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人は死んだらどうなるんだろう

こんにちは。tatuです。

久々の投稿でこんな話になりますが、私が「死」について意識し出したのは、ちょうど小学校1年くらいの時です。

それまではテレビなどで「~~さんが亡くなりました」と言う有名人の死去のニュースやドラマなどである役の人が死ぬと言うシチュエーションを幾度と見て、「え、こんな人でも死ぬのか!」くらいに考えていて、心のどこかで「自分は元気だしまだまだ死なない」と思っていたものでした。

ところが暇で家でゴロゴロしていた時、ふと気が付いたのです。
「今この世に生きている人は自分も含めて、いつかは死ななければならないんだ」と。
「それはどんなに頑張ろうと抵抗しようと必ず時が来ればやってくるんだ」
「永久に自分と言う存在が無くなるんだ」
こう考えた時、私は「あーーー!そんなの嫌だーーー!」と叫びたくなったものでした。
その思いは何かに夢中になるか、神経がそっちに向いていない時は全く忘れているのですが、暇になるとよく顔を出してくるのです。

それは今でもあります。
しかし色々苦労をして嫌な目に会うと「もう死んでしまいたい」と思うこともありますね。

私は思うのですが死にたいと思った時に死ぬのが一番楽かなと。

でも「死にたい」なんて言ったら、生きたくても生きられない人もいると考えたら罪悪感を持ちますね。

今この世の中に存在する宗教やスピリチュアル的な教えや考えは、私が小学1年に抱いたような「死の恐怖」を打ち消すために人間が創り出した嘆願のシロモノではないでしょうか。

つまり、色々宗派や考えの違いはありますが、大元は「人(生き物)は肉体は死んで無くなっても、魂(意識)は永遠に存在し続ける」と言ったものだと思います。

この考えは今現在でも賛否両論に分かれますが、「臨死体験」の経験者や「前世の記憶」を持つ人などが多数出現しているため、簡単には否定できないのが現状のようですね。

しかも臨死体験に至っては脳外科医自身が経験し、その時の脳波を後で調べても説明のつかない
現象が起きていたり、違う例では臨死体験中に過去にタイムスリップして証拠を残すために木に文字を彫ったものが現在も残っていたりと、現在の科学では理由が見つからない事象も多く、肯定せざるを得ない要素が多いのも事実です。

それは私にとっては、と言うか皆さんのほとんどの方にとっては天と地の差があるほど嬉しいことではないでしょうか。

ここにもこう言っている3回も臨死体験をされた方がいます。


と言うことで私は信じます(笑)

それではまた!!


















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