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こどもの「壊す」行動は、どういう意味を持つのか?

こどもの『壊す』についての考察
~もっさんみいこ的解釈~

『壊す』
一番初めに言っておきたいのが、こどもの「壊す」行動は、問題行動ばかりではないという事。むしろ成長に大切な要素がたくさん含まれている。
大人は、現状維持が大好きなので、「壊す=荒ぶる=危険」と思い、すぐに注意してやめさせようとするけれど。
こどもの『壊す』行動にはかなり多様な意味が含まれていると思う。



◎興味があるから『壊す』


・壊れたらどうなるか知りたい。(変化への興味)
・壊れる時の様子、音、形の移り変わりが知りたい。(軌跡への興味)
・どうやったら壊れるかを知りたい。(理由への興味)
・力をどう加えたらいいか知りたい。(加減への興味)

など

遊びだからと言って、あなどってはいけない。壊すことで、その物の構造や素材、加える力や変化を学び取ることができる。
これには、科学的、物理的要素がたくさん含まれている。
子どもは、遊びの中で実験を繰り返し、自ら何かを学び取る力を持っている。

砂場に掘った川に大量の水を流して、川や山が壊れる様子で、水の流れのどこに強弱があるか、どうやって土が崩れていくのか、映像として心に残る。いろんな素材を高く積み上げて壊した時、素材によって地面に着地する速さが違う事を記憶する。

私自身の経験だけれど、学校でそんな勉強をするときに「ああ、あの事か」とこどもの頃の思い出と共に理解できるタイミングが度々あった。学生になって勉強が好きになれないのなら、教科書に書かれている内容だけで理解するのはストレスでしかないけれど、少しでもそういうタイミングがあった私は、「遊んでて良かった~!」と思う事は多かった。

◎体を動かしたい『壊す』


⇒壊す行動は、心が興奮してワクワクする、動作がダイナミックで面白い。
 心も体も思いっきりやれる楽しさが、生きてる満足感を与えてくれるのだと思う。
・体を使ったダイナミックな遊びをしたい。
・いつもとは違う体の使い方をやってみたい。
・気持ちや体力を十分に発散させたい。
・体の使い方を、遊びながら研究したい。
・ぐちゃぐちゃ、べちゃべちゃ、普段とは違う体験がしたい。
・自分の力を試してみたい。

など

「汚してはダメ」「暴れてはダメ」「うるさくしてはダメ」、、、ダメダメ尽くしのこの社会では、昔に比べると、子ども達が思いっきり体と心を使って遊びきれる場所はほとんどない。絶滅危惧種に近いレベルでない。
「今日一日、最高に楽しかったなぁ!」と、くたくたになって眠れる日が、今の子どもにどれくらいあるだろうか?
人間は、自分の力を出し尽くした時に成長するのだと思う。
「興味があるから『壊す』」で触れたようなことは、楽しかったから覚えている。やらされたことは、子どもの思い出としては残らない。
皆さんもそうでしょ?
嫌々やらされた事は、嫌だった事は覚えてるかもしれないけど、そこで何を学んだかはあんまり覚えていないでしょう?
逆に、すごく楽しかった時の体験は、何を学び、その空気感、肌触りや気温、風が肌を通る感覚、細かいところまで結構鮮明に覚えていませんか?
その経験が心の支えになっていることも少なくないと思う。
思いっきり満足いくまで遊ぶって、子どもにとって、ものすごく大切な経験だと思うんです。


◎注目されたいために『壊す』


・壊すことで周囲に怒られる・注意される。⇒相手にかまってもらえる。

これは、少し大きくなってから現れる感情表現だと思います。それまで、何度も何度も怒られ、注意されている子が特に多い。
相手を困らせたら、自分を見てもらえる。という経験からの学びですよね。
逆に言えば、それ以外のところで、自分を認めてもらったことがない。
どうしても、注意することが多くなるやんちゃな子どもはどこにでもいますけど、大人の方も「またあの子は、、、」と、レッテルを貼ってしまって、その子の良いところを見出そうとできなくなってることも少なくない。そうなると、子どもが問題なのではなく、大人の方に問題がある。

私のやり方が正しいとは思いませんけど、私の気を引こうとして困った行動をする子に対しては、その場では相手にしません。よほど危険でない限り、後片付けの手間が増えようが、多少物が壊れようが、見て見ぬふり、無視です。子どもは、相手にしてほしくて色々やって、こちらの顔色をうかがいますが、私は他の子と話をしています。
そうしているうちに、その子も面白くないし、相手にしてもらえないので、自分の行動に飽きてきます。そもそも、やりたくてやっているというより、気を引きたくてやっている行動なので、気を引けないなら意味がないから(笑)。
そのうち、自分が面白いと思う事をやった方がいいや。と思って、何やら始めます。そのころになってはじめて私が「何やってんのー?面白そうやん♪」なんて、声をかけます。私が用意した工作ネタじゃなくてもいい。「自分が面白いと思う事をやってる時に、人は自分に興味を持ってくれるんだ」と思ってくれればそれでいいと思ってます。

そして、そのような困った行動は、出会ってはじめの頃に多いです。
子ども達は、初めて会う「もっさんみいこ」という人間は、どのような大人なのか試しているのだと思います。
ちゃんと自分を見てくれる大人なのかどうか。このテストはとてもシビアです。
そこで失敗すると、子どもはその相手を「大人扱い」して、自分の本心を話してくれなくなります。

◎怒りからの『壊す』


・怒りがコントロールできず、怒りの表現として壊す。

この場合は、壊す行動自体は良くないですけど、壊す行動だけを注意してやめさせようとしたってダメです。その怒りの原因が解消されない限り、その子の心が落ち着くことはない。
でも、壊す行動をした人は散々に攻められて、問題に目を向けてもらえる事は少なく、自分を認めてもらえなかったという気持ちが蓄積される事が多々あります。

そして、これは子どもだけでなく大人も同じ。
一番邪悪な「怒りからの壊す」行動は、戦争です。
世界中が攻撃した国を攻めたてる、「あいつは悪者だからやっつけないといけない。」と。そして、武力で押さえることができたとしても、その攻撃した方の「怒り」が解消されたわけではないので、しばらくすれば同じことがまた起こる。そう簡単な話ではないとは思うけれど、怒りの原因に目を向けて解消しようという努力がない限り断ち切れない負のループなのだと思います。

話は大きくそれたので、戻します。

「壊す」という行動はどう語られているのか?

「あらゆる創造活動は、まずなによりも破壊活動である。」というパブロ ピカソの言葉にもあるように、創る事と壊す事は表裏一体。切っても切れない関係なのだと思います。

また、子どもの発達の本などには、
1歳・2歳のうちは特に壊す行為を楽しんで行う(積み木を壊す、おもちゃを全部出す、ぐちゃぐちゃにする等)、その後に創造的な力が伸びると書いてあるものが多い。

けれども、現在は、子どもが自由に遊ぶ環境が限られていて、十分な「壊す」遊びをやっていない事も多く、私の感覚では、小学生になったって、壊す遊びを楽しむ子どもは多いです。思いっきり壊す(ぐちゃぐちゃにする)って楽しいですからね。

今年、「もっさんの工作教室で、過去イチおもしろかった!」と子どもにお褒めいただいたのは、壁面絵の具遊び。筆やローラーで描いていたのが、だんだん手で描き始め、ゴム手袋に絵具水を入れて壁に投げつける絵の具爆弾まで発明して、みんな絵の具でぐっちゃぐちゃ。でもとても満足した顔でした。
また、教室終わりの子どもだけの鬼ごっこも、毎回汗だくで飲むお茶もなくなるくらい夢中で暗くなるまで無限に走り回っている。聞けば、ここまで走り回れるのはここくらいだと子ども達が言う。
子ども達の力が発散しきれていないのは、明らかで、「壊す」は置いといても、まずは思いっきりやれる場所をどうにか作れないかと思います。

今年から始まった幼稚園でのアート活動でも思うところがあります。
特に年少さんの子ども達は、1,2歳にありがちな「壊す」遊びをまだまだ楽しんでいる子ども達が多いという事。
というのも、彼らは生まれてすぐコロナ禍で育った子ども達。子育て支援センターや保育園などでも、消毒の為おもちゃが限られていたり、外出制限や、時間や人数制限のある中、なかなか自由に思い切った遊びができない赤ちゃん時代を過ごした世代。壊して遊ぶ経験が、極端に少ないのだろうと予測します。

小学生を見ても、幼稚園の子ども達を見ても、「創る」活動の前には、「壊す」活動を通過する必要があるように思います。
「壊す」⇒「創る」、しかも思いっきり楽しく。
そのような環境が本当に必要なのだと。
沢山の大人たちが理解して、そういう場所を作っていかないと、本当にギリギリ危ないところまできている気がしてならない。
どういう遊びを繰り広げれば、子ども達の力が育つだろうかと言うのを、本気で考えていかないといけない。


まだまだ付け加えることもあるかもしれないけれど、ここまでが今思う、こどもの「壊す」にまつわる環境や原因など。とりあえずメモしておきました。

ストリートライブで「投げ銭」をいただくような感じです。 画材や工作材料・研究、イベント出店費などに充てさせていただきます。間違えても、お菓子なんか買いません(笑)!