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『こんばんは、今日もお疲れ様です。』

『こんばんは、今日もお疲れ様です。』noteの本文を打とうとしたら、この一文が出てきた。たまにはこんな一文をきっかけに書くのも悪くない。

 祝日の夕方にせっせと指を動かすことを10年前の自分は予想していただろうか。休日返上で出社して、定時で退勤。その足でいそいそと居酒屋で酒をひっかける。概ねそんなところだろうか。ただ現実は違っている。指を動かしている。
なんだかとても地味な感じがする。下書きなんてない。ただ綴っているだけだ。不思議なもので、打ち続けている時には、他の情報という情報が一切入って来ないのだ。聞こえるのは呼吸の音。いや鼻息と言うべきだったか。

 自室は酷く汚らしい。物が散乱していて、足の踏み場に困る程だ。とは言えかれこれもう30分以上椅子から離れず座りっぱなしなのだから、特に問題はない。そろそろ何故自分がこれを打ち始めたのか、分からなくなってくる頃だ。さてなんでだったかな。

 先ほどから「打っている、打っている」と仕切りに言っているが、スマートフォンなる物で、タップしているから「打っている」と書いている。正確に言えば、これも打っている。

 ブラインドなんちゃらと巷で言われる類いの芸当や、フリなんちゃら入力などと言う曲芸は、自分には縁遠いのだろうなと思う。指先の感覚がもしも自由自在だったなら今頃ピアニストか鍛治職人なんかになっていただろうと思うが、生憎不器用である。

 人生に「もしも」はあるだろうか。この丸々とした柔らかい三文字の中に、残酷極まりない意味合いを付随した輩を許さない。同じ文字を二回使うなんて卑劣じゃないか。一見すると優しそうな見た目のそいつは、夢を見させるだけ見させておいて、期待がピークに膨らんだ後に「うっそー!」なんてほざくからタチが悪い。時間泥棒め。

 前述の通り、もしもなどと言うものを認めない。いや認めてなるものか。そんなものを認めてしまったら後悔の嵐が巻き起こり、軽く一年は泣いて過ごすだろう。もし自分が亡くなる時、人生の映画を創ったとしても、この「後悔の一年」は間違いなく全カットだろう。そうしてもらわないとまた後悔する事になってしまって、亡霊が肉体の周りを浮遊する事になる。成仏どころか幽霊になってしまう。そうしたらまた後悔してしまう。次々にこれを繰り返していくうち、結果的に撮れ高抜群のような気がしてならない。「後悔」だけで一本撮れる可能性もある。ああもう考えただけでくだらない。くだらな過ぎる。そろそろこの話、終わってもいいですか?

 もしもの代わりに「たまたま」を付け加えると幾分気分が良くなる。気が付いてしまったのだから仕方がない。書くしかない。

 たまたま自分はこの記事を書き、たまたまこの話題に触れ、たまたま読んでくれているあなたがいる。たまたまがたまたまを呼び、次なるたまたまを、またたまたま引き起こす。どうだろうか。まったくそんなつもりはないが、徐々にeroticな気分に誘われやしないか?まぁ…これもたまたまなのだが。

 ちょっとでもクスッと笑って頂ければそれでいい。それだけでいい。学生時代、こんな様なくだらない話を声に出して喋りたかったが、周りと人間の風合いと違ったせいか、見事に話が通じなかった。仕方なく「真面目くん」のレッテルを貼られるがままにしておいてやった。人にはそれぞれ風合いというものがある様な気がするが、周りは皆必死になって「変わり者」を演じていたように思う。かく言う自分ももれなくそうであった。いや更に浮いた感じがあった。

 音楽大学声楽科在学中は極自然に受け入れていたのだが、オペラと言う代物は、真面目であって何処か滑稽である。「真面目に美しいを演じる」とは一体全体何であろうか。しかしながら観客は間違いなくそれを求めていたし、成立もしていた。今思えばカオスな状況である。それどころか、今なおオペラが好きであるから、もう自分がイマイチよく分からない。自らを王様だと思い込んだり、魔女だと思い込んだりする。演劇全般は皆滑稽であるが、それを皆受け入れ、本来であればとんでもなく恥ずかしい嘘を、堂々とドヤ顔でやってのけるのだから、まぁ…変わっているのだろう。

 そんなオペラも社会風刺的な面を持っている。なんでも、昔むかしのヨーロッパでは、道化師だけが王様に意見できた時代があったとかなかったとか。だとしたら滑稽である事にも、イマイチよく分からない事にも、カオスである事にも恥ずかしい気持ちにも、ちょっとだけ光が差しているようにすら思えては来ないだろうか。なんなら誇ってもいいような気になってくる。来ないかもしれないが、兎にも角にも好きなのである。

 結局在学中、自分は何がしたかったのだろうと考えに考えたけれどやっぱりよく分からなかったし、何年か経った今、何がしたいのかよく分からずにいる。たまたま生まれて、たまたま生きて、ある日突然たまたまご臨終、なんていうのが概ねの未来だろうか。なんだか味気ないな…。

 大真面目に言えば、ただ笑いたいし、ただ笑って欲しい。こんな感じのくだらない話が延々とできるパートナーが居ればなぁ…なんて思う中秋である。

 こうしているうちにすっかり外は暗くなり、エモいなんていう言葉では説明が付かないくらい何も見えなくなってきた。なんでもかんでも三文字に込めようとするなよな。

ところでエモいってなんですか?

 とんだ風評被害でしたねぇエモいさん、こりゃ失礼しやした。このあとどうです?あっしと一杯ひっかけていきやせんかね?…え?遠慮しとくって?今日はたまたま虫の何所が悪ぃようでしてね。まぁまた別の機会にお誘いしやすかねぇ…。

 ってなわけで、少々長くなってしまいましたが前置きはこれくらいにして。さぁてと…。

 『こんばんは、今日もお疲れ様です。』noteの本文を打とうとしたら、ちょっとばかしウトウトしてきましてねぇ…。

終わり

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