声
こそがコミュニケーションの原始的なツールである。
声は空気を振動させる、
そして相手の鼓膜を震わせる。
そのトーンや内容で相手の感情を読み取ることができる。
コミュニケーションツールは増えた。
メール、LINE、twitter, Facebook
インターネットが発達して、さまざまなツールが登場した。
電話ではなくメール、twitterでのやり取りによって
好きな時間にやりとりできるようになった。
しかし、弊害も出てきている。
誤解だ。誤った解釈。
スマホ画面にあるのは、文字つまり記号。
記号は視覚情報として認識される。
スマホの画面にある文字は、その人の感情に関係なく
同じフォントで表示される。
そこに発信者の音声は存在しない。
このブログを書いている私の音声ではなく、
受け取った人の心の声で認知される。
実は泣きながら書いてたりして?笑
つまり、文字は記号である限り、受けてのバイアス(偏り)がかかってしまう。
「死にたい」誰かのツイートを見たとする。
本人はふざけてツイートしたのかもしれない。
しかし、その文字を見たほかの人はそれを間に受け心配するかもしれない、
こんなとこでそんなネガティブな言葉を吐き出すべきではないと批判的になるかもしれない。
絵文字をつければいい。というかもしれないが、
どんな感情でツイートしたかは本当に確かめることは出来ない。
言葉は
時として誤解を生む。
声は
時として誤解を解く。
声は誤解を超える。
こえだけに。
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