2023.1.1 プロレスリング・ノア ABEMA presents NOAH "THE NEW YEAR" 2023 試合雑観

あけましておめでとうございます。不定期更新でありながら5年近くnote書いてて自分でも驚いています。あくまでスタンスはTwitterでは吐き出しきれなかった感想の置き場であり、体裁もへったくれもなくただ文を連ねているだけではあるのですが、楽しんでいただけているなら幸いです。さて、いつも通り気になった試合を中心にピックアップしていきましょう。

◼️8人タッグマッチ
船木&中嶋&征矢&大原 vs 馳&藤田&カシン&論外

注目のXは青木真也と見せかけての馳浩。青木真也は眼鏡と体格ですぐに分かっちゃったのもズッコケましたが、そこからの馳浩は逆に想像できなくて笑っちゃいましたね。カシン劇場ここに極まれりです。

良くも悪くもこれで完全に試合のトーンが決まっちゃったというか、馳浩のワンマンショーでしたね。ただ、流石は馳浩というか、やはり技の切れ味は中々のもので、期待されていたジャイアントスイング○回転よりも、裏投げとノーザンライトスープレックスのほうに個人的には注目しておりました。

特に馳浩の裏投げって、凡百の使い手とは全然違うというか、ブリッジを効かせての跳ね上げと、そこからの捻転、叩きつけにいたるまでの呼吸がピタリと合致していて、馳浩以上の使い手を探すほうが難しいですね。NOAH絡みでいうなら森嶋の裏投げはバックドロップの原型繋がりもあってド迫力ではありましたが、それ以外は単なるロックボトムもどきであったり、エクスプロイダーの出来損ないであったりと、馳曰く「ひっくり返しているだけ」であったりと、技術練度がモノをいう上に、技そのものも2番手イメージが強かったりと、とにかく不遇な技なのです。それが見れただけでも十分でしたかね。

あとこの試合のフィニッシュとなったノーザンライトスープレックスホールド。馳浩がフィニッシュを取ったのも驚きですが、ノーザンでのフィニッシュが見れたことに価値があるので無問題でしょう。これもまた「まがいもの」の多い技で、馳浩のノーザンライトスープレックスこそがちゃんとした技です。相手の腕をしっかりと巻き込むことが何よりも大事で、これをやっていない単なるフロントスープレックスをノーザンと呼称して繋ぎに使用することがとにかく多くて、嘆かわしい話です。

馳浩。ぶっちゃけ言うと僕はそこまで好きではないのですが、それはそれとして技は素晴らしいですし、馳浩が主役の試合というのも引退試合を除けばわりと珍しい感じもするので、そういう意味ではプレミア感がありましたね。

◼️GHCジュニアヘビー級選手権試合
AMAKUSA vs 宮脇純太

今までのGHCジュニアと違い、ニューカマー同士の王座戦という意味では思ってた以上に面白かったなというのが本音です。ただ、点数でいうなら60点。星3というぐらいのクオリティであり、粗さこそ目立つものの、二人とも印象を残そうと踏ん張っていたのが好感が持てる部分だったのかもしれません。

宮脇純太は同郷というのもあって相当甘く見ちゃっているのですが、メキシコで培ったルチャとバックボーンである柔道を合わせたルチャ柔道とでもいうべきスタイルが興味深かったですね。ルチャ特有の独特なリストの取り方が柔道の釣り手と引き手の技術と合わさっていて、ここに光明を見出しましたね。AMAKUSAもコークスクリュートペには声が出ましたし、最後の押さえ込みも素晴らしかったです。

ただ、手厳しく評価するならインパクトのある技を中心に並べることに固執しすぎた印象があり、全ての印象が散漫かつ単発で終わってしまいましたね。最後の押さえ込みこそ良かったものの、凱旋帰国の宮脇の勢いを止めないような感じにも受け取ってしまったというか、最後にあと一つデカい技があり、どちらかがどちらかに対して完勝した文脈の試合だったならば、もう少しグレードは上がったような気がします。しかしながらもう少し研ぎ澄ませて練り込めばもう一化け二化けしそうな空気感もあり、リマッチが普通に観たい試合でもありましたかね。

◼️GHCタッグ選手健試合
杉浦貴&小島聡 vs 丸藤正道&KENTA

拳王&中嶋という金剛のリーサルウェポンを撃破し「おじさんの青春」を驀進する杉浦&小島に対して、出してきたのは「かつての青春」である丸KENタッグ。まずこれを引っ張り出しただけで、杉浦&小島のタッグとしての異常なまでの完成度が分かりますね。キャリアもそうですが、この手のベテランタッグにしては珍しくパワー系のタッグであり、戦車の如き圧とタフネスを誇る杉浦に、小島の一撃必殺のラリアットが噛み合っているんですよね。

丸藤&KENTAはNOAHの黄金時代を知っている人間なら誰もが分かる"イケメンタッグ"であり、一時代を築いた名タッグでもあります。キャリアを重ねて晩年に差し掛かった二人がもう一度組み直すのって何というかグッとくるものがありますよね。そういう意味では単なるリバイバルではなく、今の丸藤とKENTAが組むことに意味があるのです。

序盤のKENTAと杉浦の攻防はまさに「あの時」をフラッシュバックさせる激しさで、段取りも動きも全てがあの時のままで驚きました。バレクラでのKENTAは意図的にバチバチをセーブしてラフ寄りの硬軟織り交ぜた攻めをやるのですが、この試合はそのエッセンスもいれつつ、張り手とエルボーの応酬でのハードさでは杉浦に引けをとっていなかったですね。

しかしながら最後は丸藤の虎王に耐えつつ小島がラリアットで丸藤をピン。KENTAの扱いは完全にゲストでしたし、丸KENタッグも再始動というわけではなく一夜限りのものである以上、王座戦の結果は分かってはいたのですが、それを差し引いても杉浦&小島は強かったですね。ちょっと誰が止めるのか想像ができないです。

◼️GHCジュニアヘビー級タッグ選手権試合
YO-HEY&Kzy vs 小川良成&Eita

ドラゲーとノアジュニアのハイブリッドな試合であり、何より小川&Eita組の盤石さは凄かったですね。入場順が異なったのが少し引っかかりましたが、その違和が逆に作用したというか、互いに急造タッグなのに意識はまるで違いましたね。カラーによる統一感はYO-HEY&Kzyにあり、ペースこそ王者組が握りはしたものの、ほぼ個として好き勝手に動いた小川&Eitaのほうが各個撃破でタッグとして上手だったというのは皮肉なものです。「連携」で上回ろうとした王者組に対しプロレスの「深度」として上回った挑戦者組とでもいいますか、小川の蜘蛛の糸のように張り巡らせた奸計の上でEitaが暴れ回った印象があります。いずれ組むだろうと思わせつつ不穏さこそ残ってはいるのですが、小川&Eitaは強いですね。

◼️GHCヘビー級選手権試合
清宮海斗 vs 拳王

今大会のベストバウトの一つです。ムタvs中邑の発表により試合前の実質的なメイン剥奪。この荒れ具合は凄かったですね。僕自身、スペシャルゲストの試合をセミに置くと思っていて、清宮vs拳王はメインだと疑っていなかったのでカード発表のときにはびっくりしました。

とはいえ理由としては仕方のない部分もあり、元旦興行。さらにAbemaでの無料中継ということを考えれば話題性としてトップクラスであるムタvs中邑をメインにするしかなく、その時間帯にチャンネルを合わせる層のことを考えると逆説的にここ位置付けが一番注目の集まる試合順であるとも言えるのですよね。それに批判は数多くあれど、団体として一番大事なのは選手の商品価値であり、それに傷さえつかないのであれば団体側が矢面に立って叩かれるのは別に構わないわけなんですよ。それが決断したものの責任ですし、セミ降格を理由に選手のファンを辞める人はほとんどいないわけなので。

ただ、その尻拭いを王座戦に関わる選手にやらせたり、団体が煽りVで「悔しさをバネに……」と煽るのは些かマッチポンプな気もしますし、この試合に至るまでの感情の導線が勝手にコントロールされているような気持ち悪さがあります。端的に言うならば「不純物」なわけですよ。試合内容でケチがつくならまだしも、その前段階の試合をやる前の判断でやられるのは妥当とは言えモヤモヤが残るのも事実ではありますね。

特にダブルメインイベントと銘打ってはいても、実質的なセミ降格は前述の商品価値という部分に直結しますし、何より明確に序列をつけちゃったんですよね。個人的に一番引っかかったのはムタも中邑もNOAHのアイコンではないということです。僕は王座戦がメインになるべきとは思いませんし、清宮vs拳王がメインでないと駄目というわけでもないです。悔しさこそあれど、それはケースバイケースによるでしょう。ただ、その団体の象徴がメインでないというのはやはりかなりの抵抗があり、それだと合同イベントのような感じで、その団体の試合であるという必然性がないんですよね。

今までのNOAHの方針としては、レジェンド頼りという揶揄こそあれど、あれらは新日が半ば放棄したマット界の「文脈」を拾い集めて「正史」として継承したからこそできることで、手薄だった世代交代の駒として使うから歴史の継承としてちゃんと意味があったわけです。たとえ一時的に過去の選手に覇を譲ろうとも、しっかり自団体の選手を軸とすることからはブレていなかったわけで、だからこそノアのファンも思う部分はあれど他団体選手の参戦による話題作りを飲み込んできた部分があるでしょう。今回は言ってしまえばNOAHに所縁のない選手二人をメインに据えたことでその守るべきラインを踏み越えてしまった印象もあり、ここは色々と厳しかったですね。

……さて、厄落としがてら書きましたが、あまりこの話題ばかり長々と引っ張るのもアレなので、そろそろ試合内容のほうに触れていきましょう。散々愚痴りはしたものの、試合順がこの試合に与えた影響は非常に大きく、肯定こそしませんが二人に火がついたのは間違いなかったですね。

拳王の清宮に対する手厳しい発言は本音のようでいて本音ではないというか、額面通りに受け取るのではなく、発破としてメタ的に評することを要求されるあたりに拳王というキャラクターの面白味があります。個人的に裏テーマがあるとしたら、この拳王の「お兄ちゃん」目線を、王者となった清宮がどこまで拒絶できるかに注目があり、二人ともNOAHの未来を見据えていながらも、その実二人の関係性としては同じようでいてすれ違っていたように思います。これはどちらかが悪いという話ではなく、年齢の問題が大きく、自分の成長性がそれ即ち団体の未来に直結してるからこそ、まだ自分のことだけに集中できる清宮は、拳王と比べると「若い」んですよね。戦績や実力ではなく、視座の部分で足並みが揃うのは、まだもう少し先の話かもしれません。見る視線こそ以前と変わりはしたものの、清宮はまだこのままでいいのです。ひょっとするかもですが、拳王はもう少し清宮に踏み込んできて欲しいんじゃないですかね。

そんな二人ですが、今回はムタvs中邑というイレギュラーに見舞われたのもあって、向かい合っているはずの二人が同じ方向を向き、またファンの視線もそちらへ向いているという奇跡的な矛盾が成立しました。本来「いい試合をしよう」というクリーンなスポーツマンシップは、戦いの「野蛮さ」や「エゴイズム」からは縁遠いもので、見てる側もあまり感情移入できないものなのですが、ムタvs中邑を仮想敵にするという「利害」がファンを含めて二人の中で一致したことで、恐ろしいまでの一体感がこの試合にはあったように思います。

それを裏付けるかのように、今までのNOAHのGHC戦とはかなり違ったハイスピードかつハイテンポな濃縮された攻防。エンジンというものは熱量を圧縮することでエネルギーを生み出すわけですが、この試合もそれは同じで、まさに「今しかない」二人の刹那性とも噛み合いましたよね。現代的な高速化された攻防に、信頼関係という四天王プロレスのエッセンス。さらに長時間=名勝負という風潮に対する反逆と、思えばムタvs中邑を飛び越えてありとあらゆる価値観に対し、戦いを挑んでいたように思います。確かにこれは二人にしかできない試合であり、ムタvs中邑戦では真似は決してできませんね。

清宮に唯一欠点があるとしたら「未来」を前提にされた評価が多く、それはあらゆる苦難を先送りにできる麻薬のようなものなのです。若さという阿片は恐ろしく、涙も、後悔も、全てが未来に繋がる糧として手前勝手にエシカルに消費されていく。そんな中では「今しかない」という焦燥感を抱くのは非常に難しく、だからこその「もがき」は見ててかなり心苦しいものがありました。

しかしながら、今回は清宮だけではなく拳王がそれに応じる形でトップロープから断崖式のファルコンアローを繰り出しました。これにはゾッとしましたし、小橋vs齋藤彰俊のGHC戦でのエプロンへのブレーンバスターを思い出しましたね。見直すと拳王はしっかり左腕でトップロープを掴んでコントロールしていて、清宮もエプロンで横受け身を取ってはいますが、それを差し引いてもデンジャラスな一撃です。そしてくの字に折れ曲がった脇腹を狙って矢継ぎ早に突き刺したP.F.Sとのシナジーが何よりも素晴らしくて、単発での危険技で耳目を引くようなあざとさではなく、きっちり文脈に則っていたのがいいのですよ。また、前哨戦に加えてこの試合でも清宮を散々苦しめた船木直伝のスリーパーは以前とはキレがダンチかつ、猛禽類のように喰らいつく姿は体力削りではない一撃必殺感があり、絡め手でありながら「怖さ」がありましたね。絞るのではなく「引く」怖さ。拳王は文字通り今まで培った全てをこの試合へと懸けていました。

それは清宮も同じです。鉄柱超えのウルトラタイガードロップを皮切りに、ありったけの自分を拳王戦へとぶつけてきました。特に目を見張ったのは藤田戦で散々批判されたフランケンシュタイナーで、拳王の炎輪狙いをかわすと同時に決めたフランケンはドンピシャかつ、しっかりと拳王の頭を両手でホールドしていて最高の美技になっていましたね。さらに本家とは違う転調となるリバースフランケン。そして片腕をチキンウイング。もう片方をハーフネルソンで固めて横旋回で落とす令和のタイガードライバー。これもう凄すぎてもうフィニッシュでいいんじゃないかと思いました(笑)オーバースローもそうですが、清宮の投げ技ってスター性あるんですよね。

そして最後はやはり変形のシャイニングウィザード。今だ批判の声もありますが、今回の変形シャイニングはベストを更新していましたね。鈴木秀樹戦を経てほぼ完成したそれが、より洗練された形で決まったことで、清宮の成長を追うという意味合いが非常に強い技だなと。内膝での回し蹴りが本家シャイニングで、原型が真正面からの膝ならば、清宮の変形シャイニングはその発展系の横殴り式とでもいうか、膝での回し蹴りに近い感じなんですよね。その不安定な体勢を支えつつ衝撃を逃がさないための両手のクローであり、流れるように横から決めたその姿は、ジャンピングヘッドバットのときに感じたいまいち活かせそうでバックボーンのサッカーを彷彿とさせる躍動感がありましたし、技の「理」がようやく噛み合った感じがします。長かったですね。本当に。

終わってみればメインでもおかしくない、むしろ当然とでもいうべき試合内容。清宮の試合は表層だけ見るのと動きや技の細部まで紐解くのとではまるで解像度が違うんですよね。まさに「語れる」プロレスです。

◼️スペシャルシングルマッチ
グレート・ムタ vs SHINSUKE NAKAMURA

プロレスに「魔力」があることは周知の事実ではありますが、このカードほどそれを感じる組み合わせもないでしょう。対戦カードを見ただけでクラクラするほど匂い立つ二人の色香に、平成最後の忘れ物でありつつ今の日本プロレス界が切れる最高クラスのグレードのカード。先ほど清宮拳王がメインで無かったことの不満を長々と書き連ねはしたものの、そうした感情さえ忘却の彼方へと押し込めてしまうほどにムタと中邑の世界観は色濃いです。互いが互いに化身である以上これはプロレス版の異世界転生マッチと言っても過言ではなく、プロレスは自ずと世相を反映するものですね。ムタvs中邑は現世や時空すら超越した戦いです。

まずは中邑の入場。荘厳なバイオリンの音に合わせ、現れたその姿を見てまずは度肝を抜かれました。その白装束はムタに対抗した小忌衣のようであり、ムタワールドの「魔界」に対してそれを祓う「神事」をぶつけたセンスには脱帽しました。ジ・アーティストたる本領発揮といった感じです。ここにいたのは中邑真輔ではなくWWEのシンスケ・ナカムラであるというのが重要なポイントで、同一のものとして見ている人もいるのですが中邑とナカムラは似て否なるものなのですよ。WWEスーパースターはやはり別格の存在感があります。

続くムタの入場。単純なインパクトでは見る機会の希少さも手伝って中邑に軍配が上がった感じではありますが、こちらは入場曲も相まって逆に懐かしさを感じましたし「本当にこの二人が戦うのか……」という覚悟がここで決まった感じがあります。異界への扉を開けて誘ったのは中邑で、その戸を閉めて皆を閉じ込めたのはムタですね。

リングで二人が向かい合うだけで感じる「特別感」。中邑ではないですが言葉で語るのは野暮ですね。エンタメ性に特化した試合、と単純に評するのは簡単ではあるのですが、そこには熾烈かつ苛烈な存在感の奪い合いがあります。

攻防で目を見張ったのはやはりムタの毒霧でしょうか。便宜上はWWEからのレンタルというのもあり、あまりハードな攻防は期待できないかな、と当初は思っていたのですが、赤霧を擬似的な流血表現としたムタの巧みさには息を呑んでしまいました。その後のライダースーツの上半身剥ぎ取りも相まって、デスマッチではないのにデスマッチの様相を呈している……これはまさしく「プロ」の技です。単純な間の取り方や醸し出す空気感。清宮vs拳王の決死の攻防は二人には決して真似のできないものではありましたが、ムタvs中邑は派手な技を使わずとも身振り一つで何よりも雄弁に伝えていく。アンチテーゼとして際立っており、この領域に辿り着くのは単純にキャリアを積み重ねるだけでは不可能なのです。数多ある才能の持ち主の中で、さらに選りすぐられた人間のみが、同クラスの相手と相対することでのみ成立する現象。これを指して「奇跡」というのは本当にその通りだと思います。

前半こそ中邑ペースではありましたが、毒霧を皮切りにムタのペースに。中邑自身の動きはWWEを見ていればわりと平常運転ではありつつも、新日では見慣れた「滾り」の痙攣式のストンピングや石森も反応したスライディングジャーマンといったWWE由来の技など、倒すための構造というより中邑真輔の存在感をムタに刻み込んでいるような気がしました。

そうした通常運転の中でもスペシャルなものを仕込むのが中邑のセンスで、ムタの花道疾走ラリアットのラーニングは憧れがあって良かったですね。また隠し技である飛びつき腕ひしぎもキレは素晴らしく、指を極めてムタのアレンジを加えていたのも心憎いアピールでした。神は細部に宿るというのもまさにそれで、中邑の憧れの追体験をしながら、WWEのシンスケ・ナカムラがムタの語り部となる贅沢さを存分に味わうことができましたね。

クライマックスはムタの毒霧を中邑がキスして吸い出し、そこから掟破りの毒霧逆噴射。プロレスはネバーセイネバーであり断言こそできませんが、中邑の最初で最後の毒霧になるのではと思うほどに「特別」な一発でした。そしてそこから問答無用のキンシャサ・ニー・ストライク一閃。シンスケ・ナカムラがムタを倒し、夢のような時間が終わりを告げました。武藤敬司は中邑真輔にとって二度の敗北と時代の後退を許した相手ではありますが、グレート・ムタ相手にWWEのシンスケ・ナカムラとしてようやくリベンジを果たしました。しかしそうした星勘定すらチンケなものに思えるほどに、この試合は素晴らしいものでした。

終わってみれば自団体の主役二人を差し置いてでもメインに据え置いた理由もよく分かるというか、NOAHは他団体の文脈に頼り切りでいいのか?という誹りを受けてでも実現する必要性のある試合でした。武藤&ムタの引退の先導を務めたNOAHにしか実現できない試合であり、脈々と蓄積されてきたプロレス界の文脈に敬意を払いつつ、資金力のあるNOAHにしか実現できなかった試合でもあります。全てのしがらみを投げ打ってでもこの試合を提供しなければいけなかったというプロレスに対する真摯さと覚悟。歴史に嘘はつけませんし、運命は確実に存在するものです。

何が凄いって、この試合に対して抱いたであろう感想はプロレス歴に関わらずほぼ全員同じであることですね。知識がなくとも、素晴らしい名画や彫刻の前ではふと歩みを止めてしまうのと同じように、優れたものは言葉を尽くさなくともちゃんと伝わるものなのです。各々の好みが細分化した令和の時代にこうした一体感や、絶えて久しいマット界という共通の文脈を全員が共有したことは本来ならありえないことで、それは確かに奇跡と呼ばれる類のものでしょう。

試合が終われば魔法が解けたのは中邑も同じで、涙とともに絞り出したムタに対する感謝の言葉。「バイバイ、マイアイドル、ムタ」最後にほんのひとさじまぶしたウェルメイドな味付けは人間・中邑真輔のものであり、プロとして……と謙遜こそしましたが、歴史と同じく感情にも嘘はつけないものです。サンキューNOAH。サンキューWWE。今はもう感謝の言葉しかありません。勝ったとか負けたとか、新日がどうだNOAHがどうだとか、そういう次元の試合ではないですね。プロレスファンを続けていて良かったなと、心の底から思いました。





いやはや……元旦興行素晴らしかったですね。ムタvs中邑のワクワク感は想像以上でしたし、このカードを組めたことにプロレスの底力を感じました。清宮vs拳王のライバルストーリー、ひいては清宮の成長物語もひと段落した感もあり、ここからは新章突入ですかね。アンチもそれなりに増えてきましたが、それはようやく一皮剥けた証であり、何度も書いた事柄ではありますが、評価の壇上に立つというのはそういうことです。また今年もプロレスを追いかけていきましょう。ではでは、今日はここまで。

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