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結婚したら苗字が変わる問題

たまたまTwitterで流れてきたリツイートが解せなかったので書くことにする。

ざっくりいえば「先日婚姻届を出した。どちらの姓を残すかで何年も争って結婚が遅くなった。結果、私が姓を捨てる役になった。喜びとかない。死亡届を出した気分」とのこと。要になる表現をそのまま書いた。

読み終わった瞬間の感想は「なんで結婚したんだろうか」だった。

個人的に夫婦は同姓でも別姓でもどちらでもいいと思っている。
投げやりではなく、どちらにも長があるし短がある。

何事でも現行のルール内でおもしろおかしくやれればいいやというスタンスなので、壊滅的な不利益を被らなければルールに則ってうまく立ち回れるつもりだ。

だが、夫婦別姓を叫ぶ人の気持ちもすごくわかる。

生まれてこのかた20年30年この名前でやってきたんだぞという自負というかアイデンティティがあるんだろう。それと単純に各種手続きが面倒ということもあるだろう。

もちろん、現行のシステムがおかしいと思ったら声高に叫べばいい。だが言い方である。

「何年も争って」「姓を捨てる役」「喜びとかない」「死亡届」

超強力なパワーワードばかりである。どれもメラゾーマでありベギラゴンくらいの破壊力だ。

仮にTwitterで注目を集めるための表現だとしてもあんまりだろうと思った次第である。
物腰柔らかく言われれば「ああ、そうかもな」と思うところを、モンスター〇〇のごとくのクレームなら嫌悪感を抱いてしまう(私は)。これぞ北風と太陽方式だ。

ここからは私見になるが、結婚で名前が変わるといっても苗字だけだ。姓名の名までは奪われない。そこで湯婆婆が現れて「ぜいたくな名前だね」とは言われない世界である。

自分の名前においてのアイデンティティとは。
姓か名かと問われれば「名」が民意だと考える。

人生で姓が変わるイベントはおもに結婚か離婚だろう。
私は親の離婚により姓が変わった経験がある。小学生のときだ。

父親のことは好きだったので離婚はいやだったか、苗字は変わることにどうこういう思いはなかった。むしろ変わってかっこいいくらいに思っていた。

それは周りから苗字ではなく名前で呼ばれていたからというのもあるのもしれない。

遠回りしたが、その人がなぜそこまでして姓が変わるのがいやなのかが想像しがたい。いや、正確には想像できるが、理由が弱い。深層心理は本人にしか分からないところである。

だがしかし、本人にいやな理由を聞いたところでこの問題は解決しないだろう。そこは個人の考え方の違いということで甘んじて飲み込まなければならないかもしれない。

もちろん不便なことは改善されるに越したことはない。効率化は大賛成だ。

結局なにが解せないかというと、その人はTwitterを明らかなハンドルネームでやっていたのだ。そこまで苗字が変わることをあーだこーだ言うのならネット活動も本名でやればいいのにと思った次第である。

でもまあ離婚率が高い昨今、夫婦別姓になればより気軽に離婚できてしまうんじゃないかという危惧もある。

至極個人的には苗字なんてなんでもいいというのが本音である。所詮住所や電話番号、メールアドレスと同じ記号という認識だ。なんなら名前だって変わらなければならないのならやぶさかではない。大切なのは私という自我なのだ。

とまあ能書きを垂れてきたが、じゃああなたの名前はは明日から「うんこ山ぶり男」ですよと言われれば全力で抗うだろうな。

それなら「焼きそば好き太郎」にしてください、と。

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