理解できないひとは下がって
すごく冷たい台詞だ。
3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって
わたしたちは時に、理にかなわない事をしてしまう。たとえば、絶対に振り向いてくれるはずのない人を好きになって追いかけてしまう。とうてい叶うはずのない夢をあきらめきれずに、いつまでもバイトしてしまう。実家に帰ったら、もう十何年も前に死んだ犬の姿を探してしまうし、実家から戻れば今夜あたり昔別れた恋人から電話があるような気がしてきて、早めに風呂を済ませたり、しちゃう。
もしかしたら。もしかしたら、と頭によぎるそれはホームで見る通過電車のようである。
自分の目の前を、えげつないスピードで通り過ぎていくものたち。過ぎていく、のは知っているけどなぜだか、なんとかすれば触れられるような、まだ追いつくような、乗り込めるような気がしてしまうものたち。
三番線快速電車が通過します
アナウンス放送は律儀にきちんとそれを告げる。確実に誰かの肉声であり、かといって目の前にいるわけではない、絶妙に無機質な声。マニュアル的な言い回しは、もはや誰の心も逆撫でたりしないが、確実になにかを警告する、牽制する、声だ。
これはそこにいる人々の耳に等しく注がれているもののように思われるが、それは見せかけで、本当は私の耳元だけでささやかれるべき内容なのかもしれない。知っているけどちゃんと分かってないから。もしかしたらって思ってるから。白線だか、黄色い線の向こう側に、ちゃんとあるはずの世界があるような気がしてならないから。だから言われてしまう。
理解できない人は
下がって
「だから、通過するって言ってんのにわかんねえのかよ、いつまでもいつまでも鬱陶しいんだよ、こっちくんな、うるせえ下がってろ。」
そうしてすぐに、実際に快速電車は、あっけなく目の前を通り抜けていく。
理解できてる人はまあ、適当にうまいことやるのだろう。人の後ろにならんだり、ベンチに座ってちがうことを考えたり、快速のとまる駅まで違う電車で行って正々堂々快速電車に乗ったりなんかして。
3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって/中澤系「uta0001.txt」
そんな話だってことは、ないか。
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