見出し画像

18?論評


こんにちは、DAです。
こんばんは。

今日は久々の投稿。待っていた人なんていないかもしれないけれど、それでもお待たせしました。
先日投稿した記事は、意図を持って「ですます」体にはしなかったのですが、あれま一度書いてみますとね、書きやすいのなんのって。なので、今回も本編は「ですます」体でない書き方で行こうと思います。今は前座なので「ですます」で。なので、今までの『論評』記事とはちょっと違った印象を受けるかもしれませんが、それはそれとして、私の経年変化と思っていただければと思います。

そんなこんなで、どうでもいい話はここまでにして、
『18?論評』始めます。



私がここ最近、というか最近というわけでもない、なかなかちゃんとした楽曲論評の記事を書かなかったのにはある理由がある。書かなかった、というよりは、書けなかったという方が正しいのだけど。
この記事を読んでくれている方は、きっとTwitterで繋がった方が多いのだと想像しているが、その中で私のbioの欄が変わったことに気付いた人はどれくらいいるだろうか。まぁ、気付いてもらいたいとか、そういうわけでは決してないということは断っておくけれど。bioの記載を変えたのは、外でもない『18?』が理由だ。

今回取り上げる『18?』という楽曲、この曲はNICO Touches the Wallsが先日、3年半ぶりにリリースしたフルアルバム『QUIZMASTER』に収録されている。リード曲、と言ったらリード曲なのだろうが、今はそのことはこの論評にはあまり関係がないので割愛する。
どうして、私は『18?』を聴いて、ツイッターのbioを書き換え、そして『論評』をかけなくなったのかというと、これまでいくつか『論評』や『経年変化』などの記事を書いてきたが、そのどれもがフレデリックの楽曲についてだった。それまで、私がフレデリックの楽曲を特別に好きだった、というだけの理由でそうなっていたのだけれど、その意思は時間とともに、こびりついて離れない拘りとなっていた。
フレデリック以外のアーティストの楽曲で、自分の心に響いた曲があって、それを文章にしたいと思っても、それは求められているものではないと思って書く手を止めてしまっていた。「求められている」なんてひどく烏滸がましい思想だと、何度もひり出した言葉を拾ってくれた方もいて、ありがたい気持ちと申し訳ない気持ちと自己嫌悪にずっと苛まれていたのだ。
まぁ、私以外の人にとっては、非常にどうでもいいことなので、読み流してくれればいい。
それでも、フレデリック以外のアーティストの楽曲で、私が私名義で文章を綴ろうと思ったのは、この楽曲について書かないと、もういつまで経っても、書きたい文章は書けないな、と思ったからだ。例えば、お風呂の排水溝に溜まった髪の毛を掃除するのが、なんとなく億劫でそのままにしていたけれど、いやもう、そろそろ掃除するか、といった、そんな感じの気持ちで今書いている。
bioの記載を変えたのも、それが理由。毎日毎日、目にする文字が、「特別愛してあげないといけない音楽」を意識させる。最初の気持ちの、ただ音楽が好きで詩が好きで、結局着飾っても、その気持ちでしかないのだから、bioの記載は変更した。
なので、私はこれからはきっと、雑多な記事を提供することになるだろうが、それでも読みたいと引き続き思ってくれるなら、一文字残らず読んでもらいたいし、フレデリックを語る文章だけを読みたいなら、取捨選択して読んでもらいたいと思う。


そんな気持ちにさせられるほど、この『18?』という楽曲は、私にとって衝撃的だった。

『どうして夢を見るの?』

と何度も訴えるこの曲は、最終的にその答えを得られるわけでもないし、その疑問の霧が晴れるわけでもない。ただひたすらに、嘆き、問いかけ、生きている。


『勝手な美学でかしまし半端者
一か八かのフェイク
デタラメばっか言ってるんだろう
笑ってなBaby

不安定な美学でたちまちシンガロング
袋叩きのフェイズ
オウム返しじゃキリないだろう
知らないことに用はないだろう

入念に全身伸ばして
感情駆け引きしないで
同じ顔で言わないで』

この歌詞を読んで、背筋が凍る思いをしない人は、本当に誠実に温厚にこれまで生きてきた人なんだろうな、と思う。
音楽を受け取る。文章を受け取る。景色を受け取る。思い出を受け取る。そのやり取りの中で、確かに返せるものがあるはずなのに、欲しいものだけ受け取って、分かったような口を利く。そんな人が、確かに今の音楽シーンを支えている。

例えば私だったら、NICO Touches the Wallsのライブに行って(他のアーティストのライブでも同じだが)、メンバーの髪型や衣装、やれ顔がかっこいい、やれ前の方が良かった、などの言葉を聴くと、血反吐が出るほど腹が立つ。体で音楽を聴きに行っているのに、そんな表層だけ掬って。同じ時間と空間を共有していた者として、どうしようもなく腹が立つのだ。

けれど、例えばこうやって歌詞について解釈したり、何かしらの意見を述べたりすることは、表面だけを掬う事と何が違うのだろうか、と、この曲を聴いて思ったのだ。
結局のところ、むしろこうして文章を紡ぐことで自分の存在を確かめたいだけの私の方が、そうやって表層を掬っている人よりもよっぽどタチが悪いのではないかと。

『同じ顔で言わないで』

と、ここで言われている『同じ顔』かどうかなんて、きっと自分では確認は出来なくて、もしかしたら、私の存在価値も、言葉の価値も、何もかも『同じ』に含まれるのではないかと、そんなふうに思った。


『どうして夢を見るの?
何世紀経ったって
未来はずっと謎の彼方
どうして夢を見るの?
何世紀経ったって
未だわかっちゃいない事だらけなのさ』

「どうして夢を見るの?」と、いつでもいいので眠れない夜に考えてみて欲しい。小学生が見る将来の夢だって、就活生の志望動機だって、老後に考える自分の死に様だって、その全てが『夢』に含まれるのだと思う。そのどれもが、そもそも確定していない明日以降の未来にあって、その不確定な未来に置いたものを、いつか取りに行くために今がある、そのために今苦しんでいるなんて、考えてみたら本当に意味がわからないのだ。
「伝わって欲しい、届いて欲しい」という夢なんて持ってのほか。いつ届くかも、本当に届いたのかも確かめる術はないのに、そんな夢を見ることを諦めきれない。いや、諦めきれないというのは少し違うかもしれない。そんな夢を見ていないと、生きられないのだと、私は思う。
この意見には、きっと大手を振って賛同してくれる人と、全く何を言っているのか理解できないと思う人がいるだろうが、それでいい。それでしょうがない、

しょうがない、と思いながらも、やっぱり分かって欲しい、理解してほしい、と思ってしまうのは、もう止みようもない『夢』なのだ。


『括弧がつかなきゃただのひとりごと
ありがた迷惑だぜ
テンで慰めようもないだろう
いい加減目覚めろピノキオ

同じ形は一つもないぜ
本当の意味に目を凝らせ
つまんない時代に産まれた、だなんて
違ってるよ』

もし、本当に伝えたいことが、寸分違わず文字にできれば、と最近よく考える。意識して嘘を吐いているわけではないけれど、それが本心か真実かなんてことはもう、書いている本人ですら分からない。浴びるように音楽を、言葉を受け入れて、それでファストフードのように消費する世の中が悪い、とかそういう話ではないが、結局どうしたってひり出した言葉は汚いし、汚くなりたくないから綺麗な言葉を探すし、綺麗な言葉は利用客に咀嚼されやすい。
この文章でさえ、きっと私自身が私自身のことを綴ったものだと考えて読む人もいるのだろうと思うと、もう誰が悪くてどうしたらいいのか、なんてことは謎の彼方に飛ばされてしまうのだ。


『はじまりは全部愛だった
ずっとずっと前からわかってたけど
愛の言葉 何世紀待ったって
百世紀待ったって吐き出せないや

吐き出せないや

勝手なリズムでかしまし半端者
(どうして夢を見るの? 諦めなれないんだ)
不安定な美学でたちまちシンガロング
(どうして夢を見るの? 信じていたいんだ)
本気の話がしてみたいんだ』

音楽が好きで、言葉が好きで、人が好きで。最初に持っていた気持ちは、ずっと変わらないはずなのに、そこに上塗りされた、欲が嫉妬が自己嫌悪が、その最初の気持ちをどんどん霞ませていく。
どうしたらそれを文字にすることができるのか、どうしたらもっと分かってもらえるのか、そんなことを夢に掲げてしまって、生きづらいことこの上ないのだけど、そこにゴールがないことは、きっともうずっと前から気付いていたのだ。それこそ、この曲に出会う前からずっと。

『本気の話がしてみたいんだ』

と、叫ぶような光村(Vo.&Gt.)の、歌声とも言い難いほどの息苦しさを孕んだ音が、確かに誰かに届いていて、共感を求めたつもりのない歌詞に、どこかで誰かが涙する。
聞いて欲しい、分かって欲しい、伝わって欲しい、話して欲しい、聞かせて欲しい。その全部が夢だから、少なくともこの曲を聴いた人には伝わって欲しい。この曲が、ただのリード曲ではないことを知って欲しい。『18?』は、このアルバムに対し、いやNICO Touches the Wallsの音楽に対し、何も答えを導いて(leadして)いないということ。
『どうして夢を見るの?』という問いに答えなんて出なくて、こうして言葉をひり出す行動に文字を当てはめられる意味なんてなくて、今思いつくもの以外にも明日になったら他の疑問がまた襲ってきて、それにも答えなんてないのだということを、

『世界は謎だらけ』

とのコンセプトを背負った『QUIZMASTER』というアルバムのリード曲としての意味を、知らん顔なんてしないで欲しいのだ。


『何度も夢を見るよ
諦められないんだ
未来を愛で満たせたなら
何度も夢を見るよ
信じてたいんだ
未だ分かっちゃいないことだらけだったって

何世紀経ったって
未来はずっと謎の彼方
どうして夢を見るの?
何世紀経ったって
未だわかっちゃいないことだらけなのさ』

『18?』の歌詞は、光村(Vo.&GT.)と対馬(Dr.&Cho)が連名で担当しているが、そのほとんどを光村が書いたそうだ。そして、その中で彼がどうしても書けなかった歌詞を対馬が書いたのだという。
それが、『どうして夢を見るの?』に続く、

『何世紀経ったって未来はずっと謎の彼方』

という歌詞だったそうだ。謎は謎のままでいい、考えて考えて何度もドツボに嵌ってしまってきた光村でさえ、そのことに気づかされたのはメンバーの言葉だったということだ。

この記事をここまで読んでくれた方には、ぜひこの曲のMVを見て欲しい。(https://www.youtube.com/watch?v=ko0DHDT7n4g)

私は、初めてこのMVを見た時に戦慄した。
何度も水に落とされる光村、3つの椅子を取り合う椅子取りゲームの中一人だけ目隠しをしている光村だけが永遠に座ることができないという描写、そしてようやく座れた彼の周りを道化師のような表情でグルグルと回る他のメンバー達、光村がたった一人でステージに機材を用意して、光村だけが生きている表情で『18?』を歌っている姿、その全ての様子をモノクロテレビから見て涙を零す光村、そして最後には、テレビ画面の中と外の光村が画面の中で邂逅して、柔らかい表情を見せた直後、鉄の重いハンマーでどちらの光村も押し潰される。

そんなMVが、3年半ぶりにリリースされたアルバムのリード曲のMVなのだ。まぁ、こればっかりは見てもらわないと分からないのだけど。
私は、NICO Touches the Wallsというバンドをそこそこ長い間見てきて、その中で光村と他の3人のメンバーの温度差を感じることが多々あった。
「みっちゃんだけこんなに一人で足掻いて、他の3人はどう思っているのだろう」
と、割と逐一そう思っていた。
そして、このMVを見て、その思いはさらに熱を増すことになる。というか、このMVに出ている光村以外のメンバーは、一体どんな気持ちでこの演技をしているのか、と狂気すら感じた。

と、そんな気持ちでモヤモヤしていた心が、その疑問が、あるインタビューで晴れることになる。

(本作の歌詞についてはどう思いますか?という問いに対して)
『対馬「テーマにもなってましたけど、答えを出さなくてもいい、とはいえ、みっちゃんそのものですよね(笑)。そうやって、見たくもない自分をどんだけ武器にするかって話じゃないですか。だから今回は、ハートを試されるアルバムでしたね。だから音も、答えが伝わるようにできるだけ減らして」

古村「今回、徹底してみっちゃんの歌に軸を置いたんですよ。良い悪いの判断がそこでしかできないから。だからそれに合うんじゃないかなって思えるまで、何回もアレンジして」

坂倉「ね。時間がかかったように思うでしょうけど、実はそうでもない。ただ、みんな決められないんですよ(笑)。何パターンも何パターンもアレンジ作って、いつまでやってんだ俺たちはって」(『音楽と人 2019年7月号』 NICO Touches the Wallsインタビューより引用)』


彼らの言葉に、私はNICO Touches the Wallsというバンドの、一番大切なことに気がついていなかったのだとハッとさせられた。
誰よりも何よりも、この3人が光村のファンで、光村はそれに(言葉は悪いが)甘えていて、それは関係を逆にしてみても同じことで、
だから光村はどれだけライブで弾き語りをしても「光村龍哉」ソロ名義で音楽活動をしないし、NICO Touches the Walls以外のアーティストへの楽曲提供をしないのだと、とても腑に落ちたのだ。『18?』のMVだって、「悩み踠き、それでも歌い続ける光村龍哉」のファンが、その光村の姿を丸ごと愛しているから完成したのだろうな、と思ってしまったのだ。


そして、今朝、私はNICO Touches the Wallsのファーストミニアルバムである『Walls Is Beginning』を聴いていて、思わず笑ってしまった。
彼らが伝えたかったことは、もうずっと、それこそ一番初めから、何一つ変わらないのだ。



TEXT DĀ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?