「国家衰退」と「経済停滞」の必然的並行 https://ameblo.jp/nakedcds/entry-12401141634.html でも付随的に論じたのですが、基本的に現代日本社会では(そして恐らく先進国各国でも共通して)個人主義、並びに個人主義的自由主義の無条件な礼賛が前提となっており、それが様々な弊害を生んでいるのでは。

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望月慎(望月夜)

主に経済政策について執筆していきます。 金融、財政、貿易、公共政策などが関心分野です。 Modern Monetary Theory(MMT)支持者。 経済学・経済論→https://note.mu/motidukinoyoru/m/m90e376619260

コメント9件

とはいえ、この手の共同体主義や国民主義・国家主義(ナショナリズム)を無批判に受容すべきと言いたいわけではありません。
たしかにナショナリズムのようなある種無差別な互助・救済の思想は、恣意的な取捨選択のない強力な包摂機能を持ちますが、それは第一に、それ以外の集団への排他性を必然的に持ちますし(「田舎」の排他性を思い起こしてもらえると大体あってます)、また強力な包摂というのは、強制的な包摂という意味でも表裏一体であり、たいていの場合、当該共同体内での強い相互干渉を受けます。(「親戚」や「隣近所」からの干渉が激しい昔ながらの「田舎」を想像していただければ大体その通りです。)

強力・強制的な包摂は、父権主義(パターナリズム)と換言することもできるでしょう。共同体・国民国家の秩序だった”救済”は、必然的にパターナリスティックな干渉を伴わざるを得ない。個人主義、自由主義、リベラルは、このような父権主義的構造への反発を第一としているわけです。
しかし、これまで見てきた通り、父権主義的構造への反発と離脱は、決してバラ色の未来を約束するものではありませんでした。
「仲間」と、「救うべき弱者」は恣意的に選別され、それは仲間としても救済の対象としても選ばれない人々の不幸と不満の源泉となりました。
それはトランプ旋風のような”反動”の原因となることもありますし、仮にラディカルな反動がなければ、「選ばれない人々」の悲惨な未来が確定することになります。自由と引き換えに孤独と貧困を受け入れなくてはならないというのは、余りにも重すぎる代償なのではないでしょうか。
私は「国家衰退」と「経済停滞」の必然的並行 https://ameblo.jp/nakedcds/entry-12401141634.html の中で、現代のことを「反抗期の時代」と呼びました。

父権主義(パターナリズム)への反発で個人主義と自由主義を謳歌してみたものの、その代償として選ばれない(見捨てられる)人々を次々に生み出してしまった浅慮な現代的道徳の運動は、まさしく子供の反抗期を見るが如しです。

嘆かわしいことは、良い年の大人になっても、かのごとき反抗期じみた精神性を一向に克服できそうにないということです。(恐らく、死ぬまで克服できないままでしょう)

パターナリズムに至らぬ点があるとしても、個人主義・自由主義にも大きな代償があり、『良いとこ取り』は出来ないのです。こうした現実に対する虚心坦懐な観察は、しかしながら現代的道徳から強い反発を受けるでしょう。(現実的指摘への非合理的反発という意味では、まさしく別種の宗教という他ない)
しかし、現代人は、個人主義・自由主義の陥穽に気付くべきです。

いや、気付く人々が現れた結果として、各国でのナショナリズム的反動が強まっているのかもしれません。

ただし日本は、その意味では事実上のパターナリズム”復権”には遠そうに見えます。

好む好まざるの問題ではなく、このようなパターナリズムの没落は、並行して国家衰退と経済停滞を生み出しているのであり、「反動」なきままなら、日本は相対的な没落を免れ得ないということはほぼ確実に言えるでしょう。
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