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自然の中でみんなで遊ぶ事の効能

★今日のノートは、広報的意味合いも兼ねてます。
私、普段は、神奈川県の相模原市というところで、未就園児の外遊び活動を主催しています。親子で遊ぶ「ちびっこ探検隊」(ちびたん)と、子どもだけ預かって遊びまくる「谷戸保育のびる」です。

なんで、ただでさえ大変な時期のちびさんたちを、大変な思いをして外遊びに連れ出したいのかってことを書いてみました。

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私は故・佐々木正美先生が大好き。
佐々木先生のお言葉は、心のバイブルに刻まれている。

のびるをやってる時も、チビたんをやってる時も、

充分に愛されてる子ども達に囲まれて、ほんわかした気持ちになることがよくある。

愛されて育った子は、周りにも愛をちゃんと返すんだなー、と思う。

無意識にやってることだと思うけど。

​​

さて、他方で。

固くこわばり、笑顔もない状態でやってくる子もいる。

経験的には、そういう子のお母さんも、たいてい固くこわばっている。

生まれた時から「お母さん」をしてる人なんていないから、

当然、みんな、子ども時代があったから大人をやってる。

固くこわばったお母さんは、ちょっと話すと、

「こんな私のところに生まれたこの子がかわいそうで」

「優しくしてあげられなくて申し訳なくて」

って、ポロポロ泣いてしまう。

泣かなくてもいいのに。(´;ω;`)

もらってない(と思い込んでるもの)は返せなくて当たり前なんだよ。

与えられないのは、与えるほどのものが自分の中に無いからなのだ。

そんなお母さん達が、ポロポロ涙をこぼすのは、

自分の中に愛情が枯渇してるのに、それでもこの子にだけは、愛を与えたいと思うから。。。だよね。

泣けてくる。

だって、それって

自分も1週間ご飯が食べられなくて、お腹ぺこぺこなのに、

「私はいいから、この子に何か食べさせてやってください」

って言ってるのと同じだもの。

これのどこに、「愛情のない姿」を見る?
誰もそんなこと思わない。

なんて、ステキな優しいお母さんだろう、って思う。

なのに、ものが「ご飯」ではなく「愛情」になった途端、人はお母さんを責め出す。

愛情を注げないなら、子供なんか産むな、っていう。

ちがうよね。それ、絶対、ちがう。

食べられない子がいたら、助けるでしょ?
これをお食べよ、って、持ってるおにぎりを差し出すでしょ?

私がやりたいのはそういうこと。

愛情が足りなくてペコペコのお母さんがいたら、

「ほら、ここにあるからたくさん食べていきなよ」

って言いたい。

ただ、やりたいと思うレベルと私の能力レベルには開きがあり過ぎるし、(つまり、言ってることの割に、できることが少ないってことね)

果たして私が愛だと思うものが、そのまま伝わるのか疑問だし、(人によって欲しい愛情の形はさまざま)

与えるものが押し付けになるのも嫌だな、と思うんです。

だから、チビたんなのです。

チビたんは、外でみんなで遊ぶ活動。
知らないところを探検したり、いつもワクワクがたくさん。

愛がペコペコのお母さんでも、満足するまで愛情を食べていけるようになってます。

「どうやって?」

こうやって。

自然の力を借りる。
自然の中にいると、人はどうやっても癒されずにはいられない。
元気を取り戻す。

体を動かす。
頭で考えてもどうにもならないことを抱え込みすぎてる人に、体を使うことで頭を一旦忘れてもらう。

群の力を借りる。
同世代の子を育てる母ちゃん仲間が、ゲラゲラ笑って遊んでる姿を見てたら、絶対、自分も童心に帰る。
大人になっちゃった今、受け取れない愛情も、子どもに帰れば楽々受け取れる。
愛でお腹をぱんぱんにして帰れる。

これがほんとに使えるものなのかどうかは、私の子育て経験で実証済み。

「助けて!」と思うだけでなく、「助かりたい!そのために自分もできることをする!」って思ってる母ちゃんに来てほしいと思ってます。

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。 サポートは、お年玉みたいなものだと思ってますので、甘やかさず、年一くらいにしておいてください。精進します。