になりましたし、内部監査という仕事をこの先も続けていこうという動機付けにもなりました。
なお、良いことばかり書きましたが、当時の私の上司は海外にいるアジア太平洋地域の監査マネジャーで、良い人もいましたが、責任をこちらにすぐになすり付けようとしてくるインド人とか、英語が苦手なのか何回説明しても後からひっくり返して文句を言ってくる中国人のような困った人もいて、ずいぶん悩まされたこともあります。

おわりに

A社では楽しく仕事をしていたのですが、在任が長くなってきたかなという時に、日本の内部監査部門を廃止してアジアに統合するという決定がグローバルでなされ、私はポジションがなくなることになりました。そこで、引き続き日本法人でFP&Aの仕事をすることになり、2年ほど働きましたが、自分がバリューを出せている感じもなく、内部監査の仕事のほうが専門性を活かせると考えたことと、親会社の意向が圧倒的に強く業務を左右する外資系の仕事に嫌気がさしてきたことから、日系の上場企業の内部監査部門に転職しました。その後、会社が変わったり独立したりという変化はありましたが、一貫して内部監査の仕事をしています。
この仕事を始めたのは転職活動による偶然ではありましたが、非常に良い仕事かもという直感と、その後の実務で良い経験を積むことができたことが、今でもこの仕事を続けている背景にあります。
銀行を辞めて会計士を目指した時と、監査法人を辞めて内部監査の道に入った時のいずれも、私にはキャリアプランと呼べるような立派なものはありませんでした。この変化の激しい社会の中で、将来を予測して職業を選ぶことはほとんど不可能でしょう。万全のプランを立ててその通りに人生を歩む人はいません。目の前に目標があるならまずはそれに向かって頑張り、どうしようもない状況に追い込まれたら周りを見回して何とかなりそうな方に舵を切る、くらいのスタンスも時として大事なのではと思っています。

以上


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