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アドラーゼミB面 2回目 「早期回想」

たまたま縁あって、二回続けて早期回想のワークに取り組んだ。
私の早期回想は
「幼稚園の頃、坂道の上にある幼稚園から道を下ったら雪の上に万年筆が落ちていた。
万年筆のブルーのインクが雪に染み出てきれいだなと思った。
そして、落し物の万年筆を交番に届けた。
別の日に今度は10円玉が落ちていた。
私は落し物なので拾ってまた交番に届けた。
お巡りさんがほめてくれて嬉しかった。」

一回目の時には解釈に至らなかった。
その時は、「何で嬉しいてことなのかなぁ?」とそこにばかりひっかがって解釈されないことを私は選んでいた。

二回目、解釈の時に、「良いことをして嬉しかった」と問いかけられた。
私は「良いこと」に引っかかった。
私にとっては落し物を拾って交番に届けるのは当たり前のことなんだと気づいた。
また、「10円玉は万年筆に比べるとしょぼい(そう言われたかは定かではないがそのように記憶しているので)よね」とも。
私が幼い頃の万年筆は高級品だった。
万年筆と10円玉にも意味があるんだと気づいた。
そして、「冬、雪にも何か意味があるのかしら?」と言われ、即座に「私の人生は冬で寒いから」と口に出た。
きれいな、嬉しかった早期回想だけれど今の私を投影していたのだ。

自己解釈すると、
坂道は年老いてきた私の人生であり、下ったところが今の私の居場所なのだ。
私の人生は雪の降る冬のように寒く冷たかったが、その人生を肯定的に受け止めているのだ。
また、青くきれいなブルーのインクや冬の凛とした寒さは、「きれいでかっこよく生きたい」私の自己理想。
そして、「価値にあろうがなかろうが人は大事にされなければならない」という私的感覚があり、
「当たり前のことでも人は認めてくれる」という私的感覚があるのだ。

とすっきりまとまったところで今回の早期回想はおしまい。

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