新日本プロレス2019年1.4東京ドームWRESTLE KINGDOM13 感想

皆様、あけましておめでとうございます。いつもは少し寝かせて感想を書くのですが、見終わった後の「熱」が凄まじく、こうして筆を取りました。凄い興行でしたね。ではいつも通り、独断と偏見で試合を語っていきたいと思います。

・第1試合 NEVER無差別級選手権試合
飯伏幸太vsウィル・オスプレイ

観客の望むものをしっかりと提供できるのがプロ、という言葉がありますが、言うほど簡単なことではありません。今回のこの試合ほど、観客の期待値が高く、また膨らんだ想像を裏切らないことが求められていた試合もないでしょう。

ヘビーでありながらハイフライヤー同士という組み合わせはNEVERの無差別級の雰囲気に非常にマッチしており、以前のゴツゴツ路線とはまた違った新機軸を打ち出すことに成功しています。加えて登竜門という位置付けのベルトならではの第1試合というフットワークの軽さもあり、また両者のキャリア、格的にもちょうどいい一戦でまずはそのバランスの良さに目を見張ってしまいました。

試合は演舞的な分かりやすい動きに加え、人間離れした切り返しの攻防を中心にした試合となって、求められた水準のハードルをたやすく超えていったあたり、二人のポテンシャルの底知れなさが窺えますね。意外だったのは打撃の重さがあったことで、組体操と揶揄されがちなハイフライヤー同士の戦いで打撃が絶妙なスパイスになっていたことです。飯伏が上回っていたことに驚いたのですが、それ以上に驚いたのは、洗練された攻防の中に「怒」の感情が見え隠れしたことで、それを通して試合が段々と歪になっていたことですね。後頭部への裏拳めいたエルボーからの飯伏失神→即座にストームブレイカーという絶技でオスプレイの勝利に終わりましたが、後味としては心配によるざらついたものと、第1試合ながら凄いものを見てしまったという興奮の入り混じったなんとも言えない奇妙なものになりました。皮肉にも、棚橋がケニーに仕掛けたイデオロギー闘争の主張が、飯伏を通して観客の頭をよぎるという結末になりましたが、そういう意味でもこのカードは今回のオープニングマッチに相応しい運命めいたものがありましたね。こういう風に、実際見ると事前の想像とは少しズレがあるというのがプロレスの面白い部分ですよね。

・第2試合 IWGP Jr.タッグ選手権試合3wayマッチ 金丸&デスペラードvsSHO&YOHvs鷹木&BUSHI

語ることが少なく、全体としてかなり「巻いた」一戦ではあったのですが、第1試合の内容の濃さを考えるとちょうどよく、変にダレなかった点は興行のバランスを考えるとちょうどいいですね。

今回のJr.タッグ王座を巡る戦いは、以前のリーグ戦と同一カードという内容に加えて、3wayであるため主役不在の印象が強く、また目新しさもなかったのですが、そんな中で鷹木信悟とSHOの二人に焦点を絞ったのは上手いと思います。このような、世代闘争ではない、年齢のかけ離れた外敵とのライバル関係というのはプロレスではわりと珍しく、新日だと暗黒期の山本尚史vs崔領二を思い出しますね。同団体だと単なる世代闘争になってしまうのですが、やはり団体内ユニットの抗争とはいえ、心境としては対抗戦に近い印象で見た観客も多いのではないでしょうか。一人では無理でも二人なら勝てる、というのがタッグの王道ではあるのですが、それを踏みにじるかのような鷹木無双が良かったですね。前回のリーグ戦で勝敗に絡まず、王者でもない伏兵という立ち位置を活用しつつ、説得力のある勝利&戴冠となりました。

見所を絞ったのは上手い反面、やはりワリを食った選手も多く、最初からサポートに徹していた金丸と違い、デスペとBUSHIはあまり目立たなかったですね。鷹木無双という結末である以上、BUSHIはあまり出張れないのは分かるのですが、あと少しインパクトが欲しかったです。また鷹木とSHOの抗争に注目が集まる中、わりと無難にこなしたYOHも気にかかるところで、ロッポンギ3Kの所謂「チャラい」雰囲気を決めてるのは彼なんですよね。半端に器用な面が若干小賢しさとなって足を引っ張っている感もあるのですが、SHO以上に焦りを感じているのはYOHであるとも思うので、今年の躍進を期待します。

・第3試合 ブリティッシュヘビー級選手権試合 石井智宏vsザック・セイバーJr.

やや浮いた感じのあるカードではあるのですが、ガイジン人気が高く、またスタイルの違いがわりと明確なカードでもあります。ドーム戦仕様なのか、立ち関節や切り返しの派手な関節をチョイスしたザックのアイディアと技の引き出しは素晴らしく、また柔で剛を切り崩す試合になるかと思いきや、切り返し合戦中心だったのは良かったですね。わりと切り返しの目立つ第1試合と第2試合から綺麗にスライドしつつ、後のカードへのシフトチェンジが上手くいった一戦だと思いました。

・第4試合 IWGPタッグ選手権試合3wayマッチ タマ・トンガ&タンガ・ロアvsEVIL&SANADAvsマットジャクソン&ニック・ジャクソン

注目度が低いながらも、意外と練られた一戦で、それぞれが求められた役割をしっかり果たした試合でした。

ダウナーかつ盛り上がりに欠けるテーマ曲を一新しつつ、グッド・ガイを名乗りそのテイストを試合に入れたタマ・トンガは掴みとしては抜群で、バレットクラブの非道さだけでなくコミカルな部分もしっかりと継承しています。ヤングバックスは相変わらずタッグの技術だけなら残り二組を大きく抜きん出ており、タッグチームとしては完成していて、もはや歴史に残るタッグチームになっていると言っても差し支えはないでしょう。そんな中でのSANADAとEVILの動きは良く、昨年のドームのタッグ戦と比較するとタッグチームとしての成長が見られます。チームとしてのタッグではない、シングルプレイヤー同士のタッグというのは今の新日ではわりと珍しく、その成長を追いかける意味でも色々と楽しいタッグチームですよね。

試合はマジックキラーからSANADAのラウンディングボディプレスという必殺フルコースで幕を下ろしましたが、途中のプランチャの応酬といい、この試合のSANADAには主人公オーラがありました。こうした主役として設定されていない中で輝くのは素質があることの証左であり、彼の才能の片鱗を感じます。欲を言えばEVIL&SANADAには借り物のマジックキラーではないオリジナルの合体技が欲しいところではあるのですが、合体技に寄りがちなタッグ戦の中であえてその安易な方法論を使わず、個人技で仕留めるところがまたこのタッグらしい部分でもあるので難しいところですね。

・第5試合 IWGP USヘビー級選手権試合 Cody vs ジュース・ロビンソン

ブランディの介入といい、凄くコテコテのアメプロという感想です。それでいながらトラディショナルかつオールドスクールで、また両者の醸し出すオーラがそれに華を添えていましたね。難点はブランディの介入がややコミカルでヘイトを買いにくく、ジュースのナックル2連発&パルプフリクション2連発の爽快感がやや薄れた点ではあるのですが、クロスローズではなくDIN’S FIREをフィニッシャーに選ぶことで、互いのフィニッシャーを仕掛ける体勢が鏡合わせのようになった点と、クロスローズを捨て技にすることで試合のリズムと波が生まれた点は評価したいと思います。

・第6試合 IWGP Jr.ヘビー級選手権試合 KUSHDA vs 石森太二

SUPER J-CUP 2016以来の対戦で、また今年のBOSJでは実現しなかったカードですね。KUSHDAのバックトゥザフューチャーキャラはいまいちノレないのが正直なところではあるのですが、バックトゥザフューチャーって一般にイメージされる未来へのタイムトラベル(タイムリープではなくあくまでタイムトラベル表記にこだわりますw)モノではなく、あれって過去から見た理想の未来像という一種のノスタルジー映画なのですよね。描かれているのは現実の延長戦上にある未来ではなく、TV電話に車が空を飛ぶといったような、あの時代にしか想像し得ない夢の溢れる未来であり、それを追い求め続けるのがKUSHDAでありそのスタイルなのでしょう。演出も面白く、さんざんからかわれた童顔という自身の風貌を逆手に取ったいい演出でしたね。

両者スイングしつつも、グラウンドに勝るKUSHDAに対しGAME OVERを仕掛けたのは「なんでもできるぜ」という石森の意地なのでしょうか。バックトゥザフューチャー2連発という必勝パターンにいけなかったのは一撃目の際の足のクラッチの甘さという理由も素晴らしく、明確な敗因になっていたのが良かったですね。

・第7試合 スペシャルシングルマッチ
オカダ・カズチカvsジェイ・ホワイト

第0試合を除けば唯一のノンタイトル戦であるのですが、凄く分かりやすい勧善懲悪の構図になっており、戦前はオカダに比べて格の大きく劣るジェイを対戦相手にすることで、カードのインパクトを不安視する声もあったのですが、蓋を開けてみれば非常に素晴らしい一戦となりました。

王者時代はブーイングもあったオカダなのですが、外道の裏切りに棚橋の救出という流れを組むことで、分かりやすい超ベビーvs大ヒールという構図になりましたね。まずはそれが上手くいったことにホッとしました。勿論、トップヒールの道を歩み始めたジェイの躍進無くしては成立しない一戦なのですが、ストーリーを上手くドームまで繋げた手腕は見事の一語です。

NEW ERA=新時代というのが今回のキーワードではあるのですが、オカダにとっては初めての下からの突き上げであり、長期政権を終え追われる立場となったことを意味します。また、オカダvsジェイはこれからの新日の覇権争いになりうる新たな名勝負数え歌の幕開けという意味でもありますね。

若干のアレンジを加えつつも入場曲を戻し、コスチュームを絶対王者時代に戻してきたオカダはニクいですよね。コスチュームを変えるだけでどよめきが起こるレスラーになったことに感慨深さを感じると同時に、ファンの声や自身のブランド価値を熟知してるあたり流石だと思います。入場とコスを巡るやり取りで機運を盛り上げて場作りを整えていましたよね。ストーンフェイスではなく、感情の赴くままに観客を煽り、よく喋り、絶叫するオカダはまさしく今のオカダ像であり、単に戻ったわけではないというのもまたこの試合に賭ける意気込みを感じさせます。

ただ、それがアダとなった部分もあり、レインメーカーをピンポイントでブレードランナーで切り返されてまさかのジェイ勝利となりました。ジェイは大番狂わせもあり得ると思っていたので結果に驚きはないのですが、後半は介入なしで真っ向勝負で勝ったというのは大きいですね。また、作られた王者像という揶揄の声を、離反した外道に対しあえて見せることで王者を自分の手に取り戻すという構図を視覚化したのは上手いのですが、あくまで過去の姿である以上、NEW ERAというテーマの今回の試合では絶対に勝てないのですよ。試合の意味付けがそのまま勝敗に影響したという意味でも、今回の一戦は事前準備や流れ含めて100点満点だったと思います。棚橋vs中邑のような感じで、当分はオカダが引き上げていく形になるんですかね。この両者の対戦への興味は尽きないです。

・第8試合 ダブルメインイベントI
IWGPインターコンチネンタル選手権試合 クリス・ジェリコvs内藤哲也

内藤にとってはリベンジマッチとなる一戦ですが、そのハードルはあまりにも高く、単なる勝利以上に「名勝負」でなくてはいけないというプレッシャーがあります。加えてジェリコは誰もが認める本物の世界のスーパースターです。それを自称呼ばわりするのは無理があるのですが、それでも敢えて反発し、権威に対して媚びずに文字通り唾を吐いていくその姿こそ皆を魅了してきたスタイルなんですよね。粋がりを突き抜けた反骨心は彼の内面を焦がし続け、口では言いつつもトランキーロでいられない内藤の奇襲で試合は幕を開けました。

コスチュームを脱ぐ隙を狙われるという前回の反省点を踏まえつつ、口ではスカしつつと行動に歯止めが利かなかったというのは熱いですよね。しかしその代償は大きく、単なる竹刀の一撃で一気にジェリコペースに傾きます。

ジェリコに限った話ではないのですが、WWE出身のレスラーの恐ろしいところはその空気の「支配力」であり、内藤の強みもまた空気の掌握であるため、そこの部分で上をいかれるわけには絶対にいかないんですよね。ジェリコは決して派手な動きをするタイプの選手ではないのですが、魅せ方を熟知しており、反則攻撃一つでも、単なる大技より派手に観客の瞳に映ります。今回だと内藤の喉に竹刀を置いてその両端を踏むという単純な攻撃だったのですが、そのエグさにはゾッとしてしまいました。また場外乱闘の最中、唐突にゴングを鳴らして耳目を集めて観客の集中力すらコントロールしたのは驚嘆に値します。

そんな中、内藤の出した答えは竹刀を使った「一本足打法」で、これは素晴らしかったですね。ワールドワイドに対して非常にローカルな一撃であり、安易な新技ではない、アイディアと画作りでジェリコとタメを張ったというのは非常に大きいです。ベルトを拾う際の表情と目を見開くポーズも良かったですね。竹刀→椅子→ベルトという凶器の流れも面白く、ベルトを粗末に扱ってきた内藤がベルトを凶器に使うというのは色々と示唆的でもあります。違和感がなく、ベビーでもヒールでもない独特なポジションだからこそできた起死回生の一撃でもあるでしょう。

試合自体はジェリコの構築したジェリコの世界観の試合ではあったのですが、その中でしっかりと輝きつつ、見せ場を作れたのは面目躍如ですね。名勝負です。

・第9試合 ダブルメインイベントII
IWGPヘビー級選手権試合
ケニー・オメガvs棚橋弘至

革新vs保守、グローバリズムvsナショナリズムという世相をそのまま反映した、歴史に残るイデオロギー闘争です。プロレスとは世間の写し鏡とはよくもまあ言ったもので、この試合って単なる互いの好みの違いでは終わらない非常な重い一戦だったわけですね。

棚橋の仕掛けたイデオロギー闘争である「ここは新日本だから」の声に対して「今の新日はとっくに昔の新日ではなくなってる」という反論もありましたが、これは結構興味深い意見ですよね。そもそも昔の新日って具体的にいつのことを指すのでしょう? 70年代、80年代、90年代、00年代、10年代の新日の風景は全て違いますし、自分の見た時代が一番になるのは仕方ないとはいえ、そう簡単に以前と以後を分けられるものではないでしょう。新日はわりと振り幅の大きな団体で、今の状態って単なる揺り戻しと時代の流れに過ぎず、根底にあるものは何も変わっていないと思うんですよね。常に何かと戦ってきたのが新日であり、戦う相手がその時代時代に応じて変わります。戦いがある限りそこにイデオロギーは存在し、新日が新日であることに変わりはないのです。好意的に捉えるならば棚橋の存在こそが今の新日本であり、そのアイコンだと捉えていることの証左でもありますよね。

一歩譲ってその論に乗っかって語るならば、ユークス譲渡以降を「以後」と捉えることになるでしょうね。そこからは棚橋の紡いできた歴史であり、それ以降に新しく入ったファンに歴史を語れて、その歴史を背負えるのは現状だと棚橋しかいないんですよ。それは残って戦い続けた人間の特権であり、分かりやすさを重視しつつ新規ファンをマニアに育ててきたが故の結実ですね。イデオロギー闘争ってわりと暗黙知によるものが大きく、プロレスのハイコンテクスト化の要因の一つでもあったわけです。今回の戦いは以前のようにマニアックになり過ぎた点を反省しつつ、両者のスタイルの違いという分かりやすさを出しながら、長年見てきた人間には深い部分で主張の違いが伝わるという、ファン歴に関わらず楽しめる綺麗な落とし所にしたと思います。

肝心の試合なのですが、ほぼほぼケニーが攻めまくるという展開になりました。まるで水に落ちた鳥のように、時代の荒波を真正面から受け止めるように、必死に棚橋は受け続けます。ここが今回の試合の非常に難しい部分で、ケニーのエクストリームなスタイルって受けること自体が一つの肯定に繋がってしまうんですよね。そんな中、棚橋の選んだ方法論は「受けることによる否定」だったのです。単純な話、どれだけ受けようが結果的に倒せなければ技に意味はありません。両者の攻防のバランスを意図的に崩してまで棚橋は受け続け、それでいながら自身の反撃を極端に絞ることで技のインフレとエスカレーションを防いだわけです。これには舌を巻くと同時に、自身のコンディションの悪さに端を発するファンの不安すら逆手に取りながら、ケニーの見せ場を作りつつ、あくまで主人公は自分だというスタンスを一切崩さなかったわけですね。なんというか、常人の理解を超えていますよ。技術で封殺するなり、敢えて見せ場を潰すなりしてもいいのですが、そうしたやり方は好まないのですね。愛を持って愛で仕留める。それこそが棚橋のイデオロギーだったわけです。以前のnoteにも書きましたが、天才ではなく凡人の領域にいる人間が、エースという立場に「選ばれてしまった」ことで体現するために四苦八苦し、狂気に近い信仰の果てに獲得した一つの答え。これには畏敬の念すら感じさせます。選ばれた天才では決して辿り着けず、また狂気に身を落とさないと凡人のままでは見ることすら叶わない到達点であり、滅私とエゴイストの両極に立った棚橋というレスラーだからこそ出せた答えでしょう。

うつ伏せで相手をロープにかけて、捻り折りながらのドラゴンスクリューと、足でのスリングブレイド。棚橋の技として目立ったのはこの二つで、残りはほぼ受けが技になっていましたね。俗に言うゾンビのような受けとはまるで違ったのが非常に印象深かったです。どれだけ激しい攻撃を受けても効いてないように振る舞うのが美徳とされた時代もありましたが、苦痛に呻き、痛さを前面に押し出しつつも決して歩みを止めず、立ち向かっていく今の時代の受けのほうが僕は好きです。受け切るといっても頑丈さやタフさを売りにした受けではなく、たとえ身体が動かなくても魂で戦う。受け切ると簡単に言いますが、受けと言うのはそう単純なものではないのですよ。タフに耐えればそれは相手のスタイルのある種の肯定になりますし、かといって受けずに相手の光を消すのは自身のスタイルの否定です。たとえば、ケニーを一切飛ばさずに終止道場仕込みのグラウンドで翻弄してケニーを封殺すれば、特定の世代のファンはこれが新日だと喝采を上げたでしょう。しかしそんな安易なやり方ではなく苦難の道を選んだ。相手を光らせつつも否定する。いつだってそうなのですが、あえて苦しい道を進むんですよね。今回の試合は受けに回ることによる印象の操作や自身の体力やコンディションと合わせての配分のバランスに異常に神経を使っていたように思います。

それ以外だとケニーの用意したテーブルへのハイフライフロー自爆がこの試合における一つのターニングポイントで、これはファンの価値観を問う一撃だったように思います。ケニーの領域に足を踏み入れたので棚橋のイデオロギーの敗北と見る人もいれば、その攻撃から逃げたということがケニーのイデオロギーの敗北だと見る人もいる。こうしたワンシーンでも人によって感想がガラッと変わるあたり、難解な一戦ですよね。

棚橋について語りましたが、この試合のケニーも素晴らしく、かつて棚橋を葬ったザ・クリーナーでありながらベストバウトマシーンの顔も見せるという、文字通り今までの全てを賭けてきましたね。白眉なのはスリングブレイドとハイフライフローを見せたことで、スリングブレイドは掟破りとして使う選手は多かったのですが、ハイフライフローは棚橋の領域であり、ここに手を出したのは、2015年12月18日東京・後楽園ホール 「Road to TOKYO DOME」のイリミネーションマッチ新日本本隊vsCHAOSの一戦のオカダが印象深いですね。この時は棚橋の眼前でKUSHDAに放ったわけなのですが、今回のはそれとはワケが違います。なぜならケニーが放ったのはハイフライフローの大事な動きであるトップロープを飛び越える仕草すら完コピした剽盗の一撃であり、それはもはや単なる挑発や掟破りの域を超えた、象徴の簒奪なんですよ。1カウントで棚橋が返すのも当然で、見てて驚愕しましたね。

肉体と精神の両方を追い込まれた棚橋の試合後は誰が見てもボロボロで、その姿に嘘はありません。受け切れていないのは事実であり、生き残ったのもまた事実であります。みんながハッピーな棚橋劇場でまとめ切れるような試合ではなく、イデオロギー闘争の名に違わない非常に重い一戦でした。

試合前に散々囁かれたケニーの去就というノイズは気になりますが、終わった今となっては二人には感謝しかありません。外国人G-1初優勝で歴史を変えてWWEとの暗闘に一応のケリをつけつつ、WWEではできないvsジェリコ戦を実現させ、オカダの長期政権を終わらせて、去年下半期を率いたケニーは新日の歴史に残る立派なスーパースターです。ありがとう。今はただ、その言葉しかありません。

G-1優勝の時も言いましたが、棚橋が戴冠しても時計の針は戻らないのです。他に面子が揃っている以上、出張る必要性はなく、また十分にキャリアを積みながらも、時に批判される評価の壇上に立つことを選んだ棚橋を現在進行形のプレイヤーとして尊敬します。ラストランになるかもしれないという声もありますが、そうした悲壮感すら糧にして前人未到の領域に棚橋は進んでいくのでしょう。慰労やご祝儀めいた戴冠ではなく、棚橋でないといけない空気を感じなかったのが凄いですよね。そのプロレスラー人生が完遂するまで、ファンとして追い続けていきたいと思います。

長くなりましたが今日はここまで。長文駄文ながら最後まで読んでいただき、ありがとうございました。今年もまたプロレスで燃え上がっていきましょう!

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