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世の中にさみしい、と思わせられていることにムカついている。

こんにちは、もろちゃうです。
新しい会社での2日間をなんとか乗り切り、ようやく迎えた週末。
だいすきな彼氏と過ごしているのに、なんだか無性にさみしい。
さみしくてモヤモヤしていらつく、この感覚・・。
生理前ですか? いやそうじゃない。
要は 世の中にさみしい、と思わせられていることにムカついている。

さみしいとムカつく感情の出どころ

よくあるのって、世の中に「さみしい奴」認定されてムカつくっていう感覚だとおもうのです。
特定のパートナーがいない時、そういう憤りはすごくあった。

でも今は彼がいてくれることで、その感覚は少なくなりました。
ただ・・、さみしいっていう私の繊細で大切な感覚を
不必要に揺さぶられている気がしていやだ、とおもうのです。

私が突発的にさみしい!!って叫びだしたくなるのは
いつも決まってTikTokを眺めた後です。
週末、彼が家に来てもぼーっとTVを眺めているか、スマホを眺めているか。
素を丸出ししてくれるのは嬉しくもあるけど
2人でいられる時間なんだからもっと話したりくっついたりしたい。
なのに言えないでいる・・。

自分からくっついてもなんかハイハイってあしらわれてる気がして。
悔しいから、私もスマホでTikTokを開いて時間を潰す。
でもアプリを開くと、じぶんの無防備な脳にどんどん入り込んでくるのは
彼氏・彼女・推しが好きすぎるとか
嫁・旦那・子供・ペットがかわいすぎるとか
美味しい料理がこんな手軽にできる
これがあると日々が便利になるよとか・・云々。
「こんな風に思われたい」「こんなことされたい」
「これできるようになりたい」「あれ買おう」とか
私の欲求を不必要にどんどん煽っていく情報達
それを浴びにいってると、どんどんさみしいという感覚が増幅してゆく。

新しい職場では既婚者も多くて、会話には「奥さんが」とか「子供が」っていうワードも入ってくる。
家族関係を営む人達は、ずっとおなじ場所に帰っていくのだけど
私達はこのあと
別々の場所に帰りお互いの日常を別々に営んでいくこと。
いっしょの空間にいるのに、
なんだか心が通じ合ってないように感じること。
彼と別れたあとも、
なんだかピリピリイライラすること続きで。
んんんー、苦しいなあ。

幸せのモノサシを世の中から押し付けられているような気がして、それに抵抗したくてムカついているのかもしれない。

幸せのモノサシを押し付けられたくない時の処方箋

『孤独な夜のココア』

こんなときにほしいのは
孤独な夜のココア』みたいなもの。
これは田辺聖子さんの恋愛小説のタイトルなんだけど
「孤独を感じた夜、心身を温め眠りに誘うココアが飲みたくなる」っていう超個人的な感覚を12篇のショートストーリーで見事に表してます。

『孤独な夜のココア』 田辺聖子著

この本で伝えているのは、幸せのモノサシを世俗に委ねるなっていうことだとおもうんです。
たとえば「ひなげしの家」という章を読んだ時、これって私の家族の話だ!っておもったんですよ。
50代になっても恋愛に走るじぶんの母を疎ましく感じた気持ちがここには書いてあって、と同時に、綿矢りささんの解説を読んで母の気持ちもはじめてわかった気がしたんです。母は自分自身の幸福をとことん追求してたのかもしれないって。

「あたしたちはねえ、おそく知り合ったので、ちょっとでも長くいたいの・・」叔母さんは真顔でそういうのだった。
わたしには、それも、すこしいやらしく思えた。

『孤独な夜のココア』ひなげしの家

純度の高い恋愛は他から見るといやらしいものだ。いい大人が純粋なころに帰って、お互い甘え合っている。大人でなくてもどの年齢でもラブラブというのは、周りはごちそうさまと言ったり、人前でいちゃいちゃするなと言ったりする。でも周りからどう思われようといちゃつき続ける二人は、文句なしにかっこいい。
年齢を意識して見苦しくない節度ある恋愛を心がけるハイミスもすてきだ。しかしこの夫婦の溶け合いかた、ばかなほどのまっすぐな愛情は心につきささる。端から見ればただの不幸で見苦しくても、二人の間にわきでている幸福だけで満たされている。

『孤独な夜のココア』解説

彼がいなくなってから五年後、彼女は”アイツと暮らしているあいだ、苦労したとは思えなかったのだ。私は幸福だったのだ。世俗の風が舞いこんだとき、その幸福は石になったのだ。”と悟る。自分の恋人の男性を見るとき、"普通なら"とか”男なら”という世俗の、一般的な見方をしてはいけない。自分は十分幸せなのに世間のものさしで測って損をしているような気持ちになってはいけない。

『孤独な夜のココア』解説

『マツコ会議』

あとは、手帳にもメモった幸福の定義があるんです。
日テレの『マツコ会議』(毎週土曜23:00~)で、ラッパーのちゃんみながゲストの回で、マツコさんが「理想の幸せのカタチ」を聞かれたときの回答。

例えば、『結婚』『出産』『お金』『美』。
分かりやすく「これをしてるか、してないか」「これがあるか、ないか」っていうモノってあるじゃん。
それを手にしたかどうかっていうのが、幸せかどうかの判断になってるっていうのが、「違うよね?」って思いながらも、「それしかねぇんだよな」って思うの。
要は、万人が共通認識できることってそれしかないじゃん。
それを、インスタで見せたりして、表層的な『いいね』をもらい、それで「私は幸せだ」って思えてるの。
で、「悲しいよね」って思う反面、「分かりやすいよね」って思うの。
自分が幸福かどうかっていうのは、他者にゆだねているところがすごく大きい気がしていて。
でも、他者っていうモノを介在させない自分があることが、幸せにつながると思っていて。
幸福ってなんだって言われたら
他人に絶対介入させない 他人と絶対比較しない
他者を介在させずに喜びを得ることを持ってることが
幸福な気がしています。

『マツコ会議』

よくよく考えてみたら
別に私は幸せのモノサシを押し付けられてるわけじゃなくて
自分からそういう情報を毎日浴びにいってダメージを受けたり
過敏にそのワードに反応してどうせ私は・・!!って苦々しくおもってるだけなのか。

よけいな刺激を浴びるなら、
こういうブレない幸せのモノサシを持ち、自分を健やかでいられるように守る必要がある。
もしそれが難しいのなら、一旦距離をおいて逃げるのも手だ。
あー、なんだか書いてすっきりした。
明日からまた5日間の勤務がはじまる・・とおもうとやっぱり苦しいけれど
なんとか乗り越えられそうなきがしてきました。

ではでは。


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