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サウンドプロデューサーでサウンドエンジニアの戸田清章さん

東京、福岡、香港、上海、台湾とアジアのブルーオーシャンを縦横無尽に泳ぎ周るサウンドサウンドプロデューサーでサウンドクリエイターの戸田清章さんにインタビューさせて頂きました。

戸田清章さんプロフィール
出身地:岡山県真庭市
活動地域:福岡、東京、香港、上海、台湾etc..
経歴:1978年岡山県生まれ。2001年より東京のレコーディングスタジオ「HeartBeat Recording Studio」に入社し、日本の音楽制作の第一線でサウンドプロデュースワークを学ぶ。
松任谷由実、安室奈美恵などの日本のトップクラスアーティストのレコーディングに参加。
ももいろクローバーZ・BABYMETALなどのアイドルから有名声優アーティスト、そして、KEYTALK・氣志團・クラムボンなどのロックバンド、マーティーフリードマン(ex:MEGADETH)・ChthoniC(台湾)・アニメタルUSAなどのメタルハードロックバンド、柴崎コウ・神田沙也加・石川さゆりなどの日本の本格派シンガー、海外アーティストであればKISS・OK GO・Yngwie Malmsteenなど、更にはファイナルファンタジーなどのゲーム音楽や機動戦士ガンダム、ドラゴンボールZなどのアニメ・映画音楽、CM音楽に至るまで、国内外の幅広いジャンルの楽曲・有名アーティストのレコーディングを数多く手掛ける。2015年より活動拠点を福岡に移し、東京のプロジェクトだけでなく福岡を中心としたアジアのエンターテイメントを視野に入れた活動を行っている。自身が持っている様々なクリエイター人脈を集結させ、アニメ、ゲームなどの新規プロジェクトやアーティスト発掘・プロデュース、スタジオ開発、最新のテクノロジー技術を使った次世代エンターテイメントプロジェクトにも参画。
またサロンを立ち上げ、クリエイターの発掘&育成&マネージメントなども積極的に行っている。
現在の職業:株式会社ソリッド・サウンド・ラボ(S.O.L.I.D sound lab Co.,Ltd. )代表取締役
株式会社日本芸能文化社(JECC.inc)代表取締役  サウンドプロデューサー
レコーディング&ミキシングエンジニア

戸田清章さん、以下、戸田
よろしくお願いします。

Q:現在どんな夢やビジョンを持って取り組んでいらっしゃいますか?

「アーティスト・クリエーターが活動しやすい環境をサポートして、福岡を日本とアジアの音楽制作・情報の拠点にしたい!」

戸田:これからはAIが技術をサポートしてくれるから、誰でも音楽を自由に作って、自由に発信出来る時代なんですよね。ストレートに言えば「もう専門的な技術がいらない時代」になってきています。レコーディングエンジニア(技術者)としては、自分の首をしめるようなことを言ってるのかも知れませんが。(苦笑)

これは音楽に限らずイラストや写真、動画、web制作等にも言えます。専門技術がいらなくなったお陰でハードルが下がり、色んな人達が手軽に楽しめるようになった。インターネットやテクノロジーの発展で言語という境界(ボーダー)、男女という境界、年齢や世代という境界、場所という境という壁がどんどんなくなってきてますよね。

それは音楽でも言えることで、プロとアマチュア、メジャーとインディーズ、作曲家とアレンジャー、レコーディングエンジニアとPAエンジニアという境界もなくなってきています。
制作で言えば、昔は何年もかけないと習得できなかった技術が、3万円の機材で得られたり、グラミー賞並みの音質の音源を定額で使えたりするサービスがあるので、もはや音質だけで言えばプロとアマチュアの差がないんですよね。むしろ固定概念なく素直に既存サービスを使いまくってるアマチュアの方が、サウンドやトラックがカッコ良かったりもする。(笑)

5年前に福岡に移住した事がキッカケでアジアに滞在する機会が増えました。そのお陰で、ミュージシャンだけでなく、俳優、声優、ダンサー、書道家、陶芸家など色々なアーティスト達と接する機会を頂いて改めて色々と気づかされました。
東京にいて日本のエンターテイメント業界のど真ん中で活動しているときは全く気づかなかったのですが、俗に言う「アマチュア」といわれる層のアーティストやクリエイターの数の方が圧倒的に多い。そして音楽で言えば、その「アマチュア」のアーティストや音楽クリエイター達がネット上で活動出来る環境が出来ていて、ビジネスとして成立し始めている。リアル世界では名もなきシンガーですが、バーチャル世界では月に300万円以上稼ぐ人気シンガーという人もいっぱいいる。そのシンガーに楽曲を提供したりMVを作っているクリエイターや地方にいながらインターネットを通じて海外のアーティストとコンタクトを取り、楽曲を制作している人もいる。日本の中だけでもアマチュアの世界ってかなり盛り上がっているんですよね。

一方、東京にいる日本のメジャー案件をメインでやっている音楽クリエイターからの話を聞いたりSNS投稿を見たりしていると、全く逆。僕が感じているアマチュアの盛り上がりとは正反対のマイナスな言葉が飛び交ってます。

そこで感じたのは「プロとアマチュアの逆転」
「食えないプロ」と「食えてるアマチュア」

もはやプロとアマチュアの定義が変わってきているような印象があります。プロだから凄いとかアマチュアだから駄目とか、そんなボーダーラインを引いてる時代はもう昔の話なんだなと最近凄く実感しています。テクノロジーが制作技術をサポートしてくれるから、プロもアマも関係なく、要は仕事に対する意識の問題だと感じます。だから、そういう表面上の見えない境界をなくして、自由に楽しく音楽活動が出来る環境を作ってあげたい。今から音楽制作を目指す若者に必要なのは経験値ではないかなと。膨大な情報や知識をどう活用するのか?どうやってミュージシャンとコミュニケーションを取っていくのか?レコーディングワークの進め方は?つまりやり方・方法ですね。僕も今年でレコーディングという世界に入って20年目になります。技術はテクノロジーで補え、今後もっと進んでいくでしょうから今の自分をエンジニア(技術者)と呼んでいいものなのかどうなのか、もはやわかりません。(笑)

ただ、僕には20年間緊張感のある仕事の中で得られた経験値や考え方があります。せっかく長年かけて手に入れた世界を、昔とは違った方法で若いクリエイター達に伝えることができないかなと。そして、多くの音楽クリエイターが国境を越えて、自由に好きな場所で、好きな仲間と好きなジャンルの音楽を作り、それをちゃんとビジネスにする。そんな素敵な環境作りが、アジアの玄関口と呼ばれている「福岡」という場所で出来るようになればいいなと思っています。

Q:その夢を実現する為にどんな目標計画を立てていらっしゃいますか。

「人材」「仕事」「情報」「コミュニティー」

戸田:僕の夢は「福岡をアジアの音楽クリエイティブの中心にすること」です。去年新しい音楽プロジェクトを立ちあげたのですが、3〜5年先のクリエーターを育てたくて、福岡のいろんな音響の専門学校や大学で教えたり、顔を出したりしながら、若い子たちとの交流を大事にしています。技術よりもマインド面の大事さを伝えています。

今の若者の圧倒的頭の良さ、言葉1つの捉え方や発想やアイデア、最新ツールの使い方も賢すぎて驚きの連続です。今の若者は「物知り」が、もはや価値がないのをよくわかってる。今は、わからない事があればググれば出てくる。当然、必要最低限の常識や知識や技術、業界の一般教養は必要ですが、それよりも、その専門知識をどう使うか?という考え方が大切。加えて純粋に物事に感動出来る心だったり。例えば、花をみた時に、名前や種類などの知識やウンチクを語れるよりも「おー!めっちゃキレイですね!」とその物自体に純粋に感動できる気持ちがクリエーターにはとても必要だと思ってます。そういう人材育成の環境を整えていけるような活動を大学や専門学校などの教育機関を通じて行っています。

現在、僕はサウンドクリエーターの活動としては東京、福岡、香港、台湾、広州を拠点に動いています。初めてのアジアは3年前に台湾に行ったんです。今まで、日本で数多くの素晴らしいアーティストの方々とお仕事をご一緒させて頂いていたお陰で、日本では名刺を渡して「何してる人ですか?」と聞かれても「ググってください」というと「あーなるほど!」となるんですが。(笑) 向こうでは僕のHPを見せても、誰も僕が携わったアーティストやプロジェクトを知らないので「俺の今までのキャリアって一体何だったのー?!」となりましたね。(苦笑)
「親日の台湾でさえこうなんだ?」と正直ビックリしましたね。日本の音楽文化って予想以上に海外に入ってないんだなと。逆に「このアーティストを知っているか?」と聞かれても全く知らなかったんで、尋ねたらなんと「アジアのスーパースターで3億人のファンがいる人」なのに日本の音楽業界の中心で仕事をしている僕は知らなかった。その時はじめて「日本はアジアじゃないんだな」と思いましたね。アジアの情報が全く入ってきてない。というよりは、自らがアジアの情報を取りにいってないし、むしろ興味がない。僕がそうでした。(苦笑)ほんと反省しかないですね。

逆に、僕が出会ったアジアの音楽クリエイターの人達は日本の音楽事情や、音楽クリエイターのことを知りたがっていて、「一緒に仕事をしてみよう」と。やってみたら色々な発見がありましたよ。(笑) 一緒に作業をしていると「今どうやったんですか?」みたいなリスペクトな質問があったり、逆に「こうやった方が良いよ」と教えられたり。「なるほど、日本とやり方が違うんだなー」と気付き、海外での仕事の面白さにハマりました。

そこからですね。せっかく福岡という場所に住んでいるんだから、東京じゃなくてアジアエリアで仕事をしてみよう!と思ったのは。でも、レコーディングエンジニアの仕事だけやるつもりは全くなかったですね。せっかくなら音楽を軸にして色々な事にチャレンジしたい!と思いました。動きまくったおかげもあって、色々な繋がりから、去年は中国の有名女性歌手Jane zhangのレコーディング&ミックスや、中国のスーパースターのジャッキーチェン主演映画の主題歌の制作に携わらせて頂いたり。(笑)今は、2019年公開予定の中国映画のサウンドトラックの制作を行っていますね。また、制作以外でも、台湾の楽器メーカーMiDiPLUSの日本代理店をやったり、日本の和楽器のイベントを成都(四川省)で行ったり、中国アニメ制作の立ち上げプロジェクトに携わったりしています。

音楽という僕の強みを生かせそうな案件だと思ったものには、全て3秒以内にイエス!と言ってやらせてもらっていますね。(笑) 今後も音楽を軸とした色々なビジネスを福岡を拠点にしてやっていきたいと思ってます。また、福岡に住んでみて感じたのは、福岡の独自ルール。その中の1つに音楽系コミュニティがないという事があります。福岡にはセンスや良い感覚を持ってる若いアーティストやクリエイターが多いのは気づいてました。ただ、そういった人達に出会う機会がなかなかない。会って色々話してみたい、と思っても出会えない。誰かを紹介してもらおうと思っても繫がらない。なので、無いなら作る!精神で。(笑)

1年前から月1で飲み会を開催しています。Facebookの非公開グループなんですが、福岡在住のクリエイターなら誰でも参加出来ます。全て紹介制なので既にグループに入っている人の紹介であれば誰でも入れます。メンバーは音楽クリエイターはもちろん、アニメ、映像、映画監督、広告代理店、メディア関係、書道家、陶芸家、IT関係、大学教授などなど、色々な方が参加しています。最初は2人から始まったんですが、今は80名くらいいて、月1の定例会はだいたい10名〜20名くらいが参加してくれていて、日頃の活動の話をしたり、知りたい事や情報共有をしています。最近は音楽セミナーみたいな活動もしてますね。

東京では当たり前のようにある音楽クリエイターのコミュニティが、福岡にはない。やっぱりクリエイター同士が会話したり、ライバル視することが、クリエイターのボトムアップに繋がるので。クリエイターの質が上がってくると、当然そこに紐付いているアーティストの作品の質も上がってきます。あと実際にこの会を通じて仕事に繋がってる方々も多くいるので、そういった意味でもこの活動は続けていきたいですね。こんな感じで、「人材」「仕事」「情報」「コミュニティ」をテーマに福岡がアジアの制作を行える環境を整え、アジアの音楽制作の拠点となるような活動をしています。

Q:夢実現の為に普段から大事にしていることを教えてください。

クリエイター最強説」

戸田:僕はクリエイター最強説というのをよく言ってまして。(笑)いくら才能ある歌手がいたとしても、それを形にしてあげるクリエイターがいないと、その歌手の作品を形にすることは出来ない。逆に、優秀な音楽クリエイターが集まれば、酔っ払いのサラリーマンの鼻歌でもオリコン上位のサウンドクオリティにあげられる(笑)それだけクリエイター達のパワーって凄いものがある。なのに音楽クリエイターに対するリスペクトがなさすぎるのを感じてます。CDがなくなってしまった今、スタッフクレジットさえもなくなってしまって、誰がなにの作品を手がけているのかすら、わからないですからね。(苦笑)モノを創ろうとしているクリエーターの大半はお金儲けよりも、純粋に良いものを創りたい欲求の方が強い。人並みの生活が担保できるのであれば、自分の好きな制作に没頭したい、と思ってる人がほとんどです。なので、福岡がそんなクリエーターが生活しやすい、制作に没頭できやすい環境になれば良いな、と思ってます。

例えば、福岡で音楽やアート系のクリエーターは家賃が保障されるとか、移動手段が安くなったり、ラーメン半額とか。(笑)福岡市がクリエイター特区となって、お金を渡さないベーシックインカムみたいなのができたらいいなと思ってます。お金を与えるだけのベーシックインカムだと創造力が育たないと思うので。特にサウンドクリエイターはお金を与えるとすぐ機材ばっかり買っちゃいますからね。(笑)そのエリアでクリエイターが活動しやすくなるということは、その場所に知財が生まれるということつまりIPですね。音楽で言えば楽曲の著作権です。アート・芸術・音楽・アニメ・ゲーム、これからはIPがテーマになってくると思うので、福岡に多くの知財が集まるようになれば、そこからIPを使った新たなビジネスが生まれますからね。まー、でも、すぐにそういうわけにはいかないのが現実かな。(笑)

音楽クリエイターやアーティスト、ミュージシャンにちゃんとお金という対価が支払われるスキームを構築していきたい!と思って、色々な方々のお力を借りて日々トライ&エラーさせて頂いてます。

Q:どんなことがきっかけで現在の夢・ビジョンを持つようになったかをお聞かせください。

「自分の為だったことに気付く」

戸田:僕の生い立ちですが、1978年の岡山県生まれで福岡大学出身。2000年に東京に行ってレコーディングスタジオに入社して音楽制作のキャリアの第一歩を始めます。2009年に独立して、2011年に会社(ソリッド・サウンド・ラボ)を設立しました。結婚して3人の子供に恵まれますが、東京での子育て問題など色々ありまして。(苦笑)2014年に妻の実家がある福岡に移住しました。

福岡に引っ越して3年間、東京と福岡を行ったり来たりしてる中で色んな事に気づきました。東京にあるもの、ないものや地方の良さ、悪さ。
分かっちゃいるけど見て見ぬ振りの東京の業界の矛盾とか謎。東京だったら「制作費が少ないからやれないよね」となるけど福岡だと「そもそも制作費がないので、ないなりに考え方変えてやるしかないじゃん」というような意識改革もありましたね。地方にいてマーケットを日本という島国で考えてしてしまうと、やはり圧倒的に音楽の仕事は東京に集まっている。

福岡移住になって、今までの繋がりを使ってクライアントにお願いして東京の仕事をやり続ける、という選択肢もありましたけど、色々考えてそれはやめました。なぜなら、自分は東京ではなく福岡にいるんだから福岡でしか出来ない事をやらないと意味がないし、未来がない!って思ってましたね。だから東を目指すのではなく、海の向こうを目指してみました

福岡は日本の中で唯一アジアの主要都市を3時間圏内で移動できる場所。福岡を拠点にしてからは、本当に飛び回りました。そのおかげで色々な業種、世界の人達との出会いを頂けました。最初は家族のための引っ越しでしたが、だんだんとそれが自分の為だったと思えてきたんです。逆に家族にはかな〜り、というか、そーとー迷惑かけてますが。(苦笑)

自分がやるべき事を考えていく中で、福岡(九州)という場所をベースとした将来的なビジョンを描くようになりました。ま、一番の変化は日本人からアジア人の意識に変われたってことかな。(笑)

Q:そう思えるほど認識が変化した背景は何ですか。

「技術以上に大切なコミュニケーション」

戸田:日本の音楽業界ど真ん中の東京で20年近く仕事をやってきてたので、完全に「音楽業界人かぶれ」になってたんですが。(苦笑)もともと僕は岡山県北部で育ったスーパー田舎者です。(笑)福岡に移住する事になった時に、なんだろう、こう、気持ちが変わってきたというか、、?第一線(東京)から外れてしまった感?みたいなものを感じたんですよね。「もしかして、これって都落ち?」みたいな。(苦笑)この感覚は西出身の人あるあるですね。(笑)

しかも自らそれ(福岡移住)を選んでしまったので、気持ちが複雑で。だから、自分でそう思いたくなくて、移住した3年間くらいは変わらず東京のメジャー案件を福岡拠点でやってました。普通に福岡から朝出勤して昼過ぎに東京のスタジオに到着してレコーディングする、という。(笑)ギネスにのるくらい、交通の便が良いという福岡だから出来た活動ですね。ただ、その3年間でかなりマインドチェンジが起きました。今までは東京の自宅から都内のレコーディングスタジオまでの半径数十キロ圏内が僕の人生の全てだったのが、いきなり生活圏内が九州まで(1,000km以上)広がってしまった。(笑)

そしたら日本の音楽制作の中心地である東京という場所を、福岡という離れた場所から俯瞰して見る時間が増えたんです。やっぱり東京に住んでいる時の東京のイメージと、福岡に住むようになってからの東京のイメージって全然違う。当然逆も。SNSのタイムラインに流れてくる情報の見方や印象も変わってきます。そんなマインドチェンジが起きて、考え方が大分変わってきましたね。
「もう東京じゃなくてもよくない?」って。
ただ、なんだかんだ言っても首都東京。日本の中心の「江戸」です。だから、福岡にいるなら、東京だと絶対に出来ない事をやるしかないじゃん!という思いが強くなりましたね。福岡はないものだらけなんです。東京で音楽制作をやっている時には、当たり前にあった、仕事、情報、コミュニティー、人材、インフラが、福岡にはない。やっぱり無いと考えるんですよね。(笑)どうやったら東京みたいにストレスなく制作できるのか?って。とある有名な方が「クリエイティブは都会では生まれない」と言ってましたが、確かにそうだな、と。そういう状況になると頭をフル回転しないと何もすすまないんですよね。

もともと、僕の実家は24Km行かないと周りに本当に何もなくて、小学校も家から6Km離れた山道なので片道2時間往復4時間近くかかるんですよね。しかも夏はめちゃ熱くて、冬はめちゃ寒い!中国山脈のど真ん中なので雪は1m近くも積もるんです。当時、学校に水筒持っていくとか有り得ない、みたいなルールで。雨が降ろうが雪が積ろうが、学校までは必ず徒歩通学する、とか規則があって。(苦笑)自転車で行ったら叱られましたね。(笑)そうは言っても夏は水分を摂らないとキツイから自然に生えてる植物から水分を取ったり、冬はミニスキーはいて通学したり、ヒッチハイクしたり。(笑)まさにドラゴンボールの修行ですね。(笑)そんな感じで6年間クリエイティヴをフルに発揮してました。ま、それが関係あるのかどうなのかは、わかりませんが。(笑)

何もないのが当たり前で、何もない所から何か仕組みやルールを作り出したり、今あるものを使ってどうやって楽しむのか?そんな事をするのが昔から好きだったのかもしれませんね。あと、最初に話ましたが、テクノロジーの進歩で音楽制作のやり方やアーティストの発信の仕方などが大きく変わってきている、という点も大きいですね。今までの東京ルールだけではなくなった今、勝手に新しいルール作ってやってしまえる環境が整ってきた。だから東京じゃなくてもよくない?と思えるようになってきたのかも。

技術的な所でもテクノロジーが大いに役立ってます。僕が東京で得たものは技術だけじゃないし、もはや今はその技術を使う方が少ない。(苦笑)
アナログテープレコーダーの調整だとか、アナログコンソールのメンテナンスだとか、機材のルーティング技術だとかね。(笑)じゃ、僕が日本(東京)の音楽制作のど真ん中で得たものって何だろうなーって考えたら、コミュニケーション力や洞察力、先読み&人読み能力なんですよね。レコーディングスタジオという環境は、本当に不思議な場所。完全なる密閉空間で、初対面のミュージシャンやプロデューサー、アーティスト達と仕事をします。しかも24時間近く。(笑)

さらに当たり前ですが、プロデューサーとかミュージシャンとかアーティストって、基本変わった人しかいない。あ、もちろんいい意味で。(笑)           びっくりするくらい個性的で、みんな独特な人たちだから、レコーディングスタジオのスタッフは、レコーディング作業が円滑に進むように、めちゃめちゃ先回り&人読みして気づけるセンスがないと仕事として成立しないんですよね。(苦笑)毎日、緊張の連続で胃が痛くなるような仕事現場をどうやって楽しむか?!がテーマです。(笑)

そう言ったコミュニケーション力は、スタジオのアシスタント時代の7年間でかなり鍛えられました。技術よりも気配りや人間関係が一番大事でしたね。特に僕の場合は、人より優れたエンジニア技術があったわけでもないし、細かい周波数帯をくるいなく聴き分けられる程の耳の精度はない。(苦笑)基本、めっちゃザックリな感覚人間なので。完全に人柄で仕事をとってきたタイプです。(笑)

だから、音楽の知識や技術はネットでいっぱい勉強出来る時代だから、もし僕が得られた経験値を与える環境があれば、東京じゃなくても日本のどこでも音楽制作の拠点になり得る、と思ってます。そのために必要なのは、緊張の連続で胃が痛くなるような仕事をどれだけ作れるか?だと思ってます。あと、正直、今の東京の音楽制作現場でも20年前に僕が得られたような貴重な経験値がもらえるような制作現場って、ホントに数えるくらいしかないんじゃないのかな。

Q:将来、どういう未来をつくっていきたいですか?

「福岡をアジアの音楽のクリエイティヴの中心に」

戸田:音楽っておもしろいと思うんです。音楽はどこにでも何にでも役に立つから。だだ、今までは音楽を創れる人が限られていましたが、今ならどこに住んでいても誰でも制作&発信できるようになってる。ほんとにAIが音楽制作技術をサポートしてくれるようになってきたら、日本の誰かが動画サイトにアップした楽曲を グラミーアーティスト、例えばアリシアキースやブルーノマーズがカバーするような時代が来るかもしれない。しかも、それが田舎の小学生が作った曲だったりするかもしれない。(笑)凄く夢があると思いません?(笑)

音楽を歴史的に観れば、(音楽は)神への贈り物だったから一般庶民はやっちゃいけない時代があった。楽器なんて上層階級のものだったし、日本の雅楽の和楽器は未だに神の音楽を奏でる楽器。民が触ってよかった楽器は三味線だけ、みたいな。その流れも明治、大正、昭和のすごい短い間で文化が一気に変わり、誰もが楽器を触れたり、音楽を創れるようになりました。楽譜の出版だった音楽ビジネスが、1890年くらいにレコードが開発されてから、メディアを売るという原盤音楽ビジネスの形になって、まだ100年くらいなもんで、むしろ100年も経ってなくて全然歴史は浅い。

そして、今はテクノロジーのおかげで、誰でも音楽を作れるし、その音楽を自由に発信する事ができる。音楽メディアを買う時代からシェアする時代に変わって、改めて音楽ビジネスのあり方を考えないといけない時期になってます。とくに、日本の音楽制作のやり方とか音楽家の活動の仕方とか、音楽ビジネスのあり方だとか、今の常識(ルール)は昭和時代の東京をベースにしたものになってる。音楽を作っているクリエイターは、東京にいる人だけじゃないし、むしろ東京にいない音楽クリエイター(アマチュア層)の数の方が圧倒的に多い。

冒頭にも話しましたけど、アマチュアのクリエイターはプロと呼ばれている方々同様、普通にビジネスとしてちゃんと稼いでます。ただ、今の日本の常識(ルール)だと、東京にいる音楽クリエイターがプロで、地方でやっている音楽クリエイターはアマチュア、という考え方。十数年前くらいから、その意識はかなり変わってきてますけどね。でも、一般的にはまだそういう認識。これね、実際に福岡に住んでみて強く感じましたよ。(笑)僕が福岡に移住した時に「戸田さん、レコーディングエンジニア辞めたんだって」って噂が、東京でも福岡でも流れたらしくて。(笑)まさにこれがその証拠。日本っていう島国では、東京で活動してないサウンドエンジニアはアマチュアか引退組って思われるということです。(笑)でも、これはミュージシャンやアーティスト全般にも言えることかも。東京で活動している人は凄い!みたいな徳川時代的マインドコントロール感が強い。(笑)

だから皆、東京から出ない、出られない、そして、出たら終わり、みたいな。偶然だったのか必然だったのかはわかりませんが、確かに僕は東京ではなくて、福岡という場所を選んだ。つまり、今の常識(ルール)だと僕はアマチュア枠にいるということになる。(笑)じゃ、僕みたいな地方にいるアマチュア枠の音楽クリエイターのクオリティが低いか?と言えば、今の時代はそうではない。仕事がないのか?といえば、むしろ東京にいる音楽クリエイターの方々よりもたくさん仕事を持っている人もいっぱいいる。そういう意味ではその境界線は、もはやないと思ってます。だから、福岡だったら新しいルール作れるかも、と信じてずーっと考えて行動しています。そしたら、あっという間に3年も経っちゃった。(笑)石の上にも三年って言葉があるけど、やっぱり3年間も同じ目的で動いていると、少しずつですが変化はあって。(笑)

今、立ち上げている"音楽プロジェクト"をやる事が、また次のステージに続くのかな、と思ってます。なぜ福岡にこだわっているか?というと、今の自分が知る限り、自分が考えてる事、やりたい事をするには日本の中では福岡しか思いつかないんですよね。これ、ほんとに。福岡という日本で一番アジアに近い地方都市がアジアの音楽文化交流の拠点になることで、アジア中の音楽クリエイターが行き来し、交流できる。それこそ東京からも福岡は距離は遠いが時間で考えればかなり近い。それは僕が3年間通った事で証明出来てます。(笑)ぶっちゃけ関東近郊に住むより福岡にいる方が時間軸では余裕で近いんですよ。(笑)

アジアとの交流が生まれる事で、日本もアジア諸国なんだとマインドチェンジしていけると、いろんな情報も入るだろうから、日本の音楽スタイルも変わるだろうし、日本の音楽クリエイターの活動のエリアも必ずアジア全体に広がってくる。そうすると必然的に目指すものが変わってくると思うんですよね。その中で、自分が作った楽曲の権利が自分の財産となって、日本の小さなマーケットだけじゃなくて世の中の様々なシーンで自分の楽曲が使われて、その対価をキチンと得られる仕組みが作られ、そうやって自分が作り出した楽曲が色々な形で後世へ引き継がれていく。ま、こんな音楽クリエイターにとって夢のような世界が、もしかしたら福岡から変えていけるんじゃないかな〜って気がしてます。

福岡のことばっか言ってますが、別に福岡だけがどうにか良くなってくれたら、と思っているわけではなくて。(笑)一生福岡に住むのか?って言われると、別にそんな気持ちも今はなくて。そもそも僕は岡山県生まれだから。(笑)

ただ、今はいろんな意味で日本で一番魅力的な街が福岡だと思っていて、たまたま妻の実家が福岡で、家族が福岡に住んでいる、という事だけ。前に福岡以外だったらどこに住みますか?と質問された事があるんですけど、今のところ可能性があるとしたら実家の岡山県なんですが、今はあまりそんな気もないので。そういう意味では福岡以外に住みたいところはとくにないから、外国になってしまいますね。(笑)ま、そうなったらもっと英語力を磨かないとね。(苦笑)

とにかく福岡から何か日本が変わるような予感がしているだけです。(笑)僕はやっぱり日本人だから。(笑)まぁ、そんな根拠のない自信が5年も変わってないってことは、おそらく、まだまだこの先も、この目的は変わらないかな〜と。(笑)とりあえず、頑張ります!

記者:インタビューは以上です。ありがとうございました!

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戸田清章さんの活動、連絡については、
こちらから↓↓

【編集後記】

インタビューの記者を担当した風見、三浦です。ここまでの実績がある戸田さんだからこそ、未来の若者の育成を想い、オープンに語ってくださったところが大きいなと感じました。現在音楽をアートにする!という新しい構想も進められている中、コミュニティーを通して様々なコラボが実現して 、福岡がアジアのアートの中心になる時代が待ちきれませんね!

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この記事は、リライズ・ニュースマガジン “美しい時代を創る人達” にも掲載されています。



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