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思い出だけじゃ、生きていけない。

姉からのLINEで、実家が跡形もなく取り壊され更地になったことを知る。

うちの実家は、もともと姉夫婦が出て行く際に水漏れなどしていて、人が住める状態ではなかったのだけど、
そこから家主である母親が越してきて、男といっしょに暮らし始めていたらしかった。
その家の前を姉が先日通りかかってみた時に、もう家が無かったのだそうだ。

もう、私と姉の思い出と写真でしか、あの家を辿れないんだなぁとおもうと、何とも言えない切なさに襲われた。
中高時代の友人と会って話す時も、あの時ああだったよね〜と思い出話に花が咲く。いつのまに、振り返る過去がたくさん積み重なっていたのだと知る。

互いに仕事や家庭がある私たちは、今やこれからの話よりも過去に戻ってしまいがちなのだよな。そして、それが擦り切れて音を奏でられないレコードみたいに、思い出せなくなる時が来るまでこれから何度も、語るんだろう。

話は変わり、昨日今日で『大家さんと僕』『鬼滅の刃』を読破した。

前者で87歳の大家さんは、矢部くんと話すときにも昔話や思い出話ばかりだ。思い出ばかりに浸るとずうっと、底なし沼のように抜け出せない気がする。だけど、この漫画には矢部くんと刻む今という時間が、しっかり描かれてもいる。数少ないけれど実現したいこれからが、現実になる喜び。あと幾ばくもないと思うからこそ煌めくのだよなぁ。

鬼滅はラストシーンで、無惨が「お前らは口を開けば親の仇、兄弟の仇と言って私に向かってくるけど、そんなのはもう聞き飽きた」というような言葉を放つのだけど
たしかに冷静に考えたらソウデスヨネーともうなづける。なのにどうして、一人ひとりが闘いの最中でみる走馬灯の中の過去は、どうしたって個々に色鮮やかで胸が痛くて、何人ものそれに感情移入しては、涙が溢れる。
もうこれだから会社の休憩時間でうかうか読めないんだよなー。

思い出だけじゃ、生きていけない。今を更新して、これからを描いて…生きている以上、幸福の瞬間に留まれない。
死ぬっていうのは、今が更新されずに完結して、その人の人生として凍結されるってこと。どっちがいいかはわからないけれど、少なくとも生かされているいまは、更新をし続けて幸福の瞬間を何度でも掴みとっていきたいものだな。

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