運命と歴史の結晶戦 NOAH the BEST 〜FINAL CHRONICLE 2020〜試合雑感

最近のNOAH、本当に凄いですよね。ファンの熱も相まって今のNOAHの上昇気流は留まるところを知りません。間違いなく2020年はNOAHの逆襲の年と言っても過言ではありませんでした。色々書いていたら相変わらず長くなったので前置きもそこそこに、年末最後の大勝負について触れていきたいと思います。


◼️GHCナショナル選手権試合
・拳王vs桜庭和志


NOAHらしくないカードでありながら、こうしたドリームカードがサラリと組まれるあたりに今のNOAHの懐の深さを感じます。この辺りの感覚って以前も書きましたが橋本真也の旗揚げ当初のZERO-1のような、プロレスファンなら誰もが想像する夢のカードが目白押しの玉手箱のようなワクワク感に満ちているのですよ。それでいながら拳王という、「今」のNOAHを体現する表面が清宮なら裏面はまさに拳王で、対する桜庭というのも非常に危険な香りのする一戦です。

「緊張感がない」というサクに対する拳王の苛立ちは、理解はできるのですがそれがサクの「怖さ」だと思います。喧嘩稼業に「富田流は爆笑した直後に人を殺せる」という言葉がありますが、桜庭もまさにそれなんですよね。普段のほがらかな印象とは裏腹に、試合の最中にスイッチが入ったように変わる表情はまさに殺しの表情です。それにしても、桜庭の 「speed tk re-mix」と拳王の「失恋モッシュ」の交錯は今大会随一のワクワク感がありましたね。

開幕早々、上下に打ち分ける掌底のラッシュと首相撲からの鳩尾への膝蹴りで拳王からダウンを奪い、一気に剣呑な空気に塗り替えました。たまらず拳王は場外へとエスケープ。しっかりとした足取りで視線は桜庭を捉えながらも、こめかみを抑えるその仕草はサクの掌底で芯に響いたダメージでしょうかね。そしてリングインし、拳王も脇を締め、桜庭との掌底の打ち合いに。日本拳法のバックボーンはやはり伊達ではありません。掌底の雨あられの中、一気に桜庭が飛び付いてのガードポジション。下から極める柔術はサクのお手の物で、この間合いが怖いんですよね。三角を外すと拳王はハーフガードに移行して掌底。まずは桜庭がエスケープ。そして再び掌底の打ち合い。一瞬、サクのガードをすり抜け、拳王の繰り出した日本拳法の「揚打」。ようはアッパーなのですが、一瞬サクがふらつき、怒りの表情を浮かべてのローキック。拳王もしっかり対処してサクの足を捉えて片足タックルからのアキレス腱。サクも足を取り返す。この辺りの足関を巡る攻防はUの香りがします。そして腕の取り合いから、桜庭が一瞬のキーロック。たまらず悲鳴を上げて拳王がエスケープ。これがあるから桜庭は怖いんですよ。

そして両者立ち上がり、またジリジリと間合いを詰めていく。そして桜庭が出した足関狙いの今成ロール。拳王の顔面へのローという危険技は空振りましたが、それでも蛇のように転がり間合いを詰める桜庭。そんな桜庭に、拳王が片足でのフットスタンプ。このシーンは秀逸で、これはかつてPRIDEマットで猛威を振るった桜庭のサクラバードキックなんですよ。自身の得意技であるフットスタンプを応用しつつの掟破り。いやはや、よく研究していますね。サクも冷静に対処して、回転してのヒール狙い、拳王もアキレス腱狙い。桜庭の横三角を外して再び拳王のアキレス腱固め。しかしこれはニアロープ。唐突に場外へと逃げる桜庭。これはMMAには無い戦術で、プロレス探訪の賜物ですね。

カウント11まで息を整えての仕切り直し。今度は互いに雄叫びを上げてのミドルの応酬。ガードする腕の痛みに顔をしかめたかと思いきや、飛び付いてガードポジションからの腕ひしぎ。これは拳王が堪え、クラッチを切るタイミングに合わせて外し、そのままフットスタンプへ。頃合いと見てダイビングフットスタンプを放ちますが、これはあっさりとかわす桜庭。そして下から関節を狙いますが、拳王が狙いすましたジャパニーズレッグクラッチこと逆片エビ固め。腰がやや高かったせいか、サクがすり抜けましたが、再び今度は両足を捉えての逆エビ固め。これも桜庭がTKシザースに似た形で切り返すと腕ひしぎ。しかしこれは誘い水で、この体勢のまま足を捉えてコントロールするとボディシザースの変形の膝十字。まさに桜庭マジック!ロープエスケープした拳王を中央へと引きずり戻すと、そこからキーロック式の裏膝固め!足詰やカーフスライサーとも呼称される技ですが、かける体勢がゆりかもめのようでいて、ちょっと懐かしくなってしまいました。悶絶する拳王。タップアウト寸前かと思いきや、そのままブリッジして3カウント!桜庭の左肩は上がっていましたが、レフェリーからは死角になっていますし、これはto be continuedの予感もあります。この二人の決着はギブかKOだと思っていたのでピン・フォール決着は予想外ではあったのですが、難しい桜庭相手の勝負となるとこの幕引きはアリですかね。サブミッションをかけてる側がフォール負けというのは悪名高き藤田vs健介戦を想起しなくもないのですが、印象はまるで違いますね。人によれば不完全燃焼に映りますが、極められた足を一本犠牲にして桜庭が勝利を毟り取った感じもあり、異質でありながらクエスチョンを投げかける試合決着。こういうのはわりと好きです。

勝利した拳王の次戦は果たしてどうなるか。再戦なのか、はたまた桜庭戦はやはり以前ブチ上げた田村戦への布石なのか。田村への挑発で「真剣勝負」を口にしましたが、あれは本当に危険だと思いました。パロディであるのは重々承知しているのですが、茶化していい一線を超えてしまったようにも思います。しかしそれも覚悟の上での反骨心こそが拳王の持ち味であり、またイメージカラーの「赤」も因縁めいていて、実現する可能性は低そうながら、もし実現したらヤバいですよね。


◼️8人タッグマッチ
・丸藤&武藤&船木&宮本vs清宮&谷口&稲葉&稲村


M's allianceはユニットとして非常に面白く、レジェンドが混在した軍団ながら、単なるレジェンド軍というわけではなく、現役の選手も「M」という太く明確でありながら、細い絆の元に入り混じった世代を超越したユニットなのが素晴らしいです。あれこれ想像する楽しみがありますし、また入場が豪華なんですよね。

しかしこの試合、輝いたのはそんなM's allianceではなく、谷口と稲村だったように思います。色々言われてはいますがこの試合の谷口の爆発力は評価できますし、特に金剛を離脱して以降の稲村が繰り出した秘密兵器「無双」には驚かされました。かつてのNOAHを知っている人間なら、小橋の絶対王者政権を終わらせた伝説の技であり、また誰もが期待したであろう力皇の続きを予感させる技でもあります。相撲のバックボーンのある稲村が使用するのも理にかなっていますし、技の性質からも、受け継ぐとしたら確かに稲村がベストなんですよね。誰も予期しなかった継承でありながら、いざお披露目すればこれほどしっくりくる技もなく、値千金の大勝利であり、稲村の今後には期待しかありませんね。



◼️GHCヘビー級選手権試合
・潮崎豪vs杉浦貴

語るよりも先に懺悔します。恥ずかしながら白状すると、今まで杉浦に対してあまりいい印象を抱いていませんでした。 三沢・小橋の黄金時代以降のNOAH、暗黒期と言っても差し支えないあの時期に、柱として支え続けてきたのは杉浦であることは間違いなく、全試合見ていながらも長らくそれにノレなかったのです。弁解すると最初はわりと好きなレスラーではあったのですよ。真面目な印象の強いNOAHの中でススキノ大好きを公言したり、アバラを負傷していたころに腹に巻いた分厚いテーピングを「寒いのでお母さんが腹巻しろって言ったんですよ」と嘯いてみせる軽薄さ、丸藤とのイケメンタッグでならしていたKENTAに対して敵愾心を燃やし、ブサイクへの膝蹴りの命名のきっかけになったりと、明るさを持った杉浦は僕は結構好きだったのです。それでいながら試合のクオリティも高水準で、特に金丸&杉浦組って対外人気の高かった丸藤・KENTAより強く、 NOAH内の番人といった感じだったのですね。

しかしそうした明るさに陰りが見えたのは三沢没後で、沈む方舟を支えようとヘビー級転向した王者時代はとにかく悲壮感と壮絶さを前面に押し出していて、不機嫌かつ不貞腐れたように防衛戦をこなす様には、追いながらもどこか釈然としない気持ちがあったんです。今にして思えば見ていながらもその実全然見ていなくて、杉浦の抱えてる焦燥感や責任感から目を背けていただけなんですよね。

プヲタというのは「ぼくのかんがえたさいきょうのふじん」みたいなイメージを持つことが多く、自分もその例に漏れないのですが、僕は長らく、三沢・小橋以降のNOAHは潮崎、丸藤、KENTAの三本柱で回すべきだとずっと思っていて、杉浦が象徴になるのは違和感しかありませんでした。しかしそれに同意する人は少なく、ファンと団体の選んだのは杉浦や森嶋だったわけです。自分の感覚からすると逆にこの両者は主役として立つタイプではないと思いますし、あくまで前述の選手の対角線に立ってこそ輝く選手だと思っていました。このあたりから、NOAHとファン、自分の間ではズレがあったように思います。

特に杉浦のGHC最多防衛記録樹立は海外での水増しもあり、小橋離脱後に無理やり記録を書き換えた感じがあって印象が悪く、また中邑、後藤、棚橋と同時代の強者を立て続けに倒して機運を高めた潮崎相手に杉浦が勝利したのも非常にセンスがないと思っていて、ようはその不満を杉浦に押しつけていたわけです。身勝手極まりないのを承知で言うなら、僕は杉浦貴を認めてはいませんでした。周囲のファンの感覚とは裏腹にわりと気持ちは冷めていて、試合内容を評価することはあっても、感情的にノレないという乖離がずっと続いていたのです。

その考えが変わったのは本当にごく最近の話で、N-1での丸藤vs杉浦戦だったんですよね。少し前の自分なら、ヘビー級選手の不在という深刻な状況の中、両者ともJr.から無理やりヘビーに転向した印象があり、ファンの思い入れとは別に、黄金カードとして見るにはJr.の印象が強くてどうしてもスケール感の小ささが拭えませんでした。また両者ともに世代交代を完遂できなかった……そんな負の印象があったのです。

しかし実際に二人の試合を見てみると、体格差やそんな偏見を打ち砕くだけの「歴史」を二人に感じたんですよね。見てると自然と涙腺が緩み、終われば二人に感謝の念しかありませんでした。我ながら調子のいい感想ですし本当に身勝手なものです。たとえ三沢・小橋相手に明確に世代交代という形にならずとも、それでも歴史とは残酷で、続く限りは容赦なく続いていくものであり、背負った者としてはその歴史を紡ぎ続けなければいけない……。それが生き証人として後の歴史にベットした両者の役割なのであり、風景ではなく登場人物だった人間としての責務なのです。愚かにも自分は長らくそれに気がつかなかったわけなのですね。

その頃にはようやく杉浦に対する偏見やわだかまりも消えており、愛犬のケンタでの蝶野曰く「荒稼ぎ」にはなりを潜めてきたコミカル面も感じて、ようやくノレるようになったのですが、しかしやはり以前そんな偏見を抱いた人間のケジメとして「今」の杉浦貴を実感したい。そう思っていた矢先、万感の思いを伴って決まった潮崎vs杉浦の王座戦。十数年越しの偏見を断ち切るために、今までにない思いでこの試合を見届けました。

戦前に杉浦が語った「嫉妬」は、アンチと言っても差し支えなかった自分としてはかなり感じ入るものがありました。普通なら嫉妬したとしてもそれは過去のことであり、消化できているからこそ持ち出したとも言えるのですが、しかしここでその言葉を出すことにもまた意味があります。これは単なる押し付けで、思い込みでもあるのですが、時代に選ばれた人間ではない……そんな思いが心の何処かにあったのかもしれません。それぐらい杉浦の生き抜いた時代は壮絶で、ファンの支持を得ても、プロレス大賞を取っても、最多防衛記録を樹立しても、 NOAHを取り巻く運命に対する呪いに等しい怒りや反発が根底にあったのかもしれません。

そしてゴング。開始早々唸る潮崎の逆水平。金属音に等しい音が城内に鳴り響きます。真っ赤に裂ける杉浦の胸元。音以上にひしひしと伝わる「リアル」がそこにあります。単なる出血だけではない、体の芯にズシリと響く重みこそが潮崎のチョップの真骨頂で、これが見たいから潮崎を見ていると言っても過言ではないんですよね。

対する杉浦もカタいエルボーで容赦なく潮崎を抉ります。肘と膝というシンプルな打撃でありながら、それで試合を組み立てられるのが杉浦の強みであり、また自身の味わった地獄と壮絶さを分け合える相手は潮崎しかいないのです。シチュエーションとしては長らく到来しなかった真の潮崎時代のために杉浦は避けては通れず、言ってしまえば壁ではあるのですが、もはやその印象は薄く、ひたすらにこの20年の「理解」を求めて生き様をぶつけているような、そんな印象を抱きました。

終わりの見えず、そして見てる側が根負けしてしまいそうな壮絶な打撃戦。誰が見ても心身ともに削れているのは明白ながら、それでも35分過ぎで場外へのノータッチトペコンを放つ潮崎。いやはや……スタミナお化けですよね。効いていないはずがなく、そうでなくても30分を超えて尚更動き続けるというのは超人以外ありえないことです。そしてそれに互角に対応する杉浦……。年齢を一切言い訳にしないのが杉浦の潔さではあるのですが、その潔さは何よりも所作に通じていて、生き抜いてきた者の強さがあります。肉体だけではない魂そのものの強さ。杉浦貴は生き抜いたことが強いんです。潮崎が三沢光晴の表面であるローリングエルボーを放てば、杉浦は三沢の裏面である後頭部へのエルボー「同田貫」の速射砲で応戦する。そして後頭部から落ちる急角度のオリンピック予選スラム。トビかけた潮崎の目が終わりを予感させますが、それでも返すのが潮崎という男なのです。

試合時間は50分近くなり、60分フルタイムドローすら視野に入りかけた時に、温存していた杉浦のフロントネックロック。この時間帯でのこれはえげつなく、どれだけタフでも落とされては意味がありません。しかし胴絞めを無理やりパワーで抱え上げ、崩れながらもゴーフラッシャー。技の精度ばかりが取り沙汰される現状において、形のやや崩れた技というのは評価されないこともあるのですが、そうした上っ面の精度以上のものを感じます。それは意地という言葉すら生温く、敢えて言うなら闘争本能と技に対する信頼性で、この時間にこれを出せること自体がもう強さを表しているわけですよね。そして止まらないチョップとエルボーの応酬は、いつしかゴーハンマーとナックルへと移り変わり、より壮絶さを増していきます。そして圧巻の豪腕ラリアットの3連発。潮崎が王座を防衛しました。

NOAHデビュー生え抜き一号であり、最多防衛記録を持つ杉浦こそが本来のI am NOAHであり、その杉浦を倒したからこそ、ようやく真の意味で潮崎はI am NOAHとなりました。この一年の締めとして素晴らしい名勝負であり、この試合をもって潮崎時代の真の到来と言っても過言ではないです。最後の杉浦のサムズアップではもう号泣必死だったのですが、クライマックスの悲鳴に近い杉浦の咆哮で自分の涙腺はすでに限界を迎えていました。前半に懺悔した通り、杉浦貴の抱えているモノから目を背け続けた罪悪感と、ようやくその一端を理解できたことによる共感。そして杉浦貴が居続けてくれたことによる深い感謝と、生き抜いてくれたことへの安堵。もう胸がいっぱいでしたね。潮崎の試合後の台詞は「ありがとう」シンプルながらこれほど胸を打つ言葉もありません。ただただ感謝しかない。人生には何度か、そうとしか表現できない時があり、今日がその日だったのでしょう。

そして次期挑戦者は武藤敬司。還暦に差し掛かろうというプロレスリング・マスターが唯一手にしていない栄光であり、グランドスラムに必要な歴史の忘れ物。次が日本武道館というのもあり、純血NOAHでのタイトル戦が望まれている中での登場は刺激的でありながら中々の強心臓ですね。外敵でも、現状挙がるとしたら鈴木秀樹一択でしょう。しかし現れたのは武藤敬司。これは変えようのない事実であり、格は申し分なくともわりと賛否がありそうな気がします。レジェンドを倒すのは箔がつきますが、今の時代に、そして今の潮崎が「武藤超え」を果たすことに「価値」があるのか。最後の最後でかなりの難題を投げかけられてしまいました。動きの分では全盛期と比較するとやや重みがあるものの、膝の状態や現状の年齢を加味しても、武藤は相当動けるほうです。しかし決して最前線ではないという立ち位置は色々と難しく、杉浦との死闘の後ではテイストが違いすぎてスイッチを切り替えるのも容易ではないでしょう。

ただ、あくまで個人的な雑感で言うならば武藤敬司は「アリ」です。と、いうのもNOAHと武藤の関係性は一言で言えば夢であり、かつてはタッグで触れるだけに留まっていた武藤のGHC王座戦というのは、令和になってようやく蘇る、平成の「夢の続き」でもあるわけです。潮崎自身はかつて小橋の代役として現れた武藤に直談判して2012年にタッグを組み、秋山と斎藤の保持するGHC王座に挑んだ過去があり、この時に秋山は潮崎を旧全日系の血を受け継ぐ者としてNOAH復興のために秋山軍(仮称)に勧誘しているわけですが、ようやく「受け継ぐ者」として、かつて見守った武藤と矛を交える……そう考えるとゾクゾクしますね。潮崎の縁も凄いものです。

潮崎は「敵に恵まれる才能」があり、それは縁を超えた運命と呼んでいい類のものです。その運命は新日と全日の垣根を越えて数多のレスラーと縁を結び、そして戦いへと誘っていく。その数奇なレスラー人生においては歴史と戦うのも必然で、藤田和之を受け止めた潮崎なら、武藤敬司も受け止めてくれるという安心感がありますね。……あと、潮崎の逆水平を受ける武藤敬司、めちゃくちゃ見たくないですか?そして潮崎の言った「いつ何時、誰の挑戦でも受ける」これ、意図したのか無意識なのか分かりませんが、この言葉を出したのは凄いことですよ。「敵に恵まれる」今の潮崎にしか言えない言葉ですし、その背景にある団体を考えると、ちょっとスルーできない言葉ではあります。潮崎vs武藤戦。安定感を求めていながら「攻め」の姿勢を崩さないNOAH。そして今年一年の防衛戦のカラーとはまた違った相手との対戦。2021年の潮崎も目が離せませんね。

見終わってみれば大満足のNOAHの今年の総決算でした。潮崎vs杉浦。特に杉浦に関しては自身のかつての偏見を書くか否か迷ったのですが、懺悔の意味も込めてさらけだすことに決めました。プロレスというのは誰もが共通した感想を抱くわけではなく、また自分でこうだと規定してしまえば決してその先にはいけない、答えのない恐ろしいジャンルでもあります。加えて大人になれば価値観は固定化し、偏見はより強化されます。長年見ていようがいまいが、常に問われているのは自身の感性である以上、見る側も常に真剣勝負が迫られていますし、生半可な覚悟ではプロレスの真奥に辿り着くことはできないのです。

だからこそプロレスとは長く見続けると変化のあるものだとは言われますが、今回のケースのように、当時嫌いだったものや受け付けなかったもの、理解できなかったものが、時を経てストンと腑に落ちることは往々にしてよくあります。それは単なる知識の有無だけではなく、見る側の感性の変化や、見ていた選手自身の立ち位置の変化もあり、僕にとっての潮崎vs杉浦戦はそれでした。だからこそ感想の変わる人を僕は責める気にはなれませんし、結論が出てもそれはその時抱いた大事な感覚でありながら、いつしか更新される可能性を秘めたものです。そうした変化の訪れを待つことこそが、僕がプロレスを見続ける最大の理由なのかもしれません。

こうした変化を目の当たりにするたびに、自分が変わる以前から、ずっと応援し続けてきた選手のファンの方々に深い敬意の念が湧いてくるのです。自分がようやく理解できたことを、最初から知っていたわけですから。そんな自分のような身勝手なファンが考えを改めるより以前から、ずっとずっと戦い続けてきた潮崎と杉浦。今のNOAHは最高です。

今回は本当に長くなってしまいました……。これからもNOAHを見続けていこうと思います。ではでは。

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