新婚旅行のエジプトで死にかけた話

【注】「妻がいてくれたおかげで助かった」が出てきます。苦手な方はご注意ください。「学生時代から付き合っていた」は出てきません。ご安心ください。

平成31年4月15日に結婚した。いつでもよかったから円周率っぽい日付にした。

会社勤めの妻が6月にまとまった休みが取れたと言うので、エジプトに新婚旅行に行くことにした。

エジプトを選んだのは、数学的に意味のある土地だったから……というといい話っぽいかもしれないが、ただ普通のところに行きたくはなかったというだけだ。旅行代理店でエジプトの文字を見た瞬間二人して「これしかない」と思った。

夏がオフシーズンであることはわかっていたが、湿度は低いし日陰に入ればそこまでじゃないやろと思っていた。その予想はある程度は正しかった。

実観光6日間でアスワン→ルクソール→カイロと北上するコースだったが、4日目のルクソールが本当に大変だった。本当に。

5:30起床でネフェルタリの墓へ。朝なのでまだ涼しい(30℃くらい?)。

その後、王家の谷、ハトシェプスト女王葬祭殿、メムノンの巨像を観光。ハトシェプスト女王葬祭殿は日光を遮るものが何もないだだっ広いテラスで、この時点でかなりクラクラ。12:00ごろ。

ハトシェプスト女王葬祭殿

「日陰に入ればそこまでじゃない」というのは正しかったが、その日陰自体が存在しなかったわけだ。

手元の携帯では41℃との表示だったが、聞くところによると46℃とかあったらしい。冷却スプレーを体にかけまくる。

ルクソール市内のレストランで昼食後、ファルーカという帆船に乗ってナイル川西岸から東岸へ。ナイル川の水を少し触る。

カルナック神殿観光。「東京ドーム2個分」とかあるらしいと聞いて絶望感。もう歩けねえ。

カルナック神殿

さすがに限界だったのでツアーから少し離れて日陰で座って休憩した後、後ろをトボトボついていく。このとき歩幅が小さかったのは消費体力をなるべく少なくするため、表情に乏しかったのは、単純に気力がなかったため。

こんなときでも物売りのエジプト人は寄ってくる。いらないよ。目が合うか商品を見ると付きまとわれるので無視するか追い払うジェスチャーをするとよい。

日陰で休んでたら妻がスプライトを買ってきてくれる。ツアー中、水は500ml/日が支給され、こまめに飲んでいたし前日の分が余っていたので量も十分だったが、バッグに入れておくと外気温でお湯になってしまうためやはり冷たい飲み物は助かる。

このスプライトでかなり復活して、残りの神殿観光は楽しむことができた。

ホテルに付いたのが16:00。このホテルが豪華で驚いた。物価の安い国だし、これまでの3泊はクルーズ船だったので、ある程度はいいホテルなのだろうと予想はしていたが、かなり広いプールが中庭にあったのは嬉しかった。

嬉しかったので、水着なんて持ってきていなかったけどわざわざホテル内の店で水着を買って妻と二人で入りに行った。

楽しかった。炎天下でのプールはコタツでアイスの快感に匹敵する。クルーズ船のテラスにあったプールは狭かったから、ここでがっつり泳ぐことができてよかった。何年ぶりだろうと思った。目から耳から鼻から口から大量に水を摂取した。

プールには同じツアーの参加者が他にも5人いて、どういう経緯でエジプトを選んだのかとか、馴れ初めを聞きあったりするのは楽しかった。共通の趣味が数学だと言うと興味津々な目をされた(これはだいたいどこでもそう)。妻は二十代に見られて戸惑っていた。

夕食はホテルではなくルクソール市内のレストランだったので、バス移動で行って食べて帰って2時間ほど。エジプト風ラザニアらしかったがただの茶色い塊であまりよくわからなかった。

20:30ごろにホテルに戻ると妻がとても眠そうにしており、というか寝てしまったので一人で一時間ほどホテル内を散歩して戻る。

妻はまだ寝ていたが、しばらくして目を覚ますと体調が悪いという。吐き気がすごいとのこと。背中を擦ったりしていたがしばらく横になっていたら今度は腹痛。トイレに行っては戻りを繰り返すように。

正露丸は持ってきていたので3錠飲み、寝ていたほうが楽だろうと横になる。痛みに波があって断続的にキリキリするらしい。

様子を見つつ一緒に横になっていたが1:00ごろになって私も腹痛を発症。完全に水そのものの便が何度も出る。しばらく後に3回の嘔吐。

汚い話で申し訳ないが、この吐瀉物がすごかった。なんの固形物も含まない、ただ黄色いだけの透き通ったドロッとした液体が口から出た。こんなものを口から出したのは初めての経験だった。

胃液のような酸っぱさはまったくなく、喉元に苦味だけが残ったのでたぶん胆汁がそのまま出たのではないかと思うが本当のところはわからない。

腹下しの方は、妻とまったく同じ症状だった。つまり、痛みに波があって断続的にキリキリする。二人ともすべてが同じ症状というわけではなく、妻は嘔吐の方はなかった。

その後は二人で交代でトイレに行っては戻って横になるのを繰り返した。

4〜5時頃に一時間ほど寝ることができたが、腹の痛みで目が覚めた。トイレとベッドを往復。

5:30から各自ホテルのバイキングで朝食をとれることになっていたが、とても何かを胃に入れる気にはなれず、集合時間の6:55まで部屋で同じようにして過ごす。

この間に日本人添乗員さんに連絡。今日の観光はちょっと無理かも知れないのでギリギリまでホテルで休ませてもらうなどの対応は可能か、と聞くと一通り心配された後「カイロまでは何が何でも連れ出します」とのこと。確かにルクソールに二人だけ取り残されたらと思うと恐ろしいので、頼もしかった。

集合時間には、症状は一番重かったときよりは落ち着いていた。正露丸さまさまだと思った。

この日は国内線でカイロに移動後、考古学博物館、モスク、バザールなどを回る予定になっていた。屋内が多いのでこのまま調子が良ければ観光できるかもなどと思う。

私達二人がプール後に体調を崩したので、一緒だった5人も揃って体調を崩していると思ったらそんなことはなかった。昨日プールに入った中ではもう一人体調を崩した人がいただけだった。

加えて、プールに入っていないのに腹痛や頭痛などの症状を訴えている人も2〜3人いて、プールの水が原因説は薄くなった。後から思えば、おそらく脱水症状だったのだと思う。

ルクソール→カイロ便の搭乗開始時刻8:25まで空港ロビーで待機。空調が異常に寒い。

この頃から、私の方だけ関節、筋肉の痛みと全身の倦怠感が出てくる。とはいえ妻の方も吐き気は重く、ロビーの椅子で二人して横になる。他のツアー客の方からカリカリ梅を頂いて食べる。

カイロまでは約一時間。立って歩くことはまだ出来るので気力を振り絞って搭乗。機内では妻のほうが症状が重い。ずっと目を閉じている。

カイロに到着。今にして思うとルクソールに留まらずカイロまで到達できたのは本当によかった。

到着後バスで昼食会場のレストランへ。バス内で体調がみるみる悪化。吐き気。

バスからレストランへの道のりで一瞬外へ出なければならなかったが、街中の牛糞の匂いに完全にやられてしまって店内のトイレに駆け込み、3度嘔吐。深夜に出たようなドロっとしたものはなく、水と梅の破片。

当時は知る由もなかったが、このとき妻も同時にトイレに駆け込んでいたらしい。妻がトイレを出たところで添乗員に「旦那さん吐いてるよ」と聞かされたらしく、トイレの外からずっと声をかけてくれていた。唸る程度の受け答えしかできず。

レストランのテーブルを一つ分け与えてもらって妻と二人で休む。この頃には完全に私の方が症状が重くなっており、妻に水を飲ませてもらうなどする。

吐くたびに少しは楽になるため、体調と相談しながら行けるところだけは行こうと思って考古学博物館へ。

だがここで完全に駄目になってしまい、リタイア。妻はモスクやバザールは行けなくてもいいけど博物館だけは行きたがっていたため、一人でホテルに行くから博物館見てきなよと勧めるが、固辞されたため一緒に戻ることに。

エジプト人コーディネーターが一人ついてくれて、13:30ごろホテルに。部屋をアップグレードしてピラミッドの見える部屋にしてもらってあったが、ピラミッドを見る余裕などまったくなくベッドに倒れ込む。

部屋の温度はちょうどいいことはわかるのに異常な寒気を感じる。持ってきていた唯一の冬服を羽織り、それでも寒いので部屋にあった毛布を妻に持ってきてもらって被る。全身の筋肉と関節はまだ痛い。心拍数が高い。息を荒くすることで少し楽になる気がしたのでそうする。額に冷却シートを貼ってもらう。

もし脱水症状なら水分をとって休んでいれば回復するだろうと思い、少し寝ることにする。コーディネーターには待機してもらっていたので、一時間ほど寝てそれでも回復していなければ病院への取り次ぎをお願いすることに。

起きると2時間ほど経っていた。体調、今まででもっとも悪い。

これはもしかしたら駄目かも、と思う。

体中が熱く、猛烈な倦怠感があり、関節・筋肉が刺すように痛む。心臓が激しく動く。息を荒くすると気が紛れる気がする。健康な状態で息を荒くすると単純に疲れるが、この状態ではそっちのほうが楽なのだから不思議なものだ。

自分で満足に動くことができない。顔をあげるのも辛いので横になったまま妻に水を口につけてもらう。水を飲んでも回復する感じはしない。

さっきまで私が大人しく寝ていたので、妻は一時間ほど前に病院へは行かなくていい旨の連絡をコーディネーターに入れてくれていたとのことだったが、やはりこの状況なので病院へは行くことにして連絡してもらう。

コーディネーターはタクシーを手配したとのことで、道が空いていれば20分程で来れるらしい。20分か、と思った。

このころには、半ば本気で死を覚悟していた。熱が特に心配だった。今までなったことがないような体温に思えた。

自分も体調が悪いのにここまで献身的に介抱してくれた妻には「ありがとう」「ごめんね」と何度も何度も伝え、困惑させてしまったが「(今まで)ありがとう」と「(先にいなくなって)ごめんね」の部分を言わずにいたからだった。言えるわけがなかった。

誰に何を伝えていくべきだろうかと考えていた。両親と妹には。友人たちには。ツイッターには。

今死んだとしても、最後のエジプト旅行は楽しかったからまあ幸せな人生だったかな、と思った。

死ぬは大げさにしても、熱が上がりすぎて脳がおかしくなって妻のことを忘れてしまったらどうしようと思ったのでたくさん顔を触っておいた。

吐き気がやってきてくれたのでトイレまでの数メートルを必死で歩き、5〜6回吐く。

深夜に吐いたのと同じ、苦くて黄色い液体ばかりが出た。少し楽になる。

一時間ほど経ってもコーディネーターからの連絡はなく、妻は何度も催促してくれていた。20分と言っておいてその時間を過ぎても特に連絡をよこさないのがエジプト人の心性か、と思った。

一時間半ほどしてようやく向こうから連絡があり、ロビーに来てくれとのこと。

ロビーまでたどり着くと、病院との取り次ぎ専門なのかは分からないがエジプト人コーディネーターが別にもう一人いた。

ロビーでさらに10分ほど待たされる。症状重い。あまり記憶にないが、妻によるともう白目をむいてしまっていたらしい。

エジプト人コーディネーター2人は特に何かをしてくれるような様子はないため、妻が「もうこんなになってるんですよ!」と叫ぶとようやく事態を察したらしく外へ連れ出してくれる。

そのままタクシーへ。とにかく呼吸をたくさんして体内に酸素を取り込もうとする。低い声で唸ると少し楽になる気がする。

病院までは道が空いていれば40分程でつけるとのこと。遠い。

この国には車線の概念……というか交通ルールが運用上存在しない(形式上は、たぶんある)ので、運転手はクラクションをガンガン鳴らしながらガンガン車を抜いていってくれる。

周りでもクラクションは到るところで鳴らされている。「急いでるから道を譲ってくれ」ということを示すための合図としてクラクションが使われているのだった。危険だが合理的だ、と思った。

あとで聞くと20分程で病院にはついたらしいが、後半は記憶にない。ただ寝ていただけかもしれない。ホテルに戻るときにも見た、建設中の大エジプト博物館を再び見た、という記憶はある。

待合室で待たされるということはなかった。そこだけはよかった。なんらかの連絡がされていたのかもしれない。

「Triage Room」というところに通され、エジプト人っぽいというよりはイラン人っぽい見た目の無表情な男性医師にまず「Do you understand English?」とアラビア語訛りの英語で訊かれる。とにかく英語は通じるようで安心した。「Yes」と答えると「Diarrhea?」。Yes. Diarrhea. この単語を知っていてよかった。

ここで海外旅行で使える英単語講座です。

diarrhea:下痢
vomit:吐く
fever:熱
joint:関節
muscle:筋肉
pain:痛み
stomachache:腹痛
headache:頭痛

あとは中学英語でなんとかなるはず。yellowとかbitterとかall of my bodyとか。

下手にアラビア語の単語とか覚えていって使わないほうがいい。アラビア語話せる人だと思われてしまう可能性があるし、付け焼き刃で覚えた以外の単語を知らないのだからどっちにしろ結局英語でコミュニケーションをとることになる。

一通り伝えると、舌下で熱を測られる。37度台だった。寝起き時よりは熱が下がっていた実感はあったが、多少拍子抜けした。

妻も腹痛、下痢など体調が悪いことを医者に告げていた。自分が倒れてしまって以降は何もしてあげられておらず、申し訳なく思う。

4台のベッドが置いてある部屋に2人して通され横になる。どういう原因でこうなって、こからどういう治療をする、といった話は特に聞かされない。

知らない天井

ベッド室、空調が異常に寒い。看護師にその旨伝える。10分程してようやくシーツを与えられる。それでも寒かったので空調を調節できないか頼んだが、その願いは叶えられることはなかった。シーツを顔まで被る。

比較的症状の軽かった妻がこの間に会計などしてきてくれる。あとで聞くところによると、この会計もかなり適当だったらしい。お釣りが返ってこなかったりとか。黙っているとボられるのでちゃんと主張することが大切。

妻は30分程して戻ってくれたが、その間に処置はなし。ただ寝かされているだけ。症状依然重い。

妻が戻って5分ほど経った頃に医師がやってくる。髭の濃い、いかにもアラブ人といった風貌の50代くらいの男性。

腹を何度か押されていくつか問診。さっきと同じような受け答えをする。fluid(輸液)は大丈夫かと聞かれたが何のことかわからず、ああfruitか、果物食べさせてもらえるのかな、と思ってokする。

医師がいなくなってまたしばらく放置されたが、ほどなくして看護師がやってくる。アラビア語訛りとはいえ医師の英語は聞き取りやすかったが、看護師の英語は全く理解できず。英語であることだけは分かる程度。

どうやら点滴をされるらしい。10年ほど前、熱中症で倒れたときも点滴をしてもらったらあっという間に楽になったという経験があったので安心する。

一事が万事適当なエジプト人に注射されることに一抹の不安はあったが、看護師の腕は確かだった。痛みも少ない(注射自体が苦手なので悶絶はした)。

点滴されたのはこのようなもの。

「Otsuka」の安心感は筆舌に尽くしがたい。

後で調べるとこのリンゲル液とかいうやつはまあだいたい経口補水液の点滴版みたいなものらしい。経口しない補水液。

これを打つとほとんどの症状がみるみる回復。頭痛だけは残る。

数十分に一回ほど、医師が状態を確認しに来てくれる。「headache」と告げると何の反応も示さず帰っていく。

結局どういう原因でこれが起きていて、いまどういう症状が出ているのかは誰も教えてくれないので、コーディネーターに聞くと医師に確認してくれた。

それによると「奥さんの方はなにか悪いものを食べた、旦那さんの方は太陽熱」とのこと。

「太陽熱」というのは日射病とか熱中症を指しているとしても、二人同じものを食べているのでそれはないのだった。問診も適当だったのでさもありなん、と思う。

もう帰っても大丈夫な程度の体調になっているな、という自覚はあった。息切れもせず、体の痛みもなく、普通に受け答えができる。

何度か医師が体調を確認しにくるが、いつまでたっても帰っていいと言われないのでコーディネーターに確認すると、別にもう帰ってもいいとのこと。特に指示はないシステムらしい。

妻が薬をもらってきてくれたが、中にはこの病院に在庫がないものがあるらしく、市内の薬局に行くよう指示される。

タクシーで薬局に乗り付け、残りの薬を入手。ようやくホテルに帰ることができた。

(これだけもらった。薬の箱自体に「毎食後1錠」「食前、一回2錠」みたいなことが直接書かれてあって便利)

お金のことだけは気になったが、診療費、処方箋、コーディネーター代、タクシー代すべて合わせても25000円程度だった。物価が安いって素晴らしいと思ったが、どうせ保険には入っていたのでこのうちいくらかは戻ってくると思う。現在申請中。

ホテルに着くと、ロビーで日本人添乗員さんが迎えてくれ、大変心配してくれた。それどころか今日の分の夕食を私達のために取り分けておいてくれていた。涙が出るほどありがたかった。

この方は添乗員にありがちな謎の上から目線や謎の明るすぎるノリなどがなく、非常に好感がもてた。H.I.S.の森本さんという方です。その節はありがとうございました。大変助かりました。

部屋に戻ったが、窓からのピラミッドはもう闇に紛れて見えなかった。ライトアップの時間も終わっていた。

この頃には食欲も出てきていて、取り分けられていた胡麻のペースト、ひよこ豆、コシャリ、牛肉を焼いたもの等を二人で口にした。

腹は減っていなかったが、もう長いこと何も口にしていなかったので流石にそろそろなにか腹に入れておかなきゃまずいだろうという思いで食べた。

美味かった。妻は泣くほど美味しいと言っていた。やっぱり塩分足りなかったのかなあと二人で笑った。吐かずに食べることができるというその事実に安心してもいた。

薬を飲むことで、下痢と嘔吐は止まってくれた。腹の張りはあるが、ほぼ寛解、と思えた。翌日のピラミッド観光だけはなんとしてもしたい、と思っていたが、2人ともまったく問題なかった。

ルクソールは大変だったが、それは一日の行程として大変だったのであって、単独の場所で一番大変だったのはクフ王のピラミッドだった。

クフピラ

クフ王のピラミッド内部は、腰をかがめないと通れないほどの狭さの上り坂が延々続く。しかも蒸し暑いし、人の往来が多くすれ違いにも気を使わなければならない。

そんなわけなので上りも下りも大変に体力を使うのだが、まったく問題なくクリアすることができた。治ったのだ、ということを実感できた。妻も元気そうだった。よかった。

ここまで治りが早いということは、やはり脱水症状か何かだったのだろう、悪い菌が入ったとかそういうことではなさそうでよかった、と思った。

観光が6日あるうちの1日伏していた。そう考えると、行けなかった観光地もそこまで多くはないし(アブシンベル神殿もちゃんと行った)、いい経験にもなったし、少なくともピラミッドは見れたしよかったな、と思った。結果として、しっかり楽しい旅行になった。

「エジプトで入院した」なんて、こんなおいしい経験二度とできないだろうと思った。逆にありがたいレベルだが、やはり考古学博物館でツタンカーメンのマスクを見れなかったのは残念なので、またいつか来たいと思う。

またいつか来たいと思えるほどに、エジプト旅行は本当に楽しかったのだ。

ホテルの売店のおじさんにアラビア語の発音を褒められた。

「砂漠のど真ん中にポツンと一軒だけカフェがある」などという映画みたいな状況を目のあたりにすることができた。

1ドルでしょうもないお土産を売りつけてくる物売りたちが「ジャパニーズ! コンニチワ! ナカタ! ヤマモトヤマ!」って本当に言うとは思わなかった。お土産は買った。

ものさし

帰り際に森本さんは「これに懲りずにまた……」と言っていたけれど、全然懲りてなんかいなかった。何度でも来たいと思った。

妻には感謝してもしきれなかった。彼女がいなかったらどうなっていたか分からなかった。もし一人旅であの状況に見舞われていたら、ということを考えるのは恐ろしかった。

そんなわけで、夏のエジプトで死にかけました。というお話でした。

これからエジプトに行かれる方も、別に行く予定はない方も、この記事がなにかの参考になれば、この経験も報われるというものです。

パートナーは大事にしましょう。相手への感謝の心を忘れないようにしましょう。「diarrhea」だけは覚えておきましょう。発音は「ダイアレア」ないしは「ダイアリア」です。

私から伝えたいことは以上です。

それでは。

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鯵坂もっちょ

エジプトの人

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