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人生山あり谷あり という思い込みとスリコミ


明けましておめでとうございます。
実家に帰らない年越し。コロナのせいというわけではなく、大雪で帰れなくなりそうだったのでジッとしてました。

せっかくだからと模様替えやらなんやらをひとしきり終え、
桃鉄を大学の研究室メンバーでやろうやなんて話していたところ、
雪による通行止めで後輩が1人不参加に。残念である。

いよいよやることがなくなってきたので昨年ふと気づいたことを書きたいと思います。

サラメシ フカヒレ

会社の食堂にはテレビがあり、決まった曜日にはサラメシが流れている。
色彩豊かな日本全国津々浦々の優雅なお昼ご飯を、おいしくもマズくもない社食を食べながら観させられるこの時間はいったい何の嫌がらせなんだと思うそんな昼下がり。

とあるプロ野球選手が通っていた中華料理屋。
大事な試合の前の昼ご飯には、決まってここでフカヒレを食べていくんです。今日はそんな彼を偲びたいと思います。中井貴一でした。

誇張もなにもない落ち着いた、そんな放送でした。
ちょっと衝撃を受けたんですよね、ああ自分にはそんなことはできないなと。

お金の話ではありません。
大事な試合の「前に」フカヒレを食べるなんてことが自分にはできないと感じたんです。

こんな風に考えるようになった出来事に心当たりはあります。
中学生の頃の部活での失敗です。

これの影響は間違いなく大きい。
でもこれだけではないんだと最近気づきました。
世にも恐ろしい「スリコミ」をされていることに。

本気ならアシックス

まず中学の陸上部での失敗です。

県大会出場を決める大事な大会でした。
当時中2の私は先輩のリレーチームの3走でした。
100mが特別早いわけでもなく、特段遅いわけでもないわたしは、2年の主力チームではなく、補充に近い形で先輩チームに選ばれていました。
といっても3年先輩チームが弱いわけでなく、むしろ個人では中国大会、全国大会の常連のような実力を持つ猛者たちです。今になって思えば、なぜ私はあのチームにいたのでしょうか。

苦もなく決勝戦まで進み、3年チームは勝って当然という空気でした。リレーの勝敗で部の総合優勝もかかっています。

しかし失格になりました。

2-3走でバトンゾーンを超えたからです。失格です。総合優勝を逃しました。自分のせいで。

こんな思い出は後にも先にもありません。
他人を思いやれる人間であれ、人様に迷惑をかけるな。
夜中にバイクをブンブンうるさい奴は事故ってしまえばいい。

そんな風に思っていた、自分のせいで、失格?

信じられない思いと許せない思いとなぜこうなったのかとグルグルしていました。楽しいやおいしいといったハッピーな感情はまるで無くなったかのようでした。
部をやめることも考えましたが、なんやかんや続けることができ、その年の県総体では、もう一度同じメンバーでのリレーに選ばれました。

県総体最終日、リレー決勝戦です。再び優勝のかかった大事な場面です。
わたしは出来るだけ、とにかく質素に暮らしました。それさえうまくいけばいい、何もいらない、贅沢は言わない、一生のお願いだ。うまくいってくれ。

願いは叶い、バトンは繋がれ、部は優勝しました。
どん底の日常がようやく色付きました。

そして幼い私は確信しました。プラスに転じるためにはマイナスが必要であると。人生は山あり谷ありなのではなく、山のために谷があるのだと。

それゆえに信じられなかったのです。
大事な試合前にフカヒレを食べるなんて、ありえない。
もしうまくいかなかった時、あなたは自分とフカヒレを責めるんですよ?

映画「Red」

サラメシショックから数日、ある映画を見ました。

夏帆が出ているということで見た映画「Red」だったんですが、ここでとある気付きを得ました。

あらすじとしては、
恵まれた家庭の主婦業にウンザリしていた夏帆、そこに昔の男が現れ、さらに再就職の話があり、恋も仕事もハッピーと浮かれていた矢先、子供が思わぬケガをしてしまい、しまいには家庭崩壊の危機に・・・
みたいな話でした。

スキップしてました。もう絵にかいたようなハッピーから、アンハッピーでした。ズーンと暗い画面が続きました。

ああやっぱりな、浮かれたらこういう良くないことが起こるんだ。
と、私の人生哲学と照らし合わせてニヤニヤしていたところ、いや待てよと気付きました。

こういう場面多すぎない?

ということに。
古くは巨人の星、星飛雄馬のクリスマスパーティー。

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浮かれトンチキでパーティーを開いたら誰も来ませんでした。


コードギアス、ルルーシュとユーフェミア

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「例えば、「日本人を殺せ」って言ったら、君の意思とは関係なく・・・」

何もかもうまくいっている。人生薔薇色だ!なんて場面の次には絶望の淵に立たされる。ハッピーな場面のその裏では、黒幕が動き出す・・・

なんて展開、アニメにもドラマにも漫画にもありふれすぎて枚挙に暇がありません。

子供のころから、テレビで数々の物語に触れてきたと思います。
絵本アニメ漫画ドラマ映画、媒体は問いません。
起承転結あるもの、そのほとんどに、浮かれトンチキからの暗転、その逆で絶望からの大団円、といった展開が存在するのではと感じました。

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「とりわけ最も効率がいいのは、第二次性徴期の少女の、希望と絶望の相転移だ」


幼少期から刷り込まれる、浮かれていると足元をすくわれるぞ痛い目を見るぞという、悪意なき無意識の思い込み。
(実際そうかもしれないけれど)

この刷り込みは大いに、少なくともわたしには多大な影響を与えているのでは、としみじみと気付かされました。

ハッピーにはアンハッピーが必要なのか?

しかし、結果論にすぎない側面もあるかと感じます。
うまくいったら必ずしっぺ返しを食らうかというとそうでもない。
何をしてもうまくいかないときはいつまで経ってもうまくいかない。
試合前にフカヒレを食べようが食べまいが負けるときは負ける。

後から考えれば、あの時頑張ったから今があるんだな。みたいに前向きに考えることでこの仮説は成り立ちます。

で、あればすべては心の持ちようです。
僕にとって、成功するために節制することは、そうすることで失敗に保険を掛けると同時に、ここまでやったんだからと自らを騙し鼓舞するために行っていたルーティンなのだろうと納得しました。


碇シンジ君の未来は

さて今月、すべてのエヴァンゲリオンが終わります。終わるらしいです。
エヴァQではひどい目にあってアンハッピーな碇シンジ君ですが、果たして大団円は迎えられるのでしょうか。
少しだけ希望を感じられる予告を見るに、期待していいような気もします。
しかし、あのエヴァが、はっきりくっきりこれでおしまいおめでとうで終わるとも到底信じられません。楽しみです。


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