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テレビ番組を変えまくる父

先日実家に帰った際、76歳の父は食事の後、テレビ番組のチャンネルを変えまくって「面白いのねぇな。」と言っていた。

それはもう1分と見ず、切り替えるのだ。それも上下ボタンで。昔と局の番号が変わっているのに未だ慣れていないのとローカルTVもあるからだ。

暗いニュースも見たくなく、芸能人は知っている人がおらず、バラエティのテンションにはついていけない、その結果父はひたすら番組を変えるのだ。

15分以上変えまくって、ようやっとBS朝日の昔の歌手が出ている歌番組に落ち着いた。僕が子供の頃最新だったBSチャンネルが、youtubeやサブスクを観れない高齢者にフィットしているのは中々興味深いものだ。

その時は、そんなに面白いのないならテレビを観なければいいのではと思ったものであるが、後になって思うと時間をつぶす主たる方法がテレビしかないのだ。

しかし、そのテレビのコア層から外れた結果、父にとって面白いと思うものがなくなってしまった。

受動的な時間のつぶし方は、発信側に依存するため自分とアンマッチを起こした際それを失うリスクが伴う。

今はyoutubeなどあるため何かしらフィットすることがあるだろうが、それにしても探す手間と時間は意外と面倒なものだ。

父は昼間は野菜の面倒をみたり、散歩やらラジオを聞きながらドライブをしている。そうして日中を過ごし、風呂も入り夜ご飯を食べたあと訪れるのは暇な時間だ。

働いていればそこから自分のプライベートタイムだし、生活にメリハリがあるだろう。

引退した今となっては、大体の用事は日中に済ましてしまうし夜はシンプルに暇な時間だ。

後期高齢者にとって夜は疲労もあるし、読書などもしんどいものがあるのだと思う。

さっさと寝て明日に備えるのも手なのだが、寝るにしても時間がかかるものだ。

我が親ながら中々考えるものがあった。 父より確実に金も体力もないであろう自分が高齢者になったときどうなるのだろうか。

現代はテレビ以上にサブスクやyoutubeなど動画・・・つまり発信者に依存していると思う。

そうした発信者もただでやっているわけではない。先に述べた通りコア層に向けて発信するわけだ。よりニッチになっていく情報を探り当てるほどの熱意はあるのだろうか。

現在のテレビ番組を探している内は、まだ演歌歌手などクオリティが担保されている。しかし、インターネットの膨大な情報から探し出しそれのクオリティが自分に合うのかまで考えたらどうなのだろう。

そこまで能動的に受動的なものを探り当てる気力体力は僕にあるだろうか。

ただ、同時にAIによってクリエイティブのハードルはどんどん下がっている。今ここが将来有意義に時間を使えるようになるターニングポイントなのかもしれない。

とりあえず文章を書くことだけはライフワークと定めている。

今現在そのステージとさせていただいているnoteさんには感謝している。10周年おめでとうございます。

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