元木 一人【2分で読める短編】

2分で読める小説。カーテンコールのない舞台、それどころか上がることのない幕を前にしてい…

元木 一人【2分で読める短編】

2分で読める小説。カーテンコールのない舞台、それどころか上がることのない幕を前にしている。 @mot_hit

最近の記事

【短編】パズル

A君はいつも短いズボンだった。 真冬に雪が積もって、午前中の授業が「特別に外遊び」になって雪合戦やら雪だるま作りやらで校庭が全校生徒の自由形運動会になる日も、太ももの途中から靴下の始まりまで素脚だった。私は教室から一人でみんなの雪合戦を眺めていた。途中で先生がやってきて、「あら!外に行かないの?」と聞いた時になんと答えたのだかは忘れてしまったけれど、その時に自分はA君みたいだなと思ったことを覚えている。 A君は運動会にいつも参加しなかった。「ご家庭の事情」と先生は説明した。よ

    • 片靴拾い

       帰り道、同じところに同じ物が落ちている。駅から家まで歩く途中、河原の土手の遊歩道の、ちょうど真ん中あたりにぽつんとある。供え物の類ではないのが明らかなのは、片方の靴だからだ。正確には同じ物ではなくて、毎日違う種類の靴が、道を歩いていてそのまま脱げたみたいに「明日天気になあれ」の「晴れ」の形で落ちている。子供の靴だったり、女性物のサンダルだったり、ビジネスシューズだったりする。  ある日、俺はそれを拾ってしまった。その夜は酩酊していた。元より酒の強い方ではないのに、客の残

      • 公園の墓場

        穴を掘っていた。埋めるものはない。スコップごしに芝生がぶつぶつとちぎれる感触。夜、公園の広場には誰もいない、隅でピンク色のボールが照明にてらてらと光っている以外には。ただ掘って、柔らかくした土を戻す。薄着なのに汗が流れる。汗疹ができてしまうだろうがタオルは持っていなかった。遠く国道の方から男たちが通りすぎる陽気な声がする。 翌日、子らがやってくる。がふがふと犬のように走り転げている。 「これ!」 一人が立ち止まる。 「なに」 「山?」 「土だね」 「もぐら塚じゃない?

        • 【短編】雨男

          「そいつはね、水たまりを飲むんだって」 澤田君は、ニヤニヤしながら容子と私に言う。 「でね、その男がすすっている時に水たまりを踏むと、踏んだ人が飲まれちゃうんだってよ」 「誰かが近くにいる水たまりを、わざわざ踏まなくない?」 容子が言い返す。 「踏むまで見えないんだって」 「ご都合主義!」 「塾の奴がそう言ってたんだ」 容子はどーでもいー、と言って席を立ってしまった。私はもう少し詳しく聞きたかった。 「その雨男って、人間なの?」 「そんなわけないだろ。人間みたいに見える

          僕たちは違う言葉で同じことを話していた

          僕たちは違う言葉で同じことを話していた 同じことを話しているのに 言葉が違うからそれを知らないままだった 音楽でさえそうだった 彼らの鳴らす音は彼らにとって心地よさそうで 僕たちは黙って耳をふさいだ 彼らは赤を愛し、僕たちは黄色を好んだ それでも望みは同じだった 同じ望みを持つことは時として僕らを結束させ 彼らと僕たちに諍いは絶えなかった そのうち僕たちと彼らは僕たちと彼らの子供達を生み 子供達は違う分け方で僕たちと彼らを分けた 子供達は紫や緑を好み

          僕たちは違う言葉で同じことを話していた

          【超短編】命令形

          死ね、と誰か、その他大勢のひとりが言った。男は俯いていて、女はその男を睨みつけていた。身動きの取れないくらい混み合った電車の中で、どうやったらそんなにスペースが作れるのか、男を取り押さえる男A男B、女が小さな円の真ん中にいる。 「この人が触ったんです」 女は鋭く男を断罪する。車内の空気は憎悪に膨れる。男は膝をがくんと折るが、ABによって立ったままだ。 「おい、ちゃんと立て!」 Aが男に言う。男の膝はゆらゆらと揺れる。 死ね、とまた先ほどと別の声が言う。 だが、男はその命令系の

          食事

          「うまそうな店を見つけてきた」 と帰ったばかりの父が揚々と話し始めた。母ははにかんで、父の話に、あらびっくり、とか、それはすごい、とか、さすがあなた、とか父の気分を害さない絶妙な相槌を打ちながら、おそらくはしっかり頭の中でその店について吟味した結果、 「いいわね、行きましょう」 と言った。 僕が大人になってからは、食事はそれぞれで取る、という習慣ができていた。好みも違うから、必然とも言える(母は鮮度重視、父は濃い味が好きで、僕は繊細さを大事にした)。大人になってみて、生きて

          【超短編】奇跡

          確かにその光景を目撃した。吉谷さんは目の前で、ペットボトルの水をコーヒー色に変えて見せた。種も仕掛けもわからない素敵な手品に拍手を送ると、吉谷さんはため息をついた。 「信じてないんでしょう」 「すごいよ、どうやってやったの?」 「この水、飲んでみて」 吉谷さんは先ほど店員が置いたグラスを示す。ペットボトルの色水の方を飲めと言われるかと内心穏やかではなかったので、話がわからないなりに安心した。 「なに?ここの水がすごくおいしいとか?」 「いいから。ゆっくり、半分くらい飲んでみ

          【超短編】許されている

          「それ、もしかして」 カウンターで隣に座った若い女は不躾に尋ねる。 「コーヒーだよ」 女は目を見開いた。 「まさか。初めて見た」 「飲んでみる?」 初めは煙草だった。次に酒が嗜好品禁止法の対象となり、数年後にはコーヒーと砂糖が禁じられた。元々国内での栽培は少なく、国内産の蒸気茶葉煙草やヘルスケア甘味料へと移行したため、医療費の削減による莫大な国益となった、と教科書には載っている。目先の税収より国民の健康を選んだ優良政策だと言われているが、反対勢力も大きかった。減衰の一途だっ

          【超短編】許されている

          【短編】都落ち

          「みやこおちしようよ」と柚木が言った。ちょうどミュージックステーションが終わって、あのトゥルルルーというリフが流れて、目当てのバンドはトリではなくて初めに出てしまった後だったことが発覚した瞬間だ。 「いいよ、でも都落ちってなに?」 「そのままの意味だよ」 「だからそれどういう意味?だってここみやこじゃないでしょ」 「いいからいいから」 柚木が車を出した。二人してスウェットのまま。どこまで行くかはわからないけど、大体わかることの方が少ないし、柚木は説明不足な人だ。 「聴け

          【超短編】春の窓

          破裂音がした、風船が割れるより軽い音。手元の本からだ。窓から見下ろすと広場では大人達が焚き火をしている。本を燃やしているのだ。何も禁書なわけじゃない。読まねばならないという強制力へのデモンストレーション。僕の本はその暴力に対して抗議の音を立てている。 「まあ落ち着けよ。あいつらが燃やしているのは古典ばかりさ」 彼はまだパチンパチンと不満を表明する。彼に描かれた主人公は激昂して想像を絶するオノマトペ(もさきゃ、しあね、ぺいん)に埋もれていた。 「君のしていることもあいつら

          【遊び短編】果汁100%

          絶対に、誰にも言わないでくれよ。幸田さんのことだ。サークル内で唯一、お前は人が傷付くようなことをしない人間だって信じているから言うんだ。 幸田さん、手袋してただろ。あれ取ったところ、お前は見たことある?俺も今までなかった。変だとは思ってただろ?肌が弱いって言ったって、何もメロンパン食う時まで白い手袋してるなんて、考えてみれば妙だった。まあ人間いろんな形の弱さがあるもんだし、ここには触れないでって言われてわざわざ掘り下げるほど仲良くもなかったから、何も言わなかった。 でも偶然

          【短編】イーゼル

          夕闇に消えたのは、影だけではなかった。一緒に歩いていたはずの古谷が、いなかった。通り沿いに点々とある電灯はまだ点かない。恵比寿から中目黒に向かって歩いていて、途中にあるビストロがうまいという話をしていたはずだが、そのビストロの前で立ち止まって「ここ?」と振り返ったら、もういなかった。というか、それなりにいたはずの歩行者はみんないなかった。見える範囲の駒沢通りに、人が歩いていない。こういうことはよくあった。気付くと一人になっている。 「おーい、古谷ー」 一応声に出して呼ぶが、や

          【短編】箱庭

           高校の社会科研究室には、箱庭があった。ある先生が自分の机の脇にもう一つの研究机を置き、そこにブルーのシートをかけて、どこかの砂漠か鳥取砂丘かから持ってきた砂を敷いて、「誰でも、いつでも作っていい箱庭」にしていた。隣には腰くらいの高さの飾り棚があり、飲料のオマケの小さな人形だとか、生徒からもらった世界各地の小さな土産物だとか、百円ショップで売っているような小物だとかが並べてあった。  その頃暗くじめじめとした小説ばかり読んでいた私を腫れ物のように扱う代わりに明るく「よお文学少

          【短編】リリーとチェリー

          隣の村田さんが飼っていたチェリーは、よく吠える中型犬だった。同じ中型犬でも、我が家のリリーはずっとお利口で、境界に張られたフェンス越しに吠えられてもつんとして構わなかった。母はうるさいね、と言ったが、小学生の私はチェリーのことをそれほど嫌いにはなれなかった。黒いくりくりとした目で、三日月型のしっぽを振りながら私にわおんわおんと吠える姿は愛らしかった。リリーは雑種でシルエットは柴犬、緑の目で、毛は赤茶色にところどころ黒が混じり、腹としっぽの先だけが白かった。チェリーの耳は垂れて

          【短編】リリーとチェリー

          【短編】波の管理人

          メイは泣いていた。私はそれに対して何も思わぬよう心のゆらぎを調整する、人工の波を起こすプールの管理者のように。そして何も言わない。ただ泣いている彼女を見ている。私のコーヒーカップはとうに空で、彼女のコーヒーは置かれたきり冷めていた。 理由らしい理由は確かにあった。失うということに対する生理反応。 彼女が失くしたものは恋人でも親でもなければ、自信でも、巨額の金銭でもなかった。彼女が失くしたのは彼女自身だった。彼女は自分の中に自分を仕舞いこんでしまった。昔読んだ本に出てきた、中