「鎌倉のマリ」創作ノート① 偉くない「私」が一番自由

今週末に、私の書いた新作『鎌倉のマリ』が上演される。
この作品は、上演団体である鎌倉アクターズワークショップさんの企画している、鎌倉の場所、人、もの、歴史や物語にちなんだお話をベースにお芝居を創り上演していく「鎌倉歳時記 夢十夜」というシリーズの第一作目だ。

鎌倉という土地は日本の歴史の舞台として、それこそ有名どころな場所や文化遺産がゴロゴロしているし、鎌倉ゆかりの有名人にもことかかない。誰を、何を、どこを取り上げるか。悩んだ末に、私はロシア語同時通訳の第一人者で、エッセイスト、小説家、コメンテーター等で活躍された米原万里さんへフォーカスすることにした。
米原万里さんは晩年を鎌倉で過ごされ、犬猫ら毛深い家族たちと生活を共にした後、今もその土地で眠られている。
生前は著名な文化人だったが、例えば源頼朝とか義経とかのように、歴史の教科書に載ったり大きく名前が残るような人ではないと思う。鎌倉という土地の大きさや日本史で活躍した偉人たちに比べれば、小さな一個人だ。
大きな物語や人にことかかない鎌倉、というキーワードから、私はどうして彼女のことを書こうと思ったのか。鎌倉歳時記の執筆のお話を頂いてテーマに悩んでいた時に、ふっと心に浮かんだのだ。
「ああ、鎌倉には米原万里さんがいた。彼女に関わる物語を何か書いてみたい」

私はもともと彼女の著作を読んでいて、軽妙で辛辣なエッセイや、熱量溢れるのに後味に哀しみが残る小説のファンだった。もし、今米原万里さんが生きていらしたら講演会とかサイン会とかに通ったと思うし、ファンレターも書いたかもしれない。話をしてみたかったと思うけれど、実際にお会いしたら恐れ多いやら怖いやらで、とても話しかけることなんてできなかっただろう。
残念ながら米原さんはご病気で若くして亡くなられてしまったので、私はもう会えないし、話をすることも出来ない。だけど彼女の著作や近しい人の思いで話を読んだりすると、話をしたり実際に会うのとは違ったかたちでの交流が、亡くなられた米原さんと、今生きている自分との間で生まれている気がする。たぶん、全国に私と同じように感じている米原万里さんのファンや読者がいるだろう。

その、目には見えない交流。国とか伝統とか歴史の前には目に見えぬ小さな点のような一個人。「偉くない私が一番自由」と書いて亡くなられた米原万里さん…。
鎌倉という土地が大きいからこそ、その土地で生きる、えらくもなく大きくもない高校生マリの目を通じて、それらを見える形に書きたいと思ったのだ。

鎌倉アクターズワークショップ秋
鎌倉歳時記夢十夜【第一夜】
『鎌倉のマリ』
作/モスクワカヌ(劇団劇作家)  
演出/高森秀之

初めまして、私は鎌倉に住んでいる、鎌倉マリといいます。今高校3年生ですが、図書室登校をしていて、その図書室で、米原万里さんの本に出会いました。

日時:10月
18日(金)19時  
19日(土)12時 15時 18時
20日(日)12時 15時

場所:
鎌倉アクターズワークショップ 富士見スタジオ
〒247-0061 神奈川県鎌倉市台1143
(最寄り駅 湘南モノレール富士見町駅徒歩3分)

チケット:
(前売り)2500円
(当日券)2800円
(全席自由)※開場は開演の15分前

【お問い合わせ】
(E-Mail)k_actors@yahoo.co.jp

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