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流動

昔、お気に入りのカップを夫が割ったことがあった。というか私のお気に入りの皿は夫が片っ端から割っていく。なんなん?
通っていた絵画教室のマスターの友達が美術教師で、マスターのカフェで何度か顔を合わせていた私はその方に「先生、金継できませんか?」と相談したことがあった。金継そのものは厳しいが、それっぽいことはできる、ということで割れたカップを預かってもらって、後日美しく修復してもらった。お代はコーヒー1杯分でいいよ、と言われて、マスターのところでお茶した。

その後、自分でも金継できるのではないかと勘違いした私は、なんちゃって金継セットを注文し、夫が割った皿をせっせと修復していたが、最近は忙しくて手をつけられていない。美術の先生は金継の依頼をもらうようになったのか、喫茶店の割れたカップを美しく修復している。

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夫が成長している。単純に凄いなと思う。
夫は昔から人や会社の愚痴を言わない。言うなら「どうすればより良くなるのか?」というポジティブな視点であり決して悪い言い方をしない。ほんの少しの愚痴も言わない。他人を買い被ったり、見誤ったりもしない。いい意味で誰にも何も期待していないし、自分一人で成し遂げるポテンシャルがある。すげぇ器用な生き方してるなと思うが、それは計算ではなく本能的なもので、もちろんそこには色々な葛藤があるんだと思う。例えばめちゃくちゃ人見知りなのにたくさんの人に愛されているという矛盾。当初から私を自分の飲み会にも連れて行きたがるのは私が飲みの席でめちゃくちゃ喋るから気持ちが楽なんだと思う。
でも本当に、夫にすごく良くしてくれる上司ばかりで不思議なんだよね。結婚式の時だったか、夫に手紙を渡してくれる上司がいた。手書きで。嫁側ならわかるけど。なかなかないよね。私も飲み会に連れてってもらって、本当によくしてもらったというか、夫の幸せを心から喜んでいた。
そういう人たちが、夫の今後について真剣に考えてくれているところで、有り難い限りなので私は背中を守るのみだ。なのだが、その裏で私は彼の要求をなるべく受け入れて心地よく生活してほしい気持ちはあるものの、私にだって限界はあり、というか既に日々、もう無理どすえ〜!と思いながら生活していて、そもそも夫よりはるかにポテンシャルが低いので大した家事も子育てもできず、自分なんていない方がすべてうまくいくような気がしてしまうのがいつだって自身の鬱期のはじまりである。
私なんていない方が役所から手当とかもらえるし義母は料理うまいし面倒みてくれるし、保険金降りるし幸せじゃん、夫はイケメンだから若い女と再婚すりゃいいじゃん、私の両親は私が消えたところで別に何とも思わないよ、そういう気持ちになるともうだめだね。どこにも必要性なんてないね、なんで生きてるんだ、って思うけど、子どもたちが「ママ!ママ〜」って、どんなにこっぴどく叱っても「ママとねんねする。ママぎゅー。パパあっちいって」とか言うんですね。
どうして私は半径5メートルの生活の中から幸せを噛み締めることができないのか、そういう葛藤とともに生きているけど、まぁ〜人間育てるって大変だよ。大変ですよ。。朝から2人食べさせて全然食べなくて着替えさせて着替えなくて泣きじゃくる子ども2人抱えたり引きずったりして登園させたりさせなかったりして。ギャン泣き後追いエケチェン宥めてるうち秒でお迎えの時間、帰ってきた上の子にジュースついで持ってくあいだに下の子がすっ転んで泣いて、それを宥めてるあいだに上の子がジュースひっくり返し、それを掃除してる間に下の子もジュース欲しくてギャン泣き、掃除して下の子にジュースあげたら上の子が、下の子が、上の子が、下の子が、気がつけば1時間くらい経ってて私のカップラーメンはブヨブヨのスライムみたいになってるし。何これ!?クソ不味!!

そういう生活がこれからも続くあいだに夫はどんどん偉業を重ね、たくさんの人に背中を押されて新天地へ旅立ち、お金を稼ぎ、地位を手に入れるでしょう、その間私はこぼれたジュース拭きまくるも一銭ももらえず、働けばいいのに生活リズムが調整できず、夫は家にいてほしいのでそれを押し除けてまで外に出て偉業を達成できる自信もなく、不器用に生きるわりに手先はなんとかなるので穴が開いたパンツを縫いあわせて暮らす。せめて中央に開いててくれれば効率的なんだけど…何が?何の効率??おしっこですよ。おしっこ。そういうことで。

何の話をしているんだろう。夫の成長には妻の支えと破れたままのパンツがあることを忘れないでいただきたいですね。買い物行きたい。買い物も行けてない。パンツ通販で買うのってどうなんだろう。みんなパンツ通販で買う?

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久々に下の子の子育て支援プレに復帰した。みんなに「元気だった!?」「心配してたよ」と声をかけられて泣きそうになる。事情を説明すると(子の不調)、どうすればいいんだろうか?と皆で考えて知恵を出し合ってくれる。ひぇーーーーん。別に結論出なくていい。ずっと塞ぎ込んでたから、親身になって考えてくれる保育士さんやママたちの横顔が眩しい。「いつだって電話してきてよ。孤独のまま過ごすのよくないから」と言われて、ありがたいやらどこまで頼っていいのやら。「どうかママも元気でね」「会えてよかった。また会おうね」「無理しないで」と声をかけてもらったけど、なんなら普通に来週くるからね。今生の別れみたいな流れだけど。来ますからね。ぜんぜん居ます来週も。

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お茶しようよ!と声をかけてもらうことがここ数日でめちゃ増えた。多分偶然なんだけど。自分の住んでいる世界にもこれだけ味方がいるんだって確認できる、それだけで心強い。

地元の消防署に務めるお友達と、絵画教室のマスターのお店でお茶した時、私が参加した合同誌をぱらぱらと手にとってくれた。「これ何?なんて読むの?イノシシ!?なんで!?まぁ確かに君は猪突猛進だね、わかる」と言ってもらう。この方は登山で出会った。もう12年くらいの付き合いになるらしい。もうそんなに経つの?こわすぎる。親と同い年なんだけど経歴が凄い。私のことを「友達」と呼んでもらって友達として扱ってくれる。不思議と歳の差を感じない。
その時一緒にお茶した同級生の友達は、私がいちばんしんどかった時、よく一緒に煙草を吸った。コンビニのコーヒーを買って、夜の海を見たり、その辺の駐車場で「生きてんのつれー」みたいな話をした。一方で、市を宣伝するボランティアのような活動も一緒にしていた。

たまたまその日、やはり同い年の女の子の画家さんが来ていた。海の水平線のような作品を描く作家さんで、しかし私は単純に同い年の友達、という感覚で、一緒にメイクの話をしたり、仕事のこととか、ちょっとした恋愛話とか、なんでも話せる女友達って感じだったので、約束なしに会えるのが嬉しかった。というか約束なしに会うほうが多いような気がする。決して近くに住んでるわけではないが、なんとなくマスターのお店で、ふらっと合流して、別の作家さんの絵を眺めながらお茶したり、私の下ネタにみんなを付き合わせたりする。
そういう場所って大事にしたいよね。

来週は夫の従兄弟(私の中学時代の先輩)家族に会ったり、幼稚園のママ友たちがわが家に集合してお茶したり、その後もちょこちょこイベントが増えてくる。半径5mの世界に触れて大切なものを見つめ直す時期。


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