2021.08.19 タチの悪いHSP

HSPでそれなりに生きづらく生活しているわけだけど。こないだメンタルヘルス系の授業で、医療化の歴史について習った。

昔は病気とみなされてなかった事が、医療技術の発達によって治療できるようになることを、医療化というんだとか。昔はただアル中としか言われてなかったのが、今はアルコール依存症として治療で治せるようだ。

昔は病気と思われてなかった事が病気と認められるようになる。近いうちか遠い先か分からないけど、HSPだっていずれ病気となるのかな。

HSPはあくまでも性格の一種を指す言葉だが、それが病名となる日が来るのかな。病的なまでに生きづらい ※1 から、いっそのこと病気だって言ってほしい気もする。

ただ、じゃあ明日からHSPが病気だと認定されたとして、すぐに病院に駆け込むかと言われれば、ためらうかもしれない。

「自分って病気を患っている人だったんだ」ということを受け入れて覚悟を決めるのは、生半可じゃないのだろうな。むしろHSPを逆手にとって「人の気持ちに深く寄り添える」※2 というように長所としていく方がずっと身軽だと思う。

今更、その鈍感さで人を傷つけるような人間にはなりたくない。ゼミでHSPの話をした時に、イマイチ分かってない感じだったアイツにはなれない。

…みたいなことを、その授業の感想レポートで書いた。提出してそこそこ経ってつい最近ふと思った。

俺は果たして、人の気持ちに深く寄り添える人になれているのだろうか。

俺、人の気持ちが全然分かんないんだよなぁ。だって他人なんだもん。

メンヘラ気味なツイートしてる人に「何をしたくてこういうツイートをしてるんだろうか、何を言われたくてこういう姿を見せているんだろうか」みたいなことを考えてるんだもんな。

優しくないよ俺は。優しくなれない、優しくなりたい。

HSPだからこそ人一倍優しくなりたいのに。自分が生きづらい人間だからこそ、せめて人には優しくなりたいのに。何だよ、自分はやたら繊細なのに人には鈍感って。俺は人でなしなんだろうかという気持ちになる。

人の気持ちは分からない、だけど誰かを傷つけるような人にはなりたくない。この2つの性格を掛け合わせて、結果的に「積極的には励まさない」という人になった。

Twitterで弱音を吐いてる友達がいたとして、励ましのリプライは別に送らない。励ますってめちゃくちゃ難しいことだから。

言葉を間違えると最悪の場合、人の心に土足で踏み込んで、気持ちを逆なですることになるから。「お前に俺の悲しみの何が分かるんだ!」という感じになる。

人の心を分かったつもりで、偉そうに言ってくるようなやつにはなれない。人の悲しみは当人にしか理解できないし、ケリをつけられるのも当人だけだから。外野がとやかく言ったところでなぁと思う。

こういうことを考えすぎるから励ましができないんだよ。

弱音とかをツイートしてる人って、別に必ずしも励ましを求めてるワケじゃないと思うんだよね。ある程度自分の中で折り合いをつけ終わってから外に発信してるはず。

折り合いがついたことに今更やいのやいの言っても、いやもう終わった話だからって思われそうなんだよね。


※1 たとえばHSPの特徴の一種に「誰かが怒っているのが聞こえると自分まで気持ちが滅入ってしまう」という共感力の高さがある。実家にいた頃、親の夫婦喧嘩が聞こえるたびに居場所の無さを感じてた。自分ちにいるのに苦しかった。

※2 日記には「人の気持ちを深く理解できる」と書いていたのだが、改めて見返してみて、そんなことできるはずもないから訂正した。


実際HSPの治療法が確立されたら、患者は一体どうなるのかな。この日記では治療を受けた人のことを「悩まなくてもいいように何も気にならなくなるが、人のことも気にしなくなるため無神経な言動をしてしまう」というように書いている。

ただよくよく考えてみれば、精神科医のプロフェッショナルがそんな欠点だらけの治療法を作り出すか?

「人を思う気持ちは残したまま、悩んだり苦しんだりすることが減る」というような、いいとこどりの治療はできないものかね? 人格操作という声は出るだろうけど。

こうだとしたら、とりあえず話だけでも聞いてみようかなという気持ちになる。俺はあくまでも悩まなくなりたいのであって、人を思う気持ちは決して手放したくないのだ。


人の気持ちに寄り添って優しくなるためには落ち込んでる人を積極的に励ましに行くことが必要だ、というような語り口で書いている。ただ、これが本当に正しいのかと聞かれれば、必ずしもそういうことでもないと思う。

もしも自分が人生に行き詰ったとして。その時に誰かからのアドバイスが欲しいと思うのだろうか。

俺は「とりあえず1人にさせてくれ」と思う。誰の言うことも耳に入ってこない時だってあるのだ。

まぁそれは自分がHSPだからということもあるのかもしれない。自分は1人の時間を必要としている、だからみんなにも1人の時間が必要だ、という歪んだ前提があるのかも。

いやぁでも、たとえ薄情だと言われても、人の気持ちを土足で荒らすような人間にはなりたくないんだよなぁ。

そもそもこの日記に書いてあったケースは「ツイート」「Twitterで」とかいうように、ネット上での友達とのやり取りにおけるものだ。リアルの人間関係では寄り添う機会がまずない。人生相談をされたことが無い。

対面で何かしらの悩みを打ち明けられたとしたら、やいのやいの言わないのは有効かもしれない。その時こそ、HSPの優しさを発揮する時だと思う。

ネット上でやいのやいの言わないというのは、それは単なる無視だよ。優しさもへったくれもあったもんじゃない。

自分のことを優しいと思えるか思えないかは、実際に1対1での人の関わりを経てから、それを基準に判断した方がいいのではないか。舞台に立ってもないくせに、出番が来たわけでもないのに、自分のことを責めるのは時期尚早だったのかもしれない。

そう思うと、ずっと1人でいるくせに日記であーだこーだと言ってたのが恥ずかしく感じる。愚痴を吐くのは失敗してからでいいのではないか。

なんだかハヌマーンの「Anarchy In the 1K」みたいな日記だな。