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山本太郎研究 支持者像についての証言

加藤文宏


はじめに

 当記事は[山本太郎研究]全4回の後日譚だ。
 昨年(2023年)の春から初夏にかけて、山本太郎と山本支持とは何かを解明すべく記事を書いた。閲覧数が静かに伸び続けたおかげで、さまざまな方から多様な意見が届いた。これらのなかには山本支持者もいれば、元支持者もいた。家族や身近な人物が支持をしているという人もいた。
 今回は家族や周辺にいる人々と、かつて山本に投票した人の証言から、支持者とはどのような者たちかを考える。


正義感と頑固さ

 数名の証言だけで決めつけるのは危険だが、家族や周辺の人々が語る支持者の人物像に共通するのは独自の「正義感」と「頑固さ」だった。
 こうした傾向は、2011年7月に山本が佐賀県庁へ侵入した経緯を肯定するツイートにも現れていた。

「行動する男は尊敬します」
「熱い男だなぁ。歳が近い分、共感する面もある」
「すでに3000人以上がツイートしてるけどね。感謝の意味こめてね」
「私も山本太郎と一緒に佐賀県庁に殴り込みに行きたかったです」
「あなたの佐賀県庁の前で取られた勇敢な反原発の行動に拍手喝采したくなりました」
「心の綺麗な人は彼の行為が正しいとわかると思います」
「太郎、頑張れ!俺もますます尖って闘ってやる」

佐賀県庁侵入の報に言及したツイートから

 前掲のツイートでは、知事に面会して要望書を手渡すことが再稼働を阻止する手立てとして効力を持ち得ない問題点が無視され、山本の実力行使がひたすら高く評価されている。そして高い評価に自らの正義感が投影されている様子には、山本への憧れだけでなく自画自賛の気分が含まれている。
 これは支持者の自尊心と山本やれいわ新選組が一体化しているのを意味し、とうぜん政治性について頑固になる。だからだろうか、支持者は身近な人々に山本やれいわ新選組を少しでも批判されると、面目を潰されたときと同じ怒りかたをするという。
 国や自治体が自粛を求めるなか、山本は能登半島地震の被災地に入って批判された。このときの支持者の反応を、山本の話題をめぐる家族喧嘩とそっくりと語る人がいた。感情の起伏がはげしく、相手の考えや立場だけでなく人格まで否定しようとして、自己正当化のためなら事実を歪曲する──とかなり手厳しい指摘もあったが、これまで私たちが幾度となく目にしてきた光景と共通している。


苛立ち続けている支持者

 山本は幾度となく劇場型パフォーマンスを繰り返したが、政治活動を通じて何ひとつ実現していないことを、[山本太郎研究]の第1回であきらかにした。このため支持者には苛立ちが潜在し、この苛立ちが家庭での家族喧嘩や、ネット空間での発言となって暴発している。山本に自らの正義感を投影して自画自賛の対象にしたいのだから、苛立つのは当然だ。
 与野党の関係を、政権与党の自民党が議席の過半数を占め、野党第一党の社会党が半分以下の議席数だった55年体制までさかのぼってみよう。この時代も、野党が支持者の期待を必ずしもかなえられなかった点では、山本やれいわ新選組と変わりない。
 政治学者のジェラルド・カーティスは「テンミニッツTV」のインタビューで、今の野党は55年体制時と比較して、自民党を止めるブレーキ機能がないと指摘したうえで、当時は「野党が国民に人気のあることを提案すると、自民党はそれを自分たちの政策にして」いたと語っている。
 また政治学者の田中愛治は論文「国民意識における五五年体制」で、世論調査の結果と1970年代のGNPの伸びから、当時は生活への満足感が高く、豊かさを守るため選択肢として自民党しかあり得なかったのではないかと類推している。
 野党に自民党を止めるブレーキ機能と提案力があり、故に提案を受け入れていた自民党。しかも1970年代以降は楽観的な気分が日本を支配していた。このため、必ずしも野党が望む通りの結果が得られなくとも、たとえ苛立ちがあったとしても、現在の山本太郎支持者の心理ほど鬱屈がなかったのかもしれない。
 山本とれいわ新選組は「劇場型パフォーマンス」を繰り返すばかりで提案力に欠け、国会の議論とまともに噛み合うことがない。このため支持者は、同党が結党されてから約5年間、苛立ちが増す悪循環に陥ったまま救われない日々を送っている。


得るものなき支持の行方

 元山本支持者の女性から話を聞いた。
 彼女が山本を支持したのは、2013年に実施された参院選の頃で、彼の政見放送を「なんとしても見たい」とテレビの前に座った思い出から証言ははじまった。

 反原発デモが盛り上がり、世の中が大きく変わると感じて期待感が大きかった。期待が膨らむと同時に政治への関心が高まって、急激に知識を得たつもりになっていたという。
 「山本太郎のどこがよかったかといえば、あの頃は若さがあって、自分たちとシンクロするものが多かった。政見放送の『みんなの声を山本太郎が国会に伝える』という言葉に感動したし、いまだに忘れられない。山本太郎が喋っている言葉は、ぜんぶ自分が言いたいことだった」
 だが、いま彼女は山本に失望している。きっかけは2015年の焼香パフォーマンス(葬式パフォーマンス)で感じた不信感だった。
 山本が参院本会議に喪服姿で出席して焼香の真似をすると、山崎正昭参院議長から厳重注意を受けただけでなく、同じ生活の党(当時)だった小沢一郎からも叱責されて謝罪した。
 「あっさり謝罪したとき、イキって教師を馬鹿にしていた子が急に優等生ぶったような嫌な感じがちらっとした。しばらく支持者だったと思うが、この人は派手なことをするけれど、何も実現できていないし、実現しないのにころころと新しいものに手を出すだけではないかと感じた」
 このときは不信感を言葉にできなかったが、筆者の[山本太郎研究]を読んで過去の自分を整理できた。
 「政治家を支持したら、ひとつくらいは願いがかなう。働けば、お金がもらえる。山本太郎を支持しても、なにも手に入らない。みんなが夢からさめたとき、どうなるのだろう。怖くなる」
 支持者が見ている夢は、スローガンにもなっている「山本太郎を総理大臣に」であるだろうし、支持者にとっての正義が勝利することであり、彼ら自身の勝利だろう。そして、このとき苛立ちがすべて解消されるはずだ。
 しかし、よほど変革がなければ山本とれいわ新選組の支持者は増えず、夢は実現しないだろう。支持固めに有効だったカタルシスのないパフォーマンスが、苛立ちを掻き立てるだけだったと自覚されたとき、支持者は幸福なエンディングを求めてどこへ向かうのだろうか。
 私も、怖さを感じる。


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