見出し画像

【シンパシー・ホワット・スラム・ヒム・トゥ・ヘル】

(27940字)

(この小説は「ニンジャスレイヤー」の二次創作物です)

#1

華美な刺繍のされたカーテンは、家の恥を傍目に晒さぬように固く閉ざされていた。広いリビングには3人の家族。音楽ディスクを威圧的に持ち、床に正座させた子供を見下ろす父親。それを遠目に見守り、さめざめと泣いている母親。そして、18歳の頃の自分。

(夢だ)

アミタ・クマミチは直感した。よくよく見ると観葉植物の形はぼやけ、母親の顔も霞んでいる。ハッキリしているのはディスクと父親だけだ。

「それは……」

夢の中の己が、戸惑いとともに口を開こうとする。

SLAM! 父が力強く足踏みし、観葉植物の葉が揺れた。母の短く押し殺した悲鳴が聞こえた。父はもう一度、深い失望と怒りを込めて言った。

「こ・れ・は、な・ん・だ?」

「カブラ……」

SLAM! 再度足踏み。アミタの口から出掛かった言葉が飲み込まれる。身体中の古傷から腕が伸び、喉の奥に押し込んだかのように。

「これは、お前の部屋から見つけた。勉学用のディスクケースの中に混じっていたものだ」

父は神妙に言うと、ディスクを無造作に放った。縦に落ち、床に沿ってコロコロと転がる。アミタは反射的に手を伸ばし、それを拾おうとする。

バギン! だが、己の手が触れる直前、父の足がそれを踏み潰した。見開いた目には、飛び散る破片がスローモーションで見えた。それはこの家にある、勉強以外の彼の全てだった。

「よくもこんなくだらんもので、俺の努力を台無しにしてくれたな」

胸ぐらを掴まれ、父は不肖の息子にグイと顔を寄せる。激情の込められた瞳で見据えられ、アミタは震えて声が出ない。

「貴様は、この家から……」ピロン、ピロン……

ピロティティティ、ピロティティ……利用者にくつろぎと快適に満ちた目覚めをもたらす電子アラーム時計の音。アミタ・クマミチはゆっくりと上体を起こす。周囲に、いるはずもない父の影がないかを確かめながら。

鷹揚とした寝室は、オーガニック桐箪笥をはじめとした高級家具が整然と並べられ、格調の高さを奥ゆかしくかもし出していた。控えめに漂うのは、高価なインセンスの残り香。それらの全てが鼻につき、寝起きのアミタを苛立たせる。

アミタは時計を見た。短針は6時を指す。つまりは18時。”戦争”までちょうど6時間。太陽の光を嫌い、固く閉ざされたカーテンを開けると、曇り空の向こうから割れた月の光が入り込んだ。

彼はタンスに向かい、併設された鏡の前に立った。無精ひげを生やした、19歳の自分と顔を合わせる。象牙のクシで寝ぐせを梳かし、整髪料で髪型を整え、素晴らしい切れ味のカミソリでひげを剃る。無論、どれも彼の所有物ではない。

「よし……」

身だしなみを整え終わると、彼は枕元のオメーンを手にとった。古来より喜劇に使われ、現在は恐怖の対象となった、ひょうきんな造形。ヒョットコ・オメーン。褪せた返り血の付着したそれは、今のアミタの誇りであり、救いであった。


◆ ◆ ◆


「奴らが来る、奴らが来る、奴らが来る……クラゲめいたゴミ袋、風に揺られている……」

美意識の行き届いたリビングは、雰囲気にそぐわぬ陰鬱なサウンドと、あからさまに浮いた大型コンポの存在によって台無しにされていた。異物はもう1つ、革張りのソファの上にもある。短い金髪をした逞しい体つきの少年が腰かけ、大型コンポから流れる音に神経を注いでいるのだ。

「オハヨ、コズマ=サン」

アミタは親しげに彼の肩を叩くと、その隣に座り、尋ねた。

「電気が通ってたのか?」

「いや、パニックルームにあった。内蔵電源だろ」

コズマは彼を見返しもせずに言った。

「……お前、カブラ・ノヴァ好きなの?」

アミタは期待とともに尋ねた。カブラ・ノヴァの内省的なサウンドは彼にとって、ヒョットコの教義と並ぶ、もう1つの経典でさえある。

「そういうわけじゃねえ。元から入ってたんだ」

コズマはどうでも良さそうに言った。アミタは落胆した。それからふと気づき、尋ねた。

「元から入ってた?」

「おう」

「つまりこれ、カチグミの持ち物か?」

「そりゃそうだろ」

「……カチグミが聴いてた?」

「聴いてたからあるんだろ」

呆れたように答えるコズマ。

「イヤーッ!」

KRAAAAASH! 突如、アミタは鉄パイプを振り下ろした!

「ピガーッ!?」

誤作動により悲鳴めいた音が鳴る!

「何すんだよ!」

コズマが咎める! だがアミタは治まらない! 怒れる鉄パイプで、コンポを打ちのめす!

「カチグミが! カブラ・ノヴァを! 聞いてんじゃ、ねえッ!」

KRAASH! KRAAAASH!! KRAAAAASH!!! 致命的な部品が飛び散り、再生が止まる! なお殴る! 当初この狼藉を止めようとしていたコズマは、途中からゲラゲラと笑いだしていた。アミタのキレっぷりが面白かったからだ。

「ゲラゲラゲラ! ゲラゲラゲラ!」

「イヤーッ! イヤーッ!! イイイ……ヤアアアーッ!」

KRAAAASH! KRAAAAASH!! ……KABOOOOM!!! 断末魔めいた小爆発を起こし、コンポは機能停止した。おお……ナムアミダブツ。なんたる短絡的かつ無意味な暴力か。

アミタは鉄パイプを床に放るとソファに腰掛けた。彼の荒い息を聞き、コズマがさらに爆笑しかけた、その時だった。

アーン……廊下側から嬌声が響いた。コズマが顔をしかめる。もう1つの寝室からだろう。アミタは尋ねた。

「何? 朝っぱらからアイツ、前後してんの?」

「ああ」

「飽きねえな」

アミタは天井を仰ぎながら言った。寝室にいるのはヨツノ。非ヒョットコ者であり、暴力行為にもノってこない退屈な女だ。だが、なんでもしたいようにさせてくれる上に従順で、胸も豊満だった。だから二人は彼女を連れ歩いている。

「そうだな」

コズマが不機嫌そうに言った。親友のブスッとした態度に、アミタは首を傾げた。

「どうしたんだよ? 混ざりたいなら行ってくりゃいいだろ」

再び嬌声。コズマが顔を顰める。アミタは訝しみ、もう一言尋ねようとした。

DOOOOOOOOOM! 突如、爆音が響き、家全体がグラグラと揺れた! 家の近くに流れ弾が飛んできたのだ!

「こっちも景気良くやってんな!」

アミタは窓から身を乗り出し、ワクワクしながら外を見た。向かいの三軒隣の家が、焼夷弾の直撃によって爆発炎上していた。

「アイエエエ! 私の家が!」

上等な生地のパジャマを焼け焦がしながら、カチグミらしき男性がまろび出る。その着こなしに殺意を滾らせたアミタは、すぐさま彼を撲殺せんとコズマを誘おうとした。

「オイ、コズ……」

だがその時すでに、一人のヒョットコが駆けつけ、彼を棒で叩き始めていた。

「チェッ、ついてねえや」

舌打ちし、そっぽを向くアミタ。DOOOOOOOOM!! その時、再度着弾。今度は焼夷弾ではなかった。二人は影も残さず消えた。

「うっわ。カワイソ」

「どうなってる?」

コズマが尋ねた。アミタはグダグダになった状況を説明した。

「家が焼けた。で、中にいた奴と殴りにきた奴が両方死んだ」

「ツイてないな」

「全くだ」

二人はため息を吐いた。凄絶な光景に対し、彼らが動揺する気配はない。薬物影響下であろうか? 否、単純な慣れだ。あの月が破砕されてから、企業紛争は拡大する一方。企業による人道的避難勧告……つまりは退去命令……により空き家も増える一方だ。

無論、住人は紛争が終わるまで帰ってこない。入れれば、廃ゲームセンターや下水道でたむろするよりも余程いい暮らしができる。アミタもコズマも、つまりはそのクチだ。

彼らは送電線を切断し、セキュリティを無力化。堂々とこの豪邸を我が物とした。平時であればマッポも駆けつけただろうが、今や彼らの蛮行を止めるものはいない。先ほどのように流れ弾が飛んでくることもあるが、運が良ければ当たらないので、特に気にしなかった。

盛り上がりかけた気分は、すっかり白けてしまった。アミタは廊下を歩いていた。コズマに頼まれ、ヨツノの様子を見に行くように頼まれたのだ。いつの間にか喘ぎ声は止んでいて、寝室からは何の音も聞こえない。

「入るぜ」

ノックもせず、無作法にドアを開ける。その途端、甘ったるいセンコの香りが鼻孔をくすぐった。アミタは顔をしかめ、キングサイズ・ベッドの上に女を探す。

二人の男女は、何らかのプレイ目的と目される、みだらなボンボリライトに照らされていた。一人は裸の若い女。もう一人は……その膝にうつ伏せに顔をうずめた、禿げ頭の中年男性。当然、彼も裸だ。女は座ったまま、とろんとした目でアミタを見上げた。

「オハヨ、アミタ=サン」

ヨツノは、男の禿げ頭を愛おしげに撫でながら言った。アミタはうんざりした顔でアイサツを返した。

「オハヨ」

「すごい音だったね」

「お前の声ほどじゃねえよ」

アミタは愚痴りつつ、ベッドに腰を下ろす。

「コズマ=サンが怒ってたぞ。うるせえって」

彼は多少脚色して伝えた。

「まあ……ごめんなさい。とても激しかったから」

ヨツノは子を慈しむような目で、今しがた果てた男を抱き寄せた。

「聞きたくねえ。それよりそれ、捨てとくぞ」

「もう少し待って」

「なんでだよ?」

「温もりを味わいたいの。命の残り火を」

サイコ野郎め。アミタは心の中で罵り、近くの注射器を拾う。中身は濃縮ZBRとタノシイ、アルコール類などがブレンドされた特製カクテルだ。味の感想は、あの世に行かねば聞き出せぬだろうが。

「また可哀想ってか?」

アミタは注射器をくるくると手元で弄びながら問うた。誰彼かまわず男を連れ込み、行為の最中に注射器を突き立て、殺す。その日常的残虐行為の理由を尋ねた時、かつて彼女が答えたのがそれだ。

「そう。可哀想」

「どこがだ。カチグミだぞ?」

アミタは汚いものを見るような目で男の死体を睨んだ。

「関係ないよ、そんなの」

ヨツノは平然と言ってのけた。それが彼をさらに苛立たせた。

「関係大有りだ……お前は世の中を知らねえ。いいか、俺たちが家を追われたのも、こんな紛争が起こったのも、月が割れたのも、全部こいつらのせいなんだぞ?」

「どうして?」

「儲かるからに決まってるだろ。昔、キョートとの間に戦争があっただろ? あれも、カネモチが利益のために起こしたんだぞ」

「そうなの?」

ヨツノは目を瞬かせた。アミタは子供に説教するように言った。

「物を知らない奴だな。いいか、世の中の出来事っていうのは、全部カネって糸で繋がってる」

糸を引くゼスチュアを織り交ぜる。

「その糸の先は? カネモチだ。だからカネモチが全部悪い。あいつらに全責任があるんだ」

「この子は関係ないわ」

ヨツノが死者を庇う。

「あるに決まってんだろ。カネを持ってるってことは、そういう汚い世界と繋がってるってことなんだよ。ヨツノ=サン、お前の親みてえにな」

アミタは断言した。ヨツノは黙り込む。彼女はカチグミの子息であった。ゆえにその告発に幾分かの真実が含まれることも知る。キョート・ネオサイタマ戦争の折、父が不自然なほど莫大な利益を得たのは事実なのだから。

「それに奴らは、今まで十分楽しんだんだ。ちょっと痛い目見たくらいで同情するこたねえよ」

素手で触れたくなかったので、アミタは鉄パイプの先端でカチグミの頭をつついた。すぐにヨツノの手がそれを遮った。彼女は寂しげに言った。

「……でも、可哀想」

この女、何もわかっちゃいねえ。アミタは舌打ちする。

「つまりな、お前みたいな……」

彼は何としても”可哀想”という評価を取り消させようと、まくし立てようとする。ヨツノの反論を聞く気など、始めからない。カチグミはクソ。それが唯一絶対の真実だからだ。

しかしアミタの魂胆は、突然玄関から届いた破砕音に遮られた! すぐに何かしらの叫び声も続く!

「お客さんかしら」

ヨツノがポワポワとしたことを言った。前後直後の彼女は、いつにも増して浮いている。

「お前、ここにいろ」

アミタはヒョットコ・オメーンを被り、鉄パイプを握ると、寝室から飛び出した!


#2

破砕音が鳴るのとほぼ同時に、コズマは戦闘態勢を整えていた。

「「「「オジャマシマース!!!」」」」

玄関側のガラス部分を破り、鍵を回してエントリーしたのはヒョットコ。それも4名だ! 手に手にバットや鎖鎌で武装し、声色にはアッパー系薬物の色が滲む。彼らは住人を見て、ゲラゲラと愉快そうに笑った。

「あれ!? ヒョットコ!?」「ナンデ!?」「でも一人だよ!?」「ヤンバーイ!」

コワイ! 知性を感じさせぬ、脈絡のない言動! しかしヒョットコ・オメーンを付けたコズマは平然と尋ねた。

「お前ら、ここが誰の家か分かって来たのか?」

「エー?」「シラナーイ!」「ヤンバーイ!」

ヒョットコらは顔を突き合わせ、心底楽しそうに笑った。コズマは訝しむ。薬物で状況判断力を失ったのか?

「ヤバイよ! 殺しちゃお!」「ワオーッ!」

何ら前触れなく、ナイフと釘バット、二体のヒョットコが襲いかかる! バカが。コズマは即座に立ち上がり、ボーを釘バットの鳩尾に突き込んだ!

「イヤーッ!」「ゴボーッ!」

「ゴボッ……」

釘バットのオメーンの隙間から吐瀉物が漏れる。

「エッ?」

ナイフは気を取られ、思わずそちらを見た。相方がやられた。なら一人だ。一人はコワイ。嫌だ。どうしよう? だが、短絡的思考の連鎖がその先へ続くことはなかった。

「イヤーッ!」「グワーッ!?」

コズマのボーが、その頬を強打したからだ! 粗悪オメーンの破片とナイフの歯が混じり、宙を舞う!

「アイエエエ!」

BLAMBLAM! ピストルが闇雲に連射!

「グワーッ!」

一発がコズマの腕にかすり、肉を持っていく! 流血! だが彼の戦意はいささかも衰えぬ! ピストルが次弾の照準を合わせた頃には、すでにコズマはケンドーのベーシック・アーツ、スリアシで間合いに踏み込んでいた!

「ハヤイ……」「イヤーッ!」「アバーッ!」

遠心力を乗せたボーが後頭部を強打! ピストルは泡を吹き昏倒!

「アイエエエ! 降参します!」

鎖鎌が武器を捨て降伏! だが!

「イヤーッ!」「アババーッ!」

コズマはその顔に問答無用でボー・カラテを叩き込む! コワイ! 彼は様々なドーに精通した男だ。しかしヒョットコに堕ちた彼には、容赦や手加減など存在しないのだ。

「コズマ=サン!」

アミタが駆けつけた頃には、ヒョットコたちは一人残らず床に転がされていた。

「遅いな、終わったぜ」

コズマは痙攣するピストル・ヒョットコの頭蓋を叩き割るべく、ボーを振り上げる!

「ヤメロ!」

アミタは怒鳴った。オメーン越しの声量が空気をビリビリと震わせ、コズマに伝った。コズマは心外そうに言った。

「……何でだよ?」「やりすぎだからだ!」

アミタはつかつかと彼に近寄り、ボーを掴み、降ろさせた。コズマは素直に従った。意識のあるヒョットコたちはオメーンの下、緊張に満ちた顔で見上げる。

「まず、そのオメーンを外せ。お前らヒョットコじゃないな?」

アミタは威圧的に言った。ヒョットコたちは一瞬驚くも、すぐに指示に従った。下の顔は、アミタたちよりもなお若かった。14か、15か、そのくらいだ。

「アイエエエ……そ、そうです。殺さないで……」

恐怖の涙が、彼らの顔をぐしゃぐしゃにしていた。

「どういうことだ?」

コズマが聞いた。アミタは冷静に答えた。

「偽物だってことさ。大方、家人に想像した時に脅かすためだろ」

ヒョットコ・クランへの恐怖は、ネオサイタマ中に知れ渡っている。ゆえにそこそこ稀にこういう偽物とも出くわす。

少年たちは大人の言葉を、固唾を呑んで見守った。一人がピストルの頭を不安そうに見た。傷の具合を見てあげたい。だが距離があってよく見えないし、彼らが許してくれるはずもない。

「ネオ・ヒョットコの差し金ってことは?」

コズマは冷たい目で見下ろした。アミタは首を振る。

「それなら、もっとマシな連中を送り込むさ。……オイ、それで合ってるか?」

「は、ハイ。アタリです……ヤジモト=サンがそうしろって……」

釘バットが震えた声で言った。

「ヤジモト?」「ヤク……面倒を見てくれるお兄さんです。僕ら上、いや、相談料を払わないと……ノルマが……」

だいたいの事情は見えた。つまり、彼らはヤクザの使い走りで、この危険極まる空き巣行為を行なっていたのだ。そして、たとえ成功しても、彼らには一銭も入るまい。気の毒に。アミタの胸が痛んだ。

「よくある話だな」

コズマはどうでも良さそうに言った。アミタは目線の高さを合わせ、尋ねた。

「アガリはあるか?」

「ハイ、あります」

「全部出してみろ」

少年たちは隠し持っていた金品を差し出す。ポケットから、身につけていたものから、気絶したピストルの服の中から。今は殺されたくない、その一心だった。

「すげえな。100万はあるぞ」

コズマが声を上ずらせた。テーブルの上に並ぶ、煌びやかな宝飾品。カチグミにとっては持ち出し優先順位の低い品だったのだろうが、1つ1つがマケグミの月収にも等しい価値がある。100万はむしろ、安すぎる値段だろう。

少年たちは絶望に身を浸らせていた。終わりだ。差し出さなければこいつらに殺される。でも、手ぶらで帰ってもヤクザに殺される……

「よし」

アミタは立ち上がった。少年たちは震え上がる。だが、次に続く言葉は、彼らの予想外のものだった。

「お前ら、これ持って逃げろ」

「「「エッ!?」」」

アミタは出し抜けに言うと、少年たちが目を丸くした。

「お、オイ、アミタ=サン!?」

コズマもだ。アミタは努めてシリアスに言った。

「どうした? 逃げろって言ってんだぜ」

「でも、僕ら……」

「狼藉には目を瞑ってやるってんだよ。お前の上の連中も、こんなトコに送り込んだ以上、生きてるかなんて分かんねえ。このままバックれて、カネで新しい道を探すんだ」

紛争地域の大気は、当然のようにチャフ汚染されている。IRCの通じない陸の孤島だ。ならばバックれたところで、死んだかどうかの区別などつくまい。少年たちはざわめいた。この上手い話を信じていいのか。一方、コズマは難色を示す。

「俺は撃たれたんだぞ。一匹くらい殺していいだろ?」

アミタは傷の具合を見た。少々血は流れているが、さほど深いものではない。

「駄目だ」

「チッ」

コズマは苦々しく舌打ちした。

「ほら、気が変わんねえうちに急ぎな」

アミタは急かした。少年たちは慌てて貴金属類をしまうと、ピストルを支え起こし、グレイ型宇宙人めいて担いで玄関へ向かった。そして他の少年が外へ出終えると、ナイフが振り返ってオジギし、そのまま立ち去った。

アミタはタンスから取り出した高価なオーガニック・コットンの服で吐瀉物を拭うと、それをタンスに戻す。コズマはしかめっ面でそれを見ていた。

「……納得いかねェ」

「悪い悪い。今度埋め合わせするからよ」

アミタは笑った。コズマは苦虫を噛み潰したような顔で言った。

「一匹ぐらい良かっただろ?」

「マケグミ同士で殺しあって何になるんだよ」

彼らもまた、被害者に過ぎぬ。アミタはそう考えていた。マケグミはカチグミに運命を握られ、その全てを簒奪される。ならば、彼らの悪事の咎を負うべきは彼ら自身ではない。カチグミだ。

アミタの頭の中では、それは正当にして絶対の論理だ。さほど長い付き合いではないが、コズマはそれを良く知っていた。

「……しょうがねえな。埋め合わせ、考えとけよ」

コズマは廊下に出て行こうとした。その背中に、アミタが声をかける。

「手早く済ませろよ。もうすぐ集会だぞ」

「わかった」

「傷の手当てもさせとけよ」

「ああ」

寝室のドアが閉まる音が聞こえた。彼はソファに腰掛け、ブッ壊された玄関をどう処置するかを考え始めた。



#3


ギューン! ギュワワオオーン! キュワキュワ、ブーンブーン……ドゥーム!

「ヤバイ! ヤバイヤバイ暑い! ホット夜! 俺はヤバイ! お前もヤバイ! みんなヤバイ! めっちゃ好き!」

BPM重点のスカムロック・ミュージックが、豪奢なパーティー会場に鳴り響く。奥ゆかしいシャンデリアは取り外され、代わりに安っぽい多色ネオン・ライトが来客を照らしている。

大理石のテーブルの上には、瀟洒な食器類ではなく、輸送ケースから出されてもいないバリキドリンクの束。そして肉汁混じりのソースをだらしなく皿の端から溢れさせた肉類だ。ナムサン……この邸宅に招かれたのが正式な客人であれば、ムラハチ・リストに主人を加えることは必至だろう。

だが今夜、紳士淑女の社交場に集ったのは、そんな品の良い集団ではない。隠しきれない下劣な欲望を顔に滾らせた少年少女たちだ。しかし彼らは時折周囲といさかいを起こしながらも、厳格な主人に「待て」を躾けられた駄犬めいて、一切テーブルの上には手をつけなかった。会場には最低限の奥ゆかしさが保たれていたのだ。彼が現れる前は。

「ほぉー……なかなか旨そうじゃねえか」

フロアにずかずかと入り込んだのは、鍛え上げられた肉体を持つ大男と腰巾着めいた小男のコンビだった。名をコゴリノチとヒノシマという。”集会”に参加するのは初めてだ。

当然、ヒョットコ・クランにおいても、こういうニュービーには奥ゆかしさが求められる。だが彼は何の躊躇もなくバッファローウイングをつまむと、ムシャムシャと咀嚼したのだ!

「ハッハッハ! こりゃあ旨えや!」

コゴリノチは豪快に笑った! そしてさらに肉を掴み取った。ナムサン! 今度は二本同時である! これも旨そうに咀嚼! 周りのヒョットコたちはゴクリと唾を飲む!

「ちょっとやめないか!」

風紀委員めいた風貌の少年が、勇敢に男に注意した。

「アーン……?」

「キングは待てと言ったんだぞ。逆らうと罰」

「イヤーッ!」「グワーッ!?」

男の右フックが、風紀委員の鼻っ柱を捉えた!

「グワーッ! グワーッ!」

鼻血を噴出し、地べたをゴロゴロと転がる風紀委員!

「アイエエエ!?」

近くにいたヒョットコ女が巻き込まれぬよう退避!

風紀委員は激昂とともに立ち上がり、猛抗議した!

「貴様ーッ! この狼藉……僕の偏差値は68だぞ!? 貴様は偏差値いくつだッ!?」

怒りと鼻血で真っ赤に染まってた顔でまくし立てる! コワイ! だがコゴリノチは涼しげに笑い、言った。

「78だ」

「アッハイ」

その数値を聞いた途端、風紀委員はクールダウンし、やおら頭を下げた。

「スミマセンでした」「いいってことよ」

大男はクチャクチャと音を鳴らしながら、分厚いビフテキを咀嚼する。
そして大きくゲップし、負け犬を指差して言い放った。

「お前、バカだもんな!」

な、なんたる侮辱か!? 時と場合によれば、相手を恥辱のあまりセプクすらさせかねぬ! だが風紀委員は何も言い返さず、黙ってうつむき怒りに打ち震えるのみだった!

ヒョットコ・クラン内の発言力は、センタ試験の偏差値によって決まる。偏差値で負けた風紀委員には、彼に意見する資格がないのだ。

「兄貴ィ、バカばっかりですぜ」

ヒノシマがせせら笑った。彼の偏差値は低い。だが”兄貴”に認可されている以上、彼の発言力にはコゴリノチの偏差値が適用される。

「オウ、もっと面白ェもん持ってこいや」

「ヘッヘヘヘ! お任せを!」

兄貴分の横柄な命令に、ヒノシマは喜んで従う。

「旨えメシに、バリキ……とくりゃ、次はやっぱ、女ですかい?」

「悪くねえな」

大男はニタリと笑った。この言動に対し、場内の反応は2つに分かれた。
すなわち距離を取るものと、媚を売ろうとするものにだ。腰巾着はそれら少女のバストやヒップに素早く目を光らせる。

「おっ……」

そして、会場の端にいた男女に目を留めた。長い栗色の髪。豊満な胸、控えめなウエストに、豊満なヒップと、メリハリのついた体型。兄貴の好みドンピシャだ。そして……彼女の手を引く、偏差値の低そうな男が、彼自身の興味を惹いた。

「へへへ……」

彼女を取り上げれば、どんな反応をするだろう。彼はそのブザマを想像し、ニタニタと笑んだ。

「オイ、そこの!」

(マズい……!)

コズマは唸った。あの男の標的はどう見てもヨツノだ。彼はヨツノの身を案じ、護衛し続けるためにヒョットコを装わせ、集会に参加させた。それがこんな危険を招くとは……! 取るべき行動が思いつかず、彼は気づかないフリでやり過ごそうとした。

「お前だよ、お前! 耳まで悪いのか?」

だが当然、それは無駄に終わった。小男が目の前に回り込み、意地の悪そうな表情で笑う。コズマは歯噛みした。ヨツノはその横で状況がわからず、きょとんとしていた。

「頭悪そうな顔だよなァ、男! 偏差値いくつだよ?」

「……!」

コズマは息を呑んだ。嫌だ。言いたくない。だが、言わねばこの男の機嫌を損ねる。彼は横目でヨツノを見た。そうなれば彼女はどんな目に遭わされるか……!

「に……」

「に?」

「29……!」

「ブフッ!」

ヒノシマは噴出した。それだけではない。会場のそこかしこからも彼をせせら笑う声が聞こえ始めた。

「エート、よく聞こえなかったなァ! もう一度言ってくれないかな?」

ヒノシマはわざとらしく尋ねた。

「29だよ! 俺の偏差値は!」

コズマは怒鳴った。その顔は恥辱で赤く染まっていた。

「ギャッハハハ! スゴイ・バカ!」

コゴリノチが指をさし、爆笑した。今や会場内の注目はすべてコズマに集まっていた。それらはありありとした嘲弄のニュアンスを帯びている。先ほどコゴリノチに恥をかかされた風紀委員でさえも、コズマを笑っていた。

「バカ!」「ありえないだろ!」「百年に一人のイディオットだ!」

情け容赦ない痛罵に、コズマは涙を堪える。暴力もだ。恥辱のあまり、正気を失いそうですらあった。だがそれでも彼は良かった。ヨツノさえ守れれば……

「女! テメエはどうなんだ!」

暴君は骨つきチキンを片手に言った。いつの間にか、彼の周囲には取り巻きができている。しかしヨツノは彼の言葉に気づかず、コズマの手を握り、励まそうとした。その手は彼自身に弾かれた。

「オイ、兄貴が聞いてるんだぜ? 答えろよ。お前もバカか?」

小男がせせら笑う。ヨツノはようやく彼に気づき、尋ねた。

「何を聞いてたの?」

「偏差値だよ」

「覚えてないわ」

「ブハッ!」

コゴリノチは食べかすを吹き出した。

「雑な言い訳だなァ!」

「だって、どうでもいいもの」

ヨツノは平然と言った。瞬間、フロアの空気が凍った。

「……ア?」

暴君は無表情でヨツノを睨んだ。彼だけではない。フロア中の人間が、彼女を睨みつけていたのだ。それは先ほどの、劣等者への嘲笑ではない。異質な者への本能的な憎悪であった。

「ヨツノ、今のはマズい……!」

コズマが咎めようとした。非ヒョットコ者であるとバレれば、リンチでは済まない。アミタもしばらくは戻ってこない。彼の発言力では庇いきれない……! そんな気を知らず、ヨツノはきょとんとした顔で言った。

「何か意味があるの? あんなくだらない数字に」

「テメェ!」

剣呑な殺気がフロアに満ちた。バリキドリンクに手を出せないことで溜まっていたフラストレーションは、即座に殺意へと変換される! ヒョットコたちは一斉に武器を持ち、ヨツノへ殺到せんとする!

「待て! 待ってくれ!」

コズマはやおらドゲザした! だが誰も彼に気など留めない。低偏差値者のプライドなど、彼らはゼロ同然に見ているのだ! なんたる異常な価値観! ヒョットコの波が二人に押し寄せる! そして最も近くにいた小男がナイフを振り上げた、その時!

「マッタ!」

良く通る声がフロアに響いた。

「……!」

それは耳馴染みのある声だった。コズマはドゲザ体勢のまま唇を噛んだ。

「アー……? 誰だ、テメェ?」
コゴリノチは威圧した。殺気に満ちた厳しい顔が、充血した目が至近距離でアミタを見据えた。コワイ! だがアミタは動じず、平然と答えた。

「俺はアミタ。お前は? 新人か?」

「お前、偏差値いくつよ?」

コゴリノチは質問に答えもせず、逆に彼に尋ねた。世間ではカナリ・シツレイに値する無礼だ。しかしヒョットコ・クランの中では、高偏差値者の多少のシツレイは許容されうる。

「ああ、85だけど?」

「エッ?」

その数値を聞き、コゴリノチは固まった。自分より上だ。

「はちじゅう、ご。お前は?」

「な……78です」

「へえ、やるじゃんか。でも質問にはちゃんと答えなよ。マナーだぜ」

アミタは余裕を持って後輩をたしなめた。

「アッハイ、スミマセン」

コゴリノチは素直に謝った。まさか自分より上の人間が、この落伍者の集落にいるなどとは、彼は想像もしていなかったのだ。

「それで……コズマ=サン、これは一体どういうことなんだ?」

アミタは屈みこみ、親友に尋ねた。コゴリノチは顔を青くし、ヒノシマはざわめく人混みの中に紛れる。取り巻きはすでに影も形もない。一件落着だ。だが、コズマは震えた声で言った。

「アミタ……」

「何だ?」

「何で俺を助けたんだよ」

その憎憎しげな声に、アミタは当惑した。

「何でって……」

「俺一人で何とかできた。できたはずなんだ。お前が来なくても!」

コズマが怒りもあらわに怒鳴る! 隣のヨツノがびくりと身を震わせた。

「お、お前……?」

荒く息をするコズマを、アミタは見守った。おかしい。こういう庇い立てをするのは一度や二度ではない。そしてその度、コズマは素直に感謝してきたというのに。ギャラリーが状況を遠巻きに見つめる。コズマは落ち着くと、ゆっくりと口を開く。

「……悪い。ちょっと、頭冷やすわ」

彼は涙を拭いもせず、俯いたままその場を離れた。やや遅れてヨツノが彼の後を追い、走り出した。アミタはそれを黙って見守った。

「どうしたんだ、アイツ……」

アミタは訝しむ。なぜ怒ったのか、その理由が彼にはわからない。彼は人間の生の感情に疎い。テストに出ないからだ。勉強の邪魔をする”悪い虫”は、父によって全て排除されてきた。

彼はフロアの人間を睨んだ。何人かが目を伏せ、アミタから視線を逸らす。彼らはアミタの知り合いだ。つまりコゴリノチに対し、アミタの存在を警告することもできた人間である。

だが、偏差値の低いコズマが、普段自分より高い発言力を持つことを不満に思っていた彼らは、なりゆきに任せたのだ。

アイエエエ! 遠くに悲鳴が聞こえた。おそらくはあの大男が、キングの偏差値を聞いて上げた……そんなところだろう。ヒョットコ・クランのキングは、すなわち一番高い偏差値の持ち主である。アミタは実際高い偏差値の持ち主であるが、所詮はナンバー2だ。

(でも、いつの日か……な)

アミタは怒りを抑え、周囲の連中に気さくに話しかけながら考える。いつか、キングからその座を譲り受け、新たなキングとなる。そして哀れなヒョットコたちを束ね、大人に人生を狂わされる者を救うのだ。それは特別な過去を持つ自分に与えられた、崇高な使命である。そう彼は信じていた。

世界は狂っている。そしてその狂い方は、激しさを増している。IRCネットワークに飛び交った噂話によれば、ニンジャが実在する、ニンジャになる方法もまた実在するという。当然、愚にもつかないホラ話だ。

ヒョットコの仲間も何人か、ニンジャになろうとして自ら首を吊り、死んだ。臨死体験をするとニンジャになれる。その投稿を真に受けた結果だった。いくら追い詰められても、そんな馬鹿な方法に頼ってはならない……

ドンドンドン! 突然、巨大な太鼓が雑に打ち鳴らされた。叩いたのは壇上のコゴリノチだ。彼は大声で言った。

「オウお前ら、注目だ、注目!」

ヒョットコたちが壇上へ視線を走らせる。しかしそれは、太鼓持ちと化した大男へ向けたものではない。その後ろにいる、細身の体型の、黒縁の眼鏡を掛けた優男にだった。

レンズ越しにも鋭い眼光。大きく胸元を開いたワイシャツの上に、まとうのは黒いフーデッドコート。そしてその胸元には、鎖骨のラインに沿うように、最高にクールな「悪い肛門」のカンジ・タトゥー。あれが、キング。またの名を、バッドアス。クラン最高偏差値の男だ。

「来たか……!」

ナンバー2であるアミタだが、彼は壇上へ登らない。ざわめくメンバーに、一段下から整列指示を出すのが彼の役目なのだ。

「マエニ・ナラエ!」

「「「ハイ!」」」

ヒョットコたちは等間隔に整列し、マエニナラエ・ポーズを決める! 前方に突き出された指先は、誤差5ミリ圏内で統一されている。 ゴウランガ! 見事な集団行動だ!

「ヤスメ!」

「「「ハイ!!!」」」

先程までの無秩序状態が夢であるかのように、一斉に腕を下ろすヒョットコ。その様子を見たキングはゆっくりと頷き、口を開いた。

「諸君、よく集まってくれた。私は大変うれしく思う」

アイエエエ……ヒョットコの一人が、勿体ないお言葉に泣き出した。バッドアスは大げさな身振りとともに続けた。

「知っての通り、我々は今夜、最大の戦いに挑む。ネオ・ヒョットコ……約束されしヒョットコの名を汚す、ブッダも唾を吐くだろう腐りきった集団にだ」

ネオ・ヒョットコ。その名を聞いたヒョットコたちがざわめいた。月の破砕。国家の崩壊。かつてない混迷の中から、ネオ・ヒョットコは生まれた。
彼らと既存ヒョットコとの最大の差異は、構成員の年齢にある。

職を失った公務員。取引先を失ったサラリマン。人生設計の崩壊により、発狂した者たち。ネオ・ヒョットコの構成員はそんな大人たちであり、必然的に年齢層も相当に高くなっている。

当然、両者は決定的に相容れない存在だ。ヒョットコは”早寝早起き”という世間の美徳に唾を吐くため、夜に起き、朝まで騒ぐ生活を貫いている。一方ネオ・ヒョットコは昔の同僚と出会うのを恥とし、それを嫌って夜に行動する。

揃いのオメーンを被るのにも、そのような違いがある。ヒョットコたちが今までの自分を否定し、現在の自分を肯定するために被るのに対し、ネオ・ヒョットコらはかつて築いたオナーが失われることを恐れ、自身がネオ・ヒョットコであることを世間に気づかれないように被るのだ。

両者は傍目には似たもの同士だが、その思考の根幹は決定的に異なっている。ゆえに反発し合う。そもそもネオ・ヒョットコという名も「アイツらよりはマシだ」という涙ぐましい自尊心の産物なのだ。

両者は行動範囲、時間帯をともにし、しばしば鉢合わせし殺しあう。バッドアスはこの状況を憂慮し、ネオ・ヒョットコらに挑戦状を叩きつけた。若者にナメられることを嫌うネオ・ヒョットコは、その挑戦を受けた……それが戦争へ至る顛末だった。

「つまり……」

バッドアスは視線を落とし、カンニング・ペーパーを見た。

「我々は今夜、全面戦争を以ってネオ・ヒョットコを完全に駆逐する! ドロップアウト気取りのカチグミに生きる資格など無い!」

ワオーッ! 力強い言葉に会場が沸いた。バッドアスの発言力のなせる業だ。アジテートの草案をまとめたアミタも満足げに笑った。ここから演説はさらに盛り上がる!

カチグミを殺せ! 痛めつけ、惨たらしく殺せ! 俗悪たる社会システムを構築し、我らを貶めたカチグミには悲鳴を上げる資格すら無し! 家を追われた時のことを思い出せ! その原因は全て奴らにある! インガオホーという言葉を思い知らせてやるのだ!」

ドンドンドンドン! コゴリノチが台本通りのタイミングで太鼓を打ち、感情を煽り立てた! 彼らは各々の苦しみを、苦い放逐の記憶を呼び起こされ、激情に駆り立てられていく。そこにバリキやシャカリキといったケミカル反応が加わることにより、最高潮に達する……!

「コロセー! コロセー!」「復讐だ!」「全部あいつらが悪い!」

暴力的チャントがホールを満たす! コワイ! 空のバリキドリンク瓶が床に散らばる!

「さあ、約束の子らよ! バリキを飲め! オメーンを被れ! 天罰を下すのだ!」

ワオオオオーッ! ヒョットコたちは餓鬼めいてドリンクを奪い合い、暴力衝動を高めていく! そして彼らは先を争うように出口に突進し、戦場へと向かった!


……


「いや、壮観だったな……想像以上だ」

会場に残った二人……キングとアミタは、がらんどうになったホールを眺めていた。指揮官役にして代表者たる彼らには、ドラッグの摂取は許されない。

「ありがとうございます!」

アミタは誇らしげに言った。

「彼らは必ずや、ネオ・ヒョットコを駆逐してくれるだろう。絶大なる怒りを以って、な。いや、実に……面白い」

バッドアスは笑った。その他人事めいた調子を、アミタは多少訝しむ。

「ところで、君の友人はどうした? いつも一緒にいる彼は」

「……少し体調が優れないようで、一度、家……いや、アジトに」

アミタは答えた。それ以上の説明は、彼にはできなかった。

「臆病風かな?」

「そんなことはありません。あいつは俺なんかよりずっと強い奴なんです」

アミタは断言した。それは嘘偽りない、彼の本音であった。

彼がコズマと出会ったのは、家から放逐されて二日後。セプクする場所を求め、ネオサイタマをさまよっていた頃のことだ。アミタが入り込んだ、すえた臭いのする路地裏では、コズマが浮浪者狩りの真っ最中だった。

アミタは当然この暴力光景に怯え、マッポへの通報を考えた。だがコズマは目ざとく彼を見つけると、カンケリでもするような気安さで殺人に誘ったのだ。

(一緒に遊ぼうぜ! お前、行くとこないんだろ?)

(アイエエエ!)

(遊びだって? こんな酷いことが!?)

(酷くねえよ。仕返ししてるだけだ)

コズマは怯える彼に、受け売りのヒョットコ・クランの思想を語った。それは父や学校が教えたのとは違う、真逆の倫理観だった。そしてそれゆえに、世間に背を向けたアミタの心には、驚くほど良く染み込んだのだ。

他者を憎んでいい。それは自分以外の人間を責めることを許されなかったアミタにとって、革命的な思想だった。彼は即座にコズマと共に、セプク用に持ち歩いていた刃物で”復讐”を果たした。

……以来、彼はいつもコズマと共にいる。彼にとってコズマは生まれて初めての友人であり、唯一無二の親友だ。あの輝かしい虐殺の光景を、彼は今でもハッキリと覚えているし、死体と撮ったセルフィーを、携帯IRC端末の壁紙に設定している。

「戦場に行きましょう。奴はきっと、後から来ます。カチグミに復讐するために」

アミタはそう言うと、返答を待たずに出口へ向かった。バッドアスは苦笑し、テーブル上のバリキを数本くすねた。それから後を追った。


◆ ◆ ◆


寝室。半分開いたカーテンから、割れた月の光が注ぎ込む。コズマとヨツノはベッドの上に横たわり、ボンボリに照らされる互いの顔を見ていた。

「……そろそろ行かなくていいの?」

「まだだ」

「0時なんでしょ?」

「もう少し、こうさせてくれ」

コズマは彼女を抱き寄せた。たくましい腕の中に彼女の頭をおさめ、彼は静かに言った。

「もうすぐ、戦争だ」

「行きたくないの?」

「……少し前までは、行こうと思ってた」

コズマは遠い目をして言った。

「殺していい奴がたくさんいるからな」

ヨツノは静かに、彼の言葉の続きを待った。コズマは懐かしむように語って聞かせた。

「戦って、勝って、殺して……昔からそうだった。殺しはしなかったけど、相手を叩きのめすことだけが生きがいだったんだ」

コズマはスポーツ全般に対し、天賦の才を持っていた。彼は勉強はできなかったし、しようとも思わなかったが、それで支障はなかった。大学にはセンタ試験の結果が悪くとも、スポーツ実績により入学が可能だからだ。

だが、彼の輝かしい道は、突如暗雲に覆われた。彼の成績があまりにも悪いと、突然大学側が難色を示したのだ。そして彼にとって不運なことに、彼よりも一段スポーツは下手だが、勉強のできる生徒が同時に受験していたのだ。

大学はコズマの入学許可を取り消し、代わりに彼を合格とした。コズマは当然反発し、抗議したが……結果は変わらなかった。他の大学に出願しようとしたが、時すでに遅く、スポーツ入学のための枠は空いていなかった。ヤバレカバレで受けた二次試験も全滅する頃には、周囲の人間は豹変していた……

「でも、今は違うんだ。今の俺には、殺しなんかものよりも大切なものができた」

「それって……?」

ヨツノは顔を上げ、彼の顔を見た。

「……」

コズマはたじろいだ。つい先ほどブザマを晒したゆえ、その言葉を口に出すには抵抗があった。だが、彼はもうすぐ死ぬかもしれないのだ。短くも長い沈黙ののち、彼は腹を決め、言った。

「君だ、ヨツノ=サン」

「エッ……」

ヨツノは困惑した。コズマは勢いのまま続けた。

「君だけが、本当の俺をわかってくれる……昔、俺の周りにいた連中とは違う。弱みにつけこんだりせず、話を聞いてくれる……バカだからって態度を変えたりしない。その優しさが好きなんだ。君だけなんだ。俺を救ってくれるのは」

コズマは息をついた。彼が息を吸ったのを見計らい、ヨツノは尋ねた。

「アミタ=サンは?」

アミタ。その名を聞き、コズマは鼻を鳴らす。

「あいつだって同じさ。あいつは俺なんかよりずっと頭がいいからな」

「そんなこと言わないで」

ヨツノは悲しげに言った。

「アミタ=サンはあなたのこと、きっと大事な友達だと……」

「慰めはいいさ。知能指数は低いけど、俺だってそのくらい分かる。俺が戦えなくなったら、あいつは俺を簡単に捨てるだろうさ。頭のいい奴は、利用価値のない人間に構ったりしないんだ」

「……」

ヨツノは黙り込んだ。コズマは話題を変えた。

「そんなことより、どうなんだ。お前は、俺のことを……」

「好きよ」

ヨツノはあっさりと言った。コズマの心臓が高鳴った。

「じゃあ、俺だけの女に」

「それは、ごめんなさい」

沈黙が二人の間に流れた。やがてコズマは、震える声で尋ねる。

「……なんでだ?」

コズマは震える声で尋ねた。

「待っている人がいるの。ネオサイタマ……ううん、世界中に。救いを待っている人が」

ヨツノは彼の腕の中から抜け出し、カーテンの向こうを見上げた。くぐもった月の光が豊満な胸を照らし、床に美しい影絵を作り出した。

「楽にしてあげたいの。可哀想な人を、みんな。だから」

ヨツノは振り返り……そして、息を呑んだ。コズマの目に、先ほどまでの悲痛なアトモスフィアとは違う、剣呑な光が宿っていたからだ。

「コズマ……サン?」

「わかった」

男は無感情に言った。

「君も、同じなんだな」

「何が……」

「いいさ。君は悪くない。俺が勘違いしてたんだ。世の中ってのは、やっぱりそういうもんだよな」

ベッドから立ち上がり、コズマは服を着込み始めた。

「どこへ行くの?」

「時間だろ。戦争が始まる」

「嫌じゃなかったの?」

ヨツノが背中に尋ねる。コズマは熱に浮かされたような口調で答えた。

「嫌でも行くんだ。戦場が一番手柄を立てやすい。俺が強いってこと、君に証明できるからな」

「そんなのに意味はないわ」

「あるさ。結局みんな、強い奴が好きなんだ。守ってくれるから。だから、君は俺と一緒にいた。でも俺は弱みを見せた! だから嘘を言って俺から逃げようとしてるんだろ!?」

コズマはまくし立てた。その瞳には屈折した怒りと悲しみが宿っていた。他人には理解できぬ、深く暗い感情が。

「違うわ。私は……」

ヨツノは手を伸ばそうとした。だが彼はすでに身支度を終えていた。

「証明してくる。弱いところがあっても、俺は強い。君を守れる……ここで待っていてくれ。一番安全だから」

「行きたくないなら……!」

ヨツノは後を追おうとした。その目の前で、寝室のドアが勢いよく閉ざされた。彼女は床にしゃがみ込み、静かに泣いた。


#4

決戦場は、うず高く積まれた2つの廃材の山に挟まれた盆地だった。一帯には機械部品や、得体のしれない液体を覗かせるPVC袋が散らばり、足元もおぼつかない。夜の闇を破るのは、街灯でもボンボリでもなく、月の光のみ。およそ決闘には不向きな地形である。

ヒョットコ、ネオ・ヒョットコの戦士たちは、自然と廃材の麓に集っていた。無論、どちらがタフでクールなのかを、敵対者に示すためだ。

ヒョットコ側の廃材山の中腹からは、神経ケーブルに繋がったままの廃オイランドロイドの眼球が垂れており、表情のない瞳で戦士たちを見据える。両者はバッドサインを作ったり、廃材を引き抜いたりして、胆力をアッピールし合っている。

だが、どちらも直接的な暴力行為や、罵声に及ぶことはない。読者の皆さんはこの光景を不思議に思われるかもしれない。しかしこれは、ヒョットコの集会では自然とみられる光景である。

人生を賭けたセンタ試験の失敗で自信を喪失したヒョットコたちは、責任を負うことを極度に恐れるのだ。ゆえによほど腹が立たない限り、彼らは言いつけを愚直に守る。

ときおり訪れ、攻撃命令をねだるヒョットコたちを宥めながら、アミタはネオ・ヒョットコの連中を睨んだ。オメーンで顔は見えないが、予想される年齢は様々だ。中には明らかに60代を越えた人間もおり、弛んだ体つきの豚もいる。彼の父親に似た体格、髪型のネオ・ヒョットコも数人。

(親父、見てろよ。いつかあんたの元に辿り着いたら、こいつらと同じように殺してやる……!)

アミタは殺意を研ぎ澄ます。決戦開始まで10分を切ろうとしていたころ、雰囲気のいくらか変わったコズマが彼の元を訪れた。

「やっと来たか。遅かったな」

アミタはホッとして笑いかけた。正直なところ、彼が去ってしまう不安もいくらかあったからだ。

「ちょっと立て込んでな。さっきは悪かった。もう戦える」

コズマはタフさを強調する。

「本当か? やせ我慢してるんじゃないだろうな」

「まさか。絶好調さ。お前が殺す分、残らねえかもしれねえぞ」

コズマは好戦的な笑みを浮かべた。その目は暴力への期待にギラギラ光っているように見えた。アミタは安堵した。いつものコズマだ。彼が帰ってきたのだと。

その時、ネオ・ヒョットコらがざわめき始めた。その中心には、遠目にも分かるほど鍛え上げられた肉体を持つ男。特徴的なのは服装だ。真っ白なスーツを着込み、白いネクタイでキメている。そしてその顔には当然、ヒョットコ・オメーンを被っている……

「なんだありゃ。どういうファッションセンスしてるんだ?」

アミタは失笑した。

「全くだ。真っ赤に染めてやろうぜ。少しは見栄えが良くなるだろうからよ」

コズマは残虐に笑った。男は周りのネオ・ヒョットコたちに深くオジギされ、偉そうに踏ん反り返っている。

「……で、あいつがキングか?」

「ああ。あれが向こうのキング。パターナルとかいうファック野郎だよ」

アミタは吐き捨てた。あの筋肉。さぞかし良い物を食って、良質なトレーニングを積んだのだろう。カネの力によって。アミタにとってそれは、取り巻きの豚めいた連中の腹で揺れる、小汚い脂肪とさして変わらない。

「……なら、あいつを殺せば俺がMVPってわけか……ん?」

コズマは目を留めた。パターナルのネクタイ。そこに何かが付いている。タイピンだ。月の光を反射し、ときどきキラキラとした光を放っている。宝石で出来ているのだろうか?

「妙な形だな……カンジか、あれは?」

それは”天下”の字を崩したような、しかし均整の取れた美しいフォルムをしていた。プレゼントすれば、ヨツノは喜んでくれるだろうか。張り詰めたニューロンに、一瞬そんな想像がよぎる。

雑念を振り払うように、コズマはかぶりを振った。ヨツノの笑顔を見られるのは、戦果を大々的に上げた場合に限られる。勝利しなければ全てを失う。今までそうだったように、今回もそうするだけだ……

ドーン! 両陣営が太鼓を打ち鳴らした。そして両軍勢の中央から、二人のキングが一歩づつ歩み出る。アミタは緊張した面持ちで見守る。まるで江戸時代の合戦だ。二者は中央で睨み合った。先に口火を切ったのはパターナルだ。

「小便は済ませたか? ガキども」

パターナルは尊大に言った。ネオ・ヒョットコ勢から失笑が漏れる。バッドアスが切り返す。

「アンタこそ、オムツは履いてきたのかい?」

これに応え、ヒョットコ勢がヤジを飛ばした。

「ハッ……ぬかしおるわ」

パターナルは動じず、せせら笑った。

(……妙だな)

アミタは訝った。相手はこちらを見下している。であれば、煽りに対してもう少し反応しても良さそうなものだが……ネオ・ヒョットコの連中はどいつもこいつも平静としている。

「じれってえなあ。早く殺させてくれよ。早く。早くよ」

コズマが体をうずうずとさせた。アミタはそちらに気を引かれる。親友の手には注射器が握られていた。親友の手には注射器が握られていた。

「……なんだそりゃ? ZBRか?」

「ああ、ZBRさ。イイな、これ。使ったことなかったけど遥かにイイ」

コズマは早口で言った。スポーツ少年であった彼は当然薬物を嫌悪していた。だが今日はその嫌悪感よりも優先すべき、絶対に結果を残すべき理由があった。

「打ち過ぎるなよ。脳に悪いぞ」

薬物摂取のセンパイとして軽く注意すると、アミタは思考へと戻った。親友の足元にある、空の注射器には気づかないまま。

「貴様らは、若い。ゆえに大人の狡猾さを知らん」

パターナルは尊大な調子を崩さない。

「要点を言いなよ。老人の悪い癖だぜ?」

バッドアスが挑発した。パターナルはついに怒鳴った!

「社会勉強をさせてやる、と言うのだ!」

それは自陣営への合図でもあった!

「今だ、点火!」

ネオ・ヒョットコの一人が謎めいたスイッチを押す!

「ピガーッ!」

ヒョットコ側の廃材の山、その中腹に位置する廃オイランドロイドが電子的な悲鳴を上げ、痙攣した!

(まさか!)

アミタは予感し、とっさに叫んだ!

「逃げろ! 前に出るんだ!」

指揮官は腕を振り、同胞たちに危険を知らせる! 明らかにアブナイ! だが彼らは逃げない! より偏差値の高いバッドアスからの待機指示に反するからだ!

「急げ! 早く!」

アミタは声を枯らして絶叫する! バッドアスは無言! 直後、オイランドロイドは自爆した!

KA-DOOOOOOM!

廃材山の一角が崩れる! 質量に満ちた大波が頭上から不運なヒョットコたちを飲み込んだ!

「「「「「「アババババーッ!?」」」」」」

ナムアミダブツ! 即死である!

「ダッテメッコラー!? 決闘じゃなかったのか!?」

アミタはかすれた怒号を上げる! パターナルはそれを嘲笑!

「外野は黙っていたまえ! 勝ったものが正義! それが社会というものだ!」

なんたる非道! だがネオ・ヒョットコたちは心底愉快そうにゲラゲラと笑う! ヒョットコたちに怒りが満ちる!

「……約束の子らよ! 怨敵の醜悪なる性根は、今明らかとなった!」

バッドアスがついに号令する!

「皆殺しにせよ!」

パターナルもこれに応戦!

「ハッハッハ! 聞き苦しい誇大妄想よ! 現実を教えてやれ!

「「「ヨロコンデー!」」」

鬨の声とともに、ヒョットコたちは思い思いの叫びを上げながら、ついに眼前の敵に殺到する! すさまじい声量に空気が震え、苛烈なる憎しみに悲鳴を上げる!

「イヤーッ!」「アバーッ!?」

ヒョットコがネオ・ヒョットコを殺す!

「イヤーッ!」「グワーッ!?」

ネオ・ヒョットコがヒョットコを殺す!

「アババババーッ!?」「アバーッ!」

足場の悪さに転倒した不運なヒョットコ二名が、人波に踏み潰され死亡! だが誰も顧みぬ! 今やこの戦場に殺人衝動に支配されていないものはいない!

「イヤーッ!」「グワーッ!?」

アミタも果敢に突撃し、ストライプ・ワイシャツのネオ・ヒョットコを撲殺! イクサは始まった。ゆえに彼は一戦士へと戻れる。ヒョットコたちは薬物と脳内薬物の化学反応により、他人の命令など聞きはしないからだ。おお、ナムアミダブツ! これもマッポーの一側面か!

「イイヤアアーッ!」「「アババーッ!?」」

コズマは先端を尖らせたボーで二体のネオ・ヒョットコを貫通殺! その背後にネオ・ヒョットコがにじり寄る! アブナイ!

「イヤーッ!」「グワーッ!?」

しかしコズマはボーの尻を突き戻し、彼女の鳩尾をしたたか打った! ワザマエ! 懐をえぐられる苦痛に、ネオ・ヒョットコ女は呻く。

「ゴボッ……!」

「失敗だなァ、これ……ケツも尖らせときゃ、一撃だったのによ……」

コズマは独り言をつぶやく。そしてトドメを刺すべく、ZBR膨張した筋肉で、無理やりボーをねじ込んだ!

「……イヤーッ!」「アバーッ!?」

ナムサン! なんたる鍛えられた筋肉と薬物の乗算威力! 先端の丸いボーで、力任せの貫通殺を決めたのだ! コワイ!

コズマはボーを引き抜いた! 敵の腹部から溢れる血しぶきが、夜の闇に鮮烈な軌跡を描く。それはまるで、コズマ自身の心を映したウキヨエのようであった。

「イヤーッ!」

狂戦士は跳躍し、乱戦の場に飛び込んだ! ……そして、その上空!

「イヤーッ!」「イヤーッ!」

パァン! 空気の爆ぜる音が鳴った。二人の男のトビゲリが、戦場の中心部上空で衝突したのだ! それぞれ反動を得た彼らは、後方へ回転跳躍! 廃材山に着地する! なんたる跳躍力か! もはや人間業ではない!

「ドーモ、パターナル=サン。バッドアスです」

「ドーモ、バッドアス=サン。アマクダリ・セクトのパターナルです」

二者はほぼ同時にオジギした。山頂からはイクサの光景が俯瞰でき、戦況がどちらのヒョットコに傾いているかは一目瞭然だ。しかし彼らはそれを一目すら見ることはない。

「ヘッヘヘ……! くると思ったぜ、ニンジャがよォ!」

バッドアスが下品に笑い、パターナルに左の中指を立てた。彼の右手には身長ほどもある長い鉄パイプが握られている。

「下品な男だ。しかし……ニンジャであったか」

「お前もだろ?」

バッドアスはオメーンの下で涎を垂らす。

「バカを集めてデカいイクサをすりゃ、ニンジャも来る……! 俺は知能指数が高いんだ。歯ごたえのある奴を呼ぶには、お膳立てがいるってよォ!」

「貴様はイクサを求めるか」

「ニンジャだからなァ……小せェ奴はよ、カラテも弱ェ。殺しても物足りねえんだ。格上じゃねえとよ……!」

バッドアスはヒュンヒュンと得物を振り回しながら言った。その声色には抑えもしない喜色がにじむ。

「お前は合格だ、パターナル=サン。クズを煽ってイクサを起こさせた甲斐があったぜ」

「……けだものめが」

パターナルは侮蔑する。

ヒュルヒュルヒュル……流れ弾が飛来し、戦場で炸裂した。悲鳴と歓喜の入り混じった絶叫が響く。二人は会話を続ける。

「アマクダリ・セクトは秩序を乱す輩の存在を許さぬ。貴様も、配下のヒョットコどもも、そこで暴れておる同列のクズどもも同じだ。奴らは勝手に殺し合い、じきに全滅するだろう。貴様も同じ運命を辿らせてくれる」

パターナルは静かにカラテを構えた。

「ああ、それだ」

バッドアスはぽりぽりと頭を掻く。

「その、なんとかセクトってよォ……昔聞いたことあるぜ。潰れたンじゃねェの?」

「セクトは滅びぬ」

パターナルは厳格に言った。

「なぜならセクトはシステムであり、思想だからだ。構成員がいくら死のうと、大イクサに敗北しようと、それは些事に過ぎぬ。人々の心にアマクダリ精神ある限り、セクトは不滅なのだ」

「……狂ってンなァ!」

バッドアスはゲラゲラと笑った。

「ならお前の次は、その人々ってのを全滅させてやるよ!」

「誇大妄想が尽きんようだな……!」

会話は終わった。再び両者の体に、油断ならぬカラテがみなぎる!

「「イヤーッ!」」

空中でカラテが激突! 地上へ降り、色付きの風となって戦場に吹き荒れる!

「「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」」「アババーッ!?」

ヒョットコの一人が訳も分からぬまま、胸から上を吹き飛ばされて死亡! カラテ余波だ! 両者はまったく意に介さず、カラテ・ラリーを継続! その他ヒョットコもニンジャに気づこうともせず、殺し合いを続ける!

ニンジャの暴威が吹き荒れようとも、流れ弾が飛んでこようとも、最早彼らに意味などないのだ。目の前に敵がいて、殺すことができる。怒りをぶつけることができる! それだけが唯一の救い。死のリスクなど視界に入らぬのだ!

「イヤーッ!」「グワーッ!?」

アミタの鉄パイプが、老ネオ・ヒョットコのオメーンを砕く! 敵は激痛に悶え、地面をのたうつ! アミタは容赦無く追撃を振り下ろした!

「イヤーッ!」「グワーッ!」

(死んだか!)

アミタはザンシンせず、周囲に視線を戻した! だがそれは判断ミスだった。倒れたネオ・ヒョットコがゾンビーめいて足首を掴み、思い切り引っ張ったのだ!

「なッ……! グワーッ!?」

老人とは思えぬ膂力に、引き倒されるアミタ!

「アバッ……よくも、この私を……!」

ネオ・ヒョットコが憎々しげに呟く! アミタにはその声が、妙に耳馴染みがあるように思えた。だがここは戦場だ!

「黙れカチグミめ! お前に文句を言う資格が……!」

「その声……!」

老ネオ・ヒョットコが息を呑んだ。アミタはその様子に一瞬呆気に取られた。老人は震えた声で尋ねた。

「お前……アミタか?」

「その声……まさか……」

嘘だろ? アミタは思った。緊張が幻覚を見せているのだと。だが足首を掴むこの力は、間違いなく現実だ。ならば。

(いや、違う! 現実なのはこの手だけだ! この声は、間違いなく偽物……!)

アミタは意を決し、その声が幻聴であると証明すべく、相手のオメーンをはぎ取った! 老人は反射的に顔を隠そうとした。その手を押さえつける! ……そこにいたのは、あまりにも良く見知った人物!

「親父……!?」

「アバッ、ハハ……こんなところで再会か。ウフッ、フフフ……!」

父の顔は薄汚れ、髪もひげも伸び放題になっていた。それは記憶の中の父とは似ても似つかぬ、ニタニタとした笑い方で笑っていた。

「何やってんだよ……? なんでこんなところに!? アンタはカイシャがあるだろ!?」

「カイシャは、潰れたよ」

父は口角から唾を漏らしながら言った。

「国が潰れるようなことがなければ、永遠に存続するような企業だった……生涯雇用安定……だが、ウフッ、国が潰れてしまってはな、ウフフッ!」

アミタは会話の内容以上に、その調子に困惑した。厳格な父は、薬物どころか一切の娯楽を絶っていた。それが。

「アンタ、ずっと薬物はダメだって……ザゼンすら飲んだことが!」

「隠れて飲んでいたに決まっていただろう! でなければ激務に耐えられん!」

「カ、カチグミは苦しみなんか無いんだろッ!? 大学に入ってメガコーポに行けば、全部マケグミに押し付けて……! アンタがそれを教えて!」

「そんな天国が、世界にあるわけがなかろう! みんなお前を努力させるための嘘だ!」

「……ッ!?」

ゾクリ。アミタは背筋が粟立つ感覚を覚えた。彼の思考の奥深く。その根底に、父の教えは染み込んでいた。家を出て、ヒョットコとなっても。表面上でいくら否定したとて、それは拭い切れぬ影響力を持っていたのだ。


「ハハ……だが、お前が正しかったな。努力なんぞした方がバカなのだ。激務に耐えたところで報われぬ! 結局私は捨てられてこのザマだ! アミタ! お前が正しかったよ! 父さんが認めてやる! ウフッ、ウフフフフフハハハハハッ!」

「……エ?」

アミタは硬直した。あまりにも非現実的なその言葉を解釈するため、ニューロンが高速化した。時間の流れが泥めいて鈍化する中、彼は這って逃げていく父の背中を見送った。

(カチグミになれよ。そうすれば一生楽ができる)

脳裏に浮かぶのは、幼少期から聞かされ続けた父の言葉。

「だって……おかしいぞ、こんなの」

(嫌なことは全部マケグミにやらせられる)

(大学に入るまで耐えるんだ)

「だって俺は。そのために。だから、復讐……みんなのため……」

(お前が正しかった)

「だって、だから、俺はッ……!」

彼を支配していた認識が打ち崩される。思考の前提が。ストレスのはけ口たる殺戮を正当化する、詭弁の論理が。

「カチグミに、何をやったって……!」

(隠れて飲んでいたに決まっていただろう!)

ガチガチと歯が鳴る。その音が妙にハッキリと聞こえる。アミタは思わず呟いていた。

「嘘だ。……嘘だよ。こんな現実、テストに出ないぞ……」

呆然と周囲を見渡す。戦闘の音が残響めいて聞こえる。すぐそこにいる仲間たちが恐ろしく遠くにいるように映る。距離だけではない。何か決定的なものが隔たれた、そんな気がした。その時だった。

「イヤーッ!」「グワーッ!?」

後ろから、何者かのボーがアミタを打擲した! 彼がいくら逃避しようとも、現実は彼を掴んで離さない! ゴロゴロと転げ回るのは彼の番だった。

そのポケットから携帯IRC端末が落ち、偶然に電源が入った。ランダムに転がった先で、アミタはそれを見た。壁紙登録されたセルフィーを。無残な死体を前に心底嬉しそうに笑う、彼自身の顔を。

「ヒッ……!」

アミタはただ、己のその姿に怯えた。

「イヤーッ!」「グワーッ!」

その隙を狙い、再度ボーが打擲!

「アイエエエ! ヤメロー!」

アミタは何かに気づき、命乞いをした! だが暴力は止まぬ!

「イヤーッ!」「アバーッ!?」

ベギン! かざした右腕が木材めいて折られる! アミタは半狂乱になって叫んだ!

「ヤメロ! コズマ=サン!」

……彼を殴った男は……コズマは打擲を止め、アミタを見下ろした。その表情はオメーンに覆われ窺い知ることはできない。

「武器を下ろせよ! ZBRのやり過ぎだ! この俺を……!」

アミタは呻きながら言った。コズマはボーを下ろさなかった。アミタは怯えを隠せずに言った。

「オイ……どうしたんだよ。俺が分からないのか?」

そして彼を止めるべく、大きな声で呼びかけた!

「アミタだよ! お前の、親友のッ!」

「イヤーッ!」

コズマはその言葉に、ボーを振りかぶって答えた!

「アイエエエ!?」

理解不能の恐怖に、アミタが絶叫する!

パァン! 乱戦の中、その音は嫌にハッキリと聞こえた。……誰かが、こちらへ向けて銃を撃った。二人にわかったのはそれだけだった。コズマは右目の奥から何かが抜けてくる感覚を、異常興奮したニューロンで味わった。それは彼の最期の感覚となった。

アミタはコズマのオメーンが砕け、顔の右半分が爆ぜるのを見上げた。だが、振り下ろされたボーの勢いは消えなかった。額をしたたかに打ち据えられ、アミタの意識は真っ白に染まった。


◆ ◆ ◆


高級テンプラ・レストランの個室。黄金色の油から、真っ直ぐに伸びた美しいエビ・テンプラが上がってくるのを、6歳のアミタはキラキラと輝く目で見ていた。それは芸術的な手際で、まさに日本的な美の光景であった。

(夢だ)

アミタの意識は、ぼんやりとそう考えた。

「ドーゾ」

「ドーモ」

職人が礼儀正しくオジギすると、父もまたオジギを返した。職人は揚げ油を持って退室する。高度な技術を以って揚げられた本物のテンプラが味わえるのが、この店の最大のウリだった。親子は静かに、揚げたてのテンプラに塩を付けて食べ始めた。

最高級エビ・テンプラの味を、アミタは詳しく思い出せない。だから、霞んだ味がした。

「アミタ。これがカチグミだ。これがカチグミの生活だよ」

父は猫を撫でるような声で、優しく聞かせた。生まれて初めて聞く声に、子供のアミタは当惑した。

「アイエエエ!」

その時、窓の外から小さな悲鳴が聞こえた。アミタは反射的に窓を覆うノレンをめくり、窓の外を見た。何か汚らしい、生ゴミめいたものを抱えた子供が、警備員に襟を掴まれていた。

(イヤーッ!)「アバーッ!」

警備員は声を殺し、汚らわしいマケグミを殴った。子供は地べたに叩きつけられ、生ゴミが散乱した。

「アイエエエ、たべ、もの……」

少年は手を伸ばす。その手が赤いエビの尻尾に触れる。捨てられたその部位を、必死に口に入れようとする。

(イヤーッ!)「アバーッ!」

べちゃり。後頭部を殴られ、彼の顔は生ゴミの山に埋まった。……窓からそれを見るアミタは、その凄惨な暴力光景に怯えた。警備員は窓から見るアミタへ愛想笑いすると、少年を引きずって行った。

「これがマケグミだ」

背後から父が厳格に言った。彼はアミタの肩越しにノレンを下ろし、不快な光景を遮った。

「あの子、大丈夫なの……?」

アミタがおそるおそる尋ねると、父はその頬を平手で叩いた。

バチン!

「アイエッ!」

「お前が気にする必要はない。考えるな」

父はいつもの厳格な調子で続けた。

「だが、これだけは心に留めておけ。お前が窓の向こうにいないのは、父さんがカチグミだからだ。父さんが努力し、一流の大学に入れたから、お前はあのガキのようにならずに済んだのだ」

痛む頬に手を当て、涙ぐむアミタ。しかし父が話しているから、決して泣き声はあげない。

「お前は勉強だけしていれば良いのだ。そうすれば一流大学に入り、カチグミになれる。そして父さんと母さんの老後を支えるのだ。これは名誉なことだぞ。そしてお前自身もいい暮らしができる。何の不満もないだろう? 良いな、アミタ。それまで一切の娯楽は……」


◆ ◆ ◆


大丈夫? ……大丈夫? 誰かがアミタの意識を揺さぶった。アミタの体が目を開き、ぼんやりとした視界で見上げた。ヨツノがそこにいた。

「ヨツノ=サン……?」

「動かないでね」

ヨツノは濡らしたハンカチでアミタの顔を拭った。痛みは感じなかった。彼は拳を握った。その感覚もなかった。

アミタは世界を見た。そこにはジゴクが広がっていた。折り重なったように倒れる死体。互いの頭を砕きながら絶命したと思しき死体。流れ弾に当たり、折れ散らばった無数の手足。焦げ跡。

「コズマ=サンは……?」

アミタは呆然と言った。ヨツノは指で示した。廃材の床の上にコズマは倒れていた。その顔は綺麗に拭われ、残った左目は安らかに閉ざされていた。

「ハハ……」

アミタは無表情で笑った。何もかもが信じられなかった。彼は近くにあった廃カワラに目を留めた。

「ニンジャ……」

彼は呟いた。

「エッ?」

ヨツノが尋ねる。彼はそれを無視し、おもむろに左手でチョップを振り上げ、振り下ろした。

「イヤーッ! ……グワーッ!?」

だが当然、彼の筋力がカワラが砕くことはなかった。アミタの奇行に、ヨツノが目をぱちくりとさせた。

その痛みが、彼に悟らせた。己は何ら特別な存在でもないという、冷酷なる事実を。眼前に広がる死体の海。その中に加わっていないのは、ただ偶然が重なった結果に過ぎないのだと。

死体の中には、当然彼が憎みに憎んだカチグミの姿も混じっている。しかし彼は、もうそれを笑わなかった。ザマアミロと唾を吐き、侮蔑することもなかった。誰もが苦しみを抱えて生きている。その現実を、知ってしまったからには。

彼はただ、冷静に亡骸を見つめた。彼らは内に自分だけの激情を秘め、それを誰にも伝えることなく、冷たいオメーンの下に押し殺したまま、死んだ。その事実を認識した途端、理由の分からぬ涙があふれた。

「どうしたの? 傷が、痛いの……?」

ヨツノが問いかけた。アミタは答えなかった。代わりに、彼女に尋ねた。

「ヨツノ=サン」

「何?」

「お前はどうして、あんなことをするんだ?」

「可哀想だからよ」

「だから、どうして殺すんだ?」

それは純粋な疑問だった。アミタはただ、そう尋ねたくてたまらなかった。ヨツノはハッキリと答えた。

「私には、それしか出来ないから」

「……」

「苦しんでいる人はたくさんいて、私に全員は救えない。体は1つしかないから、ずっと一緒にいてあげることもできない。でも、何かしてあげなければ、ずっと苦しいままの人がいるの」

「……そうか……」

アミタは否定も肯定もしなかった。ヨツノは彼に聞き返した。

「貴方は、これからどうするの?」

「……分からない」

「苦しいの?」

ヨツノは言った。その言葉の意味するところは、二人には明らかだった。思想も、親友も、全てを失い、行くあてもない。その苦しみからの救いを与えようと、彼女は言っているのだと。

「いや……いい」

だがアミタは、それを断った。

「どうして?」

「まだ生きているから。そして、したいことがあるから」

嘘だらけの過去の中で、唯一明らかだった真実。それを彼は噛みしめる。助けたい。あの時、そう思った。その思いだけは嘘ではなかった。道を踏み外した先でも、そこだけは変わることはなかった。だから彼は今度こそ、その思いに誠実に生きようと思った。

「俺は……そうだな……街に行く。お前は?」

「私も。ここにはもう、誰もいないから」

「……そうか」

痛む左手だけでなんとかバランスを取り、アミタは立ち上がろうとした。ふらつく彼を、ヨツノは支えた。

「ありがとう」

アミタは自然とそう言っていた。

「途中まで、一緒だね」

ヨツノが微笑みかけた。アミタは気丈に笑った。

「ああ」

街について、ヨツノと別れて、それから。そこから先はまだ見通しが立っていない。混迷のネオサイタマでどうやって生き延びるか。折れた腕はどうする。医者にかかるカネも無いし、ローンを組むこともできない。

マッポーの世の風は、彼の想定しているよりもなお暗く、冷たい。彼はそう予測できた。辿り着く前に、誰かに殺される可能性だって当然あるだろう。

だが……それでもいい。アミタはそう思った。絶対に幸せになれる道など、この世界には存在しない。だから辛くても苦しくても、自分で決めた道を進もう。そして出来る限りのことをしよう。己が犯した過ちが、殺めてしまった人々のためにも。

そして信じた道を進んでいるのは、彼女も同じなのだ。たとえその方法が、ひどく狂ったもので、意見が決して合わないものだとしても。

アミタは空を見上げた。暗く曇った雲の隙間から、太陽の光が差し込んでいた。彼はもう、太陽に背を向けようとはしなかった。

(サヨナラ)

親友の亡骸に心の中で別れを告げ、ヨツノに支えられながら、アミタは歩いて行く。陽のあたる方へ。光さす方へ。瓦礫の隙間から、割れたヒョットコ・オメーンがその姿を見送った。

【終わり】


それは誇りとなり、乾いた大地に穴を穿ち、泉に創作エネルギーとかが湧く……そんな言い伝えがあります。